Track.5  剣~ただし、おもちゃである~

 そそくさと目的地(トイレ)に向かい、用を足したところで、遠くから救急車の音が聞こえてきた。

「あ、救急車だ。何が、あったんだろう」

 しかも、救急車の音は近づいてくる。妙に気になった唯愛はトイレの小窓を覗き見ると、人込みが出来ていた。

 なにやら、事件が起きたらしい。

「う~ん。ここからじゃぁ、何が起きたかわからないけど……」

 野次馬たちが見ている方向は、ちょうど陰だった。

 場所を移動しない限り、何が起きたのか見えないだろう。

「でも、まぁ。いいか」

 好奇心はあるが、邪魔になるのも悪いしな。

 それに、もうこんなに人が集まっているようじゃ、現場に行っても事故の中心部が見えない可能性が高い。

 ならば、後でまとめて聞いたほうがいい。

 ボクはこの近辺のウワサ好きのおばさまたちとは、難なく世間話ぐらいならできるぐらい、仲がいい。

 近所のお子様だって、顔見知りのボクがあめ玉を渡せば、ペラペラとしゃべってくれるだろう。

「本を読むための集中力が切れちまったから、愛翔兄ちゃんの様子でも見にいくか」

 話し合いが終わったかどうかわからないが、そろそろ水分が欲しくなる時間だろう。

 まだ八重柏さんがいたら、追加のお茶を用意しないと。

 ボクは事務所の様子をこっそりと覗き見る。

 すると、八重柏さんとの話し合いは終わっていたらしく、愛翔兄ちゃんはおもちゃの修理に勤しんでいた。

 夢寐委素島に行く前に、頼まれていた修理を終わらせる気なのか、心なしかいつもより急いでいるように見えた。

「あ、唯愛。いいところに来た。ちょっと、そこの単三を持ってきてくれないか」

 愛翔兄ちゃんが修理していたのは、祭りの屋台で千五百円で売っていそうな、ライトアップ剣だった。

 修理に出さずに、壊れたらこのまま捨ててもいいような安物なのだが、このおもちゃの剣の持ち主はそう考えていないらしく、どうしてもと愛翔兄ちゃんに頼んだものだ。

 よほど思い入れが強いのだろう。

 新しく買い替えるよりも高い代金を惜しみもなく出したと聞いている。

「はい」

 新しい単三電池を入れて、スイッチオン。

 ライトアップ剣は、ピコピコと内蔵されているプログラム通りに、虹色の光を交互に放つ。

 修理完了だ。

「ふぅ。明日の受け渡し日にまで間に合いました。よかったです」

 八重柏さんが帰ったというのに、ボクをすぐ呼ばなかったのか、このライトアップ剣の修理に集中していたからか。

 ボクの方も読書に夢中だったから、すぐに呼ばれなかったのは、丁度よかった。

 きれい好きな人や几帳面な人には嫌な顔をされてしまうだろうが、数時間ぐらいの使った食器の放置は許してほしいところである。

「あ、そうだ、唯愛、このままおやつにしよう。食器洗いはまとめたほうが楽だろう」

「そうだね、愛翔兄ちゃん」

 本日のおやつ、スーパーの特売コーナーにあった大福。

 粉末緑茶も合わせれば、ちょっとしたお茶会になる。

 ボクは程よい甘さの粒あんと柔らかいもちの絶妙なハーモニーに舌鼓を打つ。

「もぐもぐ、ぷはぁ~。そういえば、愛翔兄ちゃん。夢寐委素島にいくなら、何をもって行ったほうがいい?」

 大福を平らげ、熱いお茶をちびちびと飲んだ後、ボクは机の上に置かれている夢寐委素島のパンフレットをペラペラとめくる。

 全体的に海推しなのか、海のスポーツ体験セットだけでも、十数種類ある。

「だいたいのものは現地でも調達できるけど、水着とパーカーは必須だね。タオルとビーチサンダルもあればいいかも。マリンスポーツを楽しみたいなら、インストラクターさんと一緒のほうがいいよ。体験時間一時間半でも、激しいものだったら、明日筋肉痛になるから、そこは注意したほうがいいね。」

 素人にマリンスポーツの敷居は高い。

 とくに、ボート。ただ漕ぐだけだと、油断すると、両腕がバキバキになるという。

「私のお勧めはこの『水上バイクで島へ出発。移動も楽しめるフィッシング&シュノーケリング体験』だね。夢寐委素島がどういう場所なのか感じとるには一番適した、プランだと思うよ」

 絶景スポットまで、送迎ありの一日コース。

 たしかに、初心者や一見様にはやさしい。

「夢寐委素島は自然豊かな神秘的な場所だからね。案内役がいないとパンフレット通りの景色を巡り切るのは難しいよ」

「へ~」

 面積がそれほど大きいとは思えないのだが。

 実際パンフレットには、3.58平方キロメートルとある。ボクたちの町、新谷琉にやる市・赤武あかむ区の七分の一にも満たない。

「たしかに、私たちの町と比べたら、夢寐委素は狭いとは思うよ。だけど、慣れていない土地の観光スポットを見つけるのはけっこう大変だよ。私も最初は地元の子にいろいろ案内された口だからね」

 愛翔兄ちゃんは地元の子と口にした途端、耳まで赤くなる。

 よほどいい思い出だったようだ。その証拠に口元が緩んでいる。

「ふ~ん。まぁ、交流は大事ですからなぁ~」

 ボクは愛翔兄ちゃんが毎年夢寐委素島に行く理由をこの時察した。

 ただバカンスに行くのではないとは思っていたが、営業スマイルではない、自然な微笑みは、恋というよりは運命的な出会いだったと感じる。

 女顔とはいえ、美形な兄ちゃんの心を奪ったのは、いったいどんな美女なのか。

 かなり気になる。

(……スマホの充電器は用意しておこう)

 いっぱい思い出を記録するために必要な道具もそろえておかないと。

 スマホだけでは心もとないのでボイスレコーダーとデジタルカメラも用意しようかな。あとは濡れ防止に透明な袋……ファスナー付きのプラスチック・バッグがいいか。

 ボクは適当なメモ用紙に、持っていったほうがいいものを書きつづる。

 愛翔兄ちゃんから、これはダメ、それよりもあっちのほうがいいというアドバイスを受け、リストを完成。

 さらに、夢寐委素町に行った際、どこに行って、何をするか話し合い、遊ぶ計画を立て終わったころには、夕日が傾いていた。

「ついつい長く話してしまったね、唯愛。これ以上引き留めると、おばさんに小言を言われてしまうよ」

「あ~。ボクも夢中になっていたから……あ、メール」

 ボクは晩御飯に少し遅くなると電話をかけようかと、スマホを取り出すと、母からメールが来ているのを知った。

 開くと、仕事が忙しくて、家に帰れないから、夕飯は一人で食べてね、という内容のものだった。

「おばさん……相変わらず忙しそうだね」

 ボクの両親が共働きだというのを知っている愛翔兄ちゃんは苦笑する。

 事実ボクが兄ちゃんのところに入り浸っている理由の一つは、両親の不在が多いからだ。

 物心つく前から兄ちゃんは、よくボクの子守を頼まれた。

 人が良く、容量もよく、なにより美形の兄ちゃんだ。ボクも子どもという特権をフル活用して、よく一緒にいたものだ。

「……兄ちゃん、ピザ頼まない? 今なら、ここの店のピザ二枚買うと一枚タダになるし」

 家に帰るのが七時過ぎになりそうだが、一人で黙々食べるよりは、兄ちゃんと一緒に食べたほうがおいしい。

 スマホを人差し指でススっと操作し、宅配ピザサービスを提示。

「そうだね。たまにはピザもいいね」

「ああ。母ちゃんも多少お値段高くても納得してくれるだろうし」

「半分は払うよ。おばさんに借りを作ると後が怖いからね」

 冗談を交えながら、ボクがさらにスマホを操作して、ピザを頼もうとした時だった。

 ──ガタン。

 その大きな音とともに、あたりが暗くなる。

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