一般棋士2.0

 将棋がブームだと言われる。多くの人が将棋を指し、観戦し、将棋について語り合う。その熱は日ごとに増しているように感じられる。ただ、ブームはいつか終わる。以前も羽生七冠の誕生によりブームと呼ばれた時期があった。子供を将来プロ棋士にするため、無理やりルールを教え込み大会参加させる親のドキュメンタリーなども放送されていた。しかしその後、ブームはしぼんでいった。羽生七冠はすぐに六冠になり、将棋棋士を目指すことはマイナーな夢に戻ったかに思える。

 あの頃のように、将棋に対する熱はすぐ冷めてしまうのだろうか。確かにいつまでも膨らみ続けるブームというのは存在しない。しかし多くの人は、「今度は少し違う」と感じているのではないか。何が違うのか。本稿では、そのことについて検証する。


  以前は「将棋ファン」といえば、将棋を指す人のことであった。道場や学校、職場のクラブで将棋を指す人々は、その延長としてプロの将棋に興味を持ち、雑誌や本を買っていた。将棋を指していてもプロの世界を知らない人は多くいた。逆に、将棋を知らない人にとってプロの世界はほとんど知られていないものだった。

 そんな中、私が最初に状況の変化を感じたのはネット掲示板と、将棋に関するホームページの登場だった。掲示板に将棋ファンが集い、特定のテーマについてスレッドを立て、語り合う。そのことは情報の共有化をもたらした。中にはアマチュア将棋界についてのスレッドも立ち、大会の速報や特定地域の状況などについても知ることができた。あるプロについてのスレッドが立てば、そのプロのプロフィールや成績、今後のスケジュールなどを知ることができ、ファン同士で応援の言葉を掛け合ったりもすることができるようになった。またホームページが作られることにより、様々な将棋コミュニティの状況も知ることができるようになった。私も大学の部のホームページ管理人をしていたので、他大学のホームページを巡ってかなり研究した。普段全国大会に出られないような部のことは、ホームページができるまではほとんど知ることができなかった。しかしホームページにより、その部の成績、部員数、普段の活動や部員の趣味まで知ることができるようになった。

 インターネットにより、様々な将棋コミュニティが結びつくこととなった。また地域に一人きりの将棋ファンが、地域を越えてコミュニティを作ることができるようになった。将棋を知るきっかけも増えたが、将棋を続けるモチベーションの維持にもインターネットは寄与したはずである。そして、その最たるものがインターネット道場の登場だった。インターネット道場は、世界中の人々が無料で将棋を楽しむ場を提供した。わざわざ地域の道場やクラブを探さなくとも、将棋を楽しむことができるようになったのである。

 インターネットがもたらした入口の多様化と情報や楽しむ場の共有化により、将棋ファンは増え、やめるファンは減ったはずである。しかし、それはブームを呼び起こすうえでの土台に過ぎなかった、と私は考える。ここまで述べてきたのは、インターネットを利用してファンが作り上げてきたものについてであった。しかし本当の変革は、将棋を魅せるプロたちの側が動いた時に訪れた、と私は考える。

 最も大きな変化は、インターネット中継である。それまでプロの将棋は、リアルタイムからはかけ離れた見せ方をされていた。ある時に指された将棋は、時間が経ってから新聞や雑誌に棋譜が載せられる。連盟ホームページができて結果だけは次の日に知ることができるようになった。しかしその将棋の中身がどんなものだったか、棋士はどんな様子だったか、どれぐらい時間がかかったのか、何も知ることができなかったのである。

  これだけならば、他の競技と変わらない、と感じるかもしれない。マイナーなスポーツなどはテレビ中継もなければ、次の日の新聞に結果が載らないことだってあるだろう。しかし、ほとんどの競技には観客席がある。現地まで行く、お金を出すなどの労力を払えば、リアルタイムで楽しむことができることである。将棋にはそのような楽しみ方がなかった。現地で数分だけ見学できることや、A級最終日のテレビ中継などはあったが、非常に限られたものでしかなかった。インターネット中継ができたことにより初めて、将棋は観客席を手に入れたのである。

 インターネット中継により、私たちは将棋が行われている現場にリンクできるようになった。棋譜が更新されることは、更新されない時間をも実感させてくれる。それまで「1時間の考慮時間」はぼんやりとした「長いなあ」という感想しか導き出さなかった。しかし1時間実際に棋譜画面が動かないことにより、私たちはその時間の長さを1時間かけて味わうことができるのである。「深夜に及ぶ激闘」も、実際に深夜眠たい目をこすりながら見ることにより、非日常的な長さで戦っていることが感じられるのである。

 さらにネット中継は、現場の空気感まで伝えてくれる。将棋会館の部屋割り、棋士の衣服や持ち物、控室の様子。これらは新聞記事であっても多くが削り取られていた部分だろう。それらの多くが見えるようになるにつれ、ファンはその現場に対してさらに多くの興味を持って行ったはずだ。そしてプロ棋士一人一人の個性も可視化され、棋譜だけではわからない魅力に取りつかれていった人も多いだろう。

 ネットの登場により、プロ将棋の見られ方は変わった。そして見せることが仕事である以上、そのことはプロ棋士の在り方自体を変えたともいえる。それまでの棋士は、棋譜が文字化されることで商品を作り出していた。中にはファンの目に触れる棋譜がほとんどない棋士もいたはずで、ファンのほとんどがその人を知らないということすらあり得た。しかしインターネットにより、ほとんどの棋士の情報を手に入れることができるようになった。将棋年鑑や新聞をしらみつぶしに探さなくとも、インターネットで検索することにより全ての棋士の棋譜や人となりを知ることができるようになった。そしてネット中継の登場により、全ての棋士はリアルタイムで中継される対象となった。少なくとも順位戦に参加している棋士は年に複数局が中継されるし、モバイル中継の登場によりそれ以外の棋士も中継の対象となった。

 棋士は自らの棋譜だけではなく、自らの在り方を売ることになった。それは一部のスター棋士だけではない、一般棋士もがそのように変わったのである。ネット中継以後一般棋士の在り方が変わったことから、ここではかつての一般棋士を一般棋士1.0、新しい一般棋士を一般棋士2.0と呼ぶことにしたい。


 一般棋士2.0とは、どのような存在なのか。

  棋譜以外も見られるということは、その人自身の魅力が伝わりやすいということでもある。たとえば意外とファッションにこだわっているとか、様々な飲み物を用意しているとか、相手に気を遣っているとか、そういうこともファンにとっては興味の対象なのだ。ただ、いいことばかりではない。棋譜だけならば好感が持てていたのに、対局態度は……などという感想を持たれることもあるだろう。しかしこれはプロの競技者ならばほとんどの者が有しているリスクである。私たちはプレイヤーの出す結果だけを楽しみにスポーツを見たりはしない。ガッツあふれる姿勢やファンに対する気配り、活躍後のパフォーマンスなど、多くのことが興味の対象になる。この意味で一般棋士2.0は、他の競技選手がもともと有していたアドバンテージやリスクを遅ればせながら持つようになったのだ、と言える。

 一般棋士2.0は、当日見られていること前提のプロモーションなどをするようにもなる。例えばブログで記事を書くときなどは、「(みなさんご存知のように)昨日の対局は……」と書くことになる。これまでならばファンは知らないことが前提だったのだから、これは大きな変化と言えるだろう。また、対局の前に準備を知らせることもできる。研究会のことや就寝時間など、どんなことも対局当日に「ああ、あのことがここにつながっているのかも」とファンに思ってもらえれば、情報を商品の一部とすることに成功しているだろう。

 さらにネット中継は、ファン同士の結びつきも変えた。ここには、ツイッターなどのSNSが大きく関わっている。掲示板と違い、SNSにおいて人々はある程度の自己同一性を維持したまま、姿の見えるファンとして発言している。たとえ匿名であろうと、あるハンドルネームで発言する人はそのハンドルネームに裏付けされた特定の個人なのである。そのような個人と個人が、現在行われている対局について感想を述べ合ったり、情報を交換したりすることができる。現場と観客席というリンクだけでなく、観客席の中でリンクが様々にめぐらされるようになったのである。

 そしてここでは、プロ棋士や将棋に関係する人々も参加して、「将棋に触れた人たち」の大きな関係性の渦が生じている。今行われている対局について、ファンとプロ棋士とネット中継者が語り合ういうことが起こっている。一般棋士2.0は、これらさまざまな人々の関係する場において、更なる魅力を引き出してもらっていると言える。

 一般棋士2.0は対局以外でも一般棋士1.0と異なる見られ方をするようになった。 例えば大盤解説会や将棋祭り、全国大会での指導対局などは、一般棋士1.0においてはその場限りの仕事だった。その日棋士が見せたものは、現場にいた人だけが享受するものであった。しかしファン同士の結びつきが強くなったことによって、イベントにおける棋士の様子が多くの人に伝えられるようになった。決して将棋では活躍していると言えない棋士が、解説や指導では名人級であることなどがファンの間に周知される、などということが起こるのである。無論逆に悪い面が知られてしまう、ということもあろうが、SNSではおおむね好意的な意見が伝えられているように感じる。ファンも隠された魅力をこそ知りたいと思っているのだろう。

 一般棋士2.0は、より多くの可能性を秘めた存在である。ただし、棋士にとってプラスとなることばかりではない。一般棋士2.0は、自発的にバージョンアップしたのではない。インターネットの発達により、そのようになっただけである。一般棋士2.0は自らを売り出す機会を多く持つようになったが、その分それまで売ることができた情報を無償で提供しているのである。以前であれば専門誌などにしか書かれていなかった情報が、今はネット上に蓄積され簡単に閲覧することができる。一次情報の多くは、それだけでは売り物にならないのである。また、ファンの間でも簡単に情報は交換され、その場で盛り上がることができる。このとき、棋士に対して何らかの還元がされることは一切保障されていない。そして対象は、プロ棋士である必要がない。対象がアマチュアでも創作キャラクターでも、ファンにとっては楽しめればいいのである。一般棋士2.0がバージョンアップを生かすには、様々な対象の中で自らこそが魅力的であるということをアピールできなくてはならない。

 それでもプロ棋士はかけがえのない存在である、と思うかもしれない。しかしインターネットの発達は、他のジャンルではプロとアマの垣根を壊してきた。例えばニコニコ動画では、アマチュアの音楽作品や、そこから派生したPV、ダンスなどの作品が大変支持されている。作品に対して、有料の広告ポイントが投入されることもある。また、そこで実力を試すためなどに、プロであることを隠して作品を投稿する者もいるという話である。

 将棋においても、このようなことが起こらないとは限らない。例えば現在行われているニコニコ生放送での解説は、プロでなければできないものだろうか? 初心者を対象にしたアマ高段者の解説や、自らも初心者である「観戦実況」のようなスタイルの、表現方法を凝ったビジュアル的な生放送など、可能性は様々に考えられる。観る方は決して最善手を解説してほしかったり、プロの見解を聞きたいとは限らないのだ。そして「魅せる」という意味では、プロ棋士以上に達者な人たちはたくさんいるのである。

 プロ棋士2.0は、対局以外の時には様々な対象と競争しなければならなくなる。将棋自体は以前よりもより広く深く受けいれられるかもしれないが、プロ棋士がプロ棋士として将棋で生きていくには、以前よりも多くの障壁が増えたと言えるかもしれないのだ。

  障壁は、実はファンの側にも増えている。現在ファンは、地域を越えてネット上で交流することが可能である。それまではなかなかイベントや道場に行けなかったり、書籍を購入できなかった人たちが、掲示板やネット道場、SNSを通して簡単に交流することができるようになった。しかしそれはあくまで、ネットという新しい場ができたということであって、それまであったものが代替されたわけではない。現代に至っても相変わらずプロの対局、イベントなどは、ある人にとっては非常に遠くで行われている。そしてネットの交流によってそのことを強く自覚させられる。さらには、ネットの交流によってイベントが行いやすい地域でのイベントがさらに増え、地域間格差が広がる様を確認すらできてしまうのである。

 このことは、将棋以外でも見られる現象である。例えばボーカロイドはニコニコ動画などインターネット上での活動を元に、地域に関わりなく、時には国境を越えてクリエイターやファンの交流を生んできた。田舎であろうとお金が無かろうと、インターネットにつなげればボーカロイドの世界を楽しむことができるのである。しかしそれにもかかわらず、ボーカロイドマスターなどの「直接会う」イベントも大きな交流の核となっている。そこでは人々が直接会って交流し、自主制作CDという「もの」を売ったりしている。ネット上の交流はあくまで一つの局面であり、現実世界での交流が廃れたわけではないのである。そしてネット上の交流により、現実世界での交流もしやすくなり、イベントがより大きく深いものになっていくことができる。このようなイベントは都市圏で開催されるため、イベント開催中は地域間格差を鮮明に感じ取る人々が出てくる。また子供であるため、貧乏であるため、多忙であるため、人付き合いが苦手なためにイベントに行けない人たちも、行ける人との格差を感じざるを得ない。ボーカロイドマスター当日には、行けない人たちがネットで「エアボマス」と称し行ったつもりになって交流をするほどである。

 将棋においても、このような傾向は見られる。タイトル戦や将棋祭りなど、各地で開催されるイベントもある。しかし新たなイベントなどはどうしても都市圏で開催される傾向にある。都市圏であればネット上でのファン同士の交流を基盤として、参加人数を確保しやすいのである。さらにプロ棋士は東京か大阪での対局をするために、どちらかに出やすい場所に住んでいる場合が多い。ファンよりもさらにプロ棋士の分布には偏りがあるとみて間違いないだろう。そのためにプロ棋士参加のイベントとなれば、開催場所も偏りがちになる。

 せっかくファンが増えても、地方在住のファンはプロ棋士にお金をかける機会自体が少ない、ということになってしまう。それを解決するために、ネット上で課金する制度を増やすというのは解決策になるだろうか? ファンは際限なしにお金を出すことはできない。「イベントに行けないから質の低いものにもお金を出すか」などと考える人はまれである。地方の人も満足させるには、無料の情報を増やすしかない。結局のところ、「より払う人からより多く」というスタイルを変えることは困難なのである。

 このことだけでは、ただ単に「今までと変わらない」に過ぎないと感じるかもしれない。しかし、一般棋士2.0は新しい対応を迫られている。なぜならネット上の反応も、多く見えるのは都市に住んでいる者から発せられているからである。イベントに参加できる人間からは多数の発信があるが、行けない人間が延々と行けないことについて語るということは少ない。そのため「好意的な反応が多数である」→「みんな満足している」と感じてしまうことにつながる。ネット上では、不満を隠して交流を楽しむ、という人も多いだろう。「地方にいる人もネットで参加している気分になっている」というのは一面では事実かもしれないが、あくまでネット上で楽しむのはその人にとって次善の策ということが多いだろう。しかし、ネットから様々な意見を拾うことはできる。それはある程度積極的な作業となるが、好意的な意見ばかりでなく様々なファンのニーズに対してアンテナを張っておく棋士こそが、新しい在り方としての一般棋士2.0を生かしていると言えるだろう。

 この地域格差は、ファンの問題だけにとどまらない。プロ棋士になるにも、どこに住んでいるかは重要な問題なのである。インターネット道場の活用により、実戦の機会の地域格差は劇的に縮まった。しかし地方在住者にとって、将棋会館までの物理的な距離は残されたままである。プロ棋士になるには奨励会を抜けねばならず、そのためには定期的に東京か大阪の会館に行かねばならない。地方の者にとって、これは金銭的にも体力的にも大きなハンデである。このことが原因で挑戦を諦めた者、年齢制限を前にして退会を決めた者もいるだろう。

 プロになる為に養成所に入る競技などは存在するが、何年もかけて通い続けるという分野は珍しい。しかも小学生の頃からその競技のプロを目指すのか決めねばならないのである。このことは他に類を見ない、将棋界独特の問題を含むと言っていい。プロになった者は故郷を離れる場合が多い。三段リーグを抜けるほどの若手は活躍するため対局数も多く、研究会のことなどを考えても東京・大阪に住むのが自然であろう。このように地方の子どもたちはプロに接する機会が少ないという事態も生じる。

 今後、普段の対局や奨励会が必ず東京・大阪で行われなければならないのか、ということが問題になってくるかもしれない。むしろ、問題にならなければならないだろう。一般棋士2.0はネット上でも商売をすることができるだろうが、ネット上だけで活躍するというのは難しい。ネット上で生まれた興味を実際の対局や指導、イベントに結び付けられてこそ多くの棋士が「将棋だけで」生きていくことが可能になるだろう。地域間の格差のみならず、年齢や性別、語学力といったものも障壁でなくなることが望ましい。 

 実際、個々の棋士においては、時代に対応すべく様々な試みをしているのである。しかし、「誰かが生き残り、誰かが取り残される」というような状況はプロ棋士にとって望ましくはないだろう。時代の追い風をどのように生かし、文化を担う集団としてどのように振る舞うか、それが大事である。ファンとしても棋士が棋士らしくいられるよう、集団として発展(最悪でも残存)するよう願っているはずである。そして私が見る限り、集団としてのプロ棋士は、ネットが生んだ新たな局面にうまく対応できているようには見えない。それは公式ページなどに行っても情報が得られにくい、今後の予定についてアナウンスが遅いもしくは間違っている(最悪ない)、テレビ棋戦などの対局結果が公式にネタバレしている、誤字脱字等ミスのある中継棋譜がそのままにされている……などの単純な局面を見てもわかることだと思う。しかし将棋以外でも多くの集団が対応できていないのだから、悲観的にならず今後何ができるかを考えていけばいいのである。

 具体的には何ができるだろうか。まずは情報収集が必要である。積極的にもたらされるコメントなどではなく、消極的なファンの反応を集めることが重要である。ブームを支えている人の多くは黙っており、流動的である。彼らがどのようなところで将棋に時間を割くのかを知るべきである。たとえば棋譜やブログなどが何時ごろよく見られているのか、誰のものが見られているのか、またリピーターがどれぐらいいるのかなどを解析することができるはずである。有料サイトに関してはそこに加えて、どのような課金の仕方をしているか、どのような人が課金をやめたのかを知るのも重要である。このようなことはすでに行われているかもしれない。しかしそれを元に何か変化がもたらされている局面は見られていない。

 また、いろいろなものを売りに出してみる、というのはどうだろうか。例えば、現在公開されていない棋譜を一つ10円で売るのである。当分はそれで儲かるかどうかではなく、どのようなものが売れるか知ることが重要である。加えて、解説付き棋譜を20円にするなど、付加価値にも値が付くような形式も面白いだろう。ファンがどのようなものを求め、どこにお金を出すのかが見えてくるからである。

 プロの側がニーズを作ることも重要だが、すでに生まれているニーズを市場に出すことこそ一般棋士2.0にできることなのだと私は考える。プロ棋士は多くの棋譜を作り出し、多くの個性的なふるまいをしている。しかし、それらの多くは隠されたままである。それらは隠すことによって価値が生まれるというよりは、ネット以前にはすべてを出すことがとても想定できず、ネット以後もそのまま放置されているものである。プロが作り出す作品である棋譜を全て見える状態にするだけでも、将棋ファンはこれまでと違う楽しみ方を見つけ出していくことだろう。

 また、すでにあるものの見せ方を変える、という方法も有効だろう。対局中継が深夜に及ぶことなどは観戦者の不満となることも多い。対局開始時間を早める、などは最も単純な変化だろう。また対局をする曜日も検討の対象となるはずである。人々がより観戦しやすい曜日を考えれば、土曜日などに持ち時間の長い対局を中継するなどの変化は十分意味のあることだろう。

 さらには、対局場所の変更……対局の巡業なども面白いかもしれない。例えばある棋戦のリーグを地方のホテルで連日開催し、そこで指導対局や小さな大会、現地解説会などをする。プチタイトル戦のようなものである。非現実的に思われるかもしれないが、そもそも東京と大阪でしかプレーされない競技こそ珍しいのである。応援する棋士の対局姿をタイトル戦でなくとも見れるとなれば、喜ぶ人も多いのではないだろうか。

 重要なのは、これらの試み自体が成功するかのみならず、そこから得られる反応をどれだけ生かせるか、である。アンケート用紙を配ることも効果的だろうが、回収されないアンケート用紙の中にこそ大事な情報が隠されていると考えなければならない。何が変わり、何が変わらなかったか。どのような人が加わり、どのような人が去ったのか。どこにどれだけずつどのようなものに対してお金が落とされたのか。そのようなことは調べようと思えば調べられることであり、誰もが共有できる情報のはずである。(もちろんこれらのことは、プライバシーが確実に配慮されるような形でなされねばならない。そのためのシステム作りも重要になってくるだろう)

 インターネットによって人々の距離はある一面では近づけられた。しかし聞こえやすい声と聞こえにくい声という差があることにより、多くの人々の小さな声は遠くにあるままだと言える。一般棋士2.0にとって、その声をどこまで拾い上げるか、そしてその声の大きさにいかに惑わされないかが重要である。将棋が単なるブームとして終わらず、プロの世界が魅力あるものとして受け入れられ続けるには……その鍵を握っているのは、まぎれもなく多くの「普通の」棋士なのである。



初出 2012年4月『駒.zone vol.4』

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