第10話 マニュアル作成大作戦
少しばかり時間は戻り。
「ルーちん、何やってんの?」
「マニュアルを作るのだ」
ルーザックは砦から拝借してきたペンとインクを使い、使用済みの紙の裏に何事かを書き綴っている。
いや、描いている。
あまり上手い絵ではないが、どうやら描かれているのがゴブリンらしきことは分かった。
「黒瞳王サマ、絵、上手」
隣で紙を選り分ける仕事をしていたジュギィが、素直に賞賛してくる。
「そ、そうか」
「上手」
目をキラキラさせて言ってくる。
褒められ慣れていないルーザックは照れる。
「ジュギィはまだ子どもねー。もっと絵が上手いのなんかいくらでも」
「上手。黒瞳王サマ、上手」
「そ、そう」
いつもの憎まれ口を叩こうとしたアリーシャが、ジュギィに圧倒されている。
どうやらゴブリンの姫は、ルーザックを心底尊敬しているようだ。
「ありがとう。これは、君たちゴブリンがいかに行動したらいいかを、絵で示したものだ。今まではどういう伝達方法で行動の方法を学んでいた?」
「行動……。ジュギィ、ママと姉様、教えてくれる。ジュギィできない。みそっかす」
「落ち込んではいけない。いいか、誰でも出来ることと出来ないことがある。むしろ、飛び抜けた誰かしか出来ない事に価値などない。戦いで圧倒的に強い者がいたとして、もしもその者が対策され、行動を封じられたらどうする」
「強い。レルギィ姉様。レルギィ姉様戦えない、大変! 困る! ゴブリン、たくさん死ぬ!」
ルーザックの言葉から、ジュギィはそこまで想像したようで、悲しそうな顔になった。
「そういうことだ。私の軍勢は、今は君たち十四人で全てだ。一人も失うわけにはいかない。それ故に、全員が可能な動きで、無理なく人間と戦うことになる。この戦いで成果を上げれば、ゴブリンクイーンも私の話に耳を傾けるようになるだろう」
「うん。黒瞳王サマ、すごい」
「何気にルーちん、熱いわね……」
ルーザックは、砦から持ってきた書類の中に、いわゆる行軍の教本も持ってきている。
さらに、戦争を舞台にした物語など。
これらを読み込み、ゴブリンたちに使えそうな戦術を工夫し、絵でマニュアルに起こすのだ。
「ギッ」
ゴブリンの一人が、仕事に励む二人にくんできた水を差し入れた。
人間たちに追われていたのを、ルーザックに救われたゴブリンである。
「ありがとう」
葉っぱを器用に編んで、器にしてある。
ルーザックは受け取り、一息に飲み干した。
昼間は砦で剣の訓練をし、夕方から夜はこうしてマニュアルを作る。
明け方は、習い覚えた剣の技をゴブリンたちに教える。
ルーザックの一日は、こうして瞬く間に流れていくのである。
翌日。
「これが砦の見取り図だ。隅々まで掃除して回って、素材まで把握してきた。この内壁がもろくなっているから、鎌を使えば刺さって足場になる。石造りに見えるが木製の部分が内壁に使われているから、燃やせば一網打尽にできるだろう。あとは出てくる兵士をいかにして片付けるかだ。ああ、進捗はどうだ、ホブゴブリンたち」
「ギッ! 人間の槍、重さ、長さ、使い方、覚えた。黒瞳王サマ、マニュアル、動き覚えた。見せる?」
答えたのは、歳を重ねたホブゴブリン。
下級のゴブリンでも、年を経ると知能が発達し、ある程度複雑な会話ができる。
「見せてくれ」
ルーザックの求めに応じ、二人のホブゴブリンは並び立った。
その動きは、ゴブリンらしからぬ切れのあるものだ。
ルーザックが教本を手本に、分かりやすく作り上げたマニュアルを、彼らは読み込み、絵の通りに動くべく鍛錬を積んでいたのである。
彼らの前に、ルーザックが魔剣を構えて立つ。
構えは、古式剣王流。捌きに徹し、ホブゴブリンたちの仕上がりを観察するつもりである。
「来るのだ」
「ギッ!」
二人のホブゴブリンは、鏡写しのように動く。
同時に突き出された槍を、ルーザックは下がりながら剣を傾けて受けた。
続く突きを受け止め、払いを下がって
「凄いな。真面目に練習したのだな。砦にいる兵士たちでも、これほど教本通りの動きはできまい」
「ギッ!」
ホブゴブリンたちは、褒められてちょっと頬を緩めた。
食料採集や、周辺の偵察などを担当するゴブリンと違い、もともと戦闘種として生み出されたホブゴブリンには、戦うことしかできない。
彼らはルーザックの期待に応えるため、必死でマニュアルを読み込み、練習していたのである。
「それで、あのマニュアルは誰でもできそうか?」
「ギッ。できる。練習する。みんなできる」
「よし。兵士一人ずつなら、これで対処可能だろう。こちらは個々の戦力で劣り、数でも劣る。戦うならば、敵の不意を衝き、力を発揮できないようにして勝つ」
「そだねー。そうしないと、勝負になんないと思うわ。ってか、あの剣豪のオジイチャンはルーちんしか止められないっしょ?」
「うむ、そのために師匠から剣を習っている。手を合わせることができれば、手の内も分かる」
「やれる? あの人を討てんの?」
「それが私の仕事である」
「ハートつええ」
この瞬間、アリーシャは理解した。
ルーザックは、今までの黒瞳王からすると、明らかに弱い。
だが、いかなる状況からも勝利を掴み取ろうとする、決して曲がらず、折れぬ意思があるのだ。
これこそが、彼の力であると言っていいだろう。
「それから……吸収力か」
ホブゴブリンたちの攻撃を受け止めるルーザックの動きは、ヨロイボアと戦った時のそれとは雲泥の差だ。
姿勢、足運び、呼吸、その全てが、杓子定規なほどに剣豪ダンに教えられた、剣王流のものとなっている。
教えられたことを体現し、身につくまで実行し続ける体力と精神力。
魔王としての肉体が、ルーザックの意思を支えてもいる。
「なんか、ルーちんはすげえ強くなりそうな予感がある……」
それこそが、偽らざるアリーシャの感想だった。
ルーザックは働いた。
生身であれば過労死するほどの労働密度である。
砦での仕事と、調査。ゴブリンたちの指導と、マニュアル作成。
僅かな睡眠時間で、起床している間は働き続ける。
魔王でなければ死んでいた。
「ルーちん働くねー」
「スタッフがものになるまでは、責任者が働くものだ。だが、もうじき俺の負担も軽くなると見ている。ジュギィに剣を教えている。ものになった彼女が一般ゴブリンへの教練を担当することになる。これでタスクが二つ減る」
「んでルーちんはまた仕事増やす」
「なぜわかる……!?」
「分からいでか。いーから、頭脳ろーどーは一個、あたしに回しなさいっ。小人モードでもやったげるから!」
「なんと……! 君はただの外付けマニュアルではなかったのだな」
「失敬なー!」
次にルーザックが取り掛かったのは、藁や枯れ草、枝などを集め、よく乾燥させる作業である。
これらをまとめ、砦の近くまで運んでおく。
砦に火を付け、内部から燻して戦力を減じさせる。
そういう作戦なのである。
ゴブリンたちは大変よく働いた。
薪などの他に、人や馬に使用するための毒草などを集める。
これらは全て、ルーザックが設定したタイムスケジュールに従って行われた。
ルーザックが砦に潜り込んでから二ヶ月間。
目的を果たすための準備が、着々と出来上がっていく。
捕らえた兵士は殺してしまった。死体は肉を削ぎ落とし、土に埋めて白骨化させる手順を踏んでいる。
装備は、ホブゴブリン用の槍二本を除き、大事に保管。
「出来れば、もう少し剣王流を学びたかった。基礎のみしか学んでいない」
「ルーちんは応用へたっぴだからねえ。とりあえずひたすら基礎をやるしかないんじゃね?」
「うむ……」
かくして、自主練習もひたすら基礎を反復練習。
驚くほどの速度で、ルーザックの体に、剣王流の動きが染み込んでいくのである。
そしていよいよ。
計画実行の日が訪れるのだ。
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