『20/2/8』
『20/2/8』
(滞在4日目)
まだ村から出られない。
道路の復旧にあと1日かかるようだ。
今日は最悪だった。
昨日あんなことが起きて、あれ以上悪いことなどもう起こるはずないと勝手に決めつけてしまっていた。
認識が甘かった。今日の出来事はある意味で昨日以上に最悪だ。
順を追って振り返ろう。
早朝に目覚めてすぐ、出川が山を越えることを提案した。
村に滞在するよりは安全ではないかという考えからだったが、「この辺りの山は"出る"」と祖母が説明すると大人しく引き下がった。
焦るのも分かる。俺だって出来ることなら徒歩での脱出をしたい。
午前中は引き続き『フセヲさん』のことを調べた。
先生がいない今、俺と出川の二人だけで調べるには限界が感じられた。
馬場とも連絡を取ったが、こちらと同じような成果だ。
一方的に焦燥感だけが募る。祖母の口述や叔父のブログ、先生の知識以上の手がかりはもうこれ以上出てこないのではないかと感じられた。
昨日話していた、この村のおかしな点について、改めて祖母にも確認を取った。
それでハッキリと分かったが、◾️◾️村の流通は物々交換が"多い"のではなく、やはり物々交換が"全て"であるようだ。
村の中で、金銭の類は一枚も出回っていない。
数年前までは村のまとめ役のような人がいて、その人が必要な物資を全て村の外部とやりとりしていたそうだ。
その人が病気で亡くなってからは、家の人たちが役目を受け継いでいるという。
いつからそうなっているのか聞いたが、祖母自身も把握しておらず、少なくとも祖母の物心がつくより前からだそうである。
(なら、1日目に会った路上販売の人は、少なくとも村の人間ではなかったのか。)
村の歴史について調べるため、出川と二人で村役場へ出向き、古い文献を見せて貰った。
職員の態度は丁寧だったが、露骨によそよそしかった。
おそらく、昨日の事件のことが既に役場にまで出回ったのだと思われる。
昭和の時代にまとめられた、村の伝承や民話を書いた本に、『フセヲさん』の話が記載されているのを発見した。
正確には『フセヲさん』の名前は出てこないが、話の内容が祖母の語ったものと概ね一致している。
行商人が夜中に腕の長い怪物と出会う話だ。商人は背に商品の入った櫃を背負っている。
怪物は行商人を取って食おうとするが、硬貨6枚を渡してことなきを得る。
旅人が行商人になっていたり、背負っていたのが行李か櫃かなど、祖母の話との細かい違いがあるが、一番の大きな差は、祖母の『フセヲさん』の話では怪物と出会った場所が単なる山だったのに対し、文献だと"隣村の山"とわざわざ明記されていたことだ。
この村に来る前、先生が言っていたように、村の近辺に人の住む集落はない。
やはり伝承と実際に起きている事件がかみ合っていない。
先生の指摘は正しかったようだ。
それに話の中では、硬貨6枚を渡したのは旅人なのに、実際に起きた事件では『フセヲさん』の方が硬貨6枚を渡している。これも大きな相違点だ。
村の歴史を追うことで何か分かると思ったが、むしろ分からないことが増えてしまっている。
『フセヲさん』はかつて硬貨を受け取って獲物を逃したために、硬貨を返すことで今度は逃すまいとしているとでもいうのだろうか?
それと気になったのが、文献にこの話を提供した人物の名前が載っていたことだ。
『蒲生重里』という。
『蒲生重里』の名前は、叔父のブログで言及されていた『めぐみちゃんの日記』に登場する『しげさとおじさん』と一致していた。先生のノートと、出川の指摘で分かったことだ。
文献が書かれたのが昭和だから、蒲生重里本人は亡くなっているかもしれないが、家族が生きている可能性だってあるはずだ。
昼に蕎麦を食べてから、祖母の勧めで、蒲生さんではなく矢場さんの家へ行った。
祖母によればやはり蒲生重里氏は随分前に亡くなったそうだ。家族もどこかへ引っ越したという。しかし、蒲生家が引っ越す直前、矢場さんという村の名士が家財道具などの一部を引き受けたらしい。
曰く、その際に古い本だとか何やらもまとめて矢場さんが自宅に運んだということだ。一人でトラックを何往復もするのを、祖母が目撃したらしい。
矢場さんというのは、叔父のブログに名前の出ていた『矢場一郎』と同じ人物だろう。『めぐみちゃんの日記』とは無関係かと思っていたが、関係していたようだ。もしかしたら叔父は矢場さんから『めぐみちゃんの日記』を入手したのか。
その矢場さんも八年ほど前に他界しているそうだが、息子だか孫だかが、今でも矢場家に一人で住んでいるそうである。
停滞していたかに見えた情報収集がトントン拍子に進んだことで、いくらかの光明が見えたように思えた。
しかし、祖母が今まで矢場家に言及したかった理由が、矢場さん宅まで足を運び、その様相を直接目の当たりにしたことで瞬時に理解できてしまった。
朽ちた家はもう何年も手入れされておらず、入り口の前に粗大ごみがうずたかく積み上げられていた。
この村に入ってくる時に目撃した、幽霊屋敷と呼んでいた、瓦礫まみれの廃墟だ。
矢場一郎氏は名士だったそうだが、その息子か孫は手入れなど一切していないようである。それどころか、どこからか拾ってきたゴミなども集めている様子だった。
村全体から遠ざけられているのだろう。
矢場さんは男性だった。
三十代から四十代くらいの見た目、やや太り気味の体型で身長は170センチほどだろうか。スキンヘッドだ。
なんとなく「田舎暮らしを勧奨する宣伝ポスター」に出てきそうな感じの笑顔をしている。
何故か学ランを着ていた。下半身は裸だ。
視界を遮る物の少ない田舎だ。姿が見えた頃からこちらを見つめていた。
近づいて声をかけても1分ほどは無反応だった気がする。
矢場さんとどんな会話をしたのかハッキリと覚えていない。なんとなく会話が噛み合わず、何か原因があるのかと思ったが、特に理由なく会話が噛み合わないようだ。
意図的にやっているのだろう。言葉を重ねる折、突然奇声をあげたり、自傷行為を始めてこちらを困惑させていた。
こちらの反応を見ていた。
多分、本人は面白いと思ってやっている。
村が彼を遠ざける理由が察せられた。
ただ、しばらく話をしていると、矢場さんはこちらの言っていることも理解できているし、本人の意識も正常であることがわかった。
その分、会話やりとり一つ一つに労力がかかった。
こちらが要件を伝えに来たはずが、いつのまにか彼の身の上話を聞かされていた。
その大半は支離滅裂で理解できなかったが、「昔から面白そうなものに目がなく、そのため好奇心で色んな面白そうな物を集めている」とのことだった。
好奇心が動機の人間ということだそうだ。この手の人間があまり信用できないということが学べた。
時折、不意に笑顔が消えるときが怖かった。
そういうときは怒鳴り声をあげて唐突に気絶したり、自分の頭を叩いたりしていた。
矢場さんの家にあげてもらい、話をした。
居間のソファに先輩が座っていた。
今日一番最悪だったことだ。
何故先輩が矢場さんの家の中にいるのか。
『フセヲさん』に一番初めに連れて行かれたのは先輩ではなかったのか。
何故今までこちらに連絡を一切取ろうとしなかったのか。
先輩は詳しいことは何も説明せず、ただ笑うだけだった。
思わず胸ぐらに掴みかかりそうになったが、堪えた。堪えるべきではなかったかもしれない。
しかし、先輩も先輩で『フセヲさん』から逃れるために手を尽くして矢場さんのところまでたどり着いたのだろう。
それでも、今までなんの連絡も取らず、あまつさえ出川たちも巻き込んだことは許せない。
「何も知らなかった」と言っていたが、どこまで信用できたものか分からない。先輩については何も信用できない。
出川が呆然として見ている様子が印象に残っている。
先輩のせいで出川も巻き込まれたのに、それでも飛びかからない出川はやはりよく出来たやつだと思う。
よく知らない先輩から送られてきた硬貨に触れたせいで呪われたと知ったら、絶対に許せない。
もし俺が出川の立場なら間違いなく先輩を殴っていただろう。
出川に先輩がだれなのか聞かれたので、前に部室で一度会ったことがあるはずだと説明した。出川は部員ではないので余り印象に残っていなかったのかもしれない。
先輩もまた『めぐみちゃんの日記』の存在まで辿り着き、矢場さんに会いにきたらしい。
その矢場さんはずっとこちらを見て笑っていた。
予想通り、矢場さんは『めぐみちゃんの日記』を持っていた。
どうにかして見せてもらえないか、と頼み込んだが、矢場さんは条件を提示してきた。
矢場さんと先輩が知り合いだという時点で想像を巡らせておくべきだった。
そのことについては本当に反省している。
先輩に目をつけられているという時点で、どうせろくなことにはならないはずだったのに。
多分、一度に色々なことが起こっていたせいで頭が回らなかったのだろう。
矢場さんが提示した条件、それは「蒐集」の仕事に付き合うという内容だった。
矢場さんは面白そうなものに興味を示しては蒐集するという異常な人格の持ち主だった。
外に出た時点ですでに4時を回っていただろうか。そこからさらに3時間半くらい山の中を歩き回るのにつきあわされた。
ただでさえこちらは『フセヲさん』と遭遇してしまわないかと恐々としているのに、矢場さんは時折叫んだり、自傷行為に走ったりするので余計に体力を消耗した。
半分くらい遭難していたんだと思う。
村に戻ってから矢場さんはどこかの民家に押し入った。
さすがに出川も「ヤバいですよ」と言っていたが、矢場さんは怒鳴り散らしながら民家の蔵に入って行った。
しばらくすると蔵から出てきたが、待ち構えていた家の人とその場でもめ始め、家の人の首を絞めた。
さすがに止めた。逃げた。
矢場さん宅まで逃げ帰ったときにはすでに8時を回っていた。
先輩は終始爆笑していたが、俺と出川は疲れ切っていた。
それで、笑顔の矢場さんからようやく『めぐみちゃんの日記』を貰うことができた。
写しでいいと説明したが、「お前らの反応が面白かった」とオリジナルをもらえた。
やはり矢場さんの意識は正常で、面白いと思ってあれをやっていた。
日記は手に入ったが、今日はもうどうしても読む気になれない。
とても古い日記だ。これが本当に『めぐみちゃんの日記』なのか。
祖母の家に戻ってから出川とも言葉を交わしていない。
かろうじて今日の日記を書いている。
どうして『フセヲさん』のこと以外でこんなに焦燥しないといけなかったのか。
やはり先輩のせいだ。殴るべきだった。
これを書き終えたらもう眠ろうと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます