「電王手くん」の衝撃

注 2014年の記事です


「セイフ」という小説を書いたのですが、この作品を書くきっかけになったのは「電王戦」でした。将棋の人間とソフトが戦うというイベントなのですが、実を言うと私はどちらが勝つかにはそれほどの興味はありませんでした。

 私はSF的な物語は好きですが、あくまで「フィクションであるからこそ」好き、という部分があります。漫画や映画に描かれていたようなことが実現すると、それはそれで興味がわくのですが、「で、それは何のためにあるの?」と思います。特に人型ロボットなどは、それを強く感じます。アトムやドラえもん、ガンダムやパトレイバーなどにあこがれてロボットを作る人は多いようです。しかしもし本当に実現したとして、開発者はロボットによって生じる負の側面も背負いきれるのでしょうか。先行するフィクションを免罪符にして「憧れるんだからしょうがない」と、ロマンがロボット開発の燃料になっている気がします。

 憧れの対象であるアトムですら、悲しい存在として描かれています。死んだ息子の代わりとして生み出されたロボットは、結局彼の代わりとはなりきれず、開発者から見捨てられます。そして人間を超えた力を、人間のために生かすようになるのです。ここでは、私たちが直面するであろう未来の問題が予知されています。人間と同様の能力があっても、ロボットは人間のようには扱われないかもしれない。そして、人間と同じではとどまらず、人間を越えた能力を与えたくなるかもしれない。そして人間と同様の思考力があるにもかかわらず、「自分のために」という選択肢を選ぶ自由がはく奪され続け、それが自己矛盾として現れるかもしれない。

 すでに人間は多数存在しており、人間は人間を生み出すことができます。「人間と全く同じものを作り、全く同じように扱う」需要はないように感じます。ですから、ロボットが究極まで人間に近づいた先には、「アトム的問題」はどうしても避けられないように思います。それが予想できるならば、「ロマン的衝動」によってどんどん開発がすすめられるのは、どうにも怖いと思ってしまうのです。

 ロボット開発が進み、便利になることもあれば、助けられる人もいるでしょう。目的がはっきりとしていて、求められる機能に特化して開発されるロボットに関しては、楽しみにしています。例えば介護用ロボットは、高齢化社会において多くの人を助けるでしょう。そしてそのロボットの多くはおそらく人型ではありません。その場面において求められる機能を追求すると、人間を参考にしながらも別のものになっていくはずです。「足なんて飾りですよ」というガンダムの有名な台詞がありますが、ロマン的な要素を排除すると、ロボットが人型である理由は失われていくのです。

 そのようなこともあって、私は以前から次のことを考えていました。「将棋を指すロボットはどのようなものになるのか?」きっかけは『将棋世界』に載っている四コマ漫画に出てくるソフト搭載の将棋ロボットが、人型なのに違和感を覚えたことでした。どうしても私たちはコンピューターソフトからロボットを連想し、そのロボットは物語に出てくる人型ロボットになってしまうようです。しかし機能的なことを考えれば、足も頭も必要ないはずです。これだけソフトが進化しているのに、将棋ロボットのイメージが人型なのは時代遅れ過ぎないか? と思っていました。

 しかし実は、すでに何十年も前に将棋ロボットを考えていた人たちがいました。藤子不二雄です。『ドラえもん』には、「セルフ将棋」というひみつ道具があり、その形は人型からはかけ離れています。盤にモニター、そして将棋を指すための一本のアーム。「将棋を指す」という機能を第一に考えた、素晴らしいデザインだと思います。そしてなんと、そのひみつ道具を実際に作ろうとした人たちがいます。富士ゼロックスの「四次元ポケットプロジェクト」の第一弾に、セルフ将棋が選ばれたのです。

 苦闘の末に、実際にセルフ将棋は完成します。これには私も「ロマンが動かす未来」の可能性を感じました。そして実際に盤を挟んで一人で将棋ができる未来は、求められるであろうとも思います。老人ホームにセルフ将棋が並ぶ未来が来るかもしれません。

 しかし、話はこれだけでは終わりません。そう、ここで冒頭の「電王戦」に話がつながります。第三回電王戦において、ソフト側の指し手をロボットが担当することになったのです。そしてその姿を見て、私は非常に驚きました。それは、「腕」だったのです。将棋を指すことを考えれば、必要なのは確かに腕だけです。ロマンが介入すれば、どうしても人型ロボット的な何かを付け加えたくなるものでしょう。しかし開発元のデンソーは、「手で全てする」ことが答えだと考えたようです。

 しかも、そのロボット、電王手くんは駒をつかみさえもしません。駒を動かすためには吸盤で吸い付けるのがいいということになったのです。人間の腕を参考にしながら、指の機能は再現しない。そして彼は、腕のみでお辞儀もします。人間のかたちではなく、作法を再現したのです。

 私は、これほど美しいロボットを見たことがありませんでした。人間の文化を再現するために作られながら、目的の実現を第一とし、しかもシンプルなデザインで、動きはどことなくかわいらしい。全く新しい「何か」が誕生したのだと思いました。そしてこのロボットは、人型でないにもかかわらず私たちの心を動かすことができて、いずれ私たちの中に普及していくのではないかと考えています。移動するために自動車があるように、髪を乾かすためにドライヤーがあるように、ゲームをするために電王手くんがある未来。

 考えてみると、同じような「かわいらしさ」を感じるものが流行していました。「ルンバ」です。ルンバは自動的に掃除をする機械であり、目的を追求した結果あのような形になっているはずです。しかしルンバが動く様子は愛らしく、新種のペットのように思っている人も多いようです。動物を模したロボットがあまり売れなくなっているのに対して、「新種のもの」にかわいさを感じるというのは、なかなかに示唆的なことだと思います。

 既に存在するものを模倣するロボットも、どんどん開発されていくでしょう。しかし私は好みとして、新しい可能性を感じさせてくれるロボットの登場が楽しみです。機能に特化しており、新しさが感じられるほど、私はワクワクします。そしてその新しいものがどんな未来を提供してくれるのか、それを想像してみたくなります。その想像の一つのかたちとして書いたのが、「セイフ」なのです。

 本当は、もっと未来を先取りして、生まれてくるであろうロボットそのものを予測したい気持ちがあります。私たちがこれまで見たこともない形のものの、可能性を探ってみたいのです。まあ、結局は私も「ロマン」を燃料にしているのですね。


カクヨム版追記

「セイフ」は『エンター』https://kakuyomu.jp/works/1177354054883793588に収録されています。


初出 note(2014) https://note.com/rakuha/n/n0aa901c1a7c3

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