第二話 あの物体は

「河野……」


 あれから数時間。日が落ち、夜になった。辛いことに季節が夏だったから日没が遅かった。


 生物はって? 生物は日が落ちた瞬間、ピタっと止まり動かなくなった。怖いけれど近づいてみても何の反応もなかった。


 その姿を例えてみるとシャットダウンされて放置されているパソコンや電源のついていないスマホのようだえろう。


「ど、どういうことなの?」


「分からない。とにかく今のうちに逃げよう」


「そうね」


 頭は混乱していたけれど、少しの安全が確保されたってことに喜びを感じていた。


「ヒッ」


 冷夏の口から悲鳴が零れた。当たり前だろう、歩けば歩くほど酷い光景が広がっているから。


 生物が出現した時よりも不快感のある臭い。俺は亡くなっている人に失礼だけど鼻を摘み、不快感に耐えた。


 傍には沢山の死骸が転がっていた。


 体が半分しかない人。頭がない人、頭しかない人。足がない人。


「うぇえ……」


 その光景は吐き気が襲ってくるぐらい、酷かった。




――ウゥーン・


「警報音……」


 避難するタイミングともなった警報音が物音しない静かな町に響いた。


   『市民の皆様へご連絡です。首都圏へ向かい、歩いてください』


「は、どういうことだよ」


 首都圏に向かって歩けって?


 「避難しろ」、「首都圏に向かって歩け」。どれも俺達の行動を命令するような強い言葉ばかりだった。


 それにここから首都まで何キロあると思ってるんだよ。何日かかっても辿りつかない。


「ど、どうする?」


「とりあえず、各自家に帰ろう。家族が“生きていれば”合流できるはずだ」


「っ」


 「生きていれば」


 その言葉は俺達の心に深い傷を残す言葉の一つだった。


 生きていると信じている気持ちはある。けれど酷い光景を見れば生きていると信じている気持ちは薄まっていくばかりだった。


「十二時に冷夏の家に行く。それまでは準備だったり辺りに探しにいくなり好きにしてくれていいから」


「分かった」


「一人で行けるか?」


「大丈夫。道中でも人を探してみるよ」


「分かった。それじゃ、十二時に」


「うん」


 俺達はそれぞれの家に向かい、歩いた。




「どこも酷い光景だ……」


 道中、何人か生存している人を見つけたけれどどの人も目が死んでいた。


 当たり前だろう、目の前や周りで人が死んでいるんだから。


 とても正気ではいられない。


「おふくろー!」


 俺はこの地にいるおふくろの名を叫びながら家がある方角へ向かう。


 俺が叫ぶ声におふくろが反応することなく、俺の声だけが響いた。


「お姉ちゃん!! お祖母ちゃんー!」


 今まで聞こえなかった声がした。心が死んでいない人がいるはずだ。


 少しの希望が俺の心に宿った。


「行ってみるか」


 俺は声のする方へ向かい、走った。


「あ! 生きてる人いた!」


 そこには小学生ぐらいの少女がいた。


 周りには酷い光景が広がっているのに何ともない顔をしている少女に少し恐怖心を抱いた。


 少女の顔をよく見れば見覚えがあった。


「お前、冷夏の妹の春か?」


「お姉ちゃんのお友達?」


「あぁ。そうだ」


 一度だけ冷夏から可愛い妹だって写真を見せてもらったことがあった。冷夏にそっくりの顔が少しの衝撃で覚えていたのだ。


「君の姉は生きている。今、家に向かい歩いている所だ」


「本当!? ありがとう!」


 少女の顔は希望に満ち溢れていた。まるで今の状況を理解していないようだった。


「気をつけていけよ」


「うん!」


 心が死んでいない人は冷夏の妹だった。


 これからは妹も一緒に行動することになるだろう。


「おふくろ、いるか?」


 鍵を開け、中に入り一つ一つの部屋を確認していると自室のベランダから絶望する光景が視界いっぱいに広がった。


「お、おふくろ!」


 庭で母親が倒れていた。


 俺はすぐさま一階に降り、庭へ行くと母親の姿が見えた。


「っ」


 母親の姿は以前とは異なり、体が欠けていた。残っている目は見開いており、涙が頬を伝った後も残っていた。


「おふくろ悪い。俺、親孝行できなかった……」


 見開いている目をそっと閉じ、母親の体を抱えた。


 庭から中へ入り、毛布を取り出しおふくろにかけた。


「安らかに眠ってくれ」


 目を瞑り、手を合わせた。


 その時、俺は無意識に唇を噛み締めていた。


「クソッ」


 何なんだよ、あの生物は。突然現れたと思ったら人を喰いだして。


 捕食概念があって、大きく素早いあいつらからどう逃げろって言うんだよ。


 俺の心には苛立ちと憎しみ、焦りと喪失感で溢れていた。



プルルルル


「!」


 何も考える、母を見ていたとき携帯の着信音が鳴り響いた。着信は父親からだった。


「もしもし!」


 俺はすぐに着信に応答し、叫ぶように声を上げた。


「水谷? 俺だ」


「親父……」


 福岡に出張に行っていた親父は無事なようだ。


「そっちは大丈夫か? それと母さんと電話が繋がらないんだが……」


「親父。おふくろはもう……」


「そうか」


 母の死、親父にとっては愛する人を亡くした。親父の声は静かに怒りを耐えているようだった。


 親父の心が分かる俺は手を握り締めた。間違っても、親父の前で泣かないように。


「俺は十二時、日付を越した頃から友達と合流して一緒に首都圏を目指すつもりだ」


「あぁ。俺も生きてる同僚や人を探してそっちを目指すよ」


「分かった」


「それと一日に一度、いつでもいいから電話かメールしてくれ。生存確認という意味で」


「分かった。来なかったら“死んだ”ってことでいいのか?」


「そうだ」


 残酷。


 死んだか死んでないか分からない状況だったのにこれからははっきり分かるようになる。


 俺達はいつ死んでもおかしくない状況に立たされているのだ。


「水谷」


「どうした?」


「俺達のもとに生まれてくれてありがとう。水谷はいつまでも俺達の大事な息子だ」


 そう言った声は安らかだった。ただ、ただ本当に子供へ感謝を述べる父親の声だった。


「死亡フラグ立てんな、親父。そういうのは面と向かって言えよ」


「ははっ。たしかにそうだな」


 親父との団欒や会話はもしかしたらこれで最後かもしれない。


 そう思うと今まで耐えていた涙が零れそうになった。

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