第13話 元勝ち組女子の転機



 やがて秋人は高校生になり、冬子は高校三年になった。


「うちの高校を受験してたなんて知らなかった」


 弟の晴れ姿を見て冬子はぶつくさと文句を垂れた。

 入学式の日に弟の進路を知るとは何事だ。


 見覚えのある、あり過ぎる制服に身を包んだ弟を今朝家で見て、あんぐりと口を開けた冬子の顔をひとしきり笑い、「じゃあ、あとでな」なんて言って先に出ていった彼は完全なる確信犯だった。


 式はつつがなく終わり。冬子はその体格にビビり倒している同級生の間を、悠々と歩いて帰ろうとしていた秋人をとっ捕まえたのだ。


 受験勉強を見てあげてた時だってそんなことは一言も言っていなかったのに。

 聞かなった自分も自分だけども!


「……だって、かんけーねーと思ってたし」


 互いの進路も生活も。たとえ同じ学校に進学しても関係ないと言い切れる。

 他人より遠い、それが鈴代姉弟だったのだ。


 考えてみれば、彼が進路を決めたころ、そもそも冬子は引きこもりの登校拒否児。

 あれから一年近く経ったとなるとなんだか感慨深いものがある。


「姉がいるなんて絶対に知られたくなったけど。同じ学校ともなるとそういうわけにもいかないだろ。それだけは悩みの種だった」


 でも、「ま、なんとかなるだろ」と思っていたというのだ。

 基本、秋人は思考が楽観的な傾向にある。


 だが、秋人の主張はもっともで。

 それは本当に申し訳なかったと冬子は思わず小さくなる。


 思い返してみてもスタート時点は本当に酷かった。我ながら「最悪」を体現していたと思うのだから、秋人からしてみればなおさらだろう。

 人様に見せられるような姉でなくてスミマセンと土下座したくなった。


「……別に、いまは知られたって困らないから、いいじゃねえの?」

「あ、秋人――!!」

「あ、おい、引っ付くな! あんた、そのすぐに飛びついてくる癖やめろよ!? 特に、他の男には不用意に抱き着くな!」


 姉として認めてくれた言葉が心に沁みる。と思ってたらすぐコレだ。

 最近はこんな風にしょっちゅう保護者面をしてくるのだから感動も薄まるというもの。

 面倒を見るのは自分だと大いに主張したい。


「やらないわよ、やるわけないでしょ。わたしだってちゃんと節度ってものを知ってるんだから」

「あやしいもんだぜ……」


 胡乱気な視線は本気度が高かった。

 なぜか秋人からの信頼が最近薄い。

 どうしたら姉としての威厳を取り戻せるのか冬子なりに必死に考えているのだが。残念ながら結実は遠そうだ。


「おお、あれが噂の冬子ちゃんの弟? でか! こわ! 年齢詐称じゃねえの、アレ!」

「中学のころから別名番犬だから。姉ちゃんに手を出す男を片っ端から千切っては投げ、千切っては投げしてたらしいぜ?」

「冬子ちゃんと付き合うにはあの壁を突破しなきゃなんないのかぁ。……無理ゲーじゃね? 誰も挑まなくね?」


 遠くから聞こえてきた声はまったくもって隠す気がない大声だ。物見遊山か、怖いもの見たさか、そんな野次馬根性がとてもよくわかる。


「知り合い?」

「ううん、顔見知り。たぶん同級生」

「……なんで親しくもねー奴に名前呼びされてんの?」

「親近感あっていいんじゃない?」

「そーゆーもん?」


 というか、なぜ姉ですら知らない秋人の入学を他人が知っているのか。――は、置いておいて。


 冬子はその内容に思わず秋人を振り返った。


「……じゃなくて! 秋人。なんであなた、あんな変な噂流されてんの?」


 びしっと噂をしていた彼らを指させば、なにを勘違いしたのかあわわと動揺しながら背を向けて去っていく。


 思わぬことを指摘されたみたいな顔できょとんとした秋人は、少しだけ考えるそぶりを見せてから冬子にふっと笑ってみせた。


「人気者の姉貴を持つ弟はつらいね」


 肩を竦めた彼は、姉の欲目を差っ引いても実に様になっていた。

 うっかり眩しいものを見てしまった気になって冬子は目を細める。


 心の中で「ううん」と頭を抱えた。

 こりゃ、モテないわけがない。

 見た目は怖いが中身は本気でスパダリ並みに紳士だということを冬子はよく知っている。


 中学時代は怖がられていたようだが、モテ要素の中で優しさに代わって頼り甲斐という項目がぐんと伸びてくる時期。

 近づいてくる女はこれから多くなるだろう。


 そんな女はきっちり精査選別してやろうと密かに心に決める。

 姉として。

 姉として! 弟の身を守るのは義務だから!


「あ、いたいた、冬子ー! 今日もう終わりっしょ? 帰りに一緒にカラオケいかない?」

「わあ、久々にいいかも!」


 ぱあっとやりたい気分にちょうどお誘いが掛かって、思わず二つ返事をしてからはっと横にいた秋人を見上げれば、意を汲んで「いってくれば?」と返ってくる。


 カラオケメンバーらしき同級生を引き連れて優華が追い付いてきた。


「おお、その子が噂の弟?」

「っす」


 軽い会釈で済ませる秋人の適当さに密かに肘を入れたがびくともしない。


「いやあ、噂にたがわずイケメンだねえ。あんたたち姉弟、顔面偏差値どうなってんの?」

「秋人はともかく、なんでわたしまで。一括りにしたら秋人がかわいそうでしょー」

「……冬子って、相変わらず冬子だよねえ」


 うんうんと深く頷く秋人にちょっとショックを受けた。


 そのまま連れ立って駅まで歩く。

 冬子がいて、隣に秋人。優華が「きいてよ!」とくだらない笑い話を披露する。

 元クラスメイトが口を挟み、現クラスメイトがからかって。

 友人たちはみな気のいいひとばかりだ。


 そんな一時ひとときを破ったのは鋭い女の声。


「あんた!!」


 唐突に腕を引かれた。

 くん、と思わぬ場所から加わった力は、冬子のことを何一つ考慮していないひどく強引なものだった。


 とっさに秋人が後ろから抱え込んでくれたおかげでむち打ち症になるのは防げたようだ。


「び、びっくりした」


 大丈夫そうだと鎖骨辺りに回った秋人の太い腕を叩くが、彼はそのまま放してはくれなかった。

 どうやら、まだ警戒心が高いらしい。

 それもそのはず、突然現れた女はそのまま冬子に食ってかかってきた。


「なんなのよ! どうしてなのよ!! なんであんたなの!?」


 わけがわからない。

 知らない人に突然怒鳴られて、恐怖より先に目が点になった。


 ただ恐怖を感じないのは、でっかい弟がべったりと背後にいるせいかもしれないし、友達の優華がとっさに鞄を構えているからかもしれないし、友人の男の子たちがさっと冬子の前に出てくれたからかもしれない。


「なんであんたばっかり良い思いするの!? 私はこんなに苦労してるのに! どこでも、『私』になってすらそうなの!? 私だって、私だって、あんたみたいちやほやされたかっただけなのに! いつも大変な目に合うのは私! 不幸になるのは私! どうしてよ、なんで私じゃダメなのよ!」


 ぽかんとしている間に彼女は怒涛のように文句を垂れ流す。

 その瞳には憎しみすら宿っていた。


 後ろから慌てて走ってきた少年が興奮してまくし立てている少女を諫めた。


「なにやってるんだ、遥! 落ち着け」

「だって、涼太。だって、みんなが! 涼太だってそう! もう別れようだなんて! どうして、……なんで、うまくいかないの? 涼太は傍にいてくれるでしょ? ねえ、さっきのは嘘だよね?」

「……遥」


 苦しそうな顔で視線を外した爽やかな雰囲気の少年は、最後までイエスとは言わなかった。


 ――遥。


 少年の言った言葉に、少女を呼んだ名前に、聞き覚えがあった。


 ……見覚えは全然ないけども。


 大分ふくよかになった体。

 顔には赤いニキビ跡。

 記憶にあるより吊り上がった目と、歪んだ口元。

 変わらないのは色の白さくらいだろうか。


「深山、遥?」


 かつての自分?

 思わず呟いた声を拾ったのか、キッと遥の視線が再びこちらに向いた。




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