第12話 再び、古戦場砦の師匠と弟子

 ホブゴブリンが、ルーザックを守るように駆け出してくる。

 だが、それを黒瞳王は手で制した。


「勝てないから前に出てくるな。これは俺の相手な」


「分かった。逃げてくる兵士、倒す」


 ダンは二人のホブゴブリンを見て、目を細めた。

 その足取り……よく訓練されている。

 剣王流か。


「師匠の教えを伝えました」


「たわけが。お前はまだ教えられるレベルにはない。……だが、お前も手段を選んじゃいられんようだな」


「ええ、仰る通りです」


 じわり、ルーザックが動く。

 ダンの攻めを誘う気なのだが、せいぜい剣を覚えて二ヶ月と少しの男の動きは、あまりにあからさまだ。

 二人の背後では、砦が今も燃え上がる。

 どうにかこうにか、扉を抜け出してきた兵士がいるが、それは二名のホブゴブリンによる槍に阻まれ、黒い煙の中に押し込まれるか、あるいは突き殺される。


「えげつねえ……。二人がかりで確実にかよ。最低な戦法だが、勝つための戦い方だ。だが……お前は相変わらず駆け引きが下手な男だ」


 ダンにとって、ルーザックが仕掛けている駆け引きなど見え見えだ。

 だが、この老剣豪はつたない弟子を侮る気などない。

 ルーザックと言う男、勝負における始まり、技の組み立てと駆け引き、全てが酷い有様だ。それでも、基礎だけは出来ている。

 かたくなに基礎を崩さないこの男は、どんな状況にあっても剣王流の守りと、王道の攻めを行ってくる。

 並ならぬ膂力を持つ男であることを、ダンは知っている。

 当たれば必殺。

 フェイントにはかからず、誘っても乗らない。

 戦闘における空気が読めているようにも見えない。

 攻撃されれば守り、相手が一瞬でも攻めの手を休めれば攻撃を加えてくる。


 さらに……あの手にした黒い魔剣。

 間違いなく、業物であろう。

 剣王流は、斬る事を主眼とした流派である。

 今、ダンが手にしているようななまくらでは、本来の力を発揮することができない。

 剣豪と言われた彼だからこそ、技量でそれなりにカバーする事はできるものの、なまくらと魔剣の差は、それこそ天地の隔たりに等しい。


「来いよ、ルーザック。この状況で、俺が動くと思ってるのか? それとも……老いぼれの体力が尽きるのを待ってるのか?」


「尽きてもらうとありがたいが、師匠がタフであることは知っています」


 ざくっ、とルーザックが無造作に間合いを詰めた。

 この男は、対峙する間に漂う緊張感というものが、分かっていない。

 だから、無遠慮にこうして攻撃範囲に入り込んでくるのだ。


 ダンはこれに反応した。

 するりと剣が伸びる。

 ルーザックには教えていない、剣王流の秘技の一つである。

 見えずの太刀。

 人の、生き物の意識の外からすっと伸ばした剣で、気づかぬうちに相手を叩き切る。

 これは、技の起こりを極限まで減らした技だ。剣王流の達人であるダンだからこそ使いこなせるのである。

 動作の始まりがあまりにも小さく、そこから始まる一連の動きが、注視せねば止まっているように見える。


「むうっ」


 剣はルーザックの守りを容易く掻い潜り、彼の二の腕を打った。

 ルーザックは呻くが、ダンもまた、異常な感触に顔をしかめた。


「お前、その服……いや、服じゃねえな。魔法のかかった鎧かよ……!」


「そりゃそーよ。ルーちんはこう見えて黒瞳王なんだもの」


 ルーザックの襟の影から、小さな人影がヒョコッと飛び出した。


「な、なんだお前」


「あたしはアリーシャ! 先代の黒瞳王よ! あんた、前の大戦に参加してたんでしょ。じゃああたしと戦ったかもしんないわね!」


「前の大戦だと!? いや、馬鹿な! その時の黒瞳王は、今の俺の息子よりも若い娘で、それもショーマスに殺された……」


「……」


 一瞬の混乱の隙を衝いて、ルーザックが仕掛けていた。

 空気を読むという事をしない。

 ただ、攻められそうに見えれば、一直線に一撃を放ってくる。


「ちいっ!」


 ダンはこれを、必死に下がって避けた。

 空を切る、黒い魔剣の音に怖気が走る。

 それは、ダンがこれまで見たこともないほどの力を秘めた業物である。

 今まで剣に生きた者の勘が、あれは受けても流してもいけないと告げたのだ。


「ハンデがありすぎだ。だが、俺とルーザックの腕の差を考えりゃ、ちょうどいいかも知れんな。俺はルーザックを倒すにゃ、頭を狙うしかない。ルーザックはどこに当てても俺を倒せるが、圧倒的に腕が足りねえ」


「二ヶ月の薫陶で、基礎は学んだと思いますが」


「二ヶ月で何が分かる。ちょっと踊りを覚えた程度のもんだ。もっと剣を振れ。一振りの意味を考えて剣を振れ。剣を振ろうと思わずとも振っているようになれば、始めて基礎はお前と一体になる」


 そこまで口にして、ダンは苦笑した。

 敵となった男を前にして、指導か。

 どうやら、自分はこの男が気に入っていると見える。


「これはどうだ」


 ダンは再び、新たな技を見せる。

 剣を己の影に隠し、地面を引きずる程に低く。

 前に踏み出し、ギリギリの間合いを図り、反射的に振られたルーザックの剣を鼻の皮一枚でやり過ごす。

 そこから、土を削りながら放たれる、内股を狙う一撃。

 残月の太刀。

 これも、ルーザックは防げない。

 腿を打たれて呻く。


「踏み込みが浅いんだよ。あと一歩行ってりゃ、俺の頭を割れたろう」


「ぐう……」


 ルーザックが気圧される。

 齢六十に届こうかという、この剣豪が、とても大きく見える。

 剣が届かない。

 相手は普段着、武器はなまくらだと言うのに、勝てるビジョンが見えなかった。

 思わず一歩、下がりかけた時だ。


「ルーザック! 気合入れろーっ!!」


 耳元で、アリーシャが叫んだ。

 頬を小さな手でパチーンと叩かれる。

 一瞬で、ルーザックの目は醒めた。

 目の前には、滝のような汗をかき、徐々に息を乱しつつある師の姿がある。

 それは、剣の道を追い求め、しかし寄る年波によって、全盛期の力を失った男の姿だった。


「あーあ。気を呑んでやろうと思ったんだがな」


「参る」


 ルーザックは剣を握り直した。

 先程、胸の中に湧き上がったかと思えた恐れは、もはやない。

 踏み込む。

 今までよりも、もっと深く。

 相手の懐へと入り込む一歩。

 師が教えた、あと一歩の距離を進むための一歩。


「おう」


 嬉しそうに、ダンが笑った。


「素直なのはな、最高の才能だ」


 剣豪は避けようとして、後退する。

 間に合わない。

 そして、極限の集中を行ったがために、足にがたが来ていた。

 後退のための二歩目が動かない。


 ルーザックは、いつものように、正確な動きで剣を振り下ろした。

 掲げられたのは、なまくら。

 それが黒い魔剣を受け止めようと言うのか、切っ先の軌跡に差し込まれる。

 ──折れた。

 魔剣は止まらず。

 剣豪の肩から入り、腹を裂き、抜けた。


「参った」


 ダンはそう言って笑った。

 そして、血を吐いて崩れ落ちた。


「ああ……。二十年前の俺で、お前とやり合いたかったなあ。いや、そりゃあ俺が勝つか。なまくらでもお前にゃ負けねえ」


「師匠」


「おう。免許皆伝はやらねえ。その基礎しか無い剣で、どこまで行くよ、お前」


「七王を倒します」


「────? お前……倒す? 七王を、お前が? は、ははっ、こいつはいい。俺は勇者を斬る魔王を育てたってわけか。はははは」


 力なく笑い、また、ダンは血を吐いた。

 顔色が土気色だ。

 もう長くはない。


「やれるもんならやってみろ。お前が、馬鹿みてえに基礎を極めりゃ、届くかもな。ああ、それこそ見てみたかったぜ……」


 ダンは虚空に手を伸ばした。

 もう、目も見えていない。


「師匠、これまでのご指導、ご鞭撻を感謝いたします」


 ルーザックの言葉も、聞こえているのかどうか。

 最後にダンは、呟いた。


「じゃあな、馬鹿弟子」





 砦は明々と燃え盛り、鷹の尾羽の夜闇を切り裂くようだった。

 最早、人の声はしない。

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