ある冒険者志望の日記
『ある冒険者志望の日記』
トトマス・テンクヴァイト
今日はとんでもないことが沢山あったからこの日記に書く。
僕が下働きしてる工房はたいした被害もなく済んだけど、また今日みたいなことが起きたら、それこそ今度は城下町全体が消えてなくなってしまうんじゃないかと思う。
大喧嘩が起きたのは下町の広場だった。
半裸の男たち5人パーティーと、騎士の男一人が出会うなり、いきなり殴り合いを始めたのだ。
騎士の方はマリクハルとかいう男だ。下町では"危険人物"の通り名で呼ばれている。
複数人の冒険者たちはしばらく肉弾戦を続けていたが、5人パーティーのひとりがマリクハルに締め落とされると、残りの4人が一斉に抜刀した。
そこからはマリクハルさんも魔力を解放し、剣と魔法入り乱れての大乱戦になった。
あたり一帯に火炎弾や光線が飛び交い、空にはドラゴンが飛翔し、下町は破壊された。それはあっという間の出来事で、光と轟音に包まれたかと思うと、広場が消し飛び、僕たち一般住民たちは半裸で瓦礫の上に転がっていた。体に傷が無かったあたり、おそらく冒険者たちもマリクハルさんも周りに気を遣っていたんだと思う。
空中から火を吐いていたドラゴンはいつの間にかマリクハルさんに絞め落とされて地面に転がっていた。あの人が飛翔魔法と光魔法を会得しているなんて知らなかったし、多分誰も知らないからこそ戦闘で有効に活用できるやつだと思う。あのドラゴンが落ちてきたせいで建物が破壊されたんだけど。
それにしても恐ろしいのは半裸のパーティーの中にいた半裸の魔法使いだ。彼は他のメンバーのように抜刀することで魔法使いの身分を隠していたのみならず、魔法自体の精度もかなりのものだった。マリクハルさんが街で噂の黒い硬貨を取り出すと、ピンポイントで火系魔法を命中させた。しかも、マリクハルさんが懐にしまっていた残りの硬貨にも直後に魔法を当てたのだから、とてつもない。
単なる冒険者志望の少年に過ぎない僕にも分かる。あの魔法の細やかな使いぶりは一朝一夕で身につくものではない。あの半裸の男はきっと名のある魔法使いなのだろう。
半裸のパーティーにも実力者はいたのだろうが、彼らはマリクハルさんの光魔法と飛翔魔法で見事に絞め落とされた。なんであのおっさん締め技主体なんだろう。
建物に被害が及び始めてからは、住民たちも巻き込んだ大騒動に発展した。このところアレのことで色々とあったから、ストレスが溜まっていたんだろう。熱狂と言うべきなのか、パニックに陥った住民たちはみんなで互いに殴り合いを始めたのだ。
僕もまた暴れた。顔だけは知っている街の男を殴ったし、殴られた。
それは友人のリュオがいなくなってしまったからかもしれないし、もしくは3日前に買い物した際の釣銭にあの黒い硬貨が一枚紛れ込んでいたのに触ってしまったからかもしれない。そして、そのことを誰にも相談できなかったからかもしれなかった。ただ次の硬貨を恐れて待つよりは、何かのせいにした方が気が楽だ。
今にして思えば、自分の意志というよりも、何かに突き動かされていたのかもしれない。
誰に殴られたのかもわからないが、僕は顔面をしこたま打たれて石畳の上に転がった。
その目の前にあったのは、やはりというか、黒い硬貨だった。まるで期待していたみたいに、その硬貨はあった。それは間違いなく、先ほどマリクハルさんが手に持っていて、あの半裸の魔法使いが火系魔法を命中させたあの硬貨だった。一般的に火系魔法は威力も発動方法も多様だが、戦闘向きに運用される魔法は何かを破壊するための十分な威力を持つ。少なくとも普通の硬貨なんて、魔法ですらない普通の火の中にくべても、ある程度溶けてしまうものだ。
なのに、あの黒い硬貨には傷一つなかった。
あの黒い硬貨は半裸の魔法使いに火系魔法を当てられたのにも関わらず、その形に何も影響がなかったのだ。
立て続けにとんでもないことが起きた。
空から振ってきた。あの黒い硬貨が。それも大量に。
僕は下働きだけど魔法細工の武器工房で働いているから観察眼には自信がある。半分は鉱人種の血だって混ざってる。金属を見る目には自信がある。
だからわかる。雨のように振ってきた硬貨は、どれもこれもマリクハルおじさんが手に持っていたやつと寸分たがわぬ、同じ物だ。
まるで分身したみたいに、いくつもの硬貨が暴れる住民たちの上に振ってきた。
多分だけど、あの硬貨には何か決まりごとがあるんだろう。
あの硬貨は、手放したり、壊そうとすると、何倍にもなって戻ってくる。
思い出したのは、工房の魔法剣を無理やり買おうとしたあの金持ち商人のことだ。
売り物ではないと言っているのに、こちらの都合を聞かず、一度提示した額を断られると、その倍の金を積み上げる。突き返しても、突き返しても何度も金を出して買おうとする。あの雨粒みたいな硬貨は、おそらくはああいった感覚に近いんものじゃないだろうか。
黒い硬貨が空から降ってきた事に気づいた人たちから、逃げはじめた。
しばらくして他の人たちも黒い硬貨に気づいて、残りの人たちは間に合わなかった。
6枚硬貨に触れた人たちから、連れていかれてしまった。
今までこんな多くの人が連れていかれるなんてことはなかった。だけどわかったことがある。アレは一人ずつしか連れていけない。目の前に山が出現して、一人一人丁寧に、順番に連れていかれてしまった。
でも、マリクハルさんはあらかじめこのことを分かっていたのではないだろうか。彼ほどアレの持つ性質を事前に考察していた人はいないだろう。あの人は降り注ぐ硬貨を全て回避しながら「5枚までは大丈夫だから」と僕の前で独り言を呟き、そして僕の目の前に落ちていた硬貨を拾った。先ほど彼が手に持っていて、半裸の魔法使いに火系魔法を命中させられたあの硬貨だ。多分あの人は、例え雨が降っても全ての雨粒を避けて一切体が雨に濡れないタイプの人間だ。
いったい、寸分違わぬ硬貨の山からどうやって見分けたのかはわからないけど、おそらくは落ちた位置を把握していたんだろう。
つまりマリクハルさんは、アレが一体しかいないために一度に一人しか連れていけないことを予想していた。抵抗すれば謎の力で叩き潰されるというのに、だからあの異常事態の中でも的確に動けたのだ。
僕はあの光景を見ていただけで、何の説明も受けていないから想像で書くしかない。だけど確かなのは、マリクハルさんはアレに抵抗して唯一生き残った人間だということだ。
黒い硬貨は物理でも魔法でも破壊ができない。
黒い硬貨に6枚触れれば、目の前に山が出現して、アレに連れていかれる。
それに抵抗しようとすると不可思議な力で、問答無用で叩き潰される。
しかし、アレに連れていかれるには時間差が生じる。
アレは一度に一つの行動しかできない。
そして、マリクハルさんは黒い硬貨に5枚までしか触れていない。
だからマリクハルさんの方から、アレに攻撃する時間が生まれる。
しかも、そのための武器はアレの方から渡っていた。
まず、僕の視界に入ったのはアレがその長い腕で住民の一人に縋りつく姿だ。
その後ろに山が見える。
そこへ黒い閃光のようなものがアレに向けて放たれた。
それはよくよく目を凝らせば、高速射出された黒い硬貨だった。
見ればマリクハルさんが硬貨を指弾で発射しているではないか。
鉱人種なら、金属のことは見ればわかる。だけど、あの硬貨は見ても何もわからなかった。ただただ興味だけが惹かれてしまう。金属ではない。金属に似せた別の何かだ、
僕たちにわかるのは、アレは決して破壊できないということだ。つまり、矢のような速さで放てば、絶対に敵を撃ち抜く武器になる。
マリクハルさんが放った黒い硬貨の矢は、短命種でいえばちょうど心臓にあたる部分を見事に貫通した。
それでも恐ろしかったのは、アレが決して止まらなかったことだ。
アレは怒り狂った。
次の瞬間、何かが爆発したみたいな音がした。アレに抵抗した者は誰であれ、ものすごい力で叩き潰される。
聞くところによると、マリクハルさんの娘さんもそれで剣を抜く間もなく絶命したらしい。でもマリクハルさんは無傷だった。
マリクハルさんは黒い硬貨4枚を盾のようにして、不可思議な衝撃を防いだからだ。
黒い硬貨は絶対に破壊出来ないから、どんな攻撃でも防ぐ盾にもなる。
一つ分かったのは、アレに抵抗することで起こる不可思議な衝撃は、黒い硬貨の硬さに比べて、そこまで絶対ではないということだ。黒い硬貨はどうやっても破壊できないけど、不可思議な衝撃は黒い硬貨で防げる。
おそらくは娘さんの死にざまをずっと考察していたのだろう。どこからどうやって攻撃が来たのか、どれくらいの威力で叩き潰されたのか、マリクハルさんはずっとそればかり考えていたのだろう。だから、アレの攻撃をある程度予測できたんだ。
アレは人間のまねごとをしている。
だけど、その基準は、アレがもともと居た「短命種しかいない」世界のものにすぎない。
お金で人を買うのも、抵抗すれば殺すのも、人間の真似事だ。
それが自分本位の基準で、こちらの都合を無視しているのも、人間の真似なのだろう。
だから、アレは自分の攻撃が避けられるということを想定していない。
これも鍛冶屋の下働きが観察して得た予想なのだけど、勇者がいた世界では、人間の攻撃力や素早さには、ある程度の限界があるんじゃないだろうか。でなれば、アレの攻撃を、マリクハルさんが2回目以降は避けられるようになったことに説明がつかない。というよりも、向こうの世界には攻撃力や素早さなどの物理法則自体がないのかもしれない。
魔力が存在しないといわれる世界のことだ。こちらの世界の法則と違いがあってもおかしくない。
不可思議な攻撃は、単に何らかの強い攻撃にすぎない。こちらの世界の法則でギリギリ対応可能なのだ。
その後は全てが一瞬だった。
アレの一度目の攻撃を黒い硬貨で防いだマリクハルさんは、どうやら二度目以降の攻撃は完全に見切ったらしい。攻撃はマリクハルさんに当たらなくなった。避けてる方がおかしいんだけど、兎に角当たらなくなった。
アレは一度に一つの行動しかできないから、それでもう何もできなくなった。
マリクハルさんに攻撃すれば避けられる。攻撃を中断すればマリクハルさんに攻撃される。6枚硬貨に触れたはずの住民たちを、もうそれ以上連れていけない。
そこでアレが次にとった行動、行動といっていいのかわからないけど、何が起きたのかよくわからないけど、長命種と短命種が混ざったような魔力が一気に膨らんだかと思うと、地面から白い服を着た子供たちが沢山湧いてきた。1人や2人といった数じゃない。夕暮れに鳥が群れで飛び去るような数の子供たちが地面から沸いた。
その場にいた下町の住民の人数よりも多かったんじゃないだろうか。
だけど、そこで半裸のパーティーの中の、一番純朴そうな若い人が手をかざすと、子供たちは、突然動きを止めた。何かの魔法なのか『スキル』なのかは分からないけど、兎に角子供たちは一斉に沸いたと思ったら、一斉に動きを止めた。
一番驚いたのは、次に起こった出来事だ。
指を鳴らす音が聞こえた。聞こえたように思う。
空一面が炎に包まれたかと思うと、白い子供たちも、マリクハルさんも、そしてアレも急に姿を消してしまった。
まるではじめから居なかったみたいに、その場から消えてしまった。
空には、炎に包まれた女の子が浮遊していた。
いや、女の子と言うには語弊がある。貴族の女の子みたいなフリフリのドレスを着た眼鏡のおっさんだった。しかもロン毛だった。
女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんの周囲には竜巻みたいな炎が常に回っていて、その炎もよく見ればおっさんの顔立ちをしていた。しかも無表情だった。
女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんはカードを手に持っていた。
女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんは「やれやれ、妾らがもう少し遅ければとんでもないことになっておったのう。ラフニカの小僧はまだついておらぬのかえ?」とか言ってた気がする。野太い声で。
女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんが地面に降り立つと、街の住民たちは一斉に逃げ出した。
半裸のパーティーの人たちは女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんに対して「ラフニカ様とはご一緒では無かったのですか」とか言ってたし、女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんも「ぬし達こそ、ラフニカ坊やと合流しておらんのかえ?海路経由で一足先に向かっておったはずなんじゃが」とか言ってた。
僕が呆然として見ていると、女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんはこちらを見て「おお、定命の者がまだおったか。見ての通り彼奴は妾の『スキル』で封印したからもう安心じゃ。しかし街がパニックになってしまうから今日見たことは誰にも言わんでおくれ」と言ってきた。
どうやら、マリクハルさんとアレは封印されてしまったらしい。女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんはカードをヒラヒラさせていた。そこには確かにマリクハルさんとアレと白い服の子供たちの姿が描かれていた。
僕は黙って頷いた。
でも、こんなすごいこと誰にも黙っているなんて出来ない。だから日記に書くことにした。
それに、噂なんて僕が言いふらさなくても、もう町中に出回っている。
すでに工房の仕事仲間たちの間でも下町の大騒動のことで持ちきりだ。
だから、こうして日記に今日のことを書いている。
アレは女の子みたいな服を着た眼鏡のロン毛のおっさんに封印された。
しかし、ここまで書いて思うことがある。本当にこれで全てが終わったのだろうか。
僕は広場の戦いで、降り注ぐ硬貨に触れてしまった。それは全部合わせて6枚だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
気になるのはあの騒ぎからずっと声が聞こえることだ。気のせいかと思おうとしていたが、今になってハッキリと聞こえる。いなくなってしまった僕の友人、リュオが呼ぶ声が。
裏路地に来るよう呼んでいる。ひとりで裏路地まで来るようにと。行かなければならない気がする。
あの硬貨が気になって仕方ないのとはまた違う。何か義務感のようなもので体を動かされている気がする。
アレは封印されたはずだ。
だけど、アレが今まで元いた世界の基準でしか行動していなかったというのなら、今まさにこちらの世界の基準を学んでいる最中なのかもしれない。
今しがた親方が血相を変えて工房に入ってきた。まだハッキリとしたことは分からないけど、どうも港町シルビオネが忽然と姿を消してしまったらしい。
ありえないことだ。アレは人間を連れて行くが、街そのものを消してしまったことは今まで聞いたことがない。
リュオが呼ぶ声がする。
裏路地に行きたい。裏路地に行かなければ。
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