旅の日記 1日目
『旅の日記』
ルツィア・ルービア
・1日目
全て失敗した。
召喚の儀式は失敗に終わった。
魔法陣、詠唱、供物、所作。2年かけた準備はどれも問題なかったはずだ。
それなのに、どうしてあんな結果になった。
召喚自体に問題があったわけではない。
それらは正しく動作した。
だけど、重要なのは結果だ。
結果が裏目に出れば、全ては失敗に終わる。事実そうなった。
失敗した。私のせいで。
こうして日の終わりに差し掛かっても、今日起きた出来事を全ては飲み込めずにいる。
召喚の過程で予期せぬ問題が起こったのか。
あるいは召喚される側に問題があったのか。
いずれにせよ、汲み取れなかったこちら側の手落ちに違いない。
今日のことを振り返ろう。
どれほど恐ろしくても、失敗したままにはできない。
今日起きたことを書き連ねよう。何が起きたのか、全てを。
いくらか記憶に間違いがある。あのあと周囲にいた人たちと話し合って総合した内容を、ここに記す。
繰り返すが、儀式自体は完璧だった。
私たちに異世界から人を召喚する魔法はない。
それは彼の異世界召喚の神の役割であり、そのため、私たちは勇者様の現れる位置を細かく指定することに注力した。
魔法陣を張るのは、最初に異世界召喚の神から宣託を受けたラクノス先生の仕事だった。大魔導師でもある先生が、陣の構成を間違えるはずがない。召喚時間を調整するための呪文詠唱もまた同じだ。それに私や他の魔導師たちも複数回チェックを重ねた。
そして、実際に召喚そのものは正しく行われた。
儀式は城内の長塔で行われた。
供物、燭台などの配膳は王家に伝わる古い格式に則った。学者たちが古い書物を読み解き、まだ私たちが大森林から渡り来る以前からの作法を再現したもののため、呪文や魔法陣の効能を阻害するとは考えにくい。
魔法に対して影響を及ぼすような作法なら後世まで残らないだろう。
日取り、天候も間違いなく良好だった。
神官長であるアルフゥ師が天体と天候を観測した結果から、太陽と星辰の位置が最も良い日を選んで儀式は行われた。
星の配列は魔法陣の構成と同じ意味を持つと考えて良い。異世界からの召喚を微調整するには宇宙規模で魔法を行わなければならない。
その点、魔法陣と星辰の調律には、長年の友人でもあるラクノス先生とアルフゥ師の二人以上の適任はいないだろう。
捧げられた供物は神へのものだ。彼の神が迷わず塔の上に降りたてるように。彼自身が指定した肉と果物を東塔の祭壇に配した。
タータス産の小豚にオウラーテンの実。これらは南方から伝わる良く実り肥えた動植物だ。この選定が異世界召喚の神とどんな関係があるのかは問題ではない。案外、ただの好物という可能性もあり得る。
だが、あの神はどちらかといえば精神体に近い存在のため、人の手で傷付けることはできないはずだ。
しかし、召喚されたあの姿は……
そう。でもそうだ。そのはずだ。
長塔はこの城で最も高い位置にある建造物だ。
創建は250年前。あらゆる霊的存在が降り立ちやすく、また王家の歴史の中で、幾たびの重要事件はこの塔で繰り広げられた。
あらゆる魔法に耐え得る設計と構造をしている。
また、塔からの景色は城下町を越え、平原の果てにある山々と、川向こうの港町まで一望できる。
東塔の先端に飾られた白銀の水鳥は王家の象徴だ。
あの塔に居たのは、父である王と、王女である私、妹のリィア。そして3人の弟たち。そして大魔導師ラクノス先生と、神官長アルフゥ師。
さらに万一のために待機していたのは、大陸最強とも称賛される騎士団長サクマ率いる近衛兵団だ。彼ほどの忠臣は他にいない。
それに、勇者様のために私が選定した勇者パーティーの面々。変わり種としては冒険者ギルドのギルドマスターも列席していた。
私の護衛を務める女騎士ミレミヤもいた。
主人としては彼女のことは特筆して書いておくべきだろう。
ミレミヤは短命種だが個人的に最も信頼のおける手練れだ。私とは忠誠の契約を結んでいる。
敵を切る時、彼女は表情一つ乱さない。王家の森で狩りに興じる時も私に付きっきりで、離れていても必ず見つけ出してくれる。複雑に入り組んだ木々の中でも長い髪一つ乱さずに剣を振るう。
その姿は長命種の私から見てもかなり美しい。
また彼女は忠義心が強い。忠義すぎると言っていい。今回の冒険の企画についての相談や、儀式の練習にも付き合ってくれたのもミレミヤだ。
その意味では彼女ほどあの場にふさわしい者もいないと思っている。
あの場に相応しくない者は誰一人としていなかった。害意を持って儀式を乱そうとする輩はいなかった。
やはり、失敗の原因があるとしたら私の落ち度なのだ。
このまま起きたことを振り返るしかない。
もしかしたら、もはや冒険の旅は叶わないのかも知れない。だけど、ことの顛末を残すことに意味はある。
召喚は太陽が頂点に差し掛かる時に行われた。
私はそれよりも前から塔に登っており、勇者と対面した際に述べる台詞の打ち合わせをラクノス先生と行った。
予定では魔法陣の中心に扉が開かれ、そこから勇者様が現れることになっていた。
私の最初の役目は、現れた勇者様に手を差し出し、救国の使命を訴えること。
勇者様は異世界からやってくるけど、こちらに渡る際に言葉が通じるよう調整されるらしい。その原理についてラクノス先生が話してくれたが、やや複雑なので割愛する。
ラクノス先生は早朝の日の出からずっと魔法陣の調整をしていた。それだけ微細な操作が必要なのだろう。
妹のリィアは昼前から姿を消していた。何をしてたのだろうか。あの子が黙っていなくなるのは、悪さをする時だけだ。
父は家臣たちとずっと話していたとき以外は、ラクノス先生にちょっかいをかけて怒られていた。
太陽が真上に達し、魔法陣が輝きを帯び始めたとき、皆が一斉に沈黙した。
私は心して魔法陣の前に立つ。
背後には父が控えていた。
魔法陣の中心に黒い四角形が形成された。
それは光り輝く魔法陣の中にあって、この世の理を無視した、不可思議な様相を呈していた。
話に聞いていた、召喚の儀式が始まったのだ。
それは空間転送の術式とも似て非なる、特異な呪文だった。
やがて、魔法陣の中心に形成された黒い四角形が扉のように左右に開かれる。
あるいは窓のように、向こう側の世界とこちらを繋ぐ。
そこから、勇者様が現れる。そのはずだった。
否、現れたことには現れたのだ。
だが、そう。こんな恐ろしいことを書いてもいいのだろうか。理解してもらえないかもしれない。
だけど書くしかない。
勇者様は召喚された。
だけど一人ではなかった。
召喚されたのは、勇者様だけではなかった。
こう書くと勇者様以外の者まで召喚してしまったかのような印象を与えるが、そうではない。
そもそも姿を知らない私には、どちらが勇者様かは区別できない。
否、この書き方も違う。勇者様と、勇者様以外の誰かもいたのだが、それだけでもない。
山だった。
それは山だった。
召喚されたのは山だった。
あれは山だった。
見たこともない種類の木々が鬱蒼と生い茂り、山を覆っている。
長命種が耳を傾ければ分かる。あの山は生きてなどいない。
山があった。
空は不気味に白く、真上にあったはずの太陽はどこにも無い。
そして、足元には土。私は土の上に立っていた。
道が山の奥まで続いている。
見たこともないような奇妙な形の、光り輝く灯火がビッシリと、道の両脇で揺らめいて山の奥まで続いている。
具体的な距離が掴めない。
塔の中にいたのに、いつの間にか目の前に山が出現していた。
何より、乾いた空気と、これまで感じたこともないような悪寒がした。
すぐ近くには、木を打ち立てた儀礼的な様式の大きな門がそびえている。
それが異世界におけるいわゆる「鳥居」だと気付いたのは後々のことだ。その時はただの朽ち果てた造形物にしか見えなかった。
愚かなことに、この時私は、まだ事態の異様さに気が付いていなかった。
今になって考えれば有り得ないことだ。塔の中に大地が出現するなど。
私は、これは召喚における世界間連結の齟齬だとか、そんなことを想像していたのだ。
あれは、もっと別の何かだ。
山へと続く道の上、私のすぐ目の前に、背の高い男の子が立っていた。
同じくらいの年頃だろうか。見たこともない服を着ている。上下が黒色の単調な服だ。
がっしりとした骨格だが肉付きは良くない。私たちより耳が短い。
典型的な短命種の特徴だった。
その傍らに、幼い子供が座っている。白い服を着ているらしい。
驚いたようにじっとこちらを見つめている。
短命種なのか?だけどどことなく何かが違っている。
だけど、幼い子供の横にそれがあった。
煤焦げた黒い塊だった。
人間の形をした、黒い塊だ。突然、その頭が潰れて弾けた。
煙と墨と血の混ざったような液体が飛び跳ねて、一部が私の顔にかかった。
私はただ、勇者様に決められた言葉を話さなければいけない、と思った。
何かおかしくても、召喚自体が成功した以上、それは許容範囲の出来事だと考えてしまったのだ。
私は液体を撒き散らした黒い塊と幼い子供を避け、短命種の男の子の方に近寄った。
蹲る幼い子供ではなく、黒い服を着た短命種の少年を勇者だと判断したことに、ちゃんとした理屈があるわけではない。
じっとこちらを見つめている。
そして、予め決めていた台詞を彼に言った。
「ようこそ、この世界においでくださいました勇者様。どうか呼びかけに応え、私たちをお救いください!」
勇者様の返答は忘れない。
とても分かりやすかったからだ。
「ああああああああ!ああああああああ!」
そんな叫び声を上げた。
勇者様は私の手を振り払うと、ぶつかるように私を押し倒した。
そうして、倒れ伏して地面を這う私を、足蹴にし始めた。
繰り返し。
正直に書こう。私は差し出した手を拒まれるなんて経験が今までなかったし、想像すらしていなかった。
どうしていいか分からなかった。思えば、私は甘やかされて育った王族の娘に過ぎなかったのだ。
やがて父が事態の異様さに気が付く。続くように、周囲の人々も勇者様の異常な行動に気付いてゆく。
幼い子供は、蹲ってじっと見つめている。
兵士たちによって、勇者様は私から引き剥がされた。私は護衛のミレミヤに助け起こされた。ミレミヤはいつものように表情一つ動かさなかったが、それ以上どうしていいかも分からないようだった。
驚き戸惑い、私は涙を流してミレミヤにしがみついた。額からは血が流れていた。これもまた初めてのことだった。
慌てた父が私に駆け寄ってきた。
尚も勇者様は兵士たちから逃れんばかりに暴れてもがいていた。
凡そ理性ある人間の行動とは思えない。
一瞬だけ見えた勇者様の表情に現れたのは、あれは怯えだ。
混乱と焦燥の中で、何をしているかも分からず怯えきったであろう人間の表情だった。
彼は何に対してあんなにも怯えていたのだろう。きっと、それが分からないのが私の落ち度なのだ。
私は自分の行為の愚かさを呪っている。
おそらく、きっとそうに違いない。私たちは何も知らぬ異世界の人間に対して、なんてことをしてしまったのだろうか。
私たちの軽率な召喚が、彼のことを前後不覚に陥るほどに恐れさせてしまったのだ。
無理もない、今さっきまでいた世界から突然切り離されて、見知らぬ国へ追いやられるなんて。
だから、これは私の失敗だ。
自分の行為に対して、それがどれほど影響を及ぼすか想像が足りなかった。
もっと考えておくべきだったのだ。
もうほんの少し想像を巡らせば、少年の気持ちを落ち着かせるために鎮静魔法を展開しておく等の、事態を穏便に済ます方法も思いつけたはずだ。
勇者召喚は失敗に終わった。
私たちはただ怯える、可愛そうな人間を呼んでしまっただけだ。
異世界転生者は取り押さえられた。
森に覆われた山、それに地面はいつの間にか姿を消して、そこには泣き叫んで暴れる勇者様と、何か黒い塊だけが残された。
私たちはいつの間にか塔内に戻って、それとも初めからずっと塔内にいたのか、異常だけが残った。
塔の中で、今まで聞いたこともない呻き声が木霊した。
何かに怒っているような、悲しんでいるような、それでいて驚いてもいる声だったけど、勇者様の泣き叫ぶ声よりずっと大きく反響した。
その声を聞くや否や、勇者様はより一層、一心不乱に逃れようとした。
私は起き上がって、あたりに散らばった装飾品を拾うなどして心を落ち着かせた。
やがて、呻き声が収まると、勇者様も少し落ち着いたのか抵抗しなくなり、ラクノス先生の指示で兵士達に引き摺られていった。
今は牢屋に閉じ込めているらしい。
糸の切れた人形みたいに、放心したままとのことだ。
私はと言えば、それから自室に篭って日記を書いている。時刻はすでに夜だ。
部屋のすぐ外には、護衛のミレミヤが待機してくれている。
ここまで書いて、私自身の心もある程度落ち着いた。
今になって、いくつか気になったことがある。
勇者様が怯えていたのは、本当に私たちに対してなんだろうか?
あの表情は見覚えがある。
あの山はなんだったのか?
塔内に響き渡った呻き声の主は誰だろうか?
全てを向こう側の世界特有の現象と言ってしまえばそれまでだけど、それにしても不自然な点は幾つかある。
地面に転がっていた人型の黒い死骸。思うにアレは、異世界召喚の神ではないだろうか?
きっと、異世界召喚の神に違いない。
だって、儀式のあと、見聞のために私たちを締め出したときのラクノス先生の表情。あれは、あの黒い塊が異世界召喚の神だと気付いた表情だ。私たちの中で、異世界召喚の神と直接会っているのは先生だけだ。
だが、神が傷付いて命を落としたとでも言うのか。
人の手で神が傷つくことはあり得ない。
気になることはまだある。
今、私のてのひらには硬貨が4枚収まっている。
こんなもの初めて見る。
4枚とも中央に穴の開いた、摩耗して歪んだ、古い、歪な硬貨だ。読めないが、見たことのない模様のような文字が書かれている。
一体いつの間にこんな物が私の懐に入っていたのかと思うが、思い返せば、勇者様が兵士たちに取り押さえられた際に滑り込みでもしたのだろう。
きっと勇者様の持ち物だ。向こうの世界の貨幣といったところか?
それに、勇者様の前にいた幼い子供。アレはいつの間にか、山が見えなくなると同時に、一緒に居なくなっていた。
兵士たちが城中を捜索したが、そんな子供はいまだに見つかっていない。
みんな、アレが白い服を着た幼い子供に見えているらしい。
これまで子供と書いていたけど、本当は違う。
そこが、最大の疑問点だ。
あのあと、お父さまやラクノス先生に聞いたら「少年よりも幼い、白い服の子供が地面に座っていた」と言っていたので、私も日記にそう書いたけど、やっぱり違う。
アレはなんだろう。
私には、あの場の誰よりも黒い、長い黒い黒い髪の、勇者様の倍以上は身長のある、大きな人間に見えた。
それが背を丸めて、芋虫のようにしなだれかかっていた。
それで、私をずっと見ていた。
顔に四角い覆いが被さっていて、腕も長かったから、もしかしたら種族が異なるかもしれない。短命種の肘はあんな地面に着くだろうか?
まだ私は混乱しているのかもしれない。
混乱して記憶があやふやになっているのかも。
あのとき、硬貨を3枚拾ったとき、残りの1枚は、あの大きな人間が私に直接渡したのだ。
怒ったような、悲しそうな、それでいて驚いたような呻きを止めて、
とても嬉しそうに。
過去の異世界転生者たちの記録に載っていたから、多少の心当たりがある。
あの人の着ていたのは着物というのだろう。鳥居と同じく向こうの世界ではとてもよく見かけるものだそうだ。鮮やかな模様は煤けて引き摺られて、ツギハギだらけでとても汚かった。
傍らに木の箱が。平均的な背丈の人間が背負うには丁度いい大きさの、持ち運びに適した箱が転がっていた。
そこから溢れかえる硬貨は沢山だったけど、私はそのうち、1枚だけ貰った。
あの箱は何ていうのだろう。
今、日記を書くためのページをめくったら、同じ硬貨がもう1枚挟まれていた。
これで硬貨は5枚だ。
きっとこれって、昼間に妹のリィアが仕掛けたイタズラだ。そうに違いない。
あの子もこの貨幣を貰ったんだ。私のことが嫌いだから、驚かせようとしているんだ。
やっぱり、今からもう一度勇者様に会いに行こう。
このお金は彼に返そう。
会いに行って、エルフ族の姫として謝ろう。
それで、聞くのだ。
どうしてあのとき、狩りで追われる動物の表情をしていたかを。
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