Case.2 水上バイクよりもヒヤリとした
時は早朝まで遡る。
私は今、沙良の腰に手を回してしっかりとしがみつき、水上バイクで海を横断していた。
「うわぁああぁあ!」
爽快感はたしかにある。
この手のスピード感あふれる乗り物特有の緊迫感もたまらないと、好きな人には大絶賛されるだろう。
ただし、それは怖くない乗り方、気持ち悪くない乗り方を知っていればの話である。
体がふわりと浮く感覚に弱い私には不向きであった。
だが、こっちのほうが夢寐委素町に行くのが早いし、ギリギリまで一緒にいられると、特殊小型船舶操縦士の免許を持っている沙良に押し切られてしまった。
なので、青空の下きらめく海の上を走り、向こう岸へと渡ろうとしているのだ。
「ヒャッハー。やっぱ、海風は気持ちいいぜ」
「ううう……気持ちいいといえば、いいけど、うわぁああ!」
絶叫マシンに乗る時のコツは、声を出すことにある。
叫ぶことにより、恐怖は軽減され、気分が高揚するからだ。
愛翔はその豆知識を信じ、大声を上げている。
「ほれほれ、楽しめ、楽しめ、愛翔。このオレが操縦しているんだ。めったなことで事故らねぇよ」
「そ、そういうことも確かに大事だけど、うわっぷ。話していたら舌を噛みそうになったよ!」
「怖いなら、もっと腕に力を入れて、オレを抱きしめてもいいんだぜ。愛翔なら許してやる」
沙良の小気味のいい声で紡がれた言葉に、愛翔は胸から激しく打ち付けられる鼓動を感じる。
ある意味ではローレライの歌なんか目じゃないぐらい引き寄せられてしまう、魅力的で官能的な響きだ。
純情で健全な男なら、一瞬で顔を赤らめ、鼻血が出そうな勢いを抑えるのに必死になるだろう。
(落ち着け、このあとイベントの仕事が控えているんだ……)
しかし、その言葉に甘えて、抱きしめる腕に力を入れる私がいる。
夢心地であった……。
だけど、帰りは桜井先生と一緒に定期船に乗って島に帰ろうと決意したのだった。
……イベントは程なくして時間通り終了する。
何のアクシデントもなくスムーズに終わるのはいいことである。
桜井先生のほうはこの後サイン会が待っているし、定期船の運行時間にも余裕があるので、私一人、イベント会場として使用された夢寐委素文化センター内にある夢寐委素埋蔵コーナーという小規模の郷土資料室へと足を運ぶ。
じっくり見ても三十分もかからないほどの資料たち。だけど、少ないからこそ、全体的にテーマが確立されているし、室内にはパソコンもあるのでもっと詳しく夢寐委素のことを調べたければ、そこでネット検索しろということだろう。
「この一角には呪法……あ、赤染信仰についてか」
ガラスケースの中にあるのは、天候を操れる術やら、人一人なら人を操る術……そして、死者蘇生に関する術が記載されていた巻物。
赤染信仰が記された巻物だった。
「まぁ、ここは町だからね。島には保管できないか」
夢寐委素島では完全にタブーとされている、民間信仰。
十六年前、沙良が妙に詳しくて、軽く教えてくれたものだ。
「懐かしいな……」
私は当時のことを思い出す……。
あの日は雨で、雨宿りも兼ねて夢寐委素島かも助記念館の児童室で本をダラダラと読んでいた時のことだ。
「ねぇ、沙良。赤染信仰って何?」
私が当時どこで赤染信仰を知っていたのか、詳しくは覚えていないが……祖父はあからさまに顔を歪めたので、続きの答えを教えてもらえなかったことは妙に覚えている。
そして、私は私で仲のいい沙良なら、教えてくれると漠然とした確信と甘えがあった。
「あ~それはな。かつて青波信仰と拮抗していた信仰だ。今となっては夢寐委素で信仰している者はいない、死者蘇生の信仰だ」
「死者を?」
当時小学三年生。
死生観が少し曖昧ではあったが、死者が蘇らないことだけはわかる年頃。
荒唐無稽な話に私はただただ胡散臭い目をするしかなかった。
「ああ。死者蘇生に魅力を感じるのは止む無しだろうよ。だけど、赤染信仰は特別品が悪くてな、死人を生き返させるが、えげつない」
生き返らせる、その意味がどんな恐ろしさがあるのか。
まだピンとこない私は首をかしげながらも沙良の論を静聴する。
「赤染は死人を、怪人……ゾンビとして蘇らせることが圧倒的に多い。そして、ゾンビたちは生きている人間を殺し、その寿命と運命を奪っているのさ」
「運命も、なのか」
人を殺すことも脅威だが、理由があるなら理解できる。
そして、寿命を奪う設定では架空の物語ではよくあるあるである。
だが、運命とは何ぞや?
「人には必ずしも抗えない運命が付与されているものだ。それが社会にとって有益か有害なのかわからないが、森羅万象の中では大切は歯車。ゾンビたちは、その役割を奪い、肩代わりすることで、延命が叶う」
「へ~……」
難しい言葉がズラズラと並んでいたのだが、沙良の解説は不思議とすんなり頭の中に入っていった。
「まぁ、生き返してもらえることに注視するあまり、運命を肩代わりするというデメリットが軽視されがちなんだぜ」
言い回しから、デメリットはちゃんと提示しているようだ。
だけど、人間、欲に目がくらむと大事なことを見落としてしまうもの。それを理解していないのは、人とは違う別種のもの、いわゆる神だからか。それとも……。
「だから、青波は運命を肩代わりする意志が見られない愚かなゾンビを破棄しようと動いているっていうのが、もっとも正解に近いな」
「運命ってわかるものなの?」
「十中八九わからないだろうよ。例えば、そいつの運命が『二週間後、とある犯人に惨たらしく殺されることで、警察がそんな悲しい事件が起きないように犯人を捕まえる』だったらどうだよ。せっかくゾンビになってでも延命したっていうのに、死と死に方が義務付けされるわけだ。わかっていたら肩代わりしないだろう」
「……確かに」
「運命を背負うっていうのは生半可な覚悟や力じゃできねぇ。それを理解せずに安易に赤染に頼る輩が多くてな。赤染も赤染で、愉悦愉悦とか言って抗う人間を見ては笑い転げている、趣味の悪いやつだ」
赤染は人間の性質を理解しているようだが……いや、理解しているからこそ、えげつなく、そしてショーを見るかのように愉しんでやがる。
無知なるものを騙していないという点こそが救いだが、それはそれでなんかモヤモヤする。
まるで、ありのままを伝えても、どうせ本質を見極めようとしないのだろうって。人をかなりバカにしているようにしか思えない。
「まぁ、そんな奴の信仰だから、島では禁忌となった。町のほうに資料が残っているのも、こういうもて余すものは安易に頼ってはいけないという戒めだな」
沙良は夢寐委素のことなら何でも知っていた。
そして、何でも分かりやすく私に教えてくれたものだ……。
「ふふ。本当に懐かしい……あれ?」
私はガラスケースの中の巻物をよく見る。
ある章だけ、筆記体が違う気がする。
つまり、別人が書き足したかのような、そんな文章が載っているのだ。
『人の寿命と運命を食い続けなければ死者はこの世にとどまれない。ただし、例外として……ある儀式を行えば永久に生きられるかもしれない』
『龍の玉に三種の神器をかざし、赤染を招来に成功した死人は、他者の運命を背負う欠点を取り除かれ、思うがままの寿命を得ることが出来るようになるだろう』
『ただし、赤染様は気まぐれにて、残酷なお方』
『そして、なにより、邪悪を好む』
『ただ三種の神器を揃えても、決してそのお姿は見せないだろう。宴を催しなさい。開幕の音頭は恐怖によって歪んだ叫びが好ましい。呪法を使い、舞台を整えよ』
『神器がない。ならば作れ。赤黒く輝く妖具でも、赤染様がお悦びになる狂宴が開かれれば、ひょっこりと現れるかもしれない』
『龍の宝珠を穢す、悪辣の宴は何よりも美酒だ』
『だから、呪詛を歌え、死霊と踊れ……閉幕までは見届けよう』
……以上だ。
全体的に抽象的ではあるが、殺人教唆しているとしか思えない文章。
「なんだろう……不気味だな……」
幸い、この資料館は撮影可能だ。
私はスマホに巻物の全容をムービー録画する。
特に気になった章は写真も撮っておいた。
「あ、もうこんな時間!」
もうすぐ定期船が出発する時間だ。
私は後ろ髪を引かれる思いをしつつも、夢寐委素町文化センターを後にした。
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