第4話 おいでおいで

「ふぁ~」

 寝起きの体を起こし、あくびが漏れる。朝の眩しい陽ざしが眼球に鋭くささる。目をごしごしこすり寝ぼけ眼を強引に開く。

 7月だ。梅雨のじとっとした空気も乾き、熱を持ち始める。これから一揆に気温は有頂天になるだろう。築数十年の木造アパートに設置されているおんぼろクーラーで今年の夏も越せるのか不安になってきた。

 寝起きの佇まいを正すため、洗面所へと向かう。ふと学習用においてある机の上に置かれたカレンダーに目をやる。


「あー。今日の夜は奇士談倶楽部か」

 

 いい歳をした大人たちがオカルト話を宴の肴とし、自分がバイトしている喫茶店"四辻"に集う。定期的に行われているその怪しい集まりに自分が給仕として参加するのが習慣になってきており、オーナーの生田目さんの友人である木道さんからはすでに名誉会員のお墨付きをいただいている。

 自分にとってせっかくの日曜日にと思うところがないわけではないが、オーナーから休日出勤の特別手当をもらえるとあれば話は別である。

 ただでさえ貧乏な学生の身分で、わざわざ都内の大学に通っている。分不相応だといわれればそうなのだ。元々家計に余裕があるわけでもない家に生まれたのだから高卒で就職することを見据えていただけだが、親に大学くらいは出てくれと頭を下げられては仕方ない。学歴なんて分相応の幸せを手に入れるには不要なものだと思ってはいても時代錯誤の思考にとらわれてしまった親の思いは汲んでやらなければならない。そんなこんなで学歴を手に入れるだけのために通っている大学だが、親からの支援は雀の涙、一人田舎から都会にほっぽり出された自分からするとため息しか出ない。日々バイト暮らしのろくな学生生活ではないし、卒業したらしたで待っているのは奨学金という名の多大な借金返済生活。先を思うと陰鬱になってくる。

 ぐぅ~。鬱々とした未来を考えていると自分の心より先にお腹が悲鳴を上げてしまった。そういえば昨日の昼から何も食べていない。


「日曜日だしどっかに食べにでも行こうかな」

 

 普段ならそんなことはしない。少しでも節約をして生活費を浮かそうと躍起になるところだが、今日は外のほうにおいでおいでと"手招き"があった。ならその"招き"に応じよう。


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 この"手招き"が見えるようになったのはいつの頃からだろう。見えるようになったきっかけははっきりと覚えているのに、それがいつの頃の出来事か、よく覚えていない。子供の頃の出来事いうことくらいだろうか。


 確か、小学生の頃の夏休み、うだるような熱気が支配する8月中旬の頃だったろうか。夏休みのお盆の頃、両親と田舎の祖父母のもとに帰省していた。祖父母は畑仕事、子供の自分はゲームセンターも無ければショッピングモールや遊園地もない、一緒に遊ぶ友人すらいない、このド田舎が割と気に入っていた。

 延々と広がる田畑、奥に行けば昔城でもあったかのような石垣が脇に積まれたあぜ道や何段あるかもわからないような石段、そしてその上にある未だ厳格な雰囲気を残してはいるものの、あまり整備されている様子のない寂れたお寺など、趣のあるものならなんでもあったからだ。

 

 自分は一人でも拾った木の棒片手に探検と称してよくそのあたりを走り回っていたものだった。


 そんな祖父母の家であくる日も冒険を楽しんだあと、疲れてぐっすり眠っていた時のことだった。急に辺りが明るくなったのだ。もう朝がきたのかと気怠いからだを起こした。寝室を出たすぐの廊下に鎮座ましましているアンティーク調の大きな置き時計は二時半を指していた。隙間風が吹くような石壁や、ところどころトタンで修復されている日本家屋の祖父母の家には不釣り合いだといつも感じていた。


 こんなに外が明るいのに、父も母も、畑仕事で朝が早い祖父母でさえ起きていなかった。まぁみんな寝坊することもあるのだろうと思い、パジャマから着替えて朝食の声がかかるまで外に遊びに出ようとしたときだった。玄関の扉がおおっぴらに開いていたのだ。田舎なので扉自体が空いているのはよくあることだったが、虫が入ってくるので網戸を締めているのが普通だったのだが、そのときはその網戸ですら開いていた。


 もっと不思議なことがあったのだ。玄関の先で誰かが"手招き"していたのだ。おいでおいでと青白く長い手だけが見えた。体が見えないように玄関の枠の外から腕を出して大きく揺らしていたのだ。


 友人もなく、自分が呼ばれることなんて、祖父母か両親くらいだったにもかかわらず、自分はこの手招きに興味がそそられ、招かれるがままに駆けだしていた。


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「おっちゃん。唐揚げ定食一つ」

「はいよ!」

 外に食べに出てきたはいいものの、いざ新しい飯どころでも開拓するかなと意気込んだその勢いは陽ざしの強さに一瞬にして減退させられていた。そのせいか、ちょっとおしゃれな洋食屋さんでブレックファストでもと思っていたが、少し歩いたところにあった家庭的な雰囲気のする安そうな中華料理店に逃げ込むようにして入ってしまった。

 メニュー表を片手に何がいいかと悩んでいると、ここ最近口にしていないぎとっとした油ものの匂いにさらに腹が締め付けられたまらず唐揚げ定食を選んでしまった。油淋鶏や回鍋肉のほうがよかったかな?と少し考えたが、奥のカウンターに座っている作業服を着たおじさんの前に並んでいる唐揚げとそのおじさんがご飯をかっこんでる光景を目にすると自分の選択は間違っていなかったと確信する。なにより、モーニングの時間で唐揚げ定食が500円で肉体労働者も満足できる量が提供されていることも自分にとって好都合だった。


 やっぱりあの"おいでおいで"に招かれておいて正解だった。


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 手に招かれるがまま、外に飛び出した。相変わらず外は明るい。というよりも明るすぎた。光り輝かんばかりに明るい世界だった。ただ、お日様の暖かさは感じなかった。


 招かれるがままに外に出ると、その手は見えなくなっていた。おかしいなと頭を傾げつつ、もう少し辺りを探ることにした。


 周辺の景色は今まで自分が冒険した世界とは様変わりしていた。石垣の連なるあぜ道は整備されていて、田畑があったその石垣の上には背の高い黄金色の稲穂がひろがっていた。石垣自体も雑草が突き出していて過ぎ去った年月を感じさせるものだったはずなのに、今見ているこの石垣ある種芸術のような美しさのあるものに様変わりしていた。

 その石垣を下っていき、自分の背丈が埋まるくらい四方が石垣に囲まれた四辻まで向かっていった。道がそこまで広くないこの四辻は、石垣に囲まれていることもあり、カーブミラーがなければ事故多発地帯になっていただろう。その四辻の左手からまた玄関で見たあの青白く長い手が伸びていた。

 今度はちゃんと体をみてやろうとカーブミラーを探したが、いつも見ているところにあるはずのカーブミラーが見当たらない。

 おかしい。なぜないんだと思いながらも、しょうがないと思い、その青白い手に向かって走っていく。四辻の角を曲がり、ようやく誰が手招きしているのかわかる!と思ったそのときふっと手とその主の姿は見えなくなった。

 そういえばこの先にはあのお寺があったはずだ。どうせここまできたんだからそこに行こうと思いまた駆けだした。


 相変わらず周囲の景色は様変わりしていた。近所にあった米農家のおばあちゃんの家はなんとも煌びやかな御殿のようになっていたし、道の傍らに連なるように並んでいた老木たちは皆桃色の花を満開にして、花吹雪をちらしていた。畑の稲穂も黄金色の絨毯のようだった。なんとも幻想的な世界に迷い込んだものだと自身の冒険心が沸々と湧き上がってくるのが実感できた。


 陽の光はないのに、輝かんばかりの明るさは衰えていない。いつものうだるような暑さがなく違和感はあったが、これはこれで過ごしやすいものだった。

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「う~。まだお腹いっぱいだぁ」

 お昼を過ぎてもお腹の張りが収まらない。あの中華料理屋、コスパは最高だった。唐揚げも外の衣がパリパリ、噛んだ後の肉汁があふれ出してくる。家で作っていても再現できないような食感でやっぱり外でたまに食べるのもいいものだと実感したものだ。

 しかし、店主のおじちゃんはどうにかならんものか。お前、やせてんねぇ!もっと食いねぇ!っと勝手に唐揚げとご飯を追加していく。わけぇもんがこねぇから嬉しくてよぉ!とがはははと3回おかわりを追加されてしまったときは白目をむきそうだった。


 今日は奇士談倶楽部があるから17時までになんとかしなくては。そう思ってベッドに転がり、気分がまどろみ始めていく。


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 とうとうお寺の前の石段までやってきた。いつもの雑草がぼうぼうと生え散らかしていたはずの石段はそれはもう荘厳な雰囲気をかもしだしていた。石段の脇にはなかったはずの石灯籠には灯がともっており、灯篭の間には等間隔で桜の木が咲いていた。その石畳を上っているとなんだか自分がお大臣にでもなったような気分だった。いつもは上りきると少し肩で息するくらいには疲れていたのに、今は全然疲労など感じない。


 そして一番上まで登ってきた。今までいろんなものが劇的に変化しているだろうと期待していたのだが、肝心のお寺は寂れたままだった。


 少しがっかりした。ここまで幻想的なまでの世界だったのに急に現実の世界へと引き戻された感覚があった。しかし、その寂れたお寺の本堂の入口でまたあの青白い手がおいでおいでと手招きをしていた。枠が歪んで空けることができないはずの本堂の戸が引かれていて、真っ暗闇の中から青白い手だけがはっきりと見えた。今までの高揚感が一気に冷め恐怖すら感じるようになり、足踏みをしてしまう。ただ、やはり誰が手招きしているのかと気になり、足を前に突き出した。

 

 木造のギシギシと軋む階段を4段あがり、本堂に入る。いままでこの中だけは見たことがなかった。中身に興味はあったが、今はそれ以上に誰が手招きしていたのかが気になっていた。


 しかし、本堂の中は真っ暗の闇だった。本当に何も見えないくらいに暗く、いままで輝かんばかりの眩しさの中にいたとは思えないくらいの闇。ぴしゃりと本堂の戸が閉まる音がした。だが、暗闇の中でどこが本堂の戸なのかがわからなくなっていた。どうして。なぜ。疑問が募るごとに恐怖が増す。そんな自分を笑うようにケタケタケタと嘲笑うような声がする。


 耐えきれずに泣き出してしまう。どこが出口なのかわからないまま駆けだした。しかし、延々とどこにも到達することがない。どこかに向かって走っていれば壁にくらいぶつかってもいいはずなのに、そこまで走り回れるほど広くないはずなのに、どこにもたどり着けなかった。わけもわからず一生懸命走った。


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「おっと。そろそろ行かないと。間に合わなくなる」

 張り裂けんばかりのお腹を落ち着かせるため、一休みしたあと、奇士談倶楽部の始まりまでやることがなかったのでベッドに寝転がって本を読んでいたらいい時間になっていた。


 ワイシャツとジーンズに着替えて、最低限の身だしなみを整える。財布やケータイをもって外に出る。間に合わなくなると言っても急がなければいけないほどではない。アパートの駐輪場に行き、ママチャリにまたがり駆けだす。まだまだ明るい時間だ。


 なんだか今日は気分がいい。鼻歌でもうたいながら自転車をこいでいく。


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 どれだけ走っただろう。もう疲れて足も動かない。どうしようもない暗闇の中で一人うずくまる。


 少し経ったくらいからだろうか。うずくまりなきべそかいていると、ふと頭に重さを感じた。誰かの手が頭をなでる。誰だろうと顔を上げる。そこにはお遍路さんのような服を着た若い女性の姿があった。よくわからないままに立ち上がる。するとその女性から手を差し伸べられる。もう縋るものがないなかで、この手を取る以外に選択肢はなかった。


 そのまま前へと歩き出す。なぜかこの女性についていけばなんとかなるような安心感があった。どこへ行くのか、どこへ連れていかれているのかわからないままずっと歩いていると、なんと本堂の戸があるところにたどり着いた。そしてつないでいた手を離し、女性は戸を開け外に出る。そしてこちらを振り返り、おいでおいでと手招きをする。今までと同じように招かれるがままに駆けだしていく。


 すると、さっきまでどうやってもどこにもたどり着けなかったのに、あっさりと寺の外にでることができた。お遍路姿の女性はにっこりと笑いまた手を差し伸べてきた。またその手をつかみ石段を下りていく。


 不思議なことに、外はいつもの田舎風景に戻っていた。石灯籠もなければ桜の木もない。田畑は緑のままで黄金色の絨毯など跡形もなくなっていた。なにより驚いたのは辺りは真っ暗だったのだ。あんなに光り輝いていたのに、今では輝いているのは満天の星空くらいだ。


 歩いていくとどうやらこの女性が歩いている方向は自分の家の方角に向かっているようだった。一体この女性は誰なんだろう?あんな寂れた寺にお遍路さんが来るとは思えない。ただ、なぜだろう。この安心する感じは。握っている手がとても暖かい。顔をよく見ようと見上げると女性もこちらに気づいてか顔を見つめてくる。優しい顔の女性で、ぱっと見で歳はわからなかったがとてもきれいな人だった。優しく微笑むとえくぼのできるその顔がとても可愛らしかった。


 すると唐突にその女性が立ち止まる。それにつられてつんのめりそうになるが、女性の白い手にひかれなんとか立ち止まる。どうしたのだろうと女性の顔を見上げると険しい顔をして前を見据えている。何を見ているのか気になったので前を見てみるとそこはいつもの四辻だった。石垣が四方に積まれており密閉されている空間。カーブミラーがなければ事故多発地帯。さっき通ったときにはなかったのに今ではカーブミラーが存在している。その四辻に奇妙なことが起きていた。七人人が並んでいるのだ。真ん中に長い髪で顔が隠れた女性が一人、その左右に三人づつ子供が俯いて並んでいる。


 七人をきつく睨む女性。子供たちは手をつないでいるが真ん中の女性はだらりと手を下げたままだった。真ん中の女性はおもむろに手を前に伸ばし、手招きしてくる。いままでの青白い手と違い、赤黒く穢れた手だった。爪は剥がれ、皮膚はめくれ、指先に何か赤い液体のようなものが滴っていた。


 その手がすごく気持ち悪かった。その女性は手招きしながら口角を上げ、奇声のような、耳奥がかきむしられるような笑い声をあげていた。


 その異様な光景に恐怖していたのに目を離すことができなかった。ふと手が強く、ぎゅっと握られる感覚があった。隣の女性がこちらを向いていた。さっきみたいにきつい鋭い視線は消えており、またあの可愛らしい笑みに変わっていた。女性はかがみ、握っていた手にまたもう一方の手を重ねるように自分の手を包み込む。包むようにして握られた手を女性は女性の額へと手を持っていき、何か祈るような仕草をしていた。口も何かつぶやいているかのように動いていたが、声は一切聞こえなかった。


 すると祈りが終わったのか、ふと立ち上がり、また片手で手をぎゅっと握り前へと歩みだす。何が何だかわからず、自分はその女性の顔を見上げながら、その歩みに追いついていこうと必死だった。そしてその七人が並ぶ四辻の中央へと来たかと思うとそのまま右へと向きを変え歩いていく。つられるように歩いていく。ケタケタという奇声のような笑い声が一際大きくなったように感じたがそれは一瞬で、すぐに聞こえなくなった。


 四辻の道を過ぎ去り道をまっすぐ過ぎ去っていくとふと手を握っていた女性が立ち止まる。どうしたのかと顔を見上げる。女性は優しい顔をこちらに向けて、握っていない方の手で道の先を指さした。指さした方を見つめるとまたあの青白い手がおいでおいでと手招きしている。女性とその青白い手を交互に見返す。


 女性は握っていた手を離すと、ポンッと自分の背を軽く打つ。ここからは一人で行けということだろうか。女性の方を見るとまたさっきと同じように、えくぼをたたえながら可愛らしい笑顔でこっちを見る。バイバイと女性は手を優しくふる。それに合わせて自分も手を振る。そして自分は前に向かって駆けだす。あの青白い手の招く方へと。


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 あの出来事以来からだろうか。今でもときどき手が見える。手は青白いものだけでなく、爛れたような手や、あの七人の真ん中の女性のような赤黒く穢れた手など様々見えることがある。自分はあの青白い手だけを信じるようにしている。そうするといつもなんだかんだうまくいくのだった。


 がちゃんと駐輪場に自転車を置きカギをかける。喫茶店"四辻"の近所にある駐輪スペースに置かせてもらい、歩いていく。日曜日の夕刻ということもあって、だんだんと休日が終わってしまう寂しさを感じてしまう。


「まぁ僕はこれから労働なんだけどね」


 喫茶店"四辻"に到着した。外観は洋館風だが、入ってみるとアジアンな感じというギャップのある店だ。だが、そんなあべこべな感じも、オーナーのセンスの良さからかいいようにマッチしている。実際に客からの評判もいい。少し高級感もある店で、学生が軽く飲み食いに凝れる店ではない。自分には縁のないような店だ。


 裏手の従業員入口へと回り込む。不用心にも扉は開けっ放しだった。いつもそうなのだ。なぜか自分がバイトのときは開けっ放しだ。それでもなぜ自分がこの店で働くようになったのか。それの答えがここにある。


 青白い手が、扉の先でおいでおいでと手招きしているからだ。



































 



















 































 

 







 





 

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