第2.2話:丘の庭園

 


 なだらかな丘の中腹に聳え立つ建造物

 石造りの巨大な闘技場

 闘技場を背に丘を下る大柄な聖戦士



 ■コークリットの視点



 闘技場は大聖堂群の裏側、なだらか丘の中腹にある。

 中腹から下は自然の丘を利用した庭になっていて、木々を抜ける風や枝葉から木漏れる優しい光が凄く気持ちいいんだ。樹木の下を歩いていると、丘の上に広がるバロックの粋を極めた建造物群が、枝葉の隙間からチラチラと見える。

 うーん。

 平民の俺には場違いな天上世界のようで居心地が悪かったなあ。この建屋群ともしばらくお別れか、あまり良い思い出はなかったけれど。数年は見ることがないだろう。

 そう思うと、何だかえもいえぬ寂しさが胸を締め付ける。

 不思議な思いを胸に抱えながらも目的の場所へと顔を向ける。目指す第三礼拝堂は丘の下、森との境にある。

 さあ行こう。

 庭を一歩一歩降りて行くと、見事な樹形の、この庭園で一際大きいブナの樹があって、枝葉がサワサワといい音を奏でる。

 いつも立派だなあ。

 苦しい時や悲しい時、この樹に登って一人になったなあ。故郷の孤児院にもブナの樹があって。親代わりのシスターに怒られたりした時、そこに登って反省していたんで、懐かしくて……

 俺は太い幹に触る。

 樹皮は灰白色で滑らかで。根が緑の大地にしっかりと食い込んで力強く根付いている。俺はペタペタと幹を叩くとお礼をする。

 多分お別れです。

 ありがとう。

 癒されました……

 助けられました……本当に

 樹木には樹の精霊が宿るという。精霊は妖精にしか見えない、感じられない存在らしい。

 でも、俺には、この樹には何かが宿っていて俺を慰めてくれていたような気がして。意思の疎通ができなくてもそこにいるような気がするんだ。

 だからお別れの挨拶をしたかったんだ。

 と、何だか風が出てきたか? 枝葉がまたサワサワといい音を奏でて。もしかしてお別れを返してくれてるのかな……? だとしたら嬉しいな。抱き締めさせてもらおうかな……外だからヤバいかな? 見られたら。

 でもやるか。

 と、丘上の茂みからガサガサと音がして、おじいさんが現れた。おわー、危ない危ない!

「おおコックリ、こんな時間にどうした?」

 声の方を見上げると、白い口髭のおじいさんがニンッと笑った。おお、庭師の長であるブレンさんだ。そう俺に親しみをもっている人々は、俺のことを「コックリ」と呼ぶ。ブレンさんは丘上から降りてきて俺を見上げた。

「相変わらずデカイのう! 三メートルくらいあるか!?」

「ないです」

 くくく、ブレンさんはいつもそう言う。俺を笑わそうとしてくれているんだ。

 そう、ブレンさんは俺が司祭を養成する聖学院に来た十歳の頃から良くしてくれて、俺の表情がなくなっていく経緯も全て知っているから、いつも笑わせようとしてくれる。

 優しくて暖かい人だ

 その優しさに、その暖かさに、何度助けられたことか

 俺はブレンさんの意をくみ取って笑顔を作ろうとしていると。

「ああ、よかよか! 無理せんでよか!」

「申し訳ありません」

「堅っ! 堅苦しいのう! まあ仕方がないか、何せ神殿騎士になったんじゃからな!」

「はっ」

「ああしかし! あのコックリが神殿騎士様か……旅立ちはいつなんじゃ? 聖霊からの啓示によって出立するんじゃろ? 早くお前さんの活躍を聞きたいんじゃよ」

「ありがとうございます」

 そう、神殿騎士は聖霊からの啓示を受け、怪異が起こっている地へと旅立ち世界各地を巡る。聖霊が、怪異が起こっている場所を示し神殿騎士に解決を促すのだ。聖職者は毎朝、聖霊に祈りを捧げ交信するのだが。

 俺の場合、聖霊に祈りを捧げることさえ禁止されていて……

 そう、俺は聖戦士だけでなく法王庁上層部からも危険人物として扱われているので、中々旅立たせてくれない。

 まあ確かにな。

 俺が法王庁上層部の人間だったとして、聖戦士に俺のような人間がいたら。

 やっぱり危険人物として扱うような気がする。

 とりあえずブレンさんに禁止されていることを話すわけにもいかず、当たり障りのない話をしていると、他の庭師や掃除婦たちが集まって来た。おお庭師最年長のボムじいさんや掃除婦長のメアリおばさんもいる。

「おお神殿騎士コックリ様!」

「平民の星!」

「希望の騎士! ああ凛々しいわあ」

 口々に俺を讃えてくれる。そう、平民の出で司祭になる者は多くいるものの、聖戦士になった者は法王庁二千年の歴史上、俺しかいない。理由は……こちらも追々かな。そう俺しかいないゆえ、常識や身分の違いを壊して進む希望の星として応援してくれている。

「お久しぶりです」俺は頭を下げた。「ご機嫌麗しく」

「「堅っ!」」

 むう堅いかな?

「デカッ!」

「三メートルある?」

「ないです」

「凛々しいわあ」

「孫娘の婿に……」

「まだ二歳じゃろ! うちの孫娘じゃ!」

「そっちも三歳じゃろ!」

 ふふふ。皆が俺を笑わそうとする。

 うーん、嬉しいと同時に申し訳ないなあ。心の中では破顔レベルの笑顔なんだけれど全然顔に出ない。しかし笑顔は出なかったが、目を細めて笑顔に近い表現をする。

 とふくよかなメアリおばさんが。

「どうしたの、散歩?」

「ええ、ちょっとそこまで」

「この時間に珍しいじゃない?」

「気分転換です」

 俺は言葉を濁した。第三礼拝堂で旅立ちの儀を行うと知ったら皆「え? 何で?」と疑問に思うハズだ。

 なぜ大聖堂で大々的に挙行されないのか、と。

 なぜ隠れるように礼拝堂で儀式を行うのか、と。

 神殿騎士の旅立ちの儀式は大聖堂で行われるのが慣例で。三年ほど前、ある神殿騎士が旅立つときはもう、大聖堂で大々的に儀式を行って、街を挙げて祝福したから。

 なぜ?

 と皆、怒りそうだ。

 俺の旅立ちを、俺の活躍を、誰よりも期待してくれてる皆さんだから、俺のために憤りを感じてほしくないしなあ

 そう、本当にお世話になった人たちだから

 本当に俺をいつも助けてくれた人たちだから

 人知れず行こう

 ボッチな俺にはお似合いだ

 ひとしきり話すと心がとても暖かくなって。去りがたいなあ。本当に去りがたい。ふふふ。自然とお礼が口に出た。

「ありがとうございました」 胸に感謝の念が込み上げる。「また……」

「「ん?」」

 皆がいい笑顔を向けてくれる。

 忘れません。皆さんの笑顔を。

「また会ったとき。話しかけてください!」

「「おお! またな!」」

 いつかまた。戻って来ます。

 また話しかけてください! そして。申し訳ございません、黙って行きます。こんなにも助けて貰っておきながら、黙って旅立つことをご容赦ください。

 俺は再び歩き始める。

 ああ、ブナの樹と周囲の木々がサワサワと揺れて……枝葉が手を振ってくれているのかな? ありがとう! さようなら! 俺の上に落ちる不規則な緑の斑模様が嬉しい。

 木漏れ日の下を歩きながらも視線を感じて振り返る。と、あれ? 庭師の皆さんたちがまだ仕事に戻らず俺を見送ってくれている。もう、いいのになあ!


「また今度! さようなら!」

 俺は皆に手を振る。すると皆が振り返してくれる。ふふふ、やっぱり心が暖まるなあ。

 よおしっ! 皆さんから力を貰えた!

 これで充分です、ありがとう!

 皆さんも! お元気で!

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