或る雑木林の現在

朝乃雨音

第1話 或る雑木林の現在

 今は昔、北は川越、南は多摩川に至るまで東京を上から覆うようにして武蔵野と呼ばれる原野が広がっていたらしい。

 らしいと言うのも、その当時の武蔵野は度重なる開拓と復元により消えてしまったからである。

 写真などもない遥か昔の失われた絶景。しかし、私はその風景を知っていた。

 オミナエシやムラサキが生え、アシやオギが立ち並ぶ月の綺麗などこまでも続く原野。目を瞑ればその風景が思い浮かぶのだ。それは何故なら、情景が文章として残っているからである。

 特に武蔵野が原野として詠まれた平安から鎌倉にかけての時代。紀貫之や藤原定家、菅原孝標女などの著名な歌人がその誠美しい様を歌にして残していたのだ。それらから風景を想像する事で、武蔵野と言う土地が人々の記憶の中に形作られるのである。

 だからなのだろうか。今もなお武蔵野といえば原野と言うイメージが根強く残っていた。

 そんな原野の武蔵野と対になって人々のイメージに残っているのが林の武蔵野だろう。

 今も続く林の武蔵野だが、それが形成され始めたのは江戸時代であった。人口の増加に伴う開拓と薪炭の供給源として林に生まれ変わった武蔵野は、しかし、原野を惜しむ声が多かったと言われている。

 その中で林の武蔵野を良しとし、後世にその姿を印象付けたのが国木田独歩の随筆『武蔵野』であった。彼は日本の発展とともに姿を変え、人の生活と共存するその様に新しい武蔵野のあり方を見出したのだ。

 当時まだ残っていた原野と後から継ぎ足された林は武蔵野を個性的な空間へと変え、国木田独歩は自らその地を見聞きする事で今の武蔵野の情景を描写しきったのである。それによってそれまで原野として認識されていた武蔵野は林野原として再定義された。

 それからと言うもの、武蔵野は原野時代と林時代に分けられる事となる。


 そして現代。武蔵野は再び転換期を迎えようとしていた。

 開拓が終わり、木炭も必要でなくなったこの時代で武蔵野という土地は人の生活に欠かせない存在ではなくなったのである。

 結果、現代人が武蔵野という土地に求めるのは自然の象徴であった。

 それは農業や牧草、林業などの生活の為ではなく、自然の少なくなった現代に娯楽的景観として、また、環境問題への政治的政策として武蔵野は形成されだしたのである。

 それもまた時代の波なのだろうと私は思う。

 自然に寄り添い共存する生活ではなく、自然を作り残す社会へと時代は変わってしまったのだ。

 そうして生まれたのが、今もなお記憶に残る国木田独歩が描いた林の武蔵野を再現しようとした現代の武蔵野である。

 しかしながら、それは林の武蔵野の姿とは掛け離れていた。

 自然の象徴であるにも関わらず人工的に作られたという歪みは武蔵野の持つ固有性を失わせつつあったのだ。それもそうだろう。何故なら林の武蔵野は生活と自然が密接している場所でなくてはならないからである。

 生活、つまりは薪炭として使える木を植え、それを人が使ってこそ国木田独歩の描いた武蔵野は再現されるのだ。決してただ林を作ればいい訳ではないのである。

 その為、現代の武蔵野は平凡な二次林と変わらない林になっていってしまっているのであった。

 そんな平凡な林となってしまった武蔵野だが、武蔵野はその"武蔵野"という名前によりまた新たな特別な存在へと変貌した。

 平凡な林に変遷した武蔵野は平凡だからこそ原野や林だった頃の武蔵野を想起させたのである。

 現代の武蔵野を見るだけで、まるで子供時代を思い出すかのように、過去の閑かで懐かしい、囁やくような趣を持った武蔵野の姿が目に浮かんでくるのだ。

 平凡だからこそ過去の作品から想像される武蔵野が美しく彩られる。これほど多くの人にその美しさを描かれた土地が武蔵野以外ないからこそ、武蔵野はそこにあるだけで特別なのだ。

 そして、その作品との共存が現代の武蔵野の個性であり、唯一性であるのだと私は思っている。

 片方だけでは意味がない。積み重ねた武蔵野と現在の武蔵野。その二つがあってして武蔵野は新たな美しさを生み出すのである。

 それこそが現代の、新時代の武蔵野の姿なのだろう。



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