修道士の商売日記

『修道士の商売日記』

ロア・チホロワ


 連れは早朝から方々へ挨拶に出掛けた。


 僕は昼まで宿に留まり、部屋の半分を埋め尽くさんばかりの商品に聖なる祈りを捧げる。

 シガナイ商会から仕入れた鰤はハリがあってツヤもよく、連れの目利きも大したものだ。この旬の魚に聖職者である僕が聖性を付与させることで、毛皮にできる。

 儲けを釣り上げようという連れのやましい企みだが、このために午前中の時間を費やすのもたまには悪くない。


 ソービヲ・ウルマンはまだ掴まらない。

 連れと僕は数日前にリュド王国にやってきた。シガナイ商会へバナナを納品するためだったが、本当の目的は彼を尋ねるところにある。

 そのウルマンが、いつまでも姿を見せない。

 不審に思い、商会にも確認したが、彼らもまたウルマンの所在を把握していないらしい。

 その発言と態度には恐怖と好奇心が葛藤している様子が見て取れた。

 何か隠し事をしているが、本当のことを言っていないわけではない人間の顔だ。


 ウルマンを探して今日で3日目。

 思えば嫌な予感は城下町にたどり着く前からすでにあった。


 城下町に至るまでの道中立ち寄った隠者の家で耳にした、召喚に失敗した勇者や王女たちの失踪の噂ともなにか関係があるだろうか。

 言ってみれば今のこの街は獣の狩場のようなもので、すぐさま立ち去ることが一番生存確率を高める手段だ。

 この行方不明事件には絶対かかわってはならない。

 調べてもいけないし、おそらくこの街を不用意に彷徨つくだけでも命に関わる。


 何か根拠があるのかと聞かれたが、別にそんなものあるわけではない。

 水人種特有の勘というやつだ。

 ただ、勘には自信がある。


 この手の嫌な予感、動物的な勘の具体例をあげればきりがない。

 まずこの街にきて初日に会った商人たちの妙に周囲を警戒する態度。


 商会に置かれた品々も、以前は整然と並べられていたものが、一昨日にバナナを納品したときは妙に空きがあり、品物の並べ方も乱れていた。

 管理する人間の性格にも左右されるだろうが、かつて僕が所属した修道院では、倉庫の荷物は誰が見てもわかりやすいよう、ある程度規則性をもって並べられていた。誰もが触る可能性のある棚というのは誰もが分かるように並べられるものだ。

 つまり、今のシガナイ商会は、商品を並べ替えたり補充する余裕がないか、それをしたくない理由があるのだと推察できた。

 商会が破産した可能性も考えたが、もし本当にそうなら行商人である連れが先に気づくはずだ。 


 だから感じたのは、生命の危機だ。


 商会の人間たちの恐怖は倉庫の商品に向いているようだった。

 破産などという抽象的なものへの恐怖ではない。自分の商品が今にも襲い掛かって来るのではないかと危惧する態度だ。普通、商人は自分の商品を怖がらない。


 ただ、それをそのまま伝えるわけにはいかない。

 連れは行商人で、商売のために街にきているからだ。

 なんとなく嫌な予感がするからと、そんな理由で商売を放り出して逃げ出すわけにはいかない。

 旅をするにも水や食料は必要だし、街から街へと渡り歩くには商品を運ばなければならない。


 そうこうしているうちに、連れは商会へ納品したバナナを鰤と交換してしまった。鰤は持ち運びに不便だと念を押したが、「でもこれいい感じのやつだから」と謎の理屈で強引に購入してしまったのである。たしかに近年稀に見る活きのいい鰤だったが、こんな時に欲に目が眩んで自分の首を絞めるんじゃない。


 商会を出た後、連れの提案でそのままウルマンの所在を探して回った。

 酒場や家々を周り、知人の元を訪ねたが、それらは徒労に終わった。

 それどころか、ウルマンを探すために尋ねた知人すらも不在になっていることも1件や2件ではなかった。

 ギルドマスターのシャルクス団長もその一人だ。

 あれほどの男がただでいなくなるとは思えないが、どうやら完全に消息を絶ってしまったらしい。


 夕暮れ時、それでもあきらめずにウルマンを連れは探そうとしていたが、僕はここらでやめようと提案した。


 連れがこうまでしてウルマンを探そうという理由もわかる。


 お人よしの連れのことだ。大平原を越えて東に向かうための情報をウルマンが持っているとか、そんな理由なのだろう。

 東の領域へ至るには大平原を迂回する道を取らなければならないが、生物には走破不可能と言われる大平原越えを果たすための秘密の路が、密かに存在すると聞いたことがある。

 ウルマンは世界各地に商品を売る関係上、商路にも利用されている世界の転送魔法陣のネットワークに詳しいのだそうだ。

 つまり、連れが焦っているのは僕を東の領域へ送り届けようとしてくれているためだ。


 共にいる時間は長くないが、連れとの間には一定の信頼関係があると信じている。どうにかして連れを説得する必要があった。

 この件には関わるべきではない。首を突っ込むべきではないと、ハッキリと連れに言った。


 当然だが、連れは渋る。それで話したのが、僕自身の体験だ。


 魔王の領域は魔界と呼ばれる。そこでは人間の法よりも獣の法が優先されることがある。

 魔王の領域には、その存在を見たり知ったりするだけで、相手がこちらの存在を感じ取る類の魔物がいる。

「そういう魔物がいる」という事実と、あとは魔物の名前を知るだけで、その魔物はこちらの顔も姿も、どこにいるのかも理解することができる。そういう魔物は狡猾で、自分の存在を知った者をどこまでも追いかけてくる。


 今、感じているのはそれに対する恐怖に極めて近いものだと打ち明けた。

 王の治める城下町でそれと同じものと遭遇することは極めて可能性が低いものの、近い恐怖を今まさに感じていた。


 僕が恐怖を感じていると打ち明けたことで、連れはようやく、事態の深刻さに思い至ったようだった。

 

 だから、街にたどり着いた日から3日間の猶予を設けた。

 その間に、街に住み顔なじみたちへの挨拶を済ませ、商売のつながりを維持すること。

 水と食料を用意し、何かあればすぐに街を出られるようにすること。

 鰤を毛皮に変えて次の街で高く売ること。


 ただ、絶対にウルマンを探してはならない。

 失踪事件について調べてはならないと、連れに固く誓わせた。

 それが初日のことだった。





 この時期、海でとれる鰤はリュド王国の特産品だ。

 リュド王国は「鰤の国」と言われるほど鰤が旬だ。かくいう僕も食欲のためにリュド王国を目指して海を泳いで渡ったほどだ。修道院長には止められたが、誰も僕の食欲は止められない。

 そして海で鰤と格闘していたところ、偶然にも連れと出会ったのである。


 だから鰤を見ると連れとの出会いを思い出す。

 

 午後には浮かない顔をした連れが宿に戻ってきた。宿屋の店主に「頼むから2階で鰤を燻すのはやめてくれ」と言われていたが、袖の下に鰤を渡して黙らせていた。


 宿屋の主人に昼飯の鰤ステーキを奢って貰ったあと、僕と連れは旧市街へと赴いた。

 城下町の東側にある旧市街は、長命種がこの国の王となる前の、街の中心部だった地域だ。

 今となっては寂れて人の気配もない。どこか燻んだ家々の並びの中に、一件の酒場がある。


 看板もぶら下がってなければ、目印になるようなものも何もない。ただ、戸を開ければ昼間から酒を飲むような輩が集まる、あまり治安の良くない酒場がある。


 わざわざそんな場所を選んで訪れたのには理由がある。酒場の隅で立ちながら麦種を飲んでいる二人組の冒険者に用があったからだ。

 以前の魔石騒動の際に知り合った二人組で、その時もこの場所を待ち合わせ場所に指定していたから、今回も必ずこの場所にいると踏んだ。そして事実、この場所に二人はいた。


 シャルクスとツツジだ。


 冒険者ギルド『はねつき人魚』のギルドマスター、シャルクス・シャシャナク。

 そして、シャルクスの横で仏頂面になっている兎の獣人種、ミミ・ツツジ・ギギ。


 僕たちを見つけるなり、シャルクスは開口一番「やあこれはウチのギルドの『はねつき人魚』さまがお目見えだ!」と叫んだ。

 たしかに僕は人魚だが、冒険者ギルド『はねつき人魚』の名前の元になったのは別にいる。僕の弟だと説明したが、何故か笑われた。


 確かに不死の人魚と定命の種族では時間感覚が違うが、別段笑うほどのことでもないだろう。

 しかし、シャルクス団長の無事が確認できたのは本当によかった。


 連れが二人に土産の鰤を渡すと、二人は怪訝な顔をして鰤を受け取った。

 どうやらシャルクス団長とツツジは政治的な問題から身を遠ざけつつ、安全にこの国から脱出するために敢えて行方を眩ませていたようだ。


 連れの読みは正しく、二人が酒場にいるところを発見できたのはまさに日頃の行いの良さだ。

 しかし、どうやらシャルクス団長の方もこちらを待っていたようだった。


 今回の行方不明事件について、お互いの認識を確認したが、やはり概ねで一致していた。

 この件については何も調べてはいけないこと。

 興味を持って調べれば何かよくないものに関わり合いになってしまう。

 そしてその『何か良くないもの』は異世界の勇者を通じてやってきたらしい。


 だが、行方不明者の共通点に謎の硬貨が絡んでいることは知らなかった。

 ソービヲ・ウルマンもこの硬貨を拾ってからいなくなったそうだ。

 だから硬貨を見つけても絶対に拾ってはいけない。


 既にこの方法で浮浪者や街の子供達が相当数行方不明になっているらしい。ただ、その辺は騎士団でも追いきれていないようだ。


 つまり、速やかにこの国を脱出しなければならない。

 思っていたよりも状況が悪い。どうも荷物など気にしている暇はないようだ。

 

 それで、シャルクス団長が提示した脱出手段は一つ。

 城壁の無い旧市街の時計台から、大平原を超えて国外脱出をする。


 この可能性には僕も連れも至っていなかった。

 確かに街の東半分にあたる旧市街には城壁が存在しない。要らないからだ。

 常に拡大し大地自体が蠢き続ける大平原は現代まで踏破できた者は誰一人としていない。だから大平原の魔物も隣接するリュド王国までは辿り着けない。


 しかし、冒険者ギルド『はねつき人魚』のギルドマスター、"術渡り"のシャルクス団長なら話が違う。

 シャルクス団長は呪文も剣も両方使えるがその一番の特徴は"術渡り"と言われるほどの呪文の効果範囲の広さにある。正規の魔法使いに威力は劣る我流の呪文でも、より遠くの敵に命中させる姿は剣の刃渡りに倣って"術渡り"と賞賛されている。


 酒場で、シャルクス団長は「一般には通常の呪文より頭一つ遠くまで飛ばすと言っているが、実際の"術渡り"は視界に写る範囲内ならどこまででも呪文を飛ばせる」と打ち明けた。

 

 それが本当の話だとしたらとんでもない話だ。

『はねつき人魚』は冒険者ギルドとはいえ、その勢力は一国に留まる中小ギルドだ。

 世に十大冒険者ギルドと呼ばれるほどになると、その影響力は世界に及ぶ。

 必然、そこまでのレベルになると所属するギルドマスター達も化け物じみた強さを持つようになる。


 一般的に「視界に見える範囲ならどこへでも呪文を飛ばせる」というのは、彼らと張り合えるほどの強さだ。

 しかし、それを指摘するとシャルクス団長は「届くといっても初級の火炎魔法ならあまり意味はないでしょう」と自嘲した。


 とはいえ、今回に限ってはこの"術渡り"が大平原を抜ける鍵になる。

 単なる移動魔法でも、シャルクス団長が使えば視界の果てまで飛んでいくことが出来るからだ。


 問題は大平原が視界の果てを超えてもなお続くことだが、途中で北上することで大平原を途中で抜けるルートがあるのだそうだ。

 通常、大平原を北上すれば、大平原よりもさらに厄介な大森林がひたすら続くが、両地帯の間をうまく交わすように、比較的安全な地域が少しだけあるのだと言う。


 そこは十大冒険者ギルド『ワグネラー商会』が私的に抱えるダンジョンの一つ『四人領域』なのだそうだ。

 冒険者ではない僕は聞いたこともなかったが、連れの反応を見るにそれなりに有名な場所らしい。

 詳細な地形は一切不明。周囲は常に霧が立ち込めており、出現する魔物も不明。


 ただ、そこは4人パーティーでないと入れないらしい。

 4人以外の人数で『四人領域』に入れば、たちまちのうちに入り口に戻されるという。

 途中で誰かが脱落して4人以下になっても駄目。

 人数が増えて4人以上になっても駄目という、玄人向けのダンジョンだ。


 その『四人領域』を越えれば、大平原と大森林を抜けて東の領域に至るという。

 現状、『ワグネラー商会』によって秘匿されているが、これが最も確実に東の領域へと至る方法なのだそうだ。


 何故、個人行動の多いシャルクス団長がツツジといたのか。

 そして、何故僕と連れを待っていたのか。

 その理由はどうやら4人パーティーを組むことにあったようだ。


 さらに、シャルクス団長と共にいるミミ・ツツジ・ギギは東の領域出身だ。

 大平原を抜けて東の領域に至った後のことも考えているというわけだ。

 もっと言うと、僕が大平原を抜けて東の領域を目指していることも、彼は知っていたのだろう。


 さて、どうしたものかと思案したが、この提案はなんと連れの方から断った。

 理由を聞かれたが、僕と連れにはダンジョンを抜けるほどの戦闘力はないこと。そして行商を続けるには荷物を持ち運ばねばならないこと。

 そして、シャルクス団長のやり方では脱出の際に目立ちすぎることを挙げた。


 断られることも想定していたのだろうか。シャルクス団長は恭しく頭を下げた。

 僕も頭を下げ、お守りに髪を一房渡しした。

 団長は嬉しそうにお礼を言っていた。


 酒場を出た後、連れは謝ったが、僕はむしろ嬉しかった。


 魔物の領域出身の者はたとえ人間でも魔物同然に扱われる。現国王は心優しいが、魔物は人間に含められない。

 それゆえ、冒険への信仰という名目で、偏見の少ない東の領域を目指して僕は旅をしている。

 連れは極端なお人よしで、商売の傍ら僕の旅に同行してくれた。


 勿論タダではない。修道士なのだから回復役として、暇なときに話し相手になったり、ピンチの時に加勢したり、そしてたまに回復をする契約になっている。

 お互いに持ちつ持たれつ、なんだかんだで肝心な部分は、なあなあのまま旅を続けている。


 このまま二人で旅を続けられることが嬉しかったのだ。






◾️

 あれから急いで荷物をまとめ、陸路で街を脱出した。

 既に10日以上が経過している。怪しい追手はこない。

 不審な形跡を目撃していない。どうやら僕と連れは目をつけられることなく、無事に国を出られたようだ。


 シャルクス団長は僕と連れ以外に二人分の生け贄を見繕って、大平原を抜けたのだろう。

 髪を一房渡しておいたから、彼も容易に僕らを手放してくれた。

 あの時とっさに僕が彼の意図に気付かなければ、現状よりも厄介なことになっていただろう。


 例え守備よく大平原を北上出来たとしても、シャルクス団長は多分『四人領域』を超えないのではないかと確信している。

 おそらくは、本人の意思で『四人領域』に留まり続けるだろう。


 4人のままでいれば、アイツは『四人領域』に辿り着けないのだから。だからシャルクス団長は僕を探していた。


 人魚の肉を食べれば不死になると言われている。

 それが事実であることを彼は知っていたのだ。

 だから、僕はあのとき髪を一房渡した。


 永遠に死なないままで、4人でしかいられない場所に留まり続ければ、ひとまずアイツは近づくことが出来ない。

 シャルクス団長は既にアイツに目をつけられる何かをしてしまったのではないか?


 ただ、連れと二人で旅を続けたい僕にはどうでもいい話だ。


 連れとは契約をしている。


 アイツなんかには渡さない。

 いつか海の底で、唄を歌いながらずっと水の底で永遠に一緒に暮らす決まりだから。

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