第16話 元底辺女子の帰結
奪ったはずのものは、変わらず彼女の手の中にあって。
たくさんの友達と、たくさんの優しさと、たくさんの幸福を見せつけてくる。
「なんなのよ! どうしてなのよ!! なんであんたなの!?」
勝てるゲームなんてうそ。
最初から陥れられていたのだ。仕組まれていたのだ。
こうなることは、予定調和。
きっと悪魔はこの女と手を組んで、自分を笑いものにしたかったに違いない。
「なにやってるんだ、遥! 落ち着け」
奪われるのは、やっぱり自分。
振り回されたのはやっぱり私。
馬鹿を見た。
「だって、涼太。だって、みんなが! 涼太だってそう! もう別れようだなんて! どうして、……なんで、うまくいかないの? 涼太は傍にいてくれるでしょ? ねえ、さっきのは嘘だよね?」
「……遥」
全てがなるべくしてなったのなら。すべてが決まっていたのなら。
彼が望む答えをくれるはずがない。
ははと遥は空に笑った。
泣いて縋ったって無駄だ。
涼太が好きなのは初めから彼女。
自分じゃない。
この手にはなにもなかった。
どうせ彼女に出会った今、涼太は彼女を好きになる。
自分を好きと言った口で、きっと彼女に愛を囁くに違いない。
見たくはなかった。
もう、何一つ、聞きたくも、見たくもない。
「もういいわ。こんなのもう終わり! 最初から
ドンと縋りついていた涼太と呼ばれた少年の胸を突き放す。
「最初からやり直せばいいのよ。そうよ、そうしましょう。さあ、深山遥。――ソレを返して」
せめてもう一度、奪ってやろう。
どうせ取り戻されるのだろうけど、少しくらい分けてくれてもいいじゃないか。
そんなに持っているのだから。
つかの間の夢を、もう一度。
一瞬の満足を再び。
そうでもなければ、惨めすぎる。
「さっさと私の体を返しなさい! そこは私の居場所よ!! ソレは全部、元々、私のものでしょう!?」
目の前の冬子の体がびくりとはねた。
大きな目が見開かれる。
「わたしが、深山遥?」
「はあ!? ……ああ、もしかして私の話信じてたの? はっ、あんた頭が悪いにもほどがあるんじゃない? アンタが鈴代冬子の訳ないじゃない。あんたの記憶はどう言ってるのよ。遥の記憶しかないんでしょ。ならアンタが深山遥に決まってるじゃない」
記憶、と頼りなげに冬子は呟く。
生まれてから深山遥として生きてきた記憶。
それに比べたらたった一年の、冬子として過ごした記憶。
それが冬子の頭の中をぐるぐると駆け巡った。
「もういらないわ、こんな、誰からも愛されない身体。いらないから、返すわ。だから、ほら、さっさと交換しましょう。前みたいに」
思わず後退ろうとしたけど、背後から回された力強い腕がぎゅっと冬子を胸の中に閉じ込めた。
「……なるほど。そういうことか」
頭の上から低い声が降ってくる。
「道理でおかしいと思ったんだよ。そりゃそうだよな、姉貴が筋金入りのクソ女だってことは俺が一番よく知ってたんだから」
「なに、アンタ見抜いてたわけ? さっすが私の弟。そういうアンタもいつの間にか見れる顔になったじゃない。ふてぶてしいだけの生意気なガキだと思ってたけど。――さ、その女を渡して。愛しのお姉ちゃんのご帰還よ? 喜びなさい」
思わず身を固くする冬子をよそに、本当の鈴代姉弟の会話は酷く冷ややかだ。
「……とことん救えねーな、アンタ。俺はいま、幸せだぜ? 声を大にしたっていい。姉貴がいて、母さんがいて。家が、俺の帰る場所になった。アンタが居なくなってやっと手に入れた、普通の生活だ。彼女がくれた、幸福だ。お前じゃない。俺の大事な姉は、お前なんかじゃ、絶対にない」
「……秋人」
ここに居ればいいと、弟が冬子の体を宥めるように柔らかく叩いた。
それが誰であろうとも。
今まで通り過ごしていければ、それでいい。
「こ、の! 恩知らずが!」
遥の顔が般若のように歪む。
だが秋人はどこ吹く風。
「はっ! 残念、受けた覚えのない恩は返せない」
「どいつも、こいつも!!!」
思い通りにいかない。
なにもかも、何一つ、自分の望んだようには変わらない。
「アンタみたいなのを心が貧しいっていうんだろうな。その癖ひどく強欲で傲慢だ。アンタの顔、ひっどいもんだぜ? 鬼のような形相だ。見れたモンじゃない。彼氏がドン引いてるけど、いいのか?」
はっと傍にいた少年を振り返った遥は、彼女の勢いに思わず一歩距離を取っていた涼太を見た。
怒りの中に一瞬だけ浮かんだ、痛み。
それをすぐに覆い隠して、遥は鼻で笑った。
「そんな男、こっちから願い下げよ」
「……遥」
「なによ、どうせあなたも私を罵るんでしょ。いいわよ、いまなら聞いてあげる。なんなら謝ってもいいわよ? あなたの時間を無駄にしてしまってごめんなさい?」
肩を竦めて、顎を上げたままおどけて笑う。
「……遥、僕は本当に君の笑顔が好きだった。またあの笑顔が見たいと頑張ったけど。――君はもうずっと、僕に笑ってはくれない」
「……はあ?」
「僕の何が悪かったのか。なにを間違えたのか。……それとも、はじめから僕ではダメだったのか」
「ちょっと、待ってよ! 笑ってないって、――笑ってたでしょ! あんなに。私、笑ってたわよね!?」
涼太は悲しそうに首を振った。
「一度振られたからさ、僕だってちゃんと心の整理はついていた。ちゃんと、諦めたんだ。
でも、君が笑うから。僕に、笑いかけてくれるから。僕は二度目の恋に落ちた。
僕の告白を聞いた時も、飛び切りの笑顔を見せてくれたね。僕は結局、三度、君に恋をした。
いつからか、君は笑わなくなってしまったけど。僕は君の笑顔がどうしても忘れられなかった。……もう一度見たかった」
涼太は一歩、後ろに下がる。
踵を返す最後に、残した言葉。
「――――でも僕は、きっと幻に恋をしたんだね」
さようならと告げて、彼は去って行った。
「……ま、まって。ねえ、待って」
さっきまで勢いをなくした震える声が。震える手が、伸ばした手が、空気を揺らす。
その呼びかける声に応える者はいない。
彼はもう、そこにはいない。
彼女は失ったのだ。
「だって、だって、あなたが好きなのは深山遥でしょう」
でも、諦められなかったのは。
どうしても彼を見つめてしまったのは。
ほほ笑みかけたのは。
告白を受け入れたのは。
その時答えたのは、確かに彼女だった。
満面の笑みを。
嬉しくて、嬉しくて仕方なくて。
あふれた心ごと表情に浮かべた。
「……あれは、私よ? 私なのよ! ねえ、私にもチャンスはあったの!? 好きになってもらえる何かが、私にも、あったの? 本当に、好きになってもらえる可能性が、私にも!」
私だ。
愛されたのは、私だ。
誰にも顧みられなかった私だ。
歓喜と、そして絶望が胸を締め付けた。
立っていることさえままならない。
震える膝を折って、地面にへたり込む。
痛い。痛い。苦しい。
誰かを恨むより、妬むより、いまが、一番痛い。
息すらできないくらいに、押し寄せる感情の波。
その名を彼女は知っていた。
それを、後悔と、呼ぶのだと。
「……――りょうたぁッ!!! う、わあああああ!!!」
わっと泣き崩れた彼女の悲鳴のような声は届かない。
だって、彼ではない。先に手を放したのは、きっと彼女の方だった。
自業自得というにはあまりにも憐れで。
なんともやるせない気持ちで彼女の姿を見ていた冬子の頭の中に、ピロンと奇妙な電子音が響いた。
ゲームのクリア音のような、あるいはレベルアップ音のような――――。
『勝利条件を達成しました』
頭の中に、そんなテロップが流れた。
『勝利者に進行権限を移行します』
・コンテニュー
・リセット
次いで、なんとも簡素な選択肢が出てきた。
勝利したにしては報酬がしょぼすぎないだろうか。
……一年という時間を費やしたわりに。
神か悪魔か、はたまた及びもつかない超常的な誰かのいたずらか。
なんとなくそういうことなんだろう、と納得とも言えない理解を示す。
思わず吐いてしまったため息は、だから不満なんてものではなく。
振り回されるほうの立場なんて主張したところで、自分たちの存在などミジンコ程度だろうという諦めの心境だった。
そもそも冬子は怒るには何かを得すぎたし、悲しむほどに何かを失ってはいない。
――彼女とは違って。
「コンテニューか、リセットか、か。……簡単に言ってくれるわね」
コンテニューが鈴代冬子としてこのまま生きることを示すのなら、リセットは事が始まった一年前からのやり直しという事だろう。今度こそ、深山遥として。
「ん? どうした?」
冬子の独り言に、秋人が耳を寄せてきた。
どうやら謎の選択肢は他の人には見えてもいないし、聞こえてもいないらしい。
冬子は秋人の腕の中に納まったまま彼を見上げた。
目が合うと笑みを作るのは無意識なんだろうか。
「……やっぱ、好きなんだなぁ」
ぽろりと漏らす独り言。
肩を落として深いため息。
無理だ。
これ以上は、なんか色々、無理すぎる。
彼女を憐れと思うのは、優しさでも、同情でもない。
ただ同じだと思うから。
自分もそこで惨めに泣き喚いている女と何一つ変わらない。
負けないくらい。
たぶん、死ぬほど。
――誰かを好きに、なっただけ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます