新しい街に来て半年が過ぎた。

 徐々に過去へと遠ざかっていくあの日の記憶。

 その日、ルー・ヴォールクは悲劇の記憶、その夢を見た。

 目を覚ますと嫌な予感が脳裏を過ぎった。

 まだ日が昇る前の、朝早い時間。休みなく回る冒険者ギルド内には人がまばらに居るだけ。ルー・ヴォールクは真っ直ぐに受付へと向かった。

「Sランクの特権を使用します。至急、街の住民たちに避難の準備を。それと出来る限りの冒険者を集めてください。強大な魔物がこの街へ向かって来ています」

 確証はない。それでも、万の命が無駄になるか、万の一日が無駄になるか。秤に掛けるまでもない。もし何も無ければ、己が揶揄されるだけだ。

 果たして、日は昇った。





 あの日見た、純白の巨躯。日輪を背負うその姿は今尚、全身が震える。

 龍を統べる龍。

 天龍。

 それが街を、己を見つめていた。

 日輪の下には魔物の波。それが迫ってくる。

「Aランク以下は此処で魔物の討伐をお願いします。天龍は、僕が相手をします」

 街から三キロ程離れた場所で、ルー・ヴォールクは集まってくれた冒険者たちへ声を掛ける。Aランク以下、とは言ったが、Sランク冒険者はまだ一人も集まっていない。

 ルー・ヴォールクは街へ迫る黒い波に向かって駆けた。





 違う。

 貴方を騙そうとしたんじゃない。

 結果的には貴方を騙す形になってしまった。だけど、私だって騙されていたのだ。

 こんな姿に成った私の声は、もう貴方には届いていないのでしょう。

 そして貴方は私をずっと恨み続ける。

 でも、だけど、だからこそ。

 私は貴方をころし続けます。


□接続




 日は昇り、沈んで、また昇る。





 黒い鎖が波を堰き止めた。防波堤にぶつかった波が飛沫を上げるように、まばらに幾体かの魔物が街へ迫るが、それも直ぐに控えた冒険者の手で狩られていった。

 ルー・ヴォールクの身体は既に狼と成っている。

 魔狼となりながらも、彼の意識はあった。しかしその身体は己の意思では動かない。

 ならば誰の意思でこの身体は動いているのだろうか。

 まるでこの身体での戦い方を伝えようとしているかのようで、魔狼は様々な戦い方をみせた。

 基本として、黒い鎖。

 遠近両方で使える武器であり、己を護る盾ともなる。

 鎖を絡め合い、巨大な剣を形創って敵を切り、己の周りに球体状に展開してあらゆる攻撃から身を守る。相手の周りを包囲させれば、行動に制限もかけられる。

 時には咆哮をあげ、天から雷を落とした。

 天龍もまた、以前より激しい攻めを繰り広げる。

 翼をはためかせ、幾本もの竜巻を生み出し、それに焔を吐き出す。竜巻は焔を巻き上げ、強めていく。やがて生まれるのは焔の柱。竜巻は嵐をも呼び、風が吹き荒れ、雨が大地を穿つ。

 以前と同様に。以前以上に。

 二体の周りの景色は、世界の終わりを想起させた。





 激しい戦いが終結する。

 日が沈み、月に狼の鳴き声が木霊した。

 前と違うのは、人類への被害が殆ど皆無だった事。そして、今回は魔狼も無事では無かった事。

 魔狼はよたよたと、街から離れた森へと進んでいく。決着の直後、身体の所有権はルー・ヴォールクのものとなっていた。

 森の中でバタリと横倒れる狼。

 その目は月を見つめる。

 次は守れた。街も、孤児院も、冒険者も。守り損ねたのは、己の身。

 この身体は此処で朽ち果てる。

 それで良い。

 ルー・ヴォールクは感じていた。己の身体が段々と魔狼の身体へと変わっていくのを。

 一度目の魔狼化の後、身体能力と保有魔力が変化していたのは、その兆しだったのだ。今ではもう、人間の身体に戻れるかどうかも分からない。

 良い。これで。

 街を守った。

 孤児院も守った。

 冒険者も守った。

 悔いは無い。

 やり残した事も――。

(恋を、してみたかったかな)

 胸のうちで呟く我儘。

(――――ッ!)

 突然、身体を包みこんだ、青い光。

 回復魔法。

 急激な回復による眠気が、ルー・ヴォールクを襲う。

 弱まる意識の中、その瞳は一人の女冒険者の姿を見た。





「……犬だ」

 久し振りに実家へと帰郷しようとしていた女冒険者が、その道中で、犬を見つけた。黒い犬だ。

 腹部に怪我をしているのを見つけた女冒険者は、回復魔法を掛ける。

 辺りに犬の仲間が居ない事を確認すると、女冒険者はその体の大きな犬を風魔法で浮かせ、実家へと連れて行く。

 実家につくと、女冒険者は家の外から母を呼ぶ。

 家の中から出てきた女性は、地面に横たえられた獣を一瞥し、娘に問う。

「あなた、これ何処から連れてきたの?」

「帰って来る途中で倒れてた。手紙で前に飼ってた犬が死んじゃったってお母さん言ってたから」

「だからって、どうして狼なのよ」

「ん……? 狼? 犬…………。え、狼?」

 娘の視線が犬、改め、狼と母の間を行き来する。

 母が呆れた様に首を振ると、一先ず中に入れるように言った。





 心地良い温もりを感じて、ルー・ヴォールクは目を覚ました。

 目を開ければ、目の前で気怠けな目をした少女が、こちらに腕を伸ばしながら一生懸命に何かをしていた。

 意識は直ぐに覚醒し、目の前の少女が己の身体を洗っているのだと理解する。石鹸の良い香りが鼻をくすぐった。

 人ほどもある大きな身体を、少女は一生懸命に洗う。果たして、魔力で創られた毛皮は洗う必要があるのだろうかと思いながら、ルー・ヴォールクは身を委ねる。

 やがて洗浄が終わると、少女は浴室の外に出てパンパンッと手を鳴らす。

「こっちこっち」

 魔狼は、ルー・ヴォールクは無言のまま彼女のもとへと歩いた。

 ルー・ヴォールクが辿り着くと、少女は次に廊下へ出て同じように手を鳴らす。そうやって居間まで手を鳴らしながらルー・ヴォールクを誘導した。

「お母さん、洗ってきた」

 少女の母親は娘の後に続いて居間へと入ったルー・ヴォールクへと目を向ける。

「あら。目を覚ましたのね」

「洗ってる途中で起きた」

「そう。それにしても大人しい狼ね。随分と人に慣れているようだし、元々誰かが飼ってたのかもしれないわね」

 そう言いつつ狼を手招きしながら、暖炉の前へとルー・ヴォールクを座らせた。

 ルー・ヴォールクは暖炉の前で丸くなると、暖炉の中からパチパチと火の弾ける小さな音がし、起きたばかりだと言うのに自然と瞼が落ちた。

「あらあら。また寝ちゃったわね」

「お母さん、飼うの?」

「飼わないわよ。狼の飼い方なんて分からないし。でも、この子が居たいなら居させるわ。暖炉の前で寝たいなら寝させてあげるし、出掛けたいなら好きにさせる。御飯を強請るなら作ってあげる」

「んと……放し飼い?」

「ま。様子を見ながらしかないわね。勝手に連れてこられたのに、捨てられるのは可哀相だし。あ、それと。こっちに居る間はあなたがちゃんと世話をするのよ」

 そう言ってひと区切りを付けると、二人の視線は暖炉の前で丸まって目を瞑る狼へと向く。それから母親が何か思い出したかのように口を開いた。

「それはそうと、リュコス」

 母親は眉を寄せ、小難しい問題にあたったかのように顔を顰めて、言った。

「あなた、本当に結婚出来るのかしら?」





■■





 ルーが話し終えた。

「ゴメン!」

 私の前へと移動したルーが頭を下げるて謝る。

「黙ってるつもりは無かったんだ。いつか話そうって。でも、もっとリュコスと一緒に居たくて……嫌われたくなかったんだ。それで……ゴメン。こんなタイミングで、本当に……」

 天龍がルーを狙っている。ルーは私がその話を聞いて嫌いになるとでも思ったのだろうか。それとも彼が魔狼化した際に周りの冒険者の魔力を取ってしまった事だろうか。

 いずれにしてもわたしはルーが話してくれた事が、むしろ嬉しかった。私に嫌われる覚悟で、隠し事をしないでいてくれたのだから。

「ルーは悪くないよ」

 私はそう言ってルーの顔を上げさせた。

 ルーが意図してやったことじゃないのだから、ルーは何も悪くない。そう彼に伝える。

 それでもルーの顔は晴れない。

「また天龍が来るかもしれない。僕が、いるせいで。もし、僕と一緒にいるせいでリュコスが巻き込まれたら僕は……」

 天龍がどうしてルーを狙うのか。倒しても倒しても、どうしてまた現れるのか。天龍がどれだけ恐ろしい存在なのか、私は何ひとつ知らない。

 それでも、わたしはただルーに悲しい顔をして欲しくなかった。なんて言ってあげればルーが傷付かずに納得してくれるのだろうか。

 考えるわたしと、落ち込むルー。

 しばらく沈黙が続き、わたしは意を決してルーをベッドに押し倒し、その胸に顔を埋めるようにして抱きついた。

 ルーがわたしの名前を呼ぶ。

 驚きと疑問。困惑するルーの感情が伝わってくる。

 わたしは考えに考えた結果、出た答えを口にする。

「それでもわたしは、ルーと一緒に居たい」

 天龍も魔狼も関係なく、わたしはルーとずっと一緒に居たい。

 初めの頃の不純な動機。将来安泰だとか、そういうのも関係なく、ただルーが好きだから、一緒に居たい。

 天龍が追ってくると言うのなら、わたしはどこまででも逃げ続ける。ルーが戦うと言うのなら、一緒に戦うとは残念ながら言えないけれど、戦いが終わるまで無事を祈りながら待っている事はできる。ルーと一緒なら、それでも構わない。

「ずっと、一緒に居たい」

 わたしは繰り返した。

 ルーが深く息を吸い込み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「僕だって……、僕もずっとリュコスと一緒に居たい……! 一緒に、暮らしたい」

 押し付けたルーの胸を伝って、心臓の鼓動が速く脈打つのが分かる。わたしは凄く嬉しい気持ちになった。きっと嬉しさと恥ずかしさでわたしの胸もきっと、異常な速さで鼓動を繰り返していると思う。

「だけど――――っ!」

 マイナスな言葉を続けて発しようとしたルーの口を、わたしの口が塞いだ。

 その先の言葉は要らない。

 聞きたくない。

 自分勝手って言われるかもしれない。

 もし本当に天龍が来たら。

 もしルーが天龍を倒せなかったら。

 不安がないと言えば嘘になる。

 それでも今はただ、ルーを好きなったこの気持ちに素直でいたい。

 ルーとわたしの幸せが最優先。

「リュコス」

 唇と唇が離れると、ルーがわたしの背に腕を回し、ころりと回って上下が入れ替わる。

 ルーがそのままわたしの目を見つめる。

 その目にはまだ迷いや後悔、色々な感情が渦を巻いているけれど、今、その瞳に映るのはわたしだけ。

 わたしはルーに腕を伸ばす。

「ルー。大好き」

「僕だって」

 ルーがわたしを覆った。

 気が付くと、外はまた夜になっていた。

 わたしとルーは、仲良く眠りについた。





 ある日、わたしは友人に相談のために酒場へ来てもらった。いつもの酒場である。

「それで?」

 わたしの奢りだからなのか、一番高いデザートを頼み、美味しそうに口に運ぶ友人はわたしに話を促した。

 普段であれば物申すことであったが、先日わたしとルーの結婚を素直に祝ってくれた心広い友人なので、わたしも広い心で受け入れた。

 わたしは友人に促されたので本題に入る。

「出来たかもしれない」

「おめでとう」

 友人の反応はあっさりしたものだった。

「だってあんたの最近の話って、いつもセックスの話か惚気ばかりだし、そりゃあ出来ない方がおかしいでしょ」

 それもそうかと素直に納得した。

 自覚はあった。

 でもこのサキュバスのようなキューピッドである友人は、デザートを食べながらうんうんと話を聞いてくれるのでつい惚気てしまうのだ。

 今更ながら良い友人だと思った。

「それで、彼にはまだ伝えてないの?」

 わたしは頷く。

 友人は呆れたように溜息をついた。

「すぐに伝えてあげなさい。なんで私に先に伝えるのよ」

 まだ本当に出来たかどうか分からないから、糠喜びさせたくなかったのだ。

 いや、それは言い訳かもしれない。それを置いても、やはりわたしはこのサキューピットな友人に真っ先に報告しただろう。

 なんとなく、不安になってしまうのだ。

 ルーがわたしを愛してくれているのは分かる。それでも、嫌な顔をされたらどうしようとか、色々な雑念が浮かんでしまう。

 でも、この友人に相談すると、妙に安心するし、勇気を貰えるのだ。だからわたしは真っ先に目の前の友人に打ち明けた。

 何故こんな彼女に恋人が出来ないのかが不思議である。不思議ではあるが、藪蛇は突かないのが吉だろう。

「うん。今日、早速伝える」

「そうしなさい」

 それから友人はデザートを食べ終えたかと思うと、また同じものを頼んだ。当然わたしの奢りだ。

 やけになってわたしも彼女と同じものを頼んだ。

 赤ちゃんが出来たとルーが聞いたら、喜んでくれるだろうか。

 ルーが喜んでくれる顔を想像しながら、わたしは友人と一緒にデザートを食べた。





 酒場の扉が激しく開け放たれた。

 冒険者御用達のこの酒場では特別珍しい事ではないが、普段と違ったのはその扉を吹き飛ばしたのがルー・ヴォールクで、表情はやけに強張っていた。

 黒い靄が彼の体の周りに渦巻いている。

 酒場に入った彼は一人の女冒険者を見つけると、一瞬だけ表情を緩め、それからまた表情を引き締めた。

「Sランクの特権により、緊急召集します! スタンピード……天龍がこの街に迫って来ています! Aランク冒険者は直ちに戦闘準備を行い、外壁の外に出て下さい! Bランク以下の冒険者は一般市民を中央広場に誘導し、避難させてください! 絶対に外壁からは出ないように! ギルドにはすでに伝えています! 至急! 行動を開始して下さい!」

 騒然とする酒場。しかし、場に居たAランク冒険者はすぐに行動に移す。下位の冒険者、知り合いの冒険者へと声を掛けながら、装備を整えていった。

 ルー・ヴォールクは初めに見つけた女冒険者のもとへと移動する。

「リュコス」

 名前を呼び、それから口をつぐむ。

 リュコスと呼ばれた女冒険者がそっとルー・ヴォールクを抱きしめる。

「……ルー、気を付けてね」

「うん」

 ルー・ヴォールクから一度離れ、リュコスが顔をあげる。

「ね、ルー。無事に帰って来られる魔法の言葉、聞きたい?」

 ルー・ヴォールクは頷く。

「聞きたい」

 返事を聞いたリュコスはルーの腕を手に取る。その腕をそっと自身の腹部へと動かし、手のひらを重ねさせた。

 それからルー・ヴォールクの顔を見つめ、少しはにかむ。

「ふ、“二人で”、ずっと待ってるからね」

 ルー・ヴォールクは驚いたように目を大きくさせ、それから破顔させてリュコスの手を取る。

「必ずっ……必ず帰ってくるから!」

「うん。無事でね」

 ルー・ヴォールクはリュコスに口づけをすると、そのまま彼女に見送られ酒場を後にした。

 リュコスの横に、彼女の友人である女冒険者が近寄る。

「ほんと、見せ付けてくれるわね」

「おかげさまで。ありがとうね、ヴィペール」

 名前を呼ばれた女冒険者はどういたしまして、と微笑んだ。



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