◆◆



 ルー・ヴォールクは、親の顔を知らない。物心ついた頃には孤児院の中で生活していた。周りには同じように親の居ない子供がいて、孤児院を経営する“院長先生”がいた。

 大きくなったルー・ヴォールクは同じ孤児院出身の少年少女らと共に、冒険者となった。五人一組の冒険者パーティが二組。そこらの冒険者パーティには負けないほど多くの依頼を彼らはこなし続け、報酬の一部は孤児院へと送っていた。

 たった三年。それだけの期間で孤児院の冒険者パーティは二組共にAランクとなり、その町では彼らを知らない冒険者はいないと言われるまで上りつめた。

 ボロボロだった孤児院は小綺麗になり、そこには貧しいながらも幸せが満ちていた。

 二組のパーティのリーダー的な存在となっていたルーはそれを仲間と一緒に喜んだ。





 悲劇は突然だった。

 魔物の集団暴走スタンピードが町を襲った。それは魔物の群れと言うよりも、もはや波だった。

 町にいた冒険者が総出で討伐に当たった。

 魔物の波は一向に衰える気配は見えず。やがて冒険者という防波堤は弱いところから崩れ始める。一度崩れてしまえば、後はもう波の成すがまま。

 ルー・ヴォールクの仲間もひとり、またひとりと波に呑み込まれていく。

 何かに、亀裂の入る音が聞こえた。

 仲間の命がひとつ散る度、亀裂音はまるで傷が広がるかの様にその音は大きくなっていく。

 遠くで町が燃えている。一番外れに建つ孤児院が燃えているのが見える。ここからでは救助は間に合わない。そも救助を考える余裕もない。

 トップランクと呼ばれるAランクとは言っても、Bランク級の魔物を一撃で葬れるわけでもなし。まして、此処にはAランク級すらうじゃうじゃと居るのだ。

 Sランク級の化け物だって居るかもしれない。居ないなどと誰が断言出来るというのだ。

 嫌な予感は、不幸にも的中した。

 轟く咆哮。

 視界が焔の赤に染まる。

 目の前から孤児院が、魔物が、町が、一瞬で消えた。

 現れたのはSランク級の化け物。

 天龍。

 龍を統べる龍が、日輪を背に、空へ羽ばたく。

 パキンッ、と心地良い音が何処かで鳴った。





 初めに異変に気が付いたのは、彼の近くで戦っていた者たち。ルー・ヴォールクの仲間はもう居なく、近くと言っても五十メートルは離れていた。

「なんだ!? ま、魔力が消え……て……うああっ!」

「おい! 治癒魔法はまだか!?」

「魔法が、掻き消えた……?」

 強化魔法、治癒魔法、攻撃魔法。あらゆる魔法が突然使用不可能になっていく現象に、冒険者たちは戸惑い、原因も解らぬまま波に呑まれていく。

 冒険者も魔物も関係なく、魔力は消えていった。

 否。

 彼から二百メートルも離れていた者たちは気付いた。冒険者と魔物から抜けた魔力が、可視化するほどの塊になり、ある一点へと向かって伸びていくのを。

 余りの密度に魔力の色は黒く染まり、それらは彼のもとに集まる。この町の者ならば誰もが知っている。彼の名は、ルー・ヴォールク。

 しかし、彼らが知っている普段の無邪気なルー・ヴォールクはそこに居なかった。

 目は虚ろで、魔力の影響か眼光は金色に光り。その身体は蠢く魔力に覆われていく。

 彼に襲い掛かる魔物が三体。

 ルー・ヴォールクが腕をひと振りすれば、三体の魔物の身体は一瞬でバラバラになる。次々に魔物を葬り去っていくルー・ヴォールク。

 初めは走って、腕を振るっていた。次第に姿勢は前傾へと変わり、やがて、四足歩行へと切り替わった。

 蠢く魔力は、その顔をも覆い、途中から見た者はソレを人間とは思わなかった。代わりに口にしたのは――。

「オオカミ……」

 呼びに応えるかのように、ソレは天へと吠えた。狼の如く、空気を遠くまで震わせて。

 狼の周りには魔物だったもので出来た小さな山。狼が冒険者を襲わなかったのはルー・ヴォールクの意思か、偶然か。されど魔法が使えなくなった為に死した者も数知れず。

 狼が吠えた先の天、そこに佇む日輪を背負いし龍もまた、地上へと吠える。

 狼は憎々しげに日輪を睨みつけ、龍は憂いを帯びた瞳で狼を見つめた。





 どうしてまた生まれているの?

 何故気が付けなかった?

 貴方は私が殺し、その因子は完全に消滅させた。

 なのに、どうしてまた現れるの?

 もうヤメて。

 もうヤメよ?

 私はもう、貴方の悲しむ姿を見たくないのに。


□反転




 天から一粒の涙が、零れた。





 悲劇に似合わぬ程の快晴。地上では今なお、地獄絵図が再現されていく。快晴に似合わぬ程の突然な大雨は、まるで此処に眠る全ての生命の代わりに、神様が泣いているようだった。

 天龍と魔狼が互いに睨み、吠え合う。まるで会話でもしているかのような吠え合いは、やがて終わった。ダンッと魔狼が地を叩くと、巨大な黒い鎖が無数に生まれ、天龍を襲う。その鎖を足場に、魔狼も空を駆けた。

 天龍が咆哮をあげる。

 焔が走り、黒鎖を襲った。鎖は溶けることもなく、更に天龍へと迫る。

 ならばと天龍が翼を羽ばたかせると、幾本もの竜巻が巻き起こり、鎖を逸し、跳ね返した。揺らぐ足場から跳び、安定した鎖へ魔狼が着地する。

 着地に合わせて雷鳴。

 一本の光の柱が魔狼の頭上へ落ちた。

 周囲の鎖が軌道を変えて魔狼の頭上を覆い、直後、落雷を受けて砕け散った。





 Sランク級の化け物同士のぶつかり合いは一進一退を繰り返した。

 山は平地へと変わり、平地は荒地となった。荒地に生まれた巨大な穴には、降り止まない雨が溜まり湖と成った。

 数日に渡って続いた大雨、竜巻、雷鳴、爆発、地震はある日、突然に止んだ。

 勝敗が、決した。





 世界に存在するSランク冒険者五人の内の三人と、Aランク冒険者が約五百人から編成された調査討伐隊が、悲劇の地を訪れた。

 Sランクの三人が冒険者ギルド本部から通達されたのは、Sランク級の魔物二体の争いが終わり次第、生き残った方を討伐する事だった。

 彼らは苦労することなく対象を発見する。

 巨大な天龍の躯体。

 その死骸。

 そしてその亡骸の顔の前で、体を丸めて眠る、少年の姿。

 カチャカチャと音を立てて冒険者が一斉に武器を構える。場の緊張が急激に高まった。

 少年の瞼がすうっと上がる。

 金色の瞳が冒険者たちを眺めた。

「……待て。Aランクの者は全員後退。二人も、殺気を消せ」

 Sランク冒険者、未来視を持つ男が静かに指示を出す。

「依頼目標変更。対象を保護する。今回は私が隊長だ。従ってもらうぞ」

 男の言葉に残る二人が怪訝な視線を向ける。

「今回も、だろ。だけどさ、隊長さん。可愛い部下からひとつ忠告だ。アレは一見、人間の少年に見えるが――」

「知っている。例え目の前に居るのが本当にただの少年であったとしても、脅威となるのなら始末する。……だが、さすがに私も、我々Sランク含め、隊が一方的に壊滅する未来は避けたい」

 男の言葉に残る二人は冷や汗を流す。男が冗談を言う質でないのは知っている。何より、男が五人のSランクの中で最も強いのは子供だって知っていることだ。

「理解したのなら生きて帰る為の“手順”を説明する。全員が唯一生き残れる未来の道標だ。まず私が武装解除して少年を保護する。二人はその間、殺気を消したままAランクの者が余計な真似をしないよう警戒しろ。私が少年を保護した後、半径百メートル以内に近付かぬよう護衛に当たれ。そのまま一番近くの街へ向かう。三日の後、彼は普通の人間に戻る。三日の間は我々三人は寝ずに少年の護衛だ。少年が目を覚まし次第、彼をSランク冒険者にする。いいな、違えるなよ」

 男の言葉に、二人は頷いた。

「これ程先の未来を視たのは初めてだな。……いや、視せられたのか」

 男はそう呟きながら、こちらを静かに見つめる金色の瞳に目を向けた。





 ルー・ヴォールクが目を覚ますと、知らない部屋だった。

 ベッドの脇には雲の上の存在がいた。トップランクであるAランクの遥か上に存在する伝説級のSランク。その頂点に立つ男。

 おはよう、の一言の後、男は続いておめでとうと言う。

 それから差し出される一枚のカード。Sランクのみが所持出来る、白銀のギルドカード。見覚えのある字体で、馴染みのある名前が羅列されている。

 それは紛れもなく自分のギルドカードだ。それがいつの間にやら白銀に輝いていた。

「後は君が魔力を流し込めば登録完了だ。断るのならば、済まないが冒険者ギルドへ持っていってくれ。……だが、これは私の勝手なお願いではあるのだが、どうか受け取って頂きたい」

 伝説の男が、自分にお願い? 何だこれは? 何が起きているのだ?

 ルー・ヴォールクの頭は疑問符で覆い尽くされた。

 何か思い出そうと記憶の棚を開けていくけれども、最後にある記憶は天龍が現れ、何かが割れた記憶のみ。それ以降は存在しない。

 だがしかし、この状況。目の前の男の頼みを、誰が断れるだろうか。

 ルー・ヴォールクは目の前に差し出されたカードを受け取り、魔力を込めた。





 身体の調子が良い。異常と言って良いほど冴えていた。

 Sランク。そう言われても納得出来る身体能力と、保有魔力。まるで他人事のように、ただ事実だけを確認していた。

 半月近く意識を失っていて、気が付くとギルドカードは白銀に変わり、己の身体はSランクに順応している。置いてきぼりなのは彼の心。気持ちだけだった。

 何故今なのだ。あの時、これだけの力があれば。皆は無理だとして、パーティを護る事くらいは出来たはずだろう? 自問すれども答えは返ってこない。

 新しく住み始めた街で、他の冒険者から魔狼と呼ばれる。疑問だった。何故、魔狼と呼ばれるのか。心当たりが全くないのだ。

 疑問はまだある。

 どういうわけか、かの化け物、天龍を討伐したのが己だという噂が流れているのだ。

 初めは恐怖から気絶した己を揶揄しての事だと思っていた。だが、どうもそれは違うらしい。

 魔狼。そう言って来る者の瞳に浮かぶ感情は、恐怖か敬畏か。嘲り笑う感情は一片たりとも含まれてなかった。

 ならば天龍は本当に己が倒したのか?

 ルー・ヴォールクの疑問を晴らしてくれる者は誰も居なかった。





 今の街に住み始めて、三ヶ月が過ぎる。

 ルー・ヴォールクが魔狼という呼び名に慣れ始めたのは、時間の経過だけが理由ではなかった。

 毎晩魘うなされる夢。

 初めは、何か恐ろしい夢を見たという程度の認識。

 一ヶ月経つと、夢の内容が起きても覚えている事が増えた。誰かの視点で視せられるそれは、恐ろしい何かと戦っていた。

 二ヶ月。恐ろしい何かは龍だった。日輪を背負う龍。トラウマになっているのだろうか。夢で見る天龍の瞳は、何処か憂いを帯びていた。

 三ヶ月。天龍と戦っていたのは“魔狼”だった。地に伏し、息絶えた天龍の側で、魔狼が身を丸めて眠りに落ちた。空から俯瞰する視線に変わり、ルー・ヴォールクはそれを眺めていた。

 そして目撃する。

 魔狼を覆う毛皮のような魔力の塊が、霧散する。

 先程まで魔狼が居た場所で、己が身体を丸めて眠っているのをルー・ヴォールクは見た。

 ルー・ヴォールクの胸には、何の疑念も生まれなかった。

 ああ、やっぱりそうか。

 彼はポツリと呟いた。





 目を瞑り、意識の奥へと潜り込む。深く深く。

 そうすれば見えてくるもう一人の自分。

 ルー・ヴォールクの場合、それが狼の姿をしていた。

 触れようと意識をすれば、見えない壁のようなものに阻まれる。

 その壁を壊そうと意識をすれば、ピキリッと罅のはいる音。

 ああ、やっぱり。

 ルー・ヴォールクは呟く。

 魔食い。死神。

 あの時、冒険者たちを殺したのは天龍だけではなかったのだ。

 見えない壁の向こう。狼は金色の瞳を伏せた。



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