電王戦で永瀬拓矢が人類にもたらしたもの

 人間とソフトが将棋で戦う電王戦において、もっとも衝撃的な人間の勝利は永瀬拓矢のものだろう。有利な局面を築いただけではなく、角が成れる局面での「角不成」によってソフトのバグまで明らかにしたのである。私はその日用事があって対局をリアルタイムでは見れなかったのだが、ことの顛末を知った時に「良くやった!」と思ったのである。


 2015年の時点で、ソフトもハードも進化し、将棋ソフトがプロを越えつつあるのは周知の事実となっていた。プロであっても、普通に読み合いになったら勝てない状態になっていただろう。人間側としては、「ソフトゆえの弱点をつけるか」という局面になっていたと考える。

 プロ側は事前にソフトと練習対局ができることになっていた。いかにソフトと対峙し、その弱点を探し出すことができるかが問題となっていたが、永瀬はまさに適任者であったと言えよう。とにかく、努力を厭わない人間なのである。しかし、本来その努力は別の方向に向けられるべきものだったことも確かだ。


 永瀬は鈴木大介九段に出場する意志を伝え、鈴木は「慣れないソフトの研究で生活はメチャクチャになるだろうし、公式戦も勝てなくなるかもしれない」と説いたが、それでも永瀬は出場を決めた。(文芸春秋『Number 1044号』p.61)そして対人の研究をやめ、1日十時間、延べ800局のソフト対局を行ったのである。

 そして永瀬は、偶然角不成のバグを発見した。偶然とはいっても、腕が疲れていたのが原因とのことなので、努力の結果訪れた偶然ともいえる。将棋において成れる角が成らない方がいい局面はめったにない。打ち歩詰回避で考えられるが、プロの実戦では十数年に一局あるかどうかだろう。永瀬の対戦したソフトのseleneは、そんなめったにない局面を読まなくていいようにしていたのだ。確かに「自分が」最善手を探す上ではそれでいいのだが、相手も同様に考えてくれるとは限らない。アマチュアでは角不成を指す人はたくさんいる。

 ただ、永瀬は角不成だけで勝とうとはしなかった。一度目のチャンスは見送っているのである。あくまで、「勝ちの局面において」「角不成のチャンスがあれば」指そうと決めていた。そして実際そのチャンスは訪れた。永瀬の努力が報われたと言えるだろう。


 私は将棋ファンとしてというより、研究者としてこの結末に感動した。というのも、現在すでにそうなりつつあるが、人工知能が人間の能力を超えると、その結果が最善だと人は信じ込んでしまうのである。バグにより間違った結果が出ていても、疑わずに信じてしまう可能性が高い。しかし思わぬバグはどんなソフトにもあるものである。そして今後、人命にかかわるような状況で人工知能が利用されるようになれば、「バグを見つけられるか」はとても重要になる。

 たとえば、自動運転の車が事故を起こしてしまった場合。自動運転を信用しきっていれば、事故の原因は別のところにある、場合によっては被害者の過失と「思い込んでしまう」かもしれない。だが、自動運転の中身に問題がある可能性は捨てきれない。「そんなはずがない」という言葉に対して、私たちは指摘することができる。「昔、将棋の電王戦というものがあって……」


 私は、電王戦があと一年は続いてほしかった。大将戦の結果も踏まえて、「将棋ソフトは自らの敗北の原因を修正できるのか」が知りたかったのである。これが修正不可能であったり、人間側が新たなバグを発見するようならば、今後の人工知能の発展にも影響を与える出来事になると考えていた。それはつまり、ソフトが乗り越えられれば、今後の人工知能の活用のためにも明るい材料となったはずである。

 団体戦が終わり個人戦になったことにより、興行的なことも考えて「バグをつく」という戦い方自体がしにくくなると予想された。2015年の第5局、序盤でのソフト側の投了後の重苦しい空気は、人間にも呪縛となっていたはずである。私の中では、「研究者としては」個人戦の二年は電王戦にはあまり興味が持てなかった。棋士側が角不成や阿久津八段の採用した角を打たせて捕獲する戦法を採用しない限り、「ソフトが読み勝って勝利する」以外の結末が想像できなかったのである。


 公の場において、ソフトがバグを乗り越えられたのかどうかはわからないままとなった。当然将棋ソフトは進化し続けており、「そんなことはとっくに乗り越えた」のかもしれない。しかしだからと言って、想定外のバグがなくなったと断言できるわけではないだろう。やはり最高の頭脳を持つプロ棋士が「ソフトの弱点を必死に探してくれる」というだけで、電王戦は興奮せざるを得ないイベントだったのだ。

 永瀬は「今同じ状況があってもやらないですけど……」(同上)と言っている。しかし私は、機会があればぜひやってほしい、と思ってしまう。永瀬ならば、今の将棋ソフトに対しても何か発見してしまうのではないか、そんな気がするのだ。もちろん、大きな犠牲を払わなければならないので、実際にはやめてほしいという気持ちすらある。研究者としての私と将棋ファンとしての私が、頭の中で取っ組み合いのけんかをしそうである。


 永瀬は、人間より強くなった将棋ソフトに対しても、「勝利することができる」ことを示した。それは他の場面に当てはめれば、偶然そういうことが起こってしまうかもしれないことを意味していると考える。人工知能にコントロールされた場所で、なんらかのきっかけで開かないはずの扉が開いたり、止まるはずのものが止まらなかったりということは「起こるかもしれない」のだ。

 私は、電王戦に向けての永瀬の努力によって、人類に対して貴重な警告がもたらされたと思った。できれば、それを乗り越えられるところまで電王戦は見せてほしかった。私はいまだに、どんなに素晴らしい人工知能の話を聞いても、「でも角不成もあるしな……」と思ってしまうのである。

 永瀬の勝利が警告となるならば、多くのミスが未然に防がれることにもなろう。永瀬は、人類の未来に貴重な財産をもたらしたかもしれないのである。大げさに言っているのではない。あの対局は、「それほどのことだった」と私は感じるのである。

 

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