第9話 古戦場砦の師匠と弟子

「最近、おやっさん楽しそうだなあ」


「あれだよ、あれ。ルーザックって新人が入っただろ? そいつが、おやっさんの指導を嬉々として受けてるんだと」


「ひえーっ、物好きな奴もいたもんだ。今時、剣なんか流行らないってのになあ」


 修練場を通りかかった兵士たちが噂する。

 彼らの誰も、ルーザックという男がいつからこの砦に勤めるようになったのかは知らない。

 だが、ふた月もそんな男が砦にいついていれば、気にならなくなる。

 見回りに、馬の世話、そして書類仕事。

 砦の仕事はいくらでもある。

 人が増えて困ることはないのだ。


「でな、あのルーザックって新人が働くんだ。便所掃除も自分からやるんだぜ」


「ひえーっ、物好きにも程があるぜ!」


「書類関係もあいつが入ったら、すげえ仕事が進むようになったそうだぜ。大体、退屈な報告書ばかりだろ? 無駄に書式ばっかり複雑になりやがって。おやっさんは字が読めねえから戦力にならないし。だけどな、あいつ読み書きができてな」


「優秀じゃないか。そのうち、出世して砦を出て行っちまうかもな」


「ああ、そりゃないな。だって、あのおやっさんに気に入られてるんだぜ?」


「そういや、そうか!」


 わはは、と笑いながら、兵士たちは過ぎ去っていく。

 かつての剣豪に対する敬意はある。

 子供の頃なら、剣豪ダンは間違いなくヒーローだった。

 だが、大人になってしまえば状況も変わる。

 いい年をして、砦の兵士をしており、妻に先立たれ、才能があると噂されていた息子は跡を継ぐでもなく農夫となった。

 どこにも伝えられることのない剣の腕を抱えたまま、遠からぬうちにあの世に旅立つ年齢のやもめである。

 そんな彼が、今は楽しそうに新人に、己の技を教え込んでいる。

 兵士たちは、口では揶揄やゆするものの、内心ではダンが生きがいを見つけたことを嬉しく思っていた。




「ルーザック! 今日は遅かったじゃねえか!」


「は、申し訳ありません。砦の廊下を雑巾がけしていたので。そしてこれが、私が開発したモップです」


「ほー、使い古しの槍の石突を改造して、雑巾くくりつけたのかよ、そのモップ、っつうやつ。お前、凄い発想だなあ」


「お陰で砦の隅々まで歩き回ることができました」


「勤勉な奴だな! よし、それじゃあその勤勉さを、今日の訓練でも発揮しろよ! 素振りと丸太打ちは終わりだ! 今日からは対面で型稽古かたげいこをやってやる! 基礎を固めるぞ!」


「よろしくお願いします師匠」


 ルーザックが、ビシッと礼をした。

 こうして素晴らしい礼をされると、教える側としても気分がいい。


「おう! 基礎は、古式剣王流の始まりにして究極だ。最後はこの基礎に帰って来ると言われてる。こいつをカンペキにモノにしたら、他の傍流の剣王流なんかお遊戯みたいなもんだ。そいつを、今から俺との稽古けいこで学び取っていけ!」


 手取り足取り。

 ダンはルーザックに剣王流を叩き込んでいく。

 訓練以外の時間は、ルーザックは書類仕事を行い、砦の隅々まで掃除をし、馬の世話をし、余った書類と食事の残り物を大量に回収している。

 砦からは無駄なゴミが出なくなり、面倒な仕事がなくなり、労働環境が改善された。

 誰もが、このルーザックといういつからいるのか分からない新人を重宝するようになったのである。


「もうちょっと、お前が剣に時間を使えるようになるといいんだがなあ。ああ、いや、この短時間で俺から技を学び取る、お前の吸収力はすげえ。俺がガキの頃は、お前の何倍も時間がかかってもまともにできなかったからな!」


「恐縮です!」


 ルーザックがビシッと礼をする。


「師匠の教えには、いつも新たな気付きを得ています。この基礎にはこんな意味があったのだと。正直、スパルタ式を覚悟していたのですが、思いのほか懇切丁寧で」


「すぱるた? まあ、厳しくやったら、みんな逃げちまったからなあ……。今、お前に教えてて思うのは、別に厳しくし過ぎなくても良かったんだなあ……」


「大変分かりやすいです」


 ルーザックがそう言いながら、習い覚えた基礎の型を行って見せると、ダンは大喜びする。


「本当に覚えが早いな、お前! ルーザック、お前はちゃんと修練すりゃ、俺よりもずっと強くなるぞ。何せ、剣に雑念ってものがねえ。教えられたとおり、理想的な形で何回でも剣を振れる! ひょっとすると、剣王よりも強くなるかもな。がっはっは!」


「恐縮です!」


 師匠と弟子の蜜月の時は、いつまでも続くかと思われた。

 ダンは基礎を叩き込み終わると、彼が持つ技巧の限りを、次々に彼に伝えて行った。

 ルーザックであれば、いかなる技を教えられても、それにおごって基礎をおろそかにはしないと信じられたからだ。

 教えれば教えるだけ強くなる。

 伝えたことは、乾いた布が水を吸うかのように吸収する。

 そして、素直であった。


「最高のマニュアルです。口伝というのも馬鹿にはできないのですね」


 時折口にする、このマニュアルと言う言葉は、よく分からなかったが。


「そんじゃあ、そろそろ乱取りをやってみっか」


「乱取りですか。つまり、スパーリングのような。ここでやるので?」


「いんや。今日は天気がいい。外でやろうや」


 ある日、突然ダンがそう言った。

 今まで、型と技を教えるばかりであったダンである。

 実戦形式での訓練は初だった。


「今まで、俺とお前じゃ力の差が天地ほどもあったからな。今なら、多少はやれるだろ」


「なるほど、正にOJT」


「またお前はわけの分からんことを言うな」


 二人揃って、砦の前までやって来た。

 普段なら、見回りという名の散歩をしている兵士たちが、このやり取りに興味を持って見物にやって来る。


 かつての剣豪ダンと、新人兵士ルーザック。

 二人は訓練用の木製剣を手にして向かい合った。

 構えは、正面中段に剣を構える、古式剣王流で言う『ブルーアイズ』の構えにて行う。

 ブルーアイズは、全ての基礎にして、あらゆる型へと派生する構え。

 やがて、合図もなく、試合は始まった。


「ラァッ!」


 一瞬で、七メルク(一メルクは約八十センチ)の距離を詰めたダン。

 真っ向から剣を振り下ろす。

 これを、ルーザックは、やはり振り下ろしの剣で受けた。

 横に受けるのではない。

 縦に振った剣と縦に振った剣がぶつかり合い、噛み合い、止まったのだ。

 鍔迫り合いが始まる。


「おい、新人が押してるぞ」


「あいつ、見た目に似合わず馬鹿力だな」


「おやっさん、年だからなあ」


「でも、俺らの誰か一人でも、おやっさんに腕相撲で勝てたかよ」


 ダンは笑った。

 弟子の押し込みが、強烈無比であったからだ。

 ダンは技巧の限りを尽くし、鍔を合わせながら、流し、すかし、隙を作って押し込む。

 だが、ルーザックは揺るがない。

 相手のペースに合わせず、一定の力で押し込む。

 受け流そうとすると、力が逃れた方向から、すぐさま力を入れる方向を転換してくる。

 まさに、教えた通りの動き。

 一歩退けば、同じだけ踏み込んでくる。

 一歩押そうとすると、びくともしない。


「こりゃあ、力じゃお前に勝てんな」


 ダンは素直に認めた。

 そして、剣を離すと、一瞬で数メルクの距離をとる。

 突然鍔迫り合いを解かれたルーザックは、一瞬体が流れたものの、その動きが不自然なほど唐突に途中で止まる。そして体勢を立て直す。


「なんて足腰してやがる」


 今度はダンが、ルーザックを誘った。

 ルーザックは基礎通りの動きで、打ち込んでくる。

 ダンがこれをいなす。

 すると、ルーザックはあからさまに動きを変えて、ダンの教えた技を使ってきた。


「あからさま過ぎるだろ」


 ダンが笑いながら、それを受け流す。

 そして、流れたルーザック目掛けて一撃。

 しかし、この弟子は尋常ではない。

 不自然なほど急激に、流れた体勢を立て直すと、ダンの一撃を剣の柄で受け止める。


「失礼しました。教えられていない動きを」


「構わん!」


 ダンはなおも攻めを続ける。

 斬り付け、払い、時折守りを誘うように軽い突きを放つ。

 守らなければ、突きは必殺の一撃となるのだ。

 力では勝るものの、技がないルーザック、防戦一方となる。


「技はな、感づかれたら終わりだ。所詮小細工だからな! だから、こうして虚実を入り混ぜて使う! いいか!」


「なるほど……!」


 それでも、後退せずにどうにかこうにか、ダンの打ち込みを受け止め続けるルーザック。

 それらは全て、ダンが教え込んだ古式剣王流の守りの型である。

 理論通りの動きをする守りの型を、ダンは初めて目にした。

 つい、苦笑が漏れる。


「いやあ、まともに使や、剣王流ってのは鉄壁だな」


 両手で振るっていた剣を、片手にシフトした。

 ダンは、剣を強く打ち付けていった。

 これを受けたルーザック。受けの姿勢から、鍔迫り合いに持ち込もうとする。

 そこに、ダンの空いた腕が伸びた。

 放たれるのは、柄を握った手に、空いた手を押し当ててからの掌底。

 一瞬、鍔迫り合いから間合いが離れた。


「!!」


 ルーザックは慌てて、距離を詰めようとする。

 だが、眼前でダンの剣は捻りこまれ、ルーザックの剣を払い落としながら突き進む。

 次の瞬間、ピタリと、ダンの剣が眉間に突きつけられていた。


「裏技まで使っちまった。俺も衰えたもんだなあ」


「参りました」


 ルーザックは大人しく負けを認めると、剣を落としたのだった。


「そういうのもアリなんですな」


「基本、剣王流は何でもありよ。だが、基礎を疎かにして何でもありに走った奴は、大抵ダメになってる。ルーザック。お前は変化や技、小細工はてんでダメだ。才能がない。だから、俺が教えた技は余裕ができるまで使うな。だが、基礎だって馬鹿にできたもんじゃないぞ」


「ええ。見違えるほど剣を振れるようになりました」


「お前は剣の才能ってやつは無い。俺のせがれは天才だったと思うが、ひねくれてて俺の言うことは聞かなかった。仕舞いには、剣の時代は終わったから畑をやると抜かしやがる。だが、ルーザック。お前は才能は凡人でも、教えられたことを受け入れる素直さがある。そいつはお前の武器だぞ」


「恐縮です!」


 師弟は和やかに会話した。

 彼らの背後で、兵士たちがワーッと盛り上がる。

 期待しないで見ていたものが、派手な剣王流同士の模擬戦になったのである。

 意外な強さを見せた新人ルーザックと、熟練の技を見せた剣豪ダン。


「いやあ、見てて良かったわ……。俺もまた剣を習おうかな」


「俺は見てるだけにするわ。またやってくれねえかなあ」


 わいわいと兵士たちが集まって、模擬戦の感想で盛り上がる。

 砦全体が、良い雰囲気に包まれ始めた時だった。


「たっ、大変だ!!」


 馬に乗って見回りしていた兵士が、泡を食って駆け込んできた。

 顔色が真っ青だ。


「おう、どうしたんだ、そんなに慌てて。またゴブリンでもいたのか?」


 誰かが茶化すと、周囲がどっと沸いた。

 ゴブリンなど、最早もはや訓練のための標的に過ぎない。

 大きく数を減じた彼らは、恐怖を抱く対象ではなくなってしまっているのだ。

 だが、駆け込んできた兵士は、ヒューヒューと喉を鳴らし、青い顔をして立ち尽くすばかり。


「水をどうぞ」


「す、すまん!」


 ルーザックに水を差し出され、彼はそれをゴクゴクと飲んだ。

 ふうっとため息をつき、彼は口を開いた。


「いいか。落ち着いて聞いてくれ。かなり前に脱走した連中がいたはずだ。あいつらが……森で死体になって見つかった。骸骨になって土に埋まってやがったんだが、首が折られてて……!」


 この一言で、古戦場砦が三十年間享受してきた平和が、終わりを告げた。

 ホークウインドが隣接する、グリフォンスとゴーレムランドの戦争。そして、鷹の尾羽でいよいよ燻りだした火種。

 時代は大きく動こうとしている。


 騒然とする砦の中、一人、ルーザックが呟いた。


「タイムスケジュール通り。誤差はなし」

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