第43話:青砂の流れる川2(緑深い森の朝)

 

 夜のとばりが下りる深い森

 眠りつく森の中にひっそりと佇む家屋

 土と茎で作られた円柱形の宿舎

 宿舎を見下ろすフクロウの鳴き声



 ■コークリットの視点



 ホォーー……

 ホォーー……


 夜の終わりが間近だと告げるモルガンホロウの声が、遠くからやってくる。

 俺は微睡みながら目を開けた。

 薄闇のヴェールの中に、幾つかの影が見える。小山のような影が。もう見慣れたケンタウロスの皆さんの寝姿だ。

 ケンタウロスは馬の胴体を正座させ、敷き布団にして、人間の上半身を馬の胴体の上に横たえる。不測の事態に対処できるよう、このように寝るらしい。くく、馬の上で大の字になって寝てるみたいだ。ハルさんのイビキが飛び抜けて盛大だ。疲れたんだな……

 スランさんとローレンさんは、俺と同様壁に寄りかかり武器を胸に座ったまま寝ている。有事にはこの姿勢が最も対処しやすいからだ。昨日も役に立った。

「ふぅ……」

 昨晩は大変だった。俺は皆さんを起こさないよう気を付けながら宿坊から出る。

 と、まだまだ森の奥は深い闇に包まれて、そこから何かが現れないかと恐れを感じる。神殿騎士といえど恐れや怖さを感じるのは当然で、その感覚がなくなったらきっと死を招くことになるだろう。草木の向こう側にある闇に恐れを感じて良かった。リスクへの感度は絶対に必要だ。

「ヒュゴッ!」

「!」

 小さな炎が宙に放たれ、瞬間的に森の闇が払われる。刹那に捉えた空間には三体の土人形と、その頭に乗る赤いトカゲだ。土人形は一メートルくらいの高さの土精霊ノームで、野営地の見張り役だ。その頭の上の赤トカゲは火精霊サラマンダーで、魔獣牽制と攻撃用のボディーガードだ。

 俺はお礼を言うために彼らに近づくと……

「おはようございます」

 虫の音に混ざるように、後ろから小さな声がした。密やかな夜明け前の森を壊さないよう心遣いした優しい声だ。振り替えると目が合う。

「おはようございます、早いですね」

「うふふ、そっちもですよ」

 卵形の可愛い輪郭に切れ長の大きな目が微笑む。短い髪を後ろでおさげにしたシスさんは、とても可愛らしい。思わずまばたきも忘れて見入ってしまうと、シスさんが伏し目がちになった。

「ぁ、あの、な、何で、しょうか……?」

 長いまつ毛で所在無げな瞳が隠れ、胸の前で指をいじる。

「いや、可愛いなと……」

 ハッとして俺は口元を押さえた。少し寝惚けた頭だったからか、思っていることがそのまま口に出てしまった! 次の瞬間、絹のように肌が白いシスさんは耳の先まで朱色に染まると、彼女は両手で口を隠す。

「~~~~~っ!?」

 ほ、ほ、本当、ですか、と何とか絞り出した声はとても小さくて……

 不安げな表情が一変して、俺の肯定を今か今かと待っている。その期待に満ち溢れた表情がもう可愛くて、胸がキュッと締め付けられる。

「ほ……本当です」

 恥ずかしいけれど、俺も絞り出すように言うと、「~~~~~っっ!!」と声なき声が聞こえてくる。いや、ローレンさんとか他のエルフ男性に言われているでしょ?

 彼女はギュッと目を閉じて「か、髪の毛、短く、て……」 腕全体で頭を隠すように触りながら「へ、変、かなって、いつも、心配で」

「いえ、凄く、似合って、ます」 胸がバクバクする。

「ほ、本、当……?」

 彼女は両手で口元を隠して、良かったぁ……このままでいようかなぁ、と小さく小さく呟く。俺でなければ聞こえない呟きだ。そして照れ隠しなのか突然話題を変える。

「あの、その……あの後、眠れましたか?」

「ええ、何とか」

「そうですかぁ、凄いなぁ。私は神経が昂ってしまって」

「ふふ、そうですよね。やはり湖沼近辺と森の深くは違いますね」

「うふふ、本当に」

 深夜、魔獣のインパルジャガーがウォーエルクたちの寝込み際に襲いかかって来たんだ。ノームとサラマンダーが食い止めてくれたので、俺とハルさんが間に合って撃退できたんだが、もうてんやわんやになって。

 湖沼近辺の野営では、水棲魔獣を警戒してか森の魔獣は少なかったんだが、森も二十数キロも入れば大きく変わるんだな。

「もう少し寝られた方がいいですね。うるさくないよう、自分は向こうで剣舞をしますので」

「え? あ、はい……う」

「?」

 彼女は何やら逡巡している。何だろうか? 彼女は俯いたまま、また指をいじりながら頭を下げる。

「あ、あの、そばで、見ていていいですか?」

「え?」

「その、今横になると起きれそうになくて……」

 ああ、なるほど。大きな瞳が落ち着きなく揺れ動いて、不安そうで。本当に可愛い人だな。

「ふふ。辛くないようなら、構いませんよ」

「つ、辛くないです! じゃあ!」

 不安そうな表情が一転、嬉しそうな彼女が可愛くて、胸がキュッとする。本当におかしいなあ、全く。

 俺とシスさんは、宿坊から少し離れた開けた川岸へと移動した。

 川岸まで来ると、暗い闇の中に無数の黄緑色の光がふわふわと飛んでいる。闇に開くシャボンのように優しく広がる小さな光だ。蛍の仲間で、大小至る所で光り、まるで星空に迷い込んだようだ。シスさんが嬉しそうに両手で優しく光を包みこむと、大樹の根に腰掛ける。

「うふふ、綺麗」 両手を開けて光を放つ。

「明るくなるまで仲間を探しているんですね」 俺はふと蛍の気持ちになった「蛍も一人は淋しいよな」

「え?」

 俺も一人だったから……まあ、いいか。暗い気持ちになるし、忘れよう。

「一人にさせません」 ボソボソ。

「え?」

「なんでもありません。蛍は仲間を見つける努力をして出会います。同じ種類の蛍同士ですが」

「?」 俺は彼女の真意を計りかねたが頷く「はい」

「コークリットさんは種族を超えて、仲間に出会えていると思うんです」

「!」

「一人じゃないです」

 そうか……なるほど、そういうことか。切れ長の彼女のまなざしが、俺を真剣に想って言ってくれていると分かる。

 そうだな、そうだよな。

「はい、そうですね! 元気が出てきました!」

「うふふ。良かった」

「よし!」

 俺は剣を抜くと、呼吸を整え気を統一する。蛍を斬らないようにしないとな。


 スヒュン──

 スヒュヒュヒュヒュ──


 剣舞をしていると、色々なことが頭をよぎる。

 シスさんの言葉だったり、昨晩のことだったり。

 そうだよ、皆さんが一緒にいてくれて本当に助かったよ。ノームとサラマンダーの見張りがいてウォーエルクは無事だったし、俺が攻撃する前に遠距離攻撃でいち早くエムさんの弓矢がジャガーに命中して、相手が怯んだのも大きかった。

 助かったな。俺は一人じゃない。確かに一人じゃない!

 やっぱり俺は助けられて生きているんだ。

「でも駄目だ……」 小さく呟く

 駄目だ、彼らの協力に、安心し、甘えては。警戒や努力、思考を怠っては。

 俺は一人でも生き抜けないといけない。シスさんはああ言ってくれて、スランさんも『 もっと他者を頼った方がいい 』と言ってくれて、協力してくれているが……

 それはあくまでも一時的なもの。

 皆と別れた時、一人で生き抜く力がなかったら『 死 』あるのみだし、ましてや誰も助けられない。

 昨晩の魔獣襲撃も、一人だった時の予防対策、対処方法を考えておくべきだな。

「ああすれば……こうすれば……」

 呟きながらも剣を舞う。思考を止めるな、考えろ……

 幾つかの手立てを考えつく頃には、俺は汗ばんで、剣舞の終幕を迎えた。

「ふう……」

 剣を止めると、違和感が。

 いつも、拍手してくれるシスさんから何も反応がない。拍手が欲しい……訳じゃないけれど、彼女に拍手されると嬉しくて、チラッと視線を送ると俺は息を飲んだ。

「スーー……」

 彼女はわずかに頭を横に傾けて、安らかな寝顔で居眠りしていた。

 俺は、思考を止めないように気を付けていたのに……完全に思考停止して。

 見惚れてしまった。

「……」

 か、可愛い。その可愛らしいこと……あどけなくて、無防備で──

 卵型の輪郭が童顔に見せるものの、目を閉じているとまつ毛の長さが強調されて大人っぽい。

 薄紅色の艶やかな唇がぷっくりとして、触れたら溶けてしまいそうだ。

 彼女は今日も肩までのノースリーブと太ももがあらわなショートパンツ姿なので、細いけれど引き締まった手足が露出していて。その白くて艶やかな手足が、薄闇の中で白く発光しているように見えて目のやり場に困るけれど、寝ている安心感から思わず目が釘付けになってしまう……

「スーー……」

 ローレンさんと仲がいいから、いずれは夫婦になるのかな……? とても羨ましい。

 とマズイマズイ。彼女はきっと、俺を信頼し、安心したことで眠っている。

 その俺がこんな風に寝顔を覗き見したりはマズイ。俺は背を向けると深呼吸して心を落ち着かせる。

 その時「シス~~、朝ご飯作るよ~~!?」とアルさんの声が聞こえてきて、彼女は「はっ」と目覚めた気配がした。


 危ない危ない、ふう~~……



 ◇◇◇◇◇



 川の遡上二日目──

 川は緩やかな水面を湛え、安息を与える緑色の光を放って流れていく。相変わらず豊かな水量だ。音もなく流れる川が冷やした空気は、一帯に凛とした空気を運んで心と体を引き締めてくれる。

 森は明るいエメラルドグリーンの光に包まれて清々しい。ああ森に転がる苔むした岩が日の光で煌めく。苔が集めた朝露が、キラキラと輝いているんだ。

 キャッホー、キャッホー!

 ピーーッキュイッキュイ

 リリリリリ……

 甲高い猿や鳥の声に、虫の音も響き渡る。高い音に交じって、時折遠くから低い肉食獣のゴルルルル……という喉の音も聞こえてくる。隣を歩むハルさんが伸びをした。

「さあ~~、そろそろファラレルの森が見えてくると思うんだがなあ~~」

「ファラレルの森は東西に長いんでしたか?」

「うむ、二~三千キロあるんじゃないかな、知らんけど」

「くく」

 知らんなら言わんでくださいよ。俺の心の中の顔は大笑いしている。

 美しい川を横目にウォーエルクで進んでいると、後ろでテルメルクが「ふわ~~あ……」と大きなあくびをする。くく、テルメルクも眠そうだ。

「やはり昼の森と夜の森は違う姿を見せますね」

「ぶっはっは、そうだな。二面性があるということだな!」

 いい笑顔のハルさん。ああ、本当にいい笑顔だ。羨ましい。

 顔にはその人が生きてきた歴史そのものが表れると思う。日に焼け、笑い皺のあるハルさんの顔は、おおらかで開けっぴろげな性格をよく写し出していると思う。後ろを振り返ればローレンさんの気難しそうな顔も、スランさんの優し気な顔も同様だ。シスさんとアルさんの朗らかな笑顔も、よく表している。

 はぁ、そうすると……

 表情のない俺も、短い人生ながらも俺の歩んだ歴史をよく表しているな。

 表情のない、仮面のような顔。感情を隠して、「苦しくない」と皆を欺き、自分さえも騙して生きてきた人生を……

 はぁ、二面性か。

 ある意味、俺は二面性が凄いな。心の中は喜怒哀楽が入り乱れている面があるのに顔は無表情一辺倒、という二面性が……

 いつかは、変えたい。変わってほしい。

「おっ! 変わりますぞ神殿騎士殿!」

「えっ!? 変わる!?」

「ほら、森が。ぶっはっは、主語がなかったわ」

 俺は「顔が変わるのか」と間違えて一瞬ドキッとした。

 前を向くと、森の向こうが金色に近い明るさなっている。おお、希望に溢れるような明るさは、どこかで見たことのある明るさだ。

 そのまま森を抜けると……

「ああ、ファラレルの森だ!」

 そう、ケンタウロスが周遊するファラレルの森だ。

 森というにはいささか語弊のある表現で、「草原樹林帯」という方がしっくりくる。

 鮮やかな若草色の草原がどこまでも広がっていて、傘に似た背の高い樹木が散立する草原主体の森。明るくて視線が彼方先まで通って、清々しい気分になる平原の樹林帯に突入した!

「ひゃっほ~~う!」

「くおらっ! テルメルク!」

 突然駆け出すテルメルクにハルさんも追いかける。

 くく、子供とはいえ、やはり足が速いな! 大人は百メートル四秒台で走るらしいが、テルメルクでも五秒台だろう。ハルさんはテルメルクを捕まえる……と思ったらそのまま追い抜かし、一本の大樹をグルっと回ってテルメルクとともに戻ってくる。

「じゃあ我々も!」「神殿騎士殿、すいません!」

「ふふ、どうぞ」

 エルさんとエムさんも同じように走り出す。くく、元気がいいなあ!

 一日二十キロは走るっていうから、もしかしたら結構ストレスを抱えさせてしまっていたかな?

「うふふ、元気がいいですよね」 とシスさんが俺の横に来ると。

「フッ、躍動感にあふれる姿は獣人で一番だな」

「ちょっ」

 くく、俺とシスさんの間に割り込むように、ローレンさんがやってくる。

「色々な獣人がいるんですよね?」

「フッ、獅獣人ライオロス羊獣人サテュロス鹿獣人ディアオルス熊獣人ベアオロス……たくさんいるな。中でもケンタウロスが最も元気だろう」

 獣人は人間の上半身に動物の四肢なので、この樹海内なり山海内なりに住んでいるらしい。確かに動物の胴体があるならば、足も速くて魔獣から逃げられるし、逆に動きながら戦うこともできるから樹海や山海で暮らした方がいいだろう。

 ちなみに頭部が動物で体が人間という牛頭人ミノタウロス猪頭人オーク犬頭人コボルトは妖魔と言われていて、首から下が人間なので人間の女性と混血児を作ることができ、人間の世界へと頻繁にやってきては悪事を働く。女性をさらって愉悦の道具としたり、弱い老人や子供を拷問して反応に狂喜したり、家畜や財産を奪うなどの悪事だ。

 と、スランさんが逆側にやってきた。

 相変わらずの優しげで中性的な雰囲気に一瞬ドキリとする。やはりシスさんの双子の弟さんだな。

「どうしました?」

「はい。ちょっと気になることが……」

「え?」

「何だか、『 嫌な気配 』がします」

「「え!?」」

 こんな爽快な草原で!?

 近くにいたエルフたちが一瞬にして警戒態勢に入った。


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