第16話 盗賊王現る

「はあ、ゴブリンの反乱ね?」


 その部屋の最奥に座した男は、つまらなそうに報告用紙を読み終わると、これをパッと宙に投げ捨てた。

 ひらりと、薄黄色の紙が舞う。

 この土地の環境のせいで、どのような製紙技術を用いようと、紙を真っ白にすることは難しいのだ。

 それが、気がつくと掻き消えている。

 男が、紙をどこかへと飛ばしたのだ。


「せいぜい、砦が一つ落とされただけだろう? ゴブリンの脅威を語るより、この三十年の平和でたるんでいた精神に危機感を持つべきじゃないかい?」


「はっ、仰る通りで」


 男の前に立つのは、冴えない中年の男性。

 ホークウインド王国の主席執政官、ウートルドだ。

 そして、彼が向き合うのが、鷹の目王ショーマス。

 照明のないこの部屋で、彼の姿は陰になってよく見えない。

 だが、聞こえてくる声色は若く、張りのあるものだった。


「大体、ゴブリンごときの報告がおれの耳まで届くというのは、平和な証拠だ。鷹の尾羽が陥落した? 結構じゃないか。平和な世の中に、ピリリと刺激的なスパイスが加えられる。死者は最小限だったんだろう? 良いことだ。民衆には鷹の左足へ移動させ、開拓に当たらせろ」


「はっ」


「大した事じゃあない。少なくとも、おれの騎士が当たって、片付くならば大した事じゃない。つまり、おれが出るほどの事でもないってわけだ。……ああ、詰まらん」


 影の中から、きらめきが飛んだ。

 ウートルドはぼんやりとした顔のまま、体を傾けてそれをかわす。


「ウートルド、お前に分かるか。おれはな、もう三十年も暇なんだ。三十年だぞ、三十年! 執政なんて詰まらんことはもう飽き飽きだ。そんな時に起こったのが、魔導王と鋼鉄王の大喧嘩……いや、対外的には戦争だ。願わくば、おれの国にも攻めてきてもらえんかなあ」


「ははは」


 ウートルドは笑った。


「おれはちっとも面白くない」


 不服げに響く、ショーマスの声。


「ウートルド。ロシュフォールの奴に命令を出しておけ。その事件、ゴブリンだけの仕業じゃないだろう。徹底的に調査し、首謀者を見つけ次第殲滅。おれに首を献上せよ、と」


「はっ。恐れながら……」


「何だ?」


「ロシュフォール一人でよろしいのですかな?」


「お前が行けば簡単に片付くだろうが、それじゃあ詰まらんだろ。ロシュフォールを退けて鷹の右足まで取られるなら、面白くなってくる。そうじゃあないか、ウートルド」


「ははは、お答えしかねますな」


 このウートルドという男、主席執政官にして、ショーマス直轄の暗殺騎士八名を束ねる存在なのである。

 今、ホークウインドの注目が、ルーザックに注がれようとしている。






 そんなことは露も知らぬ、ルーザック一行。

 ぐるりと山を巡り、とうとう裏側へ出た。

 ゴブリン一行が大所帯だったため、この辺りで食料が尽きかけている。


「これはまずいぞ。早急に下山して食料を集めよう」


「賛成! みんな、降りる。ここから先、谷! 目的の場所、近い」


 ジュギィの命令を受けて、ギーッ、とゴブリン達が返事をした。


「ジュギィもちょっと見ないうちに、やるようになったわねえ」


「やっぱり、男がいるから変わったんでしょ。あーん、私もルーザックサマに変えられたい!」


 カーギィとレルギィの会話を聞いていると、うっすら変な汗が出てくるルーザックである。

 黒瞳王一行は、ここから下山を開始することにした。

 森の中心にそびえる山々だから、ここをぐるりと巡ったことで、目的となる単眼鬼サイクロプス封印の場所まで、かなりの距離を稼げた。


「降りる時こそ安全に! はい、復唱!」


「降りる時、こそ、安全にー」


 ルーザックの掛け声に、ゴブリン達が復唱しながら、山を下っていく。

 食料が少なくなり、焦りが生まれたときこそ危険なのだ。

 慎重に慎重に山を下る。

 結局、下山のこの道行きで、残り少なかった食料が完全に尽きてしまった。


 山を降りると、そこは谷である。

 上空から見ると、右足の爪部分であるこの谷は、ステップに覆われていた。

 放牧されているらしい、山羊の姿がある。


「ルーザックサマ、任せて! ジュギィばっかりにいい格好させられないわ!」


「レルギィ姉サマ抜け駆け!」


 レルギィが走った。

 彼女の武器は、原始的な棍棒。

 しかも、岩から削り出した重い代物である。

 山羊に近づいた頃合いで、レルギィは棍棒を後ろ手に隠し、足音を忍ばせる。


 山羊は人に慣れているようで、もぐもぐと胃の中の物を反芻はんすうしながら、逃げる気配はない。

 レルギィが唇を尖らせ、ゴブリン特有のあの高周波を発した。

 少し離れていたジュギィが、耳をぴくっとさせる。


「む。悔しい、けど、姉サマ流石」


「どうしたんだ?」


「山羊一頭、ゴブリン達、食い足りない。同時にもう一頭狩る」


 レルギィと、ホブゴブリン四人が動いた。


「どれ、俺も……」


「ルーちんはよしときなさい。絶対こういう臨機応変が求められるやつ苦手っしょ」


「う、うむ……」


「誰にでも得意不得意はあるわ。妹たちを信じて待つべきね」


 カーギィはどっかりと腰を下ろし、落ち着いたものである。

 周囲のゴブリンたちに、高周波を使って命令を出し、薪を集めさせる。


「これさ、日常生活だとルーちん、この人たちに指示できることないんじゃね?」


「くっ」


 ルーザックが悔しそうな顔をした。

 遠くでは、レルギィが山羊を殴り殺したところだ。

 もう一方では、ホブゴブリンたちが槍で山羊の動きを止め、そこをジュギィがトドメを刺す。

 他の山羊たちは、これを見て逃げ出してしまった。


「二頭いればお腹いっぱいになるでしょ。で、残った肉は加工して後で食べる」


「ジュギィ、すぐ、一人で山羊、とれるようになる」


 姉妹が山羊を持って戻ってくる。

 今のところ、ジュギィのライバル意識は一方通行のようだ。


 ゴブリンの中でも調理担当の者がいるらしく、彼らが手際よく二頭の山羊をさばいていく。

 皮をはぎ、四肢を切り分けて肉を取る。

 皮は別のゴブリンがなめし始める。

 これはこれで、衣服などに使うのだそうだ。


「たくましい……。俺は彼らの一面しか知らなかったようだ」


「ねー。みんな案外、色んなことができるもんだねえ。ルーちんもあたしも、文明が無いところ行ったら一瞬で野垂れ死ぬよねー」


「違いない」


 もくもくと煙が上がる。

 焚き火の周りに、槍で刺された山羊の肉が並べられているのだ。

 あちこち焦げていて、よく焼けたものはぐるりと裏返される。

 塩はゴブリンにとって貴重品なのだが、運良く岩山で岩塩を発見したため、今回はふんだんに使うことになった。

 ずらりと並んだゴブリン達が、ぐうぐうと腹を鳴らす。


「ギ、ギィ」


「ダメ」


 手を伸ばしかけたゴブリンを、ぴしゃりとジュギィが引っ叩いた。


「そろそろ焼けたかな」


「うーん、もうちょっとね。ルーザックサマ、お腹壊したくないでしょ。ゴブリンだって生肉そのまま食べたらお腹こわしたりするから」


 レルギィが、慎重に焼き加減を見ている。

 ここだ、というところで、次々槍を引き抜いた。

 配膳係を仰せつかったゴブリンが、それをナイフで削いで、人数分により分けていく。

 流石は二頭の山羊。

 かなりの量の肉だ。


「食べきれない分は自分で保管。食べ過ぎないこと」


 カーギィの言葉に、ゴブリン達がギーッと返事をした。


「さあルーザックサマ、食べよう。早くしないと、牧童がやって来る。殺してしまってもいいけれど、近くにある村に私達の動きが知られてしまう」


「それはまずいな。さっさと肉を食べて、また動くとしよう……む、むむっ、ここはどの部分だろう。不思議な食感……」


「黒瞳王サマ、そこ、牡山羊の……」


「うへえー」


 慌ただしく、しかし楽しい食事の時間が過ぎていくのであった。



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