勇者日記解読2

『勇者日記解読2』

ウァラクノス


 やはり勇者の日記は多くの有用な情報を齎した。

 日記に記されている『フセヲさん』が我々の遭遇したものと同じだとすれば、想像のとおり、アレは勇者が連れてきたものだ。


 詳しく語るまでもなく、今回の騒動はこの世界にとって未曽有の事態だ。

 問題は、「あちらの世界にとっても未曽有の事態なのか」どうかである。


 結論を先に書こう。

 アレはこちらの世界どころか、あちらの世界の理にも当てはまらない、全く未知の存在だ。


 我々がアレと遭遇したあの山。

 あの山こそがアレの存在を規定する第3の世界であり、あちらとこちら両方の世界にとって理外の存在であることを示す証左だ。

 勇者の日記が記す『フセヲさん』が出る山というのは、あの山のことだろう。


 今まで集めた手がかりは十分にある。

 これらの記述をもとにヤツの正体を検証する。 


 すべての始まりはルツィア第一王女の勇者召喚儀式からだ。

 第一王女自身は国家の威信が損なわれたことを以て儀式を「失敗した」と認識していたようだが、儀式そのものは成功していた。

 ただ余計なものがついてきてしまった。

 勇者の日記が記すところの『フセヲさん』だ。


 おそらく、勇者を召喚した時点で、あちらでは勇者が『フセヲさん』の山に連れて行かれる条件を満たしたと考えられる。それゆえ複数の世界間で混線が起きた。

 アレが理外の存在であり、あの山が第3の世界であったとしても、否、だからこそ理外の理とでも言うべき決まりがあるべきだ。


 順当に考えれば、それはやはりあの硬貨なのだろう。


 第一王女の件についてもあの硬貨を中心に考えれば、ある程度の説明がつく。

 当初、第一王女を除く我々には、アレの姿は白い服を着た子供に見えていた。

 ただし、第一王女にのみ、腕の長い大きな人間に見えていたようだ。


 同じように、第二王女もまた日記の最後の記述に「長い腕」の存在を書き残している。


 一方には白い服を着た子供に見えていたものが、もう一方には腕の長い何かに見えていた。

 何らかのきっかけで見え方に二つの違いが生じるとすれば、あの硬貨の仕業と見るべきだ。


 硬貨を6枚集めた時点で『フセヲさん』に連れて行かれることは、アルフトスの実験で既に判明している。しかし、実はあの硬貨の持つ特性は、それだけではない。


 あの硬貨に直接触れた者には、腕の長い何か、つまり『フセヲさん』が見えるようになる。


 召喚儀式の際に第一王女にのみ白い服の子供が異形の存在に見えたのは、彼女が『フセヲさん』から硬貨を手渡された、もしくは地面に散らばる硬貨の一つに触れたからだと考えられる。

 第二王女の前にアレが姿を現したのも同じ理由だろう。


 ここで注意すべきなのは、硬貨に触れていない者にはアレがどのように見えていたかだ。

「硬貨に触れた者にのみ『フセヲさん』が見える」という仮説に基づけば、硬貨に触れなければアレは白い服の子供に見えると考えるのが自然だ。


 しかし私は今、別の可能性を考えている。


 きっかけは白い服の子供が死体で見つかったことだ。硬貨を拾っていない者にアレが白い服の子供の姿に見えるのだとしたら、この時点で『フセヲさん』は死亡したことになり、これはおかしな事態だ。

 

 それに、あの子供の死体は一度ならず二度も見つかっている。

 あの子供たちは二人とも、見た目も着てる服も同じだった。つまり全くの同一人物だ。

 今回に限っては、同じ人間が一度死んで生き返って、また死ぬことは考えられない。

 なぜならあの子供の死体は二体とも、地下の実験室に封じたままだからだ。


 あの子供は『フセヲさん』のもう一つの姿、もしくは見せる幻どちらでもないということだ。

 それに、単なる普通の子供でもない。

 少なくとも、アレの一部には違いないが。

 

 極め付きは、アルフトスによる実験だ。

 彼は最も迅速に脅威の性質を看破し、最も的確に対処してくれていた。

 子供の死体が見つかった時、彼はすぐさま子供の死体を引き取った。

 そして、地下の実験室に封じ、城内の対魔物結界を弱めた。


 対魔物結界は発生した魔物を退けるためにのみ存在するのではない。結界内は魔物の発生源となる瘴気を抑える作用が働き、新たな魔物の出現を防ぐ。


 死者の魂は、瘴気に触れれば容易にゴーストとなる。

 鎮魂の儀式や祈りがどうとかいう話ではない。そういう術式が現代の世界に広く組み込まれている。

「王手に触れる」とはそれを意味する。


 天網

 天変

 王道

 王手


 この世に四体存在する魔王の眷属は魂の安寧を許さない。

 それはこちらの世界の理である。

 死者の魂は往々にして我らの前に姿を現し、語りかける。それらは死後の世界の実在を意味するが、同時に我らの手で死者の国へ還してやらねば、彼ら死者の魂は魔王の元に縛り付けられるままとなることを意味する。


 アルフトスが白い服の子供に対して行ったのも同じことだ。

 実験室にあの子供を縛り付け、瘴気で満たせば自動的にゴーストとなる。


 ゴーストは魔物だ。


 あとは頃合いを見計らって、対魔物結界を再度強めれば、ゴーストとなった白い服の子供を強制的に消滅させられる。

 実際、その試み自体は成功したそうだ。

 白い服の子供は魔物となり、対魔物結界によって消滅した。


 魂となった子供は間違いなく死者の国へと送られた。

 それでも、アレによる被害は止まず、どころか再び子供の死体が現れた。


 これについてはどう考えるべきだろう?

 思うが、硬貨に触れた者にしか『フセヲさん』が見えないのだとすれば、硬貨に触れていない者には本来何も見えないのではないだろうか?


 勇者の日記の中には、白い服の子供についての記述は今のところ見られない。


 これらの事実は『フセヲさん』が元々肉体を持たない存在だと仮定すれば腑に落ちる。

 肉体を持たないが、硬貨を触れた者にのみその姿を現す。

『フセヲさん』には肉体は存在しない。


 しかし、それはつまりアレが魂の存在であることを示すわけではない。我々の世界と彼方の世界の理は異なるのだから。

 我々の世界には死後の世界はある。

 だが、これも推論に推論を重ねるが、おそらくあちらの世界には死後の世界は"ない"のだろう。


 "ない"はずのものが"ある"から理外の存在なのだ。


 それはつまり我々の世界における魂とは根本から違うということだ。

 

『フセヲさん』などいない。しかし、いないはずのものがいた。

 勇者の日記の端々に感じられる違和感は、彼自身が体験した未曾有の恐怖に他ならない。

 勿論これは確証のない私の推理だ。事実は異なるかもしれない。


 だが、アルフトスの実験を踏まえれば、そうとしか考えられない。

 私が思い描く最悪の展開がもし正しいのだとすれば、あの白い子供の正体にも察しがつくというものだ。


 異世界召喚の際、あちら側の肉体はこちら側の都合が良いように再構成される。

 肉体が"ない"はずの存在をこちらの世界の肉体にあてがえばどうなるだろう?当然、そんなものは誰にも分からない。

 どころか、神にさえ理解できないだろう。


 エラーが起こる。


 存在しないはずのものは存在しない。だが、アレはそれでも"存在"している。

 だから、仮初の肉体を伴ってこの世に現界したのだろう。

 それがあの子供だ。


 いわばアレは白い服の子供の肉体を衣服のように着ているだけで、子供の像と重なるように、本体が存在しているのだろう。

 だから、子供に対するダメージはアレ本体には及ばない。


 子供が死体で見つかったのは、アレ自身が試したのだ。


 そして、この予想が正しいとしたら、私の思い描く最悪の展開が避けようもない現実であることが裏打ちされる。


 あの子供が二度も死体で見つかったのは、

 アレの『スキル』だ。


 おそらく、人や物をコピーする類の。

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