第7話 古戦場砦のおかしな新人

 七王の一人、鷹の目王ショーマスが支配する一帯は、かつてゴブリンたちが多く生息する森であった。

 ゴブリンは数を頼みに、家畜や小さな村を襲う魔族で、高い繁殖力を持ち、人が使う道具を盗んでは使いこなす器用さを持っていた。

 彼らを率いたのが、ディオコスモの歴史上、幾度も登場する魔族の王、黒瞳王こくどうおうである。

 それは、七人目の黒瞳王であり、見た目は若い女の姿をしていたと言われている。


 複数のゴブリンクイーンを従え、森を支配した黒瞳王に、ショーマスは選び抜かれた精鋭戦士を率いて立ち向かった。

 ショーマスの目は、あらゆる敵の姿を見逃さない。

 ショーマスの耳は、敵が立てる些細な音も聞き逃さない。

 ショーマスの足は、どんなに速い敵よりも速い。

 そしてショーマスの刃は、あらゆる敵を背中から串刺しにする。


 影では、盗賊王と呼ぶ者がいる。

 その挙動が、まるで盗賊のようであったから。

 ショーマスは贅沢ぜいたくを好み、魔族から手に入れた財宝を惜しげもなく使い、ばらまいた。

 強大な魔族の巣であろうと、ショーマスは単身で忍び込み、多くの宝を持ち帰ったという。

 

 あるいは、暗殺王と呼ぶ者がいる。

 黒瞳王を最後に穿うがった刃は、彼女の背から差し込まれていたが故に。

 そして、大きな戦が終わり、平和になったこの土地で国を興したとき、謀反を企んだ臣下が一人残らず、背中からの刃で殺されていたが故に。


 鷹の目王ショーマス。

 彼が作り上げたこの国は、森を切り開いた国。

 翼を広げて飛ぶ鷹の形をしているがために、いつしかこの国は、ホークウインドと呼ばれるようになった。


 ここはホークウインドの辺境。

 『鷹の尾羽』と呼ばれる地。

 かつてショーマスが、黒瞳王と最後の戦いを行った場所でもある。

 いわゆる、古戦場跡だ。

 いわれのある史跡が残る場所ではあったが、他にとりたてて何があるというわけでもない。

 幾つかの開拓村と、そして村を守るための砦があるばかりだ。


 その古戦場砦と呼ばれる場所に、彼はいた。

 齢六十に届こうかというその男。

 黒瞳王との最後の戦いに参戦した、ホークウインド最強の剣士であった。

 七王の一人、剣王アレクスが興した幾つかの流派、そのうちの最も古いものである、古式剣王流の使い手。

 未だに、己の腕は、ホークウインドでは五指に入ると豪語する男だった。

 だが……。

 そんな優れた剣の腕を持つ男は、政治に関してはからっきしだったのである。


「ああー……。腰がいてえ」


 彼は、椅子に座したまま、腰をさすった。


「おやっさん、もう年なんだからさ、こんな砦で一介の兵士なんかやってるのは絶対無理だって」


 彼の隣で、まだ年若い男がくつくつと笑う。


「何を言う。俺ァな、剣しかねえんだよ。だから剣だけに生きる。そのためにゃ、最前線にいるのが一番いいだろうがよ。どうせ死ぬなら戦場で死ぬわ」


「また始まったよ。いいかいダン。あんた、確かに剣を取らせりゃ最強だ。ショーマスにだって勝てるかもしれないぜ? だけどよ、あんた今こうして辺境の砦で管巻いてるじゃねえか。息子さん、剣の道には行かねえで畑耕してるって言うじゃないか。今はさ、そういう時代なんだよ」


「うるせえ、若造。俺はこれでいいんだよ」


 ダンと言う名のかつての剣豪は、笑いながら卓上の茶をすすった。

 短く刈った髭が濡れる。


「またそれだ。俺はいつまでもこんな砦でくすぶってるつもりは無いけどよ。あんた、ここが最前線だって言って、もう三十年も何も起きてないだろ? ゴブリンなんか、絶滅寸前だよ。たまーに迷い出てきたのを、訓練代わりに追い立てるくらいが関の山だ」


 若い男は立ち上がった。

 腰に剣をく。大量生産品の、なまくらだ。

 それでも、棍棒としてならそれなりに役立つ。


「うるせえ」


 ダンは、そんな話を言われ慣れているのか、半笑いで受け流した。

 既に、自分の境遇をどうこう言われて、憤るような時期は過ぎている。

 己はこうして、辺境の砦でゆっくり朽ちていくのだろう。

 そう思い、それを受け入れられる程度には、老いた。


「だけどよ……。あれは、楽しかったなあ……」


 一人残された部屋で、彼はしみじみと呟く。

 ここは兵士の詰め所だ。

 今の時間は、ほとんどの兵士が外に出張っている。

 何をするというわけでもないのだが、近隣の住民にさぼっていると思われないために、ぶらぶらと周囲を練り歩くのだ。

 馬の世話をしたり、武器の手入れをする者もいる。

 ダンは言うなれば、さぼりだ。


「二度とねえと思うけどよ。最後にまた、剣が振るいたかったなあ……。ああ、畜生。あのバカ息子が剣を志してくれりゃなあ。才能だけは俺よりあるくせに、全く。親の心を知らんというか、バカが。……いや、バカは俺か」


 今まで何度繰り返したかしれない独り言。

 答えは出ない。

 この停滞した現状が、どうなるわけでもないのだから、答えなど出ようはずもないのだ。


「さて、俺も、見回りに精を出すとするかねえ」


 ダンは腰を撫でながら、よっこらしょ、と立ち上がった。

 そして振り返ると、おかしな男と目が合った。


「お」


「お」


 異口同音に意味の無い言葉を発して立ち止まる。

 それは、兵士の格好はしているものの、なんともそれが似合わない男だった。

 年はよく分からないが、恐らく若い。

 身のこなしは、素人そのもの。

 屋内だというのに兵士の帽子を深く被っていた。


「見覚えのない奴だな」


「はあ」


「……気合の入ってない奴だなあ……」


 気の抜けた返事をされて、ダンはあきれた。


「何やってんだ」


 よくよく見れば、男は腕いっぱいに紙の束を抱えている。

 どれも、書き損じだったり、使用が終わった書類の山だ。


「いやあ、紙が多いなあと。貴重品じゃないんですかこの世界では」


「ああ。昔は紙が貴重だったらしいなあ。だが、二百年ほどまえに、鋼鉄王ゲンナーがこいつを大量生産する手段を生み出してな。お陰でいらん書類が山ほど増えたってわけだ」


「では、もらっても?」


「重要な書類はいかんがな。ま、俺は何が重要かは分からん。どうせそのままにしてても燃やしちまうんだ。欲しいなら持ってけ」


「感謝します」


 男は書類を後生大事に抱えて、砦を出て行ってしまった。


「ありゃあ……新米だな。体の動きがまるで出来てねえ」


 その後姿を見ながら、ダンは思うのだった。





 翌日である。

 ダンが砦の修練場に入り、日課の修練を行っている時だ。

 まだ朝が早く、夜番の兵士の他は、砦に人もいない。

 ダンは視線に気付いた。

 振り返ると、昨日の男がいる。


「なんだ、またお前か」


「うむ。剣を使ってるなーと思ってつい」


「おう、剣だ、剣。こいつはまあ、剣の形をした棍棒みたいなもんだが。──剣はいいぞ」


「いいのですか」


「いいぞ。振り回してるとスカッとする。この一振りが、この打ち込みでいいのか、この角度でいいのか、考えることは山ほどある。だがそういう考えも、剣を振るっている間に消える。剣を振るう挙動の一つになっていく。剣ってのは人生だな。生きるうえで大事なことは、大体剣のなかに詰まってる」


 ほー、と男は感心した。

 大変、気合の入ってない感心ぶりだったので、ダンは呆れてしまった。


「お前なあ。仮にも砦の兵士になったんだから、もうちょっと背筋をびしっと伸ばしていろいろやらんといかんぞ。そうしないと、この年になっても砦で管を巻いてる俺みたいになるからな。俺はダンだ。お前は」


「ルーザックです」


「ルーザック。変わった名前だな。おいルーザック。俺がお前に剣を教えてやろう。そしてお前のたるんだ気分を引き締めてやる! ありがたく思えよ!」


 ダンはルーザックの背中をバシッと叩いた。

 今まで、何人もの若い兵士たちにやって来たことだ。

 みんな、最初は嫌がった。途中も嫌がった。最後は嫌がって、来なくなる。

 だが。


「剣を教えてもらえるんですか。ありがたい。よろしくお願いします」


 ルーザックは嬉しそうに言うと、深々と礼をしたのである。

 その礼だけは、ビシッと鋭く、小気味いい礼だった。

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