第8話 元勝ち組女子の配慮



 学校で孤高のデブと呼ばれるようになってからしばらく。

 クラスの方ではちょっとした転機があった。


 それは天気のいい、眠気を誘う午後。

 抑揚の薄い教師の説明を真面目に聞いていた冬子は、すっと手を上げながら指名される前に立ち上がった。

 それもそのはず、質問をしたいのではなく、こちらに主張があるのだ。


 冬子は大きな体ながら、とても姿勢がいい。

 そこに何事にも動じない態度を貫くから一種の貫禄がでるのだ。

 茶化す者や囃し立てる者がいないのはそのせいだろう。


「先生、とても具合が悪いので保健室で休んでもよろしいでしょうか」

「え、ええ」


 まったく具合が悪そうに見えない堂々たる立ち姿である。

 あまりにも唐突だったので教師は思いきり戸惑っていたが、幸いにも許可らしきものは取れた。


「途中で倒れるといけないので付き添いを頼みたいのですが」

「あ、じゃあ先生が」

「いえ、保健係の方に頼みますので結構です」


 ちらとクラスの保健係に目をやる。

 名指しされた彼女はいつもの華やかな雰囲気を失い顔面蒼白だ。

 むしろ冷や汗をかいている。


 ちょうど女性教諭の教科だったので助かった。

 冬子の視線を追った先生はすぐに合点がいったらしい。


「いいわよ、いってらっしゃい」


 柔らかな笑みを浮かべる教師に見送られて女子二人で廊下を歩く。

 彼女の歩みはとても遅かった。


 遥はそうではなかったが、女性特有の辛い生理現象を言い出せない女子はいる。

 奥ゆかしくて、恥じらいの強い乙女は守ってしかるべきだ。


「手を貸そうか?」


 すいと差し出した手を見て、もはや女子だけになった今、あからさまに腹を抑えて前かがみになりながら彼女は戸惑ったように口を開いた。


「なんで助けたりしたの。私、あんたのこと、い、いじめ、……――嫌ってたし、それを隠そうともしてなかったじゃん」


 そんな記憶は、幸いなことに今の冬子にはないのだ。

 だから素直に答えた。


「忘れた。から、どうでもいいかな?」


 知らないことは怒れない。

 あと、これは助けたのではなく、ただの配慮という。


 それから目の前で苦しんでいる人がいたら、普通手を差し伸べるものだ。

 なんてことのない、普通の行動。違う?


 そう聞けば、

「……そっか、それが普通か」


 なにかに唐突に気付かされたような顔で、彼女は青白い顔に小さな笑みを浮かべた。

 苦笑とも、自嘲ともとれる、でも憑き物が落ちたようなすっきりとした顔になったから、きっと悪いものではなかったはずだ。


「おんぶしようか? 今の私ならとても安心感のある背中を提供できると思うよ?」

「ふ、……なにそれ! あんた、実は面白い人ね?」


 鼻から抜けるような忍び笑いが授業中の廊下に穏やかに響く。


「じゃあよろしく頼むわ。ええと、……冬子って呼んでもいい?」

「もちろん」


 ちなみに初めて人を背負ったが、難なくイケた。

 毎日続けている走り込みのおかげか、この体格のおかげか、はたまたこの体がもつ生来のポテンシャルか。

 あのスレンダーな深山遥では絶対に出来なかったことだ。


 少し楽しくなって彼女を背中に乗せたまま廊下をばたばたと走り抜ける。


「ちょ、ちょちょちょっと! 廊下は走るの禁止だって、え、こわ! スピード違反反対!!」

「なあんだ、ずいぶんと真面目さんなんだねえ」


 間延びした声で返せば、怒ったような声がした。


「あんたの行動が予想外過ぎんのよ!!」


 背中からポコポコと殴られた。

 全然力が入ってなくて、痛くも痒くもない。彼女なりの強がりが微笑ましくて小さく笑う。

 観念したように、彼女は全力でもたれ掛かってきた。


 外で笑ったのは、久しぶりな気がした。




 それからだ、急にクラスの女子たちの態度が軟化したのは。


「たのもう!」


 胸を張って冬子の机の前に仁王立ちしたのはクラスの女子のリーダー格。冬子の背中を乗り物にした彼女。名を『優華』という。


 名前に相応しく華やかな雰囲気を持つ派手めの美人だ。わりと自由な校風に従って髪は金に近い茶髪で、制服は胸を強調して着崩している。男子がうっかり視線を奪われようものなら鼻で笑われるお高めの花でもあった。


 口元のほくろが色っぽいし、遊んでいる雰囲気に見られがちだが、先日の一件をみればとても恥じらい深いのだとわかる。あと、たぶん意外に真面目。


 道場破りのような登場の仕方をした彼女に、冬子は一応声をかけた。


「……あいにくと、道場は開いておりませんが?」

「違うわよ!! 誘いに来たのよ、お昼一緒にどうって」


 視線を動かせば、確かに彼女の片手には弁当が。


「よろこんで」

「……なんであんた真顔なの?」

「夢かなと思って。ついに孤高のデブの名を返上する日がやってきたのかと感動してる」


 優華は笑うのを堪えているような、呆れているような微妙な顔つきになった。


「あっははははは! マジだ、優華の言った通りめっちゃ面白いじゃん」


 ひょいと優華の後ろから顔を出して遠慮なく爆笑しているのが彼女の友人たち。

 わいわいがやがやと珍獣をみるような目つきで観察され、質問を投げかけられ、戸惑っている間に周りを囲まれて。


 なぜか翌日も、その翌日も繰り広げられた光景は、――いつの間にかそれが普通になっていた。


 どうやら友達ができたらしい。

 と冬子が気づいたときには、クラスで彼女を無視する者はもういなかった。


 ちなみに男子たちは女子の威圧に吹き飛ばされて遠巻きのままだが。


「冬子のお弁当、いつもおいしそうよねー。それって自分で作ってるの?」

「そう、最近ね。自炊に目覚めて思考錯誤してるから、まあ、……褒めてもらえるのはうれしい、かも」


 へへと笑えば、にこりと返る笑みがある。

 いいなあと冬子はうれしくなった。


「そういう優華も、いつの間にか随分上達したよね」

「へ?」

「最近の中ではこの間の、ほら、青いヤツ。あれが一番好きかな」


 彼女のきれいな指先を指せば、


「え? なんで」


 知ってんの。ともごもご口が動いた。


「初めの方は塗り方が雑で。ええと、いつ頃だったかな。六月ごろだっけ? 始めたの」

「きゃあ! ちょっとどっから見てたのよ! あの頃あんたまだ私と喋ってもいなかったでしょ!?」

「いやあ、素敵だなーって、ずっと気になっててさ」


 いつの間にか毎日彼女の指先を確認するのが癖になった。

 もし、万が一、いつか! 彼女と話すことができるようになったら、絶対に感想を言おうと思っていたのだ。


 やっと小さな念願が叶ってくすくすと笑う冬子とは反対に、慌てる優華は赤くなるやら暴れるやらで忙しそうだ。


「デザインも自分で考えるんでしょ?」

「へ!? うん、一応。……あ、もちろん完全オリジナルじゃなくて! 参考にするものはあるんだけど! でも、ほとんどは、自分で」

「すごいなあ」

「……ッあ、あのさ! もしよかったらデザイン帳あるんだけど! 見てくれない!?」


 興奮したように真っ赤な顔で、慌ててノートを取り出してくる友人。


「あら、優華ってば、おしゃれ女子だからネイルサロン通いしてるんだと思ってたら。自分でやってたんだ。へえ、すご」

「友達価格でこんど私にもやってよ。あ、このデザインかわいい!」

「デザイン褒められるのはうれしいけど、あんたなら色はこれかこれの方がいいんじゃない?」

「いい! めっちゃいい!」

「てかさ、これとこれ、デザインまぜちゃだめ? ここの所と、コレが好きなんだよね。両方特盛ってできる?」

「……斬新。でも、アリだわ。全然あり。その発想はなかった。やってみたい! こんど指貸して。練習させて! でも材料費は払って!」

「あっははは、当然払うよ~。なんなら出来高払いで技術代も上乗せするよ?」

「え、マジで!!? 頑張る、私超がんばる!」


 わいわいと頭を突き合わせている女子たちが、みんな何かを頑張っていることを冬子は知っていた。


 宏美は最近英語を頑張ってる。塾の講師にお熱らしい。

 芽衣はメイクがとてもうまい。彼氏には一番きれいな自分を見て欲しいと惚気られた。

 恵美里は部活でレギュラーを取った。一念岩をも通すってやつだ。


 見ていればわかる。素敵な人たちばかり。

 そんな友達がいることが、いまの冬子の一番の自慢だ。


「冬子、なにニコニコ笑ってんの。あんたは? どれにする?」

「見てるだけで満足だから、わたしはいいかな? かな?」


 とぼけたように笑ってみせる。

 もちろんまったくの本心だ。彼女らが楽しそうにしてるのはとても嬉しい。


 だが前提に、対価に払える報酬がゼロだという切実な問題があった。

 鈴代家にはまったくもって余分に使えるお金がない。あるなら家に還元したい。


「くうら!」

「ぐえ! なんで突然首絞めるの! え? わたしなんかした!?」

「いいわよ、アンタは特別。タダでやってあげる。あ、あんた達はちゃんと払う事!」

「「「はーい」」」

「不公平はんたーい! それはなんか、わたしがイヤですー!」

「……冬子って、ほんと冬子よねえ?」

「ねえ?」

「だわだわ」

「同感」

「え、突然なに。その哲学みたいな話」

「ま、いいや。ならそのお弁当のおかず頂戴! 前からおいしそうだなって思ってたのよね」

「そんなんでいいの?」

「いいの! 冬子だからね!」


 最近この言葉をよく聞くようになった。

 冬子だから。


 そういえば、遥の時もよく言われてたっけな。

 冬子はそんなことをぼんやりと思い出した。


 優華たちと仲良くなってからは別のクラスの子たちからも、たまに声をかけられる。

 もう「デブ」や「ブス」ではなく、「冬子」と。


 あれやこれやと頼まれごとも多いが、冬子は無理だと思わない限り断ったことはない。

 人の役に立てるのは嬉しいことだからだ。


 だがなぜか揃って友達が威嚇モードに入る。


「冬子、なんでもかんでも引き受けすぎー。あとみんな、冬子が優しいからって調子に乗り過ぎー」

「だよねー?」


 彼女らの間延びした会話はなぜか恐怖心を煽る。


「す、すまん、確かに鈴代じゃなくてもいいもんな。別の奴を探してみるよ! じゃ!」

「最初からそうすればいいのにー」

「ねえー?」


 一応、怯えていた彼の名誉のために言っておく。


「いや、あの、わたしも出来ることしかしないし。そんなに無理してるわけじゃ……」

「知ってる! でも用事ばっかりだと、うちらと遊ぶ時間なくなるじゃん?」

「てーわけで、放課後一緒にあそぼーぜい!」


 がしりと腕を掴まれ、強引に手を引く背中。

 いつだったか『深山遥』と同じような状況になったことがあったなとふと思い出す。


 思い出しながら、冬子は迷わず優華の手を握り返した。

 その爪は冬子の腕に食い込んだりはしない。きれいに手入れされた手は確かに冬子を案じる手だった。


 それは握り返すべき、友の手。

 笑みを浮かべてありがとうのかわりに返事をした。


「たまにはいいね!」

「でっしょ!」



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