Karte2 竜人の悩み 後編

「し、尻か」


「尻だ」


 尻を整形だと?現世でヒップラインの形を気にしてシリコンを入れたり脂肪を注入する人は結構いたが、その全てが女性だった。俺は少なくとも男性のケースは聞いたことがない。もしかしたら竜人には竜人の美的センスがあって、尻の形は竜人の男性にとっては重要なのか?


「そんなに気になるのか?その、尻が」


「ああ!俺にとっては今後の傭兵生活に関わる大問題だ」


「そこまでのものではないと思うが……」


「いいや、尻を直さなきゃ俺は金等級には上がれねえ!」


「大げさすぎないか……」


「大げさじゃねえよ!この尻のままじゃ俺は限界なんだ!」


「見れば分かるぜ!ほら!」


 そう言うとジャンドは鎧を外し下を脱ぎ始めた。


「お、おい!」


 気付けば俺の眼前はジャンドの尻で埋め尽くされていた。不思議なことにあまり不快感がない。筋骨隆々に引き締まったフォルムに鱗がびっしりと生えている。種族が違うのもあり、俺の脳内でそれをあまり男の尻と認識していないのだろう。


「ん?これは……」


 俺はジャンドの尻にある違和感を見つけた。規則的に並んでいる鱗のある一点。そこだけ光の反射の方向が違っている。これは逆鱗だ。触ると文字通り竜の怒りに触れるというが、こんなところに生えているものなのか……。

 俺の様子が変わったのを察知し、振り返ったジャンドが言う。


「気付いたか。それが俺の悩みの種だ」


「その……なんか困るのか?逆鱗が尻にあると」


「普通は喉元にあるんだ。喉元なんか普通触られないだろ?」


「尻も触られないが」


「まあ聞けって。問題なのは尻にあると喉元に比べて刺激を受けることがよっぽど多いってことだ」


「確かに、座れば当たる部位な訳だしな」


「当然普段は当たらないように気をつけてはいるんだが、酒を入れるとどうもうまくいかねぇ。だからギルドの飲みでたまにやらかしちまってよ」


「さっき嫌われていると言ってたのはそれか」


「それで他の傭兵たちはオレのことを避けるようになった。最初はそんなに気にしてなかったさ。依頼も一人でやれてたからな。だが最近一人の限界を感じるんだ。銀等級から金等級に上がるためにもっと難しい依頼をこなさなきゃいけないってのに、そういうのに限って一人じゃどうしようもない依頼ばかりなんだ」


「つまり、俺は尻にある逆鱗をどうにかすればいいんだな」


「そうだ。出来るか?」


「それを判断するためにもまず触診させてもらえるか?」


「逆鱗をか?」


「いや、他の鱗でいい。ただ、サイズが同じ方がいいからその近くだ。」


「だったら、ほらよ」


 再びジャンドが俺に尻を向けた。


「失礼するぞ」


 俺はジャンドの鱗を触った。鱗は1枚5センチ大はある上、厚さは2~3センチもある。俺は爪で鱗を叩いてみた。一枚一枚が鎧のように固い。だが、間接部の鱗を見るに、伸縮性もある程度あるようだ。


「もういいぞ」


 さて、どうするか。フィーラさんの時は人間同様の施術法だったが、今回は竜人が相手だ。獣医じゃないから当然竜人どころか鱗を持った生物すら相手にしたことはない。まずは施術法を1から考える必要があるのだ。

 まず考えられるのは逆鱗部分の切除だ。だが、そううまくいくだろうか。これほど固い鱗となると、皮膚のように縫い合わせるのは難しいだろう。また、切除は治癒魔法とも相性が悪い。治癒魔法はかけられた本人を本来あるべき姿に戻すことで傷を治しているという。切除というのは人為的に肉体の一部を欠損させていると解釈することが出来る。もしジャンドが治癒魔法をかけられた場合、せっかく切除した逆鱗は元通りになってしまうかもしれない。ジャンドは傭兵なのだから、治癒魔法をかけられる機会は多いはずだ。

 駄目だ。この方法は確実じゃない。ただの角質がこうも手術を難しくするとは。


「ん?角質?」


俺は自分の思考に引っかかりを覚えた。そう、鱗は角質だ。神経は通っていない。ならば逆鱗に触れると何故竜は怒るのだろうか。


「ジャンド、3つ質問に答えてくれ」


「何だ?」


「逆鱗を触ると竜は皆怒るのか?」


「個人差はあるな。オレみたいに我を忘れるヤツもいれば、機嫌が悪くなる程度で済むヤツもいるぜ」


「逆鱗を触られた時の怒りの湧き方を詳しく教えてくれ」


「なんつーかこう、触られたところから全身に怒りがジワーっと広がっていく感じがするな」


「逆鱗には何か魔法や呪いがかかっているか?」


「いいや」


 糸口が見えたな。


「その逆鱗、なんとかなりそうだ。」


「本当か!?」


「鱗っていうのは角質、神経の通ってない体の一番外側だ。それならそこに何かが触れたところで何の反応も起きないはずだ。だが実際それが起きてるってことは逆鱗の下に問題があるんだ。予想だが、逆鱗の下には怒りのツボみたいな物があって、逆鱗に力が加わるとにそのツボが刺激されるんだ」


「なるほどな。そんなこと考えたこともなかったぜ」


「それで、どうするかだが、要は逆鱗に力が加わらないようにすればいい。幸いジャンドの鱗は固くて分厚い。だから逆鱗だけ削って凹ませることで触れないようにすれば怒りのツボは押されないはずだ」


「おお、そうか!なら早速頼む!」


「ただ一つ問題が残っている。その固い鱗を刺激せずに削る方法が浮かばない」


「それなら任せな!」


 ジャンドは意気揚々と歩きだし、診察室の隅に立てかけていた両斧を持った。


「《エイン》!」


 ジャンドがそう口にすると、手にしていた両斧が仄かに輝き始めた。武器を強化する魔法か何かだろう。

 ジャンドはその両斧を俺に差し出す。


「こいつを使え。強化魔法をかけて切れ味を上げた。俺の鱗も撫でるように切れるぜ」


「魔法様様だな」


「お前は使えないのか?」


「生憎な」


 元々魔法を使うのは諦めていたが、目の前でこうも便利さを見せつけられると羨ましくなってくるな。


「ほら受け取れ」


ジャンドが俺に両斧を手渡す。


「助か……うぉ!」


 俺はあまりの重さに耐えきれず、両斧を落としてしまった。木製の床に刃の全体が深く刺さっている。


「……切れ味がいいのは分かった」


「悪ぃな。お前じゃ持てなかったか。他に刃物はあるか?」


「これに頼む」


 俺は奥からメスを持ってきてジャンドに手渡す。


「よし、《エイン》!」


 メスから両斧と同じ輝きが放たれた。


「ジャンド、そこにうつ伏せで寝てくれ。絶対に動くなよ。」


 俺の言葉に従い、ジャンドは診察台のベッドにうつ伏せになった。ジャンドの巨体にベッドが軋む。異種族相手の事も考えて大きいものに新調するべきかもしれない。


「よし、逆鱗を削るぞ」


「おう、頼んだ」


 俺は慎重にメスを入れる。逆鱗はすんなりとメスの刃を受け入れた。メスから切る感触がまるで伝わってこない。まるで空気を切っているかのようだった。そのおかげで逆鱗はものの数分で残り数ミリを残して削り取ることが出来た。


☆☆☆


 ジャンドへの施術の後、フィーラさんの耳の抜糸を終えた俺は、2人を村のゲートまで送っていた。


「助かったぜ。サエキレン。これでオレは気兼ねなく金等級を目指せるぜ!」


「俺からも礼を言わせてもらう。たったあれだけのことで金貨2枚なんてな」


「金等級の金ってことでな、縁起担ぎだ。」


 さっきまで一文無しだったのだ。本当に助かる。


「ありがとうございました、先生。お礼と言ってはなんですが、ギルドでジャンドさんのように困っている人がいたら先生をご紹介しますね!」


抜糸を終えたフィーラさんだ。手術の痕はもうほとんどない。


「それはありがたいな。口コミで客が増えてくれればもうちょっとマシな飯が食える」


「オレも評判を広げといてやるよ。ほらフィーラ、日が落ちる前に街に戻ろうぜ」


「ええ、そうですね。それじゃあ先生、改めてありがとうございました!」


「ああ」


 フィーラさんとジャンドは踵を返し村から街へ歩いてゆく。2人は見えなくなるまで俺に手を振っていた。その2人の好意に応え切ると俺は寂しさを感じた。俺と2人は所詮医者と患者の関係だ。事が終われば顔を合わせることはない。そう理解しつつも、異世界に転移し、家族どころか全ての人間関係がリセットされていた俺は1人でも多くの知り合いが欲しかったのだ。

 2人は傭兵ギルドで働いていると言っていた。今度寄ってみるとしよう。当然手ぶらではなく、依頼を携えて。

 今回の件でクリニックの設備がいかに不足しているかを痛感した。現にジャンドの魔法がなければ、今日彼の逆鱗を削り取ることは出来なかっただろう。それに、これからどんな異種族がクリニックを訪ねてくるか分からない。どんな種族が来ても対応できるように設備投資は必須だ。そのために必要な素材があれば、フィーラとジャンドに依頼として頼んでみようじゃないか。


「サエキレン様、もう終わったの?」


 どこからともなく現れたアルカルカが声をかけてきた。


「ああ、お前の用も済んだのか?」


「うん、それ。」


 アルカルカが村のゲート近くを指差す。


「それ、作ってた。クリニックの看板」

 

ゲートの柱の側にジャンドと出会った時にアルカルカが担いでいたピザを焼く棒みたいなものが垂直に刺さっている。アルカルカなりにクリニックのために動いていてくれたのか。変なところで気が利くやつだ。


「なんか、バス停みたいだな」


「バステイ?それは何?」


「いやこっちの話だ。看板ありがとうな」


「まだ名前を書いてない。だから名前を教えて」


 確かに円盤には何も書かれていない。


「クリニックの名前か……佐伯ビューティークリニックで頼む」


 それは俺がここに転移する前、現世で開いていたクリニックの名前だった。


「レンは?」


「レンはいらない」


「でも変」


 ガレオンでは名字は一般階級には付けられない。アルカルカは佐伯も含めてサエキレンを俺の名前だと思っているから違和感を感じている。そういえばジャンドもサエキレンって言ってたな。アルカルカがフィーラさんに伝えたのがサエキレンなら、フィーラさんからジャンドへもサエキレンとして伝わっているわけだ。アルカルカはもうしょうがないとしても、今後全員から常にフルネームで呼ばれるのはなんか気味が悪いので避けたいところだ。訂正するなら今しかない。


「あだ名だ。サエキレンだと長いからサエキだけでいい」


「分かった」


 なんとか言いくるめる事ができた。これで佐伯さんとか佐伯先生的な感じで呼ばれるようになれば御の字だ。


「《レイネス》」


 アルカルカが右の人差し指を看板に向けると、指先からまばゆい閃光が走る。その閃光は点から線になり、看板の表面を走った。


「できた」


 看板には文字が刻まれていた。さっきの魔法はレーザーのようなものだろうか。表面に文字を焼き付けたように見える。


「そんなことできたのか、意外と魔法が得意だったりするのか?」


 今までアルカルカと過ごしてきたが魔法を使うところは見たことはなかった。


「覚えてない。こんな事できないかなと思ったら、《レイネス》思い出した」


「記憶を失う前は結構な使い手だったのかもな」


「そうだと嬉しい。役に立てる」


 アルカルカは俺に微笑みを向けた。普段は呑気で惚けたやつなので気にしていないが、改めて見るとアルカルカは相当可愛い部類に入る。それだけに彼女に魔法が効かないのが悔やまれる。治癒魔法さえ効けば俺の粗雑な手術痕は消せるというのに。

 

「なら、後でひとつ試してみよう。《エイン》って魔法は出来るか?刃物を鋭くする魔法らしい。」


「出来ると思う」


「よし、試すためにも家に帰るか」


「うん」


 俺とアルカルカは帰路についた。


「ちなみにあの棒、どこから貰ってきたんだ?」


「友人の家」


 初耳だ。ウーウィックに友人がいたのか。


「あんな大きいものよく譲ってくれたな」


「後払い」


「は?」


「後払いで買った」


「……買った時まだ俺たち一文無しだったはずだが?」


「大丈夫だって信じてた」


「あのな……」


「ちなみに銀貨3枚」


「結構するな……」


 看板を作ろうとしてくれた気概と、アルカルカが結構な魔法を使えるという収穫に免じ、この一件は不問に付した。

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異世界ビューティークリニック 皐月綾 @Satsuki_AAYA

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