「盤王」が現実を越えてくれた

(注)『バンオウ-盤王-』に関するネタバレがあります



 現実がすごすぎて、しばらく将棋に関する創作は苦難の時を迎えるのではないかと思われた。男性棋戦では藤井七冠が誕生。次々と記録を塗り替えている。女性棋戦では、里見・西山の二強がトップ争いを続ける。また、個性豊かな棋士も多く、彼らを越えるキャラクターを創り出すのも容易ではない。

 もはや、強さを追求する物語も、キャラクターを押し出す物語も将棋を舞台にしては描きにくいかもしれない。私のようなアマチュア創作者はともかく、プロの作家にとって将棋の世界は「描きたいけれどヒット作を出しにくいもの」になっていると感じていたのだ。



 そんな中現れたのが「バンオウ-盤王-」である。アマチュア強豪がプロ棋戦でトップを目指すという構図は、そこまでならば誰もが思いつくだろう。しかし単に「とても強かった」というだけでは、魅力的な物語とはならない。

 「盤王」の主人公月山は、吸血鬼である。だが、血を吸って能力を奪うとか、敵を誘惑するとか、そんなことはしない。ただ、長生きなのだ。ひたすら将棋と向き合ってきたことにより、プロとも渡り合える力を持った。他者より努力できる時間が圧倒的に長かったのだ。

 月山は将棋が、そして将棋界が大好きなようである。対局相手のことは常にリスペクトしている。吸血鬼ハンター以外は、明確な「敵」はいない。そしていつの間にか吸血鬼ハンターも一緒に将棋を楽しんでいる。

 そんな月山だが、プロとして活躍するのは難しいだろう。すでに周囲に、長い間容姿が変わらないことを疑われ始めている。彼は、人間と同じ時間を生きていない。「不死」にまつわる物語には、繰り返される別れがつきものである。彼にとってもそれは変わらなかっただろう。しかし、変わらず「将棋界」はあったのだ。吸血鬼を満足させるほど、長い間変わらず、そして変わり続けて存在する将棋という世界。

 だが、この物語はそんな彼と将棋界との関係を終了させるものでもある。月山は自ら、将棋の世界に参加してしまったのだ。すでに最強のアマチュアとして、歴史に名を刻んでしまった。彼の好きな世界は、彼自身によって書き換えられた世界になってしまったのだ。

 それでも彼が守りたかったのは、彼の周囲にあった市井の将棋の世界である。彼の目的が達成されるかどうかにかかわらず、月山は表舞台からは姿を消すことになるだろう。しかし彼の人生はこれからも続いていく。彼は一人の棋士が生まれてから死ぬまでを知っている。ずっと、尊敬し続けて、失って、また別の棋士を尊敬するのだ。

 最も将棋の世界に愛を注いだ者。これからも注ぎ続けるだろう者。そのようなフィクションは、今の時代にとてもマッチしている。


ちなみに、私は次のような短歌を詠んだことがある。



火の鳥を捕まえたいと思ってる藤井聡太を見届けるため



 私が私より若い棋士の生涯を見届けることは難しいだろう。火の鳥の血を飲めば、死ぬことがないという。月山は、何人も見届けるのだ。なんとうらやましいことだろう。いや、何度も棋士がいなくなることを見届けるのは苦しいかもしれない。

 これだけ様々なことを考えさせてくれるのは、確実にいい作品である。『バンオウ-盤王-』という物語は、確実に見届けたい。



参照 綿引智也『バンオウ-盤王-』 集英社


 


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