第17話 勝ち組女子の選択
深山遥は自分の手をわきわきと動かした。
冬子とは全然違う、繊細な手だ。
「……あっちの方がよかったな」
これに関しては、そう言わざるを得ない。
この手はとても荒れやすい。
手袋をしない手で食器を洗ったり、風呂掃除をするとあっという間に皮がボロボロだ。
冬子の肌はとても強かったから、そんなこと気にも留めていなかったというのに。
「そもそも、もうそんなことする必要もないんだけど」
長年勤めてくれているお手伝いさんの仕事を突然奪うわけにもいかない。
だが、それはそれでなんだか寂しいのも確かなこと。
どうやら生来の世話好きらしいと、今さら自分の性質を知る。
人の世話を焼きたいという欲は、深山遥の生活ではどうにも満たしきれないのだ。
至れり尽くせり過ぎて、手を出す隙がない。
「こう、……豪快な料理がつくりたいなあ」
時間に追われながら作る大皿料理。
日が照ってるうちに大量の洗濯物。
で、物干しを洗濯物で一杯にするのだ。
太陽で温まった洗濯物を一気に取り込むときはとても満足感を覚えたものだ。
しかしここではそんな大量の料理も必要ないし、大量の洗濯物もない。
ひたすら家庭のことに時間を使ってきた遥からすれば現状は手持ち無沙汰この上ない。
そんな現状からわかる通り、結局、遥は元の人生を取り戻すことを選んだ。
ぐるぐると巻き戻った時間は実に一年。
なんとも不思議な気分だ。自分たちが確かに過ごした一年がまっさらになっているというのは。
――とはいえ、リセットはリセットで、本来は記憶もなくなるはずだったらしい。
自分の記憶ですら、である。
遥はリセット直前に記憶の有無を確認した自分、グッジョブと親指を立てたい。
なにも言わなければそのまま記憶ごと巻き戻っていたところだ。
言えば叶えられる、けれど言わなければそのまま。
親切にも向こうからの提案や、丁寧な説明など一つもなかったところに、少々の意地の悪さを感じる。
……というか、どうでもいいのだろう。
どこかの何者かにとっては、自分たちの事情など些細な事だという証左だ。
勝者権限でわりと融通が利いたところは実際助かったので、文句も封印した。
その融通を利かせた相手。
鈴代冬子。
彼女にも記憶は残っている。
これが本当のやり直しのチャンス、というやつだ。
「やり直してみないか」
と声をかけた時の冬子の間抜け面はなかなかかわいらしかった。
冬子の記憶を残すにあたって、「そんなことしたら容量が足りなくて、セーブデータの確保ができないから、もうやり直しできないよ?(要約)」と聞かれたときには逆に「むしろいらんわ!」と叫んでしまった。
希望すれば何度でもどこからでもやり直しができる(た)という衝撃の事実を最後の最後に知ったが、遥が言を翻すことはなかった。
やり直しは、一度で十分だ。
「あなたのようには上手くできないと思うけど、……やってみるわ」
そんなこんなで、そう約束してくれた冬子と二人、最後のやり直しを実施中。
一年前といえば、冬子はまだ巨漢だった頃。
かつては遥が挑んだ道に、冬子自身が挑戦中だというのはなんともおかしな話だとも思う。
「なんでもかんでも勝負ごとになるのよね。冬子にかかると」
運動に、食事制限もそう。
ひいひい言ってる彼女を電話越しに、「ちょっとくらい、いいんじゃない?」とでも言おうものなら「私に敗北を認めろって言うの!?」とくる。
それが多分、冬子のいいところでもあるはずなのだが。
「あんたに出来て、私に出来ないはずがない!」
と息巻いている彼女のダイエット弁当を作っているのはかくいう遥なのだけれども。
そもそも、痩せたらどうなるかがわかっているのは大きい。
ああなれる、という確実な未来展望があるのでがむしゃらに邁進できるとは冬子自身の言。
「あのスタイルなら、涼太だって今度こそ私にメロメロになるかもしれないじゃない!」
冬子はわりと一途だった。
今回もまた涼太にアプローチする気満々だ。
『やり直し』の意味を、真実の意味で彼女は理解している。
上手くいくといいなと遥は思っていた。
ちなみに「冬子の友達という肩書を足掛かりに、鈴代家に上がり込む作戦」を提案してみたこともある。
母も弟も大変な時期だ。そして冬子も慣れない挑戦に四苦八苦している。その手助けと称してちょっとくらい手を出してもいいのではないか。
そう思ってのことだったが、冬子の返答は最初とても静かだった。
「……あんた、それさ、マジでやめてよ?」
しかる後にぶち切れられた。
「私を更生させたいの!? それとも堕落させたいの!? そんなの私の心が確実に折れるに決まってるでしょ!?」
彼女の主張は実に堂々といていた。
「頼る人がいたら全力で寄りかかるのが私! 楽な方に流されるのが私! だから二度と言わないでよ!? 次は確実に「イエス」って返すから! 「待ってました!」って飛びつくから!!」
「あ、はい」
「がっつり何もしなくなる未来が見える! あんた、わりとダメ人間製造機だって自覚して!!」
電話口で、伝わるわけもないのにひたすら頷いてしまった。
最初は一週間に一度と定めていた冬子との電話での定期連絡は、いつの間にかほぼ毎日になっている。
世界でたった二人、一年間のループの記憶を持っているという仲間意識のなせる業だ。
「そういや、そろそろ期末テストね」
「え、なになに、問題教えてくれんの!?」
「おしえませーん。じゃなくて、委員長のカンニング疑惑が持ち上がるからさ。助けてあげてほしいんだよね」
できれば友達を巻き込んで目撃者になるのがベストだ。
「あ、あと休みが終わったら体育祭でしょ? その時にさ、衣装でちょっと揉めるんだけど、」
だれそれが中心人物で、その近くにいるとちょっと面白いことが起きるかも。
もちろん自分で周りを巻き込んで、交友の輪を広げるもの良し。
「それから、この時期にちょうど美術部の保管してた作品がさ、」
「あんた、私の攻略本かっての! 交友の輪どころか、そもそも体育祭なんて参加しないから! 美術部なんてなおさら関係ないんだから、自分から首突っ込むわけないでしょ!」
「ええ~」
「ま、まあ冤罪はかわいそうだから、そっちはなんとかやってみるけど! ……友達なんていないけどね!!」
「ん~、まあ、冬子の人生だからね。好きにしていいと思うんだけど。あ、でも、美術部の作品はさ、ちょっと見てみてよ。関係ないかもしれないけど、そういうの抜きで。冬子、好きだと思うんだよね、ああいうの」
「……まあ、あんたがそういうんなら」
後日、なぜか美術部に入部する羽目になったという冬子からの連絡は、一応遥も予想外だった。
あと、初めての友達ができたらしい。おめでとう。
でも初めての友達は自分だと思うんだけど、と言ったら途端どもった末に電話を切られた。ひどい。
「そういう冬子の方は、わたしにアドバイスないの? いつ怪我しそうになるから気をつけろとか。なにを食べたらお腹壊すとか」
「ないわね」
「一個くらい教えてくれてもよくない?」
「え~? なんにも覚えてないし~?」
「もう、とぼけちゃって!」
「あんたは好きに生きればいいわ。――だから、あんたに言うことはないの」
くすくすと冬子が楽しそうに笑ったから、遥はまあいいかと肩を竦めた。
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