第12話 元勝ち組女子の幸福



 それから朝食は二人で食べるようになった。

 夕飯も、二人で囲むようになった。


 毎日続けていた母への一言メモは、強制的に秋人にも書かせることにする。

「めんどくせえ」と文句を言いつつ、彼は逆らわなかった。


「なあ、俺も食器くらい洗うけど?」


 居間でのんびりテレビを見ていた秋人がそのうち台所を片づけてくれるようになって、朝のゴミ出しもしてくれるようになって。

 相変わらずあまり姿を見ない母は毎朝家中のカーテンを開けて、自分の布団をしまってから家を出るようになった。


 とある日。

 冬子は前もってバイトの休みをもらい、学校帰りに急いでスーパーに飛び込んで、さっさと買い物を終えて走って家に帰った。


 台所をひっくり返してどったんばったんと作業していたら、なぜか部活で遅いはずの秋人も早々に帰ってきた。

 目を点にしていたら「はは」と笑われた。


 一緒に大騒ぎしながら豪華な夕食を作り、久々にケーキを焼く。

 正直一人でやった方がよほど効率がよかったけれど、楽しかったからこれでいい。これがいい。

 今日は特別な日なのだ。


 秋人はまだ一人で外食ばかりだった頃、どうしても食べたくて挑戦したという鶏のから揚げをレンジで作ってくれた。


「やっぱり姉貴に作ってもらった方がよかったかな」


 少しべっちょりした完成品をつまみ上げて秋人が苦笑していたけれど、冬子はどうしてもそれが食べたかった。

 慌てて捨てられないように抱え込んでいたら秋人が「別に取らねえって」と呆れ顔をする。


「ま、いいか。思い出の品ってことで食べてもらうのも。たまには、悪くない」


 まあ、味は保証しないけどな。

 くしゃりと笑う秋人に、くしゃりと笑い返した。


 お腹はすいたけどつまみ食いもせずに、二人居間でくだらないテレビを見ながら帰りを待つ。

 夜半を過ぎるとさすがにうつらうつらしてきた。


「ちゃんと起こしてやるから、とりあえず寝たら?」

「起きて待ってる」


 見かねた秋人に言われたけど、頑として譲らない。

 言いながらすでに半分寝ている冬子に掛ける、「しゃーねえなあ」という声は随分と優しい。


 秋人の鼓動は心地いいし、頭上から聞こえるあくびはあいかわらず獣の威嚇みたいで強そうだ。安心するからよけいに眠くなる。


 睡眠導入剤より強力だなと悔し紛れに全体重を預けてやった。

 びくともしない。やっぱり安心だけが残った。


 玄関の開く音ではっと目を開ける。寝入ったのは多分一瞬。

 同じく半分寝ていた秋人の腕を叩き、二人で慌てて玄関に顔を出したら驚いた顔をされた。


「なに、あんた達まだ起きてたの!?」

「うん、今日は特別。ね?」


 秋人を見上げれば「まあな」と澄ました顔で返された。


「えへへ、お母さん、お誕生日おめでとー!!」

「おめでとう、母さん」


 うっかり寝ている間に日付は変わった。

 一日遅れになってしまったけど、まあ自分たちらしくていいのではないだろうか。


「へ?」


 母は目をぱちくりと瞬いた。驚きすぎて理解が追い付いていないらしい。

 冬子の後ろで「驚き方が姉貴そっくり」と秋人が声を上げて笑っていた。


「今日は一緒にご飯食べようよ。我慢して待ってたの。それから秋人とケーキも焼いたのよ。久しぶりだから美味しいといいんだけど」

「俺も一品作ったんだぜ。いや、たぶん美味うまくないと思うけど」

「……へ?」


 頭を掻きながら照れ臭そうに笑う秋人と、今日の準備を嬉しそうに話す冬子と。

 何度も視線が行き来して、最後に「うそでしょ」と呟いて母がぽろぽろと涙を流した。


「なんで泣くんだよ!!」


 いつもみたいに秋人が怒る。

 気が動転すると強い口調になる秋人の癖。きっと内心はオロオロだ。

 その背をばしばしと叩いてやった。


「ちょっと、秋人。これでいいの! もう! 全然心の機微がわかってないなぁ!」


 母はくしゃくしゃな顔で、化粧もはげ落ちて、お世辞にもきれいじゃなかったけど、サプライズバースデーは大成功。


 冬子は母の手を引いてはやくと急かした。


 その日の夕食は生まれてから今までで一番おいしかった。

 母も、少女のようにはしゃいでいた。


「なにこれ、おいしいし! 食べ過ぎちゃうし! 嬉しすぎて死んじゃうぅー!」

「お母さんに死なれたら困るから、たくさん長生きして」

「ぜったい死なない!」


 母が断固として宣言した。


「それからさ、できたらたまにはお休みとって、三人で出かけたりしようよ」

「あ、俺部活あるからそういうのパス」

「ちょっと、秋人、空気読んで! そういうとこだよ!? あんたのダメなとこ!」

「だめってなんだよ。ただ本当のこと言っただけだろ」

「……ふふ、いいわねえ、お休み。なら今度、冬子とお弁当作って秋人の試合の応援に行こうかしら」

「げ!!」

「げってなによ! 光栄に思いなさいよ」


 わいわいと騒いだ。

 楽しすぎて、始終笑いっぱなしだった。

 文句を言う秋人も、声が笑ってて優しかった。

 母は目を細めて、やっぱり幸せそうに笑っていた。


 今日は特別に缶ビールじゃなくてシャンパンを用意した。

 それを開けて乾杯したら、母は疲れていたのかすぐに酔いが回ったらしい。


「……生きててよかった。……頑張ってきて、よかった」


 しみじみと彼女はそういった。


 ダメな母親で、頑張ってもから回ってばかりで。大事なものが手の中から零れ落ちていってることに薄々気付いていたけれど、それすらどうにもできなくて。

 頑張る以外に出来なくて。がむしゃらに働いて、日々のお金を稼ぐだけで精いっぱいで。


 それでも、


「がんばってよかったあ」


 ほとんど寝ながら、母が独り言のように呟いた。

 冬子にはわからない、たくさんの思いがそこには込められていたのだろう。


 グラス片手に撃沈してしまった母は、いい夢を見ているのか口元が笑みの形を作っている。

 冬子は秋人と顔を見合わせて忍び笑い。


「仕方ねえ母親。姉貴と一緒で手がかかる」


 よいしょとジジ臭い掛け声をかけて、秋人が母を布団に運ぶ。


「一言余計なのよ、秋人は。女の子にモテないわよ!?」

「別にモテたいとか思ってねーし。こっちは姉貴の面倒で手いっぱいだよ」


 うははと秋人が眉間に皺を寄せて笑う。

 他人には獰猛に見える笑いも、冬子にとっては満面の笑みに見えた。

 背中をいくら叩いても、頑丈な秋人は母を抱えたまま悠然としている。――冬子はそんなこと、とうに知っていた。


 冬子は、幸福の形を見ている。

 どこにでもあって、何一つ同じものはない。

 けれど、それはいつだって嬉しくて、優しくて、暖かで、とめどないもの。

 生まれた時からずっと、彼女を包んでいたもの。

 際限なく与えられたから、少しでも返そうと生きてきた。


 いまも、そうして生きている。




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