第15話 鷹の右足にて

「魔族どもが活性化している、ということか」


 豪奢な調度品に溢れた部屋の一室で、大柄な老人が呻いた。

 伸ばした髪を背中で結んでおり、顔や手足には無数の傷がついている。

 戦場でつけられた傷だ。

 鷹の右足ライトフット辺境領を束ねる歴戦の武人、ドルフ辺境伯である。


「ええ、まさかゴブリンがあれほどに統率された動きを行うとは……。この三十年間、何の動きもなかったのは、もしや我らをたばかるつもりだったのではと」


 地域の臣民を連れて撤退してきた、騎士爵ガルト。

 長旅のせいで、少なからぬ脱落者を出しつつ、ボロボロになってこの地方へと逃げ込んできた。

 砦は焼き払われ、兵士も半分を失った。


「しかも、かのダン殿を斬り捨てる者がいるとはな。それは……本当にゴブリンなのか?」


「臣民に、あれは古式剣王流の技であると申したものがおりました」


「その者は?」


「ダンの息子です。近隣の村で畑を耕しておりましたが、あれは剣を捨てさせるには惜しい男です」


「うむ。その者が無事であったことは救いだな。私が思うに、これはただのゴブリンの反乱ではない。恐らく、ゴブリン達を指揮する何者かが現れたのだ。ロシュフォール卿がそなたの土地へ単身視察に出ておってな」


「ロシュフォール卿が!!」


 ロシュフォールは、暗殺騎士と呼ばれる、鷹の目王直属の騎士の一人。

 暗殺騎士は、表立ってはその存在は知られていない。

 だが、ショーマスよりあずかった異能を振るい、粛清と暗殺、あるいは魔族の殲滅を生業とするため、各地方に配属されていた。


「村々は略奪されており、それらはゴブリンの仕業であったと。砦からは、焼け残ったであろう武器が多数奪われていたそうだ。だが、ゴブリンどもの動きは慎重で、ロシュフォール卿が到着した時点で、完全に撤退を終え、村は荒らされたまま放置されていたとか」


「我が物顔で、村や砦を歩くものかと思っていましたが」


「違っていたようだな。迅速に略奪は行われ、既に森の外を歩くゴブリンの姿は無い。これは、奴らではない何者かが、魔族を率いているということの証左ではないか?」


「むむむ……」


「既に、陛下へと使いは出してある。鷹の尾羽砦陥落、魔族に不穏な動きあり、とな。しかし、状況が悪すぎる。よりによって、グリフォンスとゴーレムランドの開戦間近な時に、この騒ぎとは。場合によっては、王都からの増援は期待できんぞ」


 ゴブリン達が、鷹の尾羽から果たして出てくるのかどうか。

 前代未聞の状況なだけに、誰にも見当がつかなかった。


「私の予想ですが」


 ガルトは壁に貼られた、鷹の右足地方の簡易な地図を指差す。


「最悪の予想が当たっているなら、ゴブリン達はより強い力を求めて、あれの元に行くかと」


単眼鬼サイクロプス……」


 悪夢のようなその言葉に、ドルフは呻きを漏らしたのである。





 一方。

 ルーザックたちは、人間が整備した街道を使用すると危険なため、森を突っ切り、山越えをしていたのである。


「はい、休憩ー。ここで休憩をするー」


「えー。私はまだまだいけるのにぃ」


 ゴブリンロードのレルギィが唇を尖らせた。

 緑の肌と、尖った耳がなければ、魅惑的な人間の女性にも見える彼女の仕草は、常にルーザックを誘っている風である。


「山登りは重労働だ。一時間行動して、十五分休む。この繰り返しで、無理をせずに進むのだ」


 ちなみにルーザックに色仕掛けは通じない。

 ひたすら、ひたすらに鈍感なのだ。

 ゴブリン達は、風を避けて岩陰に集まる。

 ルーザックもまた、同じ場所に腰を下ろすと、背負っていた袋から木の実を取り出し、仲間たちに配った。


「糖分を補給し、頭の働きを活発にしよう。脳はブドウ糖を栄養としているから、マメな糖分補給は重要なのだ。ちなみにこの木の実は噛んでいると甘くなるので多分ブドウ糖が含まれていて」


「また黒瞳王サマの訳の分からない話が始まった」


 ゴブリンロードのカーギィが、顔をしかめた。


「しかもこれ、絶対ルーちん聞いたことあるだけの知識っしょ」


「うむ、ネットで見た」


「ほらあー! いくら何でも知識が浅すぎぃ!!」


 アリーシャにぺちぺちと突っ込みを入れられるルーザックなのである。

 だが、そんなアリーシャでも認めざるを得ない事がある。

 それは、ルーザックの計画性であった。

 今回の行軍において、ルーザックは綿密なタイムテーブルを作っている。

 山の麓までは、一分刻みの行軍。

 これは、森に土地勘を持つゴブリン達にとって、イレギュラーな事態が起こりづらいと考えてのこと。

 事実、カーギィとレルギィに率いられたゴブリンたちは、時間通りに山の麓へ到着している。


「ジュギィ、面白くない。カーギィ姉サマ、レルギィ姉サマ、ジュギィの仕事、取る」


「ジュギィは私の専属ゴブリン隊長なのだから、むくれている暇は無いぞ。二人の仕事を見て技術を盗むのだ」


「盗む?」


「自分に出来ない仕事をやっている者がいれば、その者は必ず、仕事に関するノウハウを持っている。見て、真似をしてみるだけで、新たな気付きが得られるものだ。特に今は、ジュギィの肩に誰の命も掛かっていない。生きたマニュアルを見て、勉強する素晴らしい機会だぞ」


「おおー!」


 ルーザックの熱い説明を受けて、ジュギィが盛り上がった。

 以降、彼女は姉達の動きを、じーっと観察している。


 話は戻って、タイムテーブル。

 登山については、ゴブリンたちにも情報が少ない。

 巣から遠く離れることもあまりなかったためだ。

 というわけで、ここからルーザックのタイムテーブルはガバガバになる。

 一時間登って十五分休憩。

 しかも、そういう時間単位が無いこの世界において、基準となるのはルーザックとアリーシャの体感である。

 合計八時間半登山し、日が暮れる前にキャンプ。

 無理をせず、山の中腹を回り込んでいくルートだ。

 最初から、最短ルートなど狙っていない。


「キャンプだ!」


 ルーザックが宣言すると、ゴブリン達はうおーっと呻いてその場に座り込んだ。

 初めての登山で、足がパンパンである。

 だが、一行の進む速度は、最も遅い個体の足に合わせてある。

 というわけで、脱落者はなし。

 岩陰に穴を掘り、少人数ごとの即席テントを張る。

 布の片方を岩に結んで固定し、もう一方を地面に杭で打ち込む。

 最低限の雨風を防げる作りだが、ゴブリン達からすると、十分に休める環境である。


「ゆったり進んでいるみたいだけれど、こんなペースで本当に大丈夫?」


「全員が無事で進行できるベストなペースだ」


「あのね……。ゴブリンは、多少欠けたところで補充が効くの。今や、黒瞳王サマが手に入れた村から得た資源で、頭数を倍に増やせる程度にはなったわ。もしかしたら、ジュギィの妹だって出来るかも知れない。だからね」


 カーギィは呆れながら意見を発したのだが、ルーザックは難しい表情になり、その言葉を遮った。


「大事なスタッフに無理をさせるわけにはいかないだろう。ゴブリン一人に、どれだけの教育コストと時間を掛けていると思っているんだ。ましてや、戦争ですらない行軍だ。こんな状況で、ただの一人でも欠けさせる訳にはいかない」


「まっ」


「素敵!! 抱いて!!」


 絶句するカーギィ、感激してルーザックに飛びかかるレルギィ、そして。


「レルギィ姉サマ、ステーイ!!」


 横合いからドロップキックで、レルギィを迎撃するジュギィ。

 

「ルーちん、大変ねー。苦労するわよー」


 なぜか、アリーシャにねぎらわれるルーザックなのだった。

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