第11話 古戦場砦を攻略する

「ありゃ? なんだって、こんなところに枯れ枝がまとめてあるんだ?」


 古戦場砦の内部は、居住性を考えて改良されている。

 本来であれば剥き出しの石壁があるばかりだが、鷹の尾羽地方は、秋を迎えると底冷えするようになる。

 石の砦の中で一日を過ごすとなれば、外と変わらないような厚着をしない限り、やってはいられない。

 そのような訳で、いつしか砦の内側には、板で内張りがされるようになっていた。

 窓についた鎧戸も、二層に改造され、外の寒さを遮断するようになっている。


 季節はそろそろ秋を迎えようという頃。

 砦の食堂には暖炉があり、兵士たちは寒くなれば、皆そこに集まって任務の時まで時間を潰すのがならわしだった。

 おおかた、暖炉にくべる着火剤にするつもりで集めた物を、誰かが放置したのだろう。


「しゃあねえ。運んでやるか」


 いつもなら面倒な作業と思うところだ。

 砦に出入りしている、近隣の村人が、雑務を請け負っているのだ。

 だが、今の砦は人手が少なくなっていた。

 近隣で、兵士の死体が発見されたのだ。

 二名は腐敗しかかっており、一名は新しい。

 さらに、装備が剥がされていたという。

 今は、動ける兵士の多くが現場の検証と、犯人探しに出張っている。


「よっこらしょっと……」


 火種を持ち上げた兵士。

 ふと、背後に気配を感じて振り返った。


「ギッ」


 耳障りな声と共に、悪臭が漂う。

 緑色の小柄な人影が、そこにはいた。

 途端に、脇腹が熱くなる。


「げっ……ご、ゴブ……」


 声を上げようとしたが、力が入らない。

 腹に槍が突き刺さっていた。それも、砦で採用されている正規の槍だ。

 これを、ゴブリンが堂に入った構えで持ち、兵士の腹に突き刺している。

 抜かれた槍と共に、血がほとばしった。

 血の中に、紫色の液体が混じっている。

 毒である。


「な、ばか、な」


 それが兵士の最後の言葉になった。

 どさり、と彼は崩れ落ちる。

 ゴブリンが手招きすると、背後からもう一人のゴブリンが現れる。

 手には、大事そうに小さな炎。

 布を巻かれ、油を染み込ませた枝を火種としている。

 食堂に食材が入ってくる時間を見計らい、暖炉から火を盗んできたのだ。


「ギギッ」


「ギィッ」


 ゴブリンは、着火剤から枝を抜き、さっと点火させて別方向へ走る。

 彼は腰布に挟んでいた一枚の紙を取り出した。

 それに描かれているのは、砦の見取り図。

 そして、ゴブリンは見取り図を見、把握する訓練を受けていた。


「ギギッ」


 枝が燃えきる前に、昨夜ルーザックが設置した着火剤に、火をつける。

 瞬く間に、着火剤は燃え上がる。

 そして、古くなってよく乾燥した、砦の内壁を炎が舐めていく。

 その内壁の一部は剥がされていた。

 ルーザックが剥がして持ち帰り、どれだけの時間で延焼するかを試験したのである。

 二人のゴブリンは、あらかじめ定められたルートを辿り、次々に着火して回った。


「おいっ、そこで何をしてる?」


 声が掛かった。

 ゴブリンは耳をピクリと動かす。

 見つかった。

 仕事は途中である。

 相手の足音は一つ。

 ならば、戦うか。

 一人であれば、勝てるかもしれない。

 ゴブリンは振り返ろうとして、思い出した。


(見つかったならば窓から逃走せよ)


 黒瞳王ルーザックの厳命である。

 戦うことはまかりならない。

 ゴブリンは振り返らず、そのまま前方へ走った。

 窓に飛び上がり、取り出した鎌を内壁へ打ち込み、足場とする。


「お、おい!」


 声を無視して、窓から飛び出していった。


「ゴブリンが砦の中に……!? 一体何が起きているんだ」


 それは、早朝の見回りをしているダンであった。

 既に、腰のなまくらに手を掛けていた。

 ゴブリンが振り返れば、一撃の元に叩き伏せられていたことだろう。


「思い切りのいい逃げ方だったな。ありゃ、俺の足じゃ追いつけん」


 ダンはゴブリンが逃げた窓の下まで行くと、壁に刺さった鎌を抜いた。


「脱出用ということか。奴ら、砦の内壁に木が張られていることを知ってこんなものを……。まるで何度も練習したかのような動きだったな」


 感心しながら呟いた。

 手にした鎌の握りには、何度も踏みつけられた跡がある。

 それが、ダンの予想を裏付けていた。


「……ってことは。まずいぞ」


 ある事実に気付き、ダンの血の気が引く。

 ゴブリンたちが、内壁に鎌を突き立て、それを足場にして逃げる練習をしている。

 あからさまに、砦に潜入することを目的とした動きではないか。

 それが、何もしていないなどという事があるだろうか?


 またしても、ダンの予想は的中する。

 臭ってきたのは、古い木材が焼ける臭気だ。

 黒い煙が、入口側から立ち込めてくる。


「ギィッ!」


「ギッ!」


 窓の外からは、ゴブリンたちの声がする。


「奴ら、砦を落としに来たのか!」


 慌ててダンは、砦の中で今も寝床についているであろう同僚たちを起こして回った。

 その途中、腹を刺されて事切れている兵士を発見する。

 槍で一突き。傷口付近には毒。


「この腕前……! くっ、全員起こしていては、俺が煙に巻かれる……!」


 ダンは姿勢を低くし、煙の中を抜けた。

 無理に曲げた腰がひどく痛むが、命には替えられない。

 やがて、入り口まで辿り着いた。


「おいおい、冗談だろう……」


 入り口を守っていた兵士は、やはり槍で刺されて死んでいる。

 そして、何よりも高らかに炎を上げているのは、扉であった。


「ちぃっ!」


 ダンは、死んだ兵士の腰から剣を抜いた。

 彼らが手にしていた槍は奪われていたが、棍棒まがいのなまくらは放置されていたのだ。

 ゴブリンたちは、この剣が使い物にならない代物だということを知っている。

 

 ダンは剣を構えた。

 そして、扉に向かって突っ込む。

 剣王流の技の一つ、ヤマアラシである。

 剣王アレクスが生み出したと言われる技であり、剣の斬撃と重量で、対象を切り伏せながら破壊する。

 だが、このなまくらでは古式剣王流の技など、半分も再現できない。

 再現しきれぬ技を、己の技量で本物に近づける。

 ダンは全身の関節を順に動かしながら、切っ先を加速していった。

 放たれた瞬間よりも、遥かに速い斬撃。

 それが、扉を粉々に打ち破った。

 炎すらも消し飛ばされ、かつての剣豪は燃え落ちようとする門を越えて地面を転がった。


 メラメラ、パチパチと火の粉が爆ぜる音がした。

 振り返り、ダンは絶句する。


 砦全体が燃え上がっていた。

 窓という窓から黒煙が上がり、逃げ遅れた兵士たちが、小さな窓に殺到している。

 だが、敵の侵入を阻むべく、矢を射るだけのスペースしかない窓は、人が通るには小さすぎる。

 せめて、ゴブリンほどの体格であれば。


「古い木は、大変よく燃える」


 声がした。

 ここ最近、毎日耳にしていた声だ。

 砦の中で渦巻く炎は、中を逃げ惑う者たちを効果的に追い詰めている。

 どこに可燃物が多いか。

 燃えない場所には、薪を積み上げ、着火剤を積み上げ。

 より黒煙が出るように、樹木から取ったやにがそこここに塗りたくられ。

 そう、砦の中に、逃げ場などない。

 この二ヶ月の間、隅々まで歩き、調べられた砦の中は、それそのものが兵士たちを燻し殺すための罠となった。


「ですが、どれだけ燃えるかの検証も欠かすわけにはいかない。幸い、スケジュール通りに運びました」


「お前は……」


 そこに立っていたのは、ダンが弟子と呼んだ男だった。

 放たれる言葉は、どこか的外れで、だが実直。

 彼がいつもは深く被っている帽子が、今はない。

 だからこそ、その瞳がよく見える。

 艶のない、漆黒の闇にも似た瞳が。


「ル……ルーザック」


「ええ、その通り。同時に、八代目黒瞳王も拝命しています」


 黒く、鴉の濡れ羽にも似た輝きを放つ衣装。

 どう仕立てたのか、想像もできぬほど見事にあつらえられた黒い革靴。

 そして腰には、漆黒の剣。


「腑に落ちた。お前なら、やれるな。こうして、見事に砦を落としてみせることが出来る……! なあ、馬鹿弟子よ……! お前が砦に来たこと、これまでやって来たことの何もかも! それは、この日のためだったのか、黒瞳王!!」


 ダンは剣を構えた。

 古式剣王流。

 ダンが最強と頼む、剣王が生み出した最古の流派。

 だが、優れた切れ味の剣がなくば、力を発揮しきれぬ不完全な技。


 対するルーザックも、剣を構えた。

 漆黒の魔剣である。

 ヨロイボアの体毛も、骨すらも、易々と破断して見せた豪剣。

 未だ無銘。


「我がスタッフでは師匠には勝てません。従って、責任者である私がお相手を勤めさせてもらう。今までのご指導、ご鞭撻、感謝いたします……!」


 燃え上がる砦を背後に、人魔の師弟による一騎打ちが始まるのである。

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