Track.11  夕焼けが目に染みる

「ん~。愛翔兄ちゃんが島に戻るまで時間がまだあるし……」

 たつなみペンションで昼寝するか……誰かを誘って散歩するか……。

 インストラクターの沙良は仕事があるので、論外として……。

 ボクは一通り見渡す。

 若竹先生と古賀さんはあの強面の関口さんへと近づいている。

 知り合い同士とは感づいていた。もしかしたらあの三人、仲良くリゾート夢寐委素にバカンスに来ただけのような気がする。

 男と女。恋人同士ではないところすると、同じ部屋に泊るわけにはいかないな。同じ宿泊先ではないのは、このお盆シーズン、予約がかろうじてとれたのが、たつなみペンションと町のどこぞのホテルだけだったのだろう。

 そして、たつなみペンションにはあの吊り橋がある。あの古賀さんのドジっ子ぶりを見る限り、何も起こらないと思えない。

 関口さんは予測可能回避不可能なフラグをクラッシュさせるため、たつなみペンションの方に泊ることにしたのではなかろうか。

 推理というよりも推測なんだけど、だいたい合っているような気がする。

 そして、ボクはこの三人に声をかけるのは、遠慮することにした。

 こういうもう決まったグループに入り込むなんて、いくら図々しくても無理難題だ。

「狙うは同じシングルだよね……」

 そして、同じ境遇。

 イベントに行っている桜井先生を待つ、呂子お姉さん。

 誘うとしたら、ここが一番だろう。

「呂子お姉さん、一緒にこの辺を散歩しませんか?」

 ボクは思い立ったが吉日と言わんばかりに呂子お姉さんに声をかける。

 呂子お姉さんは海を眺めていたからか、ボクの呼びかけにすぐに反応してもらえなかった。

 だが、何か聞こえたからか、体をビクリと震わせ、周囲を見渡し、ボクの方を見る。

「ああ、唯愛ちゃん、ね……」

 少し残念そうに、彼女は笑った。

「あ、不意に声をかけて、すみません」

 景色を眺めているうちに、心の中からも頭の中からも、邪魔するものがなくなっていくものだ。

 そんなリラックスしている状態の声をかけられても困るだろう。

「いいの。むしろ、うれしいわ。私を気に掛ける子がいるなんて、ね」

 呂子お姉さんは自己評価が低い人だ。

 人によっては美徳とされるだろうが、あまりにも卑屈すぎると、それはそれで彼女が傷つかないようにするにはどうすればいいのかと、接し方に困る。

 こっちは軽い気持ちで声をかけているので、余計に気にかかってしまう。

「私、ね……妹がいたの。といっても、双子だから、年齢がそんなに違わなくて、趣味、趣向もだいたい同じで……だけど、ときどき私のことをお姉さんて、呼んでくれたのよ。まぁ、からかっている時だけだったけど……」

 いた、過去形。

 その言葉だけでボクはだいたいの事情を察した。

 少し前に兄ちゃんが修理していたプラスチックおもちゃの剣といい、妹を亡くした人と縁があるのか。今月、たまたまそうなのか。奇妙な偶然に、ボクは何とも言えない表情をするしかなかった。

「若竹先生がお盆には、死者が海に集まるって言っていたでしょう。お盆だからすいていると思ったのもあるけど……私、妹に……会いたいってところもあるわ」

 寂しげに笑う、彼女はとても印象的だった。

「会って何をするわけでも、何かしてあげることもなくても、ただ……妹に、言いたいことがあるの……。まぁ、言ったところで、妹はわざわざ言わなくてもいいよって返してきそうだけどね」

 何を、とは聞けなかった。

 あいまいに笑う呂子お姉さんの顔を見たら、これ以上妹さんのことについては深入りしてはいけない気がしてならなかった。

「ごめんなさいね。変に感傷に浸って。でも、唯愛ちゃんにナンパされるのは悪くないわ。一人で何もしていないと何でも悪いように考えてしまうから。迷惑かもしれないけど、誰かと一緒にいたいわ」

「それなら……ボクと……」

 ボクは改めて呂子お姉さんを誘う。差し出された手を握ると、一緒に浜辺を散歩しだす。

 ゆったりとした時間だった。

 朝に目一杯海を感じたので、昼はほとんど泳ぐことなく、歩き疲れたら、ビーチパラソルの下で日光浴と優雅に楽しんだ。

「ふぅ。そろそろ桜井先生と愛翔兄ちゃんが戻ってくるのかな……」

 町から島へ向かってくる定期船が見えてきた。


 ──船場。

「愛翔兄ちゃん!」

 ボクはあれから急いで着替えて、定期船から降りてくる兄ちゃんを出迎える。

「唯愛。おっと」

 まさか抱き着いてくるとは思っていなかったのか、愛翔兄ちゃんは少しよろけたが、比較的鍛えられている体はすぐに持ち直す。

 ボクは兄ちゃんのその、たくましさとやさしさが好きだ。

 両親は仕事で忙しいからと、ボクをよく兄ちゃんに預けていた。

 物心ついた時には本気で兄ちゃんのことを、実の兄ちゃんだと思い込んでいたぐらいだ。

 実際は従兄妹で……兄ちゃんの心はすでに別な人がいて……ボクとの繋がりは、思った以上に遠く、近い将来はもっと遠くなると中学生ながらわかっている。

 不意に抱き着いても、甘えたいのか、しょうがないなと笑う兄ちゃんとの関係は今だけだって理解している。

 沙良というステキな女性が現れてからこそ、より強く思うのだ。

 もう少しだけ、このビターな初恋を見させてと。

 この観光旅行が終わり、夏休みが過ぎて、学校が始まったら──ボクは兄ちゃんの恋愛を祝福できるようになるから。

「えへへ。兄ちゃん、大好き」

 だから、今を大事にしたい。

「ほう。ずいぶん熱烈な歓迎を受けているね、仙崎君」

 桜井先生が微笑ましいものを見たというような顔で、ボクたちを見ている。

「あっ、桜井先生」

 そうだった。

 愛翔兄ちゃんだけが下船するわけじゃないのだ。

 桜井先生の邪魔にならないよう、もう少し待てばよかった。ボクは反省する。

「おかえりなさい、先生」

 ボクと同じくして、呂子お姉さんも出迎える。

「ああ。ただいま」

 そっけなく見えつつもその視線は熱く、余裕があり、熟年夫婦のような安心感さえある。

「そんなにしょげなくてもいいよ、睦月君。島に戻って来るのは我々だけだったようだしね……」

 違うよ、桜井先生。今、ボクの顔がうつむいたのは、恥ずかしさよりも、うらやましさの方が大きいよ。

 桜井先生と呂子お姉さんはいい恋愛をしているねって。

 初恋ブレイクが決定されているようなボクとは大違いだ。

「町に戻るのもあまり人がいないようだし……」

 桜井先生の視線に合わせて、ボクも振り返ると、なぜかグロッキーな古賀さんとそれを支えるように若竹先生と関口さんが歩いていた。

「瑞穂さん。船に乗りますわよ。足元しっかりね。それさえ何とかしてくれたら、私が何とかしますわ」

「すまん、若竹。古賀のこと、本当に頼んだぞ」

「う~ん。う~ん」

 酔っているらしく顔を真っ赤にした古賀さんを、若竹先生に受け渡す、関口さん。

「もちろんですわ。でも、その代わり……わかっていますわよね」

 若竹は妖艶に、しかし聖母のようにやさしく微笑む。

 並の男ならば、その魅力に引き寄せれてしまうだろう。果たせぬ約束でも、引き受け、叶えようと奮闘するに違いない。

「ふん。気が向いたらな」

 だが、関口さんは強固な男。

 気安く、首を縦に振らないようだ。

「あら。つれないお方。でも、それだからこそ、燃えてしまいますわよ」

 ぷっくりとうるおった美しい唇が獲物を見つけたと悦ぶように動き出す。

 その動き、官能的で挑発的。

 魅了されても、誰もが擁護しそうである。

「……勝手にしろ」

 だが、関口さんは微笑みながら手を振る若竹先生をしり目に、そっぽを向く。

 これが、大人の駆け引きか。恋愛的な意味なのか、好奇心的な意味なのか、この様子では確定できないが、若竹先生はすごくいい顔している。

「若竹、君……君も、この島に来ていたのかね」

 同じ作家同士。

 町から島へと続く小道で若竹先生は面識があるようであったが、桜井先生の方もこの妖艶な美女に覚えがあるらしい。

「はい、桜井先生お久しぶりです。先生のご活躍伺っておりますわ」

 関口さんのソレと同じぐらい、含みを持たせるように優艶に笑う。

「先生の作品は素晴らしいと思いますし、これからもあれば愛読しますわ。でも、私はどんな結末になろうとも、受け入れるつもりですの」

「若竹君……」

「結局は人の心の在り様次第ってところでしょうね。先生、だからここは流れに任せましょう。誰もが納得する幸福な結末はないのですから。勝者にちょっとやさしいぐらいが、丁度いいものなのですわ」

 作品の傾向と対策だろうか。

 桜井先生は夢寐委素島乱戦記という傑作を書き上げてから、抜け殻になったとネットの掲示板ではウワサされている。

 燃え尽き症候群、スランプ、だが、充電期間中という見方ものあり、あまり参考にならない。

「そうだね……。勝者にちょっとやさしく、か……うん、若竹君、参考にするよ」

 桜井先生は思うところがあるようで、深くうなづいている。

「ええ、桜井先生。では、ごきげんよう」

 意味ありげな言い回しをするのが、作家たちの中では礼儀なのか。

 そう思ってしまうぐらい、桜井先生も若竹先生も、何かを臭わせる。

 ボクはその様子に、得体のしれない恐怖を感じ、愛翔兄ちゃんをより強く抱きしめた。

 若竹先生と古賀さんを乗せた定期船が島から離れるまで、ずっと……。

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