第46話:青砂の流れる川5(囚われた獣人)

 


 隆起した断崖に深い亀裂が走る。

 奥へ行くほどに狭まり、やがて閉ざされる絶望の亀裂。後ろ手に縛られたケンタウロスたちは亀裂の牢に閉じ込められ、身を縮めながら耐える。

「お母さん。僕たち……どうなるの?」

 涙をいっぱいに溜めた我が子に寄り添い頬擦りする母親。

「大丈夫。きっと助かるわ」

「ぐすっ、うう~~っ」

 一人泣き出すと、他の子供にも不安や恐怖が伝播し、子供たちが一斉に泣き出す。

「「うわあ~~~ん」」

「大丈夫……大丈夫よ!」

「「ああ~~~ん!」」

「助かる、助かるわ!」

 母親たちが必死に慰める。妻子の姿を見て悔やむ父親たち。毒に侵され、荒い呼吸のなかで奥歯をぐっと噛み締める。

「くっ、はぁっ、はぁっ。俺たちが……守れなかったばかりに」

 父親たちは悔いる。多勢とはいえ敗れたことを──。なぜ、もっと戦えなかったのか──なぜ、愛する妻子だけでも逃がせなかったのか──と。

「「うわああ~~~ん!!」」

「ウルサイゾ! ダマレ!」

 醜く汚い猪面が、牢の向こうから怒鳴り、石を投げつける。

「やめ、ろぉ!」

「きゃあっ! やめて!」

「「うわあああ~~ん!」」

 大人のケンタウロスが子供たちを守るように身を呈する。猪面の巨体は、身を揺すりながら嗤うと「オ前ラノ中カラ一人、食イ殺ス。馬肉鍋ダ」とヨダレを垂らしながら離れる。

「ひいっ!」「やだあ~~!」

「クッ! クソッ!」

 後ろ手に縛られた縄を何とか切ろうともがくケンタウロスたち。子供たちの縄を歯で噛み切ろうと試みるも、ゲルを固定するために作ったロープは丈夫で、切れる見込みがない。それをよく知る自分たちだが、何もせずにはいられない。

 すると。

「ワシが行く」

「「長!?」」

「こんなときは年寄りからだ。だが、ただでは死なん。一~二匹、目玉をくりぬいて戦闘不能にしてみせる」

「「ううっ! 長!」」

 老いたとはいえ、優秀な戦士だった長は冷静にオークたちを見定める。長の観察眼からすると、ここに残されたオークたちの中で最も強いと思われるものはどいつだ……

「オカシラハ何デ獣人ヲ集メルンダ?」

「サァナ。ヨク分カラン」

「最近、何ヲ考エテルンダカ分カランシナ」

 何匹ものオークが、ある一匹に話しかける。そのオークは体も大きく、つけている装飾品も多い。

「奴だ。一泡吹かせてやろう」

 長は最も攻撃力のある後ろ足の蹴りを顔面に叩き込むイメージと、そこへもっていく算段を立てる。よし、行けそうだ……そう考えていると、使い走りのオークがやってきた。

「サア~~、調理ノ時間ダ~~、ブヒヒヒヒッ!」

「「いやあ~~!!」」「「来ないで~~!!」」

「ブヒヒヒッ!!」

 牢を開けて入ってくると、長が立ちふさがる。

「わしを連れていけ!」

「「長っ!」」

「「ああ、長っ!!」」

「アア~~?」 オークは長を上から下まで見ると、鼻で嗤う。「ハッ、老馬ナンゾ喰ウカ」

 言った瞬間、うるさい蠅を払うかのように、手にしたこん棒を長の横面に叩き込む!

「ぐあぁっ!」

「「きゃああっ!」」「「長っ!!」」

「「うわああ~~~ん、お爺ちゃん!!」」

「喰ウナラ若イ仔馬ダヨ! ヴヒヒヒヒッ!」

 オークは幼い子供の髪を鷲塚むと、強引に引っ張る。

「うわああ~~~ん!」

 子供特有の細い髪がブチブチと切れる音に、大人たちが暴れだす!

「「やめろっ!」」

「「やめてえっ!!」」

「ゲアッッ!!」

 馬の蹄で蹴られたオークは格子まで吹き飛ばされる!

「今だ! 入口が開いている!」

「「逃げっ──」」

 その時、身の丈三メートルはあろう褐色のオーガーが現れると、牢の狭い入り口からノソリと中へと入ってきた。

「「なっ!」」

 その威圧感! 巨体というだけで、上から見下ろされるだけで、精神的・肉体的に圧迫される!

「オオオオオオッ!!!」

「「~~~っっ!!」」

 腹に響く野太い咆哮とともに、太く硬い腕を薙ぎ払う! まるで丸太に吹き飛ばされるように大人たちは重なって壁にたたきつけられる。

「ぐおおっ!」「ぉああっ」

「オオオオッ!」

 オーガーは、ドスドスと地響きを立てながら突進すると、腕を広げて背中からケンタウロスの大人たちへとダイブする! 勢いをつけた二百キロはあろう筋肉の巨人の下敷きになり、大人たちは血反吐をまき散らす!

「「ぐえあっ!」」「「ぐぼぉっ!」」

「「うわああ~~~んっ! お父さん! お母さん!」」

「フザケヤガッテ! オラッ! 来イッ! 罰トシテ、二匹ダッ!」

「嫌だあ~~っ!!」「助けてえ~~っ!」

「ぅぅうっ! ゃ、ゃめ……っ!」

「ブヒヒヒヒッ!」

 髪の毛を掴まれ、オークとオーガーに引きずられるケンタウロスの子供たち。涙に滲みゆがむ広場を見れば、ぞくりと背筋が寒くなる巨大な筋肉の塊。大きな大きな、筋肉と固太りの肉のシルエット。

「「ブヒヒヒヒッ!」」

 醜い不気味な笑顔の猪と巨人の顔が、自分を見ている。

 美味そうに──

「嫌だあ~~~っ!!」

「助けてえ~~~っ!!」

「「ゲァ~~ハッハッハッハ~~ッ!!」」

 黄色とも灰色とも言えない汚らしい乱杭歯が周りを取り囲む。それは品性も知性も感じられない、絶望の鈍い光を放っていた。

「「グヒッ、グブッヒヒヒヒッ!」」

「「カハ~~~ッ、カハ~~~ッ」」

 臭い。醜悪で不快な口臭が空間を漂う。透明な空気を穢す、不衛生が生み出す悪臭。鼻と肺を腐らせるような汚物の息が、空間をねっとりと覆う。

「「ぅぶっ! ぉおえぇえっ!」」

 恐怖と悪臭に堪えきれなくなった子供たちはたまらず胃の内容物を吐き出す。

「ブヒヒヒヒッ! 今日ハ馬肉鍋ダアァ~~」

「「ひっ、ひっぐ……っ」」

「「ゲハハハハッ」」

 涙と鼻水、吐しゃ物で汚れた顔を指さして、大いに嗤う魔人たち。

 オークはさらなる愉悦のために、腰のものをスルル──と抜く。それは脂でギトギトになり、光がボヤけて散乱する汚れた大剣。多くの生物にめり込ませてきたその剣は、酷い悪臭を放っていた。

「「うぶっ、ひっ……ひぐっ……っっ!」」

「「ブィイイ~~~~ヒヒヒヒッッ!!」」

「「ゲハハハハ~~~~ッ!!」」

 大笑いしたその時だった!

「待てっ! この醜い豚面野郎ども!」

「「アア~~ッッ!?」」

 牢とは真逆からの声。自分たちの容姿を罵るそれ。

 広場につながる森の道を見れば、仁王立ちするケンタウロス──の子供。

「その子たちを離せ! 豚野郎っ! ぶっ飛ばすぞ!?」

「「──」」

 オークとオーガーたちは、目を疑い、キョトンとした。しかし次の瞬間──

「「ブヒ~~ギャハハハハハッ!!」」

「「ゲアーハハハアア~~~~ッ!!」」

「なっ、何を笑ってやがる!? この豚野郎!」

 強い強い正義の味方がケンタウロスたちを助けに来たのかと思いきや、子供のケンタウロス一匹。大人のケンタウロス数匹でさえ自分たちにひれ伏したのに!

 子供のケンタウロス一匹!

「「ブヒヒヒヒッ! ブヒヒヒャハハハハッ!」」

 わざわざ馬肉の方が食べられにやってきたことに、魔人たちは腹を抱えて嗤った。

「な、何笑ってやがる! ふざけんなよ!」

「フザケンナヨ~~」

「オオ~、怖イ怖イ~~」

「「ブヒャハハハハハッ!!」」

「畜生! 笑うな! これでも喰らえ!」

 少年ケンタウロスは担いでいた袋から石を取り出す。

「「!?」」

 オークたちはその石に集中する。何かの特殊な力を持つ石だろうか? 例えば──爆発するとか?

「喰らえ!」 ブンッ!

「「!!」」

 一瞬、身構えるオークとオーガー。

 少年ケンタウロスの投じた石は、放物線を描いて牢の丸太に当たると乾いた音を立てて牢の中へと落ちる。オークたちは転がる石を見ると、何も変化は起こらない。

「「……?」」

 オークたちは顔を見合わせる。

「クソ! 喰らえ! 喰らえ!」

 少年ケンタウロスは次々に石を投げる。幾つかはオークに向かい、避けるか迷いながらもキャッチする。

「……?」

 手の中にあるのは、何の変哲もない、ただの石。

 石をたくさん持って、助けに来た──

「「ブフッッ!」」

「「ブヒャヒャヒャヒャ!!」」

「「ゲアーハハハハハ!!」」

「クソ! 喰らえ! 喰らえ!」

 なおも少年ケンタウロスは石を投げるが、コントロールが悪い。まともに飛んでこないのだ。避ける必要もないことに、オークたちはさらに笑いを爆発させる。やがて袋から石が尽きると道端に転がっている石を投げ始めた。

「クソ! この野郎!」

「「ブヒャヒャヒャヒャヒャッ!!」」

 石を避けようともしないオークとオーガー。少年が疲れて投石をやめるまで待つつもりでいたが、いい加減見苦しくなってきたので一匹のヘルハウンドの首輪を外す。

 ヘルハウンドは硫黄臭い鼻息を何度も吐き出す。

「グフフフッ」

「あ、あわわわ……」

 少年ケンタウロスが見るも哀れな表情になったことで、オークたちの加虐性欲は高まる。

「「グフッ、グフッ、グフッ」」「「グフフッ」」

 勇ましく助けに来た者が、逆に捕らえられ精神的・肉体的苦痛に泣き叫ぶ姿を妄想して、性的興奮が湧き上がってくる。どのような苦痛を与えればいいか……まあそれは捕まえてから考えればいい。

「「グフッ、グフッ、グフッ」」

 オークたちは想像する。

 親兄弟にさんざん甘やかされて育ち「自分は何でもできる」と錯覚し、勇ましくやってきた「夢見がちな子供」が、現実を知った時の絶望の表情。

「「グフフッ、グフフフッ」」

 年長者から大げさに褒められ持ち上げられていただけの子供。持ち上げられていることで勘違いした無能ゆえに純真な子供の、苦痛と絶望に打ちひしがれる表情……

 残酷な現実を知ったときの表情……

 オークたちは、少年の苦痛にゆがむ表情を想像し、性的興奮に勃起し始めた。

「「ハァァーー、ハアァァーー……」」

「あ、あわわわ」

 この小僧は良い。この小僧は嬲り甲斐がある。

 調子に乗った自信満々の表情から一転、この情けない表情……さらなる加虐でどのような顔になるのか……

 どんな嬲り方がいい? いっそ、皆で尻を奪ってみるか……

「あわわ……」

 空気の変化を感じた少年が後ずさりするのを見て「逃がしてなるものか」と皆の目が完全に釘付けになる。

「行ゲッ! 逃ガスナッ!!」

「ガウゥッ! グワオオオ~~~~ッ!!」

 よだれをまき散らしたヘルハウンドが解き放たれた!

「うわああああっ!!」

 圧倒的な速度で突撃してくるヘルハウンドに、少年ケンタウロスは叫び声をあげた。

 その速度は、自分をはるかに上回る速度!

 長距離なら負ける気はしないが、超短距離だけに特化した圧倒的な瞬発力!

 うろたえ、怯んだひと呼吸の隙に、ヘルハウンドは真っ赤に燃える口を開け、少年ケンタウロス、テルメルクに飛び掛かった!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る