第2.3話:礼拝堂

 


 大地には鮮やかな緑の芝生

 見上げればブナやクヌギ、コナラの鮮やかな緑

 天と地の緑に包み込まれる小さな礼拝堂

 半ば苔むした礼拝堂へと歩む聖戦士



 ■コークリットの視点



 皆さんと別れて再び美しい庭園を歩くと、鮮やかな緑の芝生の一画に小さな小さな礼拝堂が見えて来た。今にも崩れ落ちそうな、苔むした礼拝堂だ。ここが第三礼拝堂だ。俺は礼拝堂の古びた扉の前に立った。

「失礼いたします」

 中に入ると、おおー。こじんまりとして。

 奥の祭壇まで十数歩しかない。中央に通路が伸び、両脇に三人掛けの椅子が五列ずつと、本当に小さくて質素で……木と石の独特な香りに何だか落ち着くなあ。大聖堂だと巨大な石柱に精緻な彫像が施されて、豪華絢爛な聖霊の世界が広がっているんだけれど……

 ふふ。

 ここは見事に装飾がなくてレンガで組んだだけの小さな礼拝堂だから、ああー故郷の孤児院の礼拝堂を思い出す。平民の俺にはこちらの方が落ち着くや。

 と、礼拝堂の祭壇の前にいた二人の人物が俺を見た。

「おお、来たか!」

「はっ」

 ニカッと笑ったのは俺を呼んだフィガロ団長だ。

 神殿騎士隊を含めた守護騎士団最強の騎士で、法王庁上層部など大勢の反対を押しきり俺を聖戦士修道会に招いてくれた恩人だ。

 ともう一人の人物が笑顔になる。

「久しぶりですねコックリ君!」

「ジョヴァンニさん! ご無沙汰しております!」

 そう、もう一人は白い法衣をまとった四十代後半の男性司祭で、その法衣は司祭の上に位置する司教のもの。この方も俺の恩人でジョヴァンニ司教だ。普段は巡礼者が犇めく大聖堂群にいて法王や枢機卿の補佐をしつつ司祭たちをまとめる仕事をされている。

 とその時、二人の影からもう一人出てきた!

 あれ? 三人だった! 小さすぎて隠れてたんだ!

「おおーコックリよい。ワシもおるぞい」

「ウォゼット先生、よくここまで!」

 ウォゼット先生は聖戦士修道会で、魔物などの座学を教える学部の最高顧問であり、御年九十歳という人間では最高齢の人だ。俺が魔物討伐に行くと「解剖するには一番良い状態で提供してくれるからありがたいのー」と俺を買ってくれてて……もう腰が折れ曲がって、長い髭が床に着きそうで。

 ええ、こんなに早く歩いて来れたんだなぁー。

「ワシがおぶってきた」

「ほっほっ、楽チンじゃったわ」

 そうだったんですね。三人は法王庁上層部の中でも数少ない俺の味方であり、恩人だ。この三人がいるということは。

 多忙なこの人たちが揃うということは。

 間違いなく旅立ちの儀式が行われる。

 ということを意味している。

「はっはっは。その顔だとワシが呼んだ意味がどういうことか分かっているということだな」

「はっ」

 うーん俺の表情は全く変わらないのだが、この人の洞察力と読心術は本当に恐ろしいほど鋭く的確で、隠し事は通用しない。だからこそ聖戦士の多くが俺を危険人物として恐れる中で、団長だけは味方でいてくれている。

「長かったですねコックリ君。よくぞ耐えました」

「はっ」

「あの幼かったコックリ君がねえ……くぅ」

 司教は目尻の涙を拭う。

 くくくっ

 ああ変わんないなぁ、涙もろいところ。十歳の時、司祭を養成する聖学院に来た俺に魔法を教えてくれたのが、当時司祭だったジョヴァンニさんだった。その頃から涙もろかったなぁー。

 そして俺の資質が司祭よりも聖戦士に向いていることを見いだし、十三歳の時団長に引き合わせてくれたのもこの方だ。

 涙を拭うジョヴァンニさんを見てあの頃の楽しかった思い出が頭をよぎり笑顔に……なりたかったけれど残念ながら顔が……クソッ。笑顔も作れないことに逆に悲しくなってきたが、やはり顔が……

 クソッ

 と団長が沈痛な面持ちになった。

「すまんな。お前をここに呼び寄せて五年……ワシも修道会も得られたものは大きかったが……代わりにお前の表情がなくなってしまったな」

「くうっすまないねえコックリ君。君には辛い目を見せてしまったようだ……」

 おおっ、俺の表情は全く変わらないが、団長には俺の心の内が分かったようで……本当に凄い人だ。

 でも誤解もある。俺は隠し事の通用しない団長の前で、本心を伝えた。

「辛くなかった、といえば嘘になります。が……」

「「が?」」

「……が、今は予感がするんです」

「予感が?」

「はい。神殿騎士として、人々を助けその笑顔を取り戻せたならば……自分の笑顔も取り戻せるんじゃないかと」

「うむ。そうだな……」

 俺の本心を読み取った団長が頷きながら祭壇の前に向かう。そこには神殿騎士の武器と防具がステンドグラスから落ちる複雑な光に煌めいている。

 おお、あれが俺の……

「今日、ワシの元に怪異発生と思われる書状が届いてな。今法王庁で動ける神殿騎士はお前のみ……ということだ」

「はっ」

「やっと書状が届いたのう。喜んじゃあマズイんじゃがのう」

「本当ですねえ。喜んじゃマズイですがねえ、くぅ」

 そう、俺たちはずっと書状が届くのを待っていた。

 聖霊との交信を禁止され、啓示を受けて旅立つことができなかったため、どこかから「怪異が発生しているから神殿騎士を派遣して欲しい」という書状が届くのを待っていたんだ。

「さてこれから旅立ちの儀を行う。任命は神殿騎士隊長フィガロ、儀典執行は司教ジョヴァンニ、立会は老師ウォゼットだ」

「はっ」

「三人だけですまないねコックリ君。他の神殿騎士ならサン・ピエストロ大聖堂で多くの人間に見送られて盛大に旅立つハズなのに……」

「すまんな」

「すまんのう」

 三人は申し訳なさそうにして。

 イヤもうホントに、気にしなくていいのになあーもう。そう神殿騎士の旅立ちの儀式は、丘上の大聖堂で法王や枢機卿そして多くの司祭や聖戦士たちに見送られて旅立つので、それはもう壮観で。

 でも俺は自分程度の人間が、身分の低い人間が、ここまで来られたことがラッキーだから、それ以上のことは望んでないんだ。だから別に気にしてないんだけれど……

「お気になさらず。故郷の教会に似たこの礼拝堂の方が自分らしくていいです。そして逆風の中でも自分を助けてださった、支援し続けて頂いた御三方に見送られるので幸せです」

「うむ、そう言ってくれると心が軽くはなるが」 団長はそう言うと苦渋の表情でうつむき「だがさらに辛いことがある」

「はっ」

 何だろう? 相当言いづらいようだが。今さら辛いことが一つや二つ増えたって、と思うんだけど。

 団長はため息をつくと絞り出すように言った。

「他の神殿騎士が当然のように享受できる法王庁の支援体制は、期待できんことだ」

「支援……」俺は合点がいった「なるほど」

 俺は正規の手順で出発するわけではない。

 神殿騎士でありながらも法王庁からの旅立ちの正式な任を受けず、急遽、団長の命令だけで旅立つ。

 法王庁は俺の旅立ちを認めたわけではないから、法王庁からの支援は……か。

「他の神殿騎士が得られる法王庁研究機関の支援、従騎士や聖戦士への応援要請、旅の諸々の支援」 団長は眉間のシワを押さえて「ほぼ、支援はない。孤立無援だ」

「はっ」

 ふふ、まあ仕方ないよな。

 もう俺はそういう運命だったのだろう。生まれた時からもう孤立無援だったから、今さらだ。

「それでも」 団長は表情を変えず「行くか?」

 俺は胸に手を当てた。

「もちろんです!」 俺は行きたい!「行かせてください!」

「うむ!」

「コックリ君。今はダメでも! いつかは支援体制を引き出してみせるから! それまで頑張ってくださいね!」

「はい!」

「よしっ! それではこれより旅立ちの儀を……むっ?」

「ん?」

 俺と団長は同時に礼拝堂の扉を見た。

 多数の気配を感じたからだ。

「ちぃっ!」

 団長は邪魔をされたらかなわないというかのように、大股でズカズカと歩む。そして扉を開けた瞬間!

「誰だっ!? ここは今貸しきりだっ!」 うわぁっ! 団長、威嚇しすぎ!

「「ひゃあっ!」」

「「あわわっ!」」

「「すんませっ!」」

 そこにいたのはブレンさんやボムじいさん、メアリおばさんたちだった。

「ブレンさんたち、どうしました?」

「ぬっ、知り合いか?」

「はっ、庭園整備の皆さんです。ブレンさん、どうされました?」

「あ、ああ。いや……お前さんがいつもと違って見えて心配して……」

「え、そうでしたか?」

「あと……木々がやけにざわついてるようで」

「木々が……」

「ほう?」

 団長は一人一人を見ている。

 ああ、本心かどうか見定めているのか? と俺の方に振り返った! 何だ!? ニヤリと笑ってる!?

 うわあ。悪そうな顔だなあ。正直、引くよ。

「悪そうな顔で悪かったなっ、この野郎が! まあいい! よしよし皆良いところに来た! これから神殿騎士コークリットの旅立ちの儀を行う! 秘匿性の高い特別任務なのでひっそり送り出そうとしていたんだがなっ! ああっバレてしまってはしょうがないっ! しょうがないから、参加したいものはすると良い!」

 ええっ!? ビックリ! 顔に出ないけれど!

「「ええ!!」」

「「良いのですか!?」」

「もちろんだ。なあコークリット!」

 ニカッと笑う団長! 良い! 実に良いっ!

 さすがっ! 俺を分かってるっ!

 俺は力一杯頷く!

「はっ、もちろんです!」

「「おおっ! やった!!」」

「「うおおおっ!!」」

 皆さん我先にと、嬉々として礼拝堂に入る。

 面白っ! そういえば一般の人が神殿騎士の旅立ちの儀に参加するというのは過去にないみたいだしな。前例の破壊だな! 俺も嬉しいわ、お世話になった皆さんの前で旅立てるんだから!

 小さな礼拝堂は人で一杯になった。さながら日曜日の礼拝みたいだ! ワイワイガヤガヤ、緊張感まるでなし! わははっ!

 さあ再開だ!



 ◇◇◇◇◇



 礼拝堂はワイワイガヤガヤして。

 何だこれ!? こりゃあ未だかつてない一般人参加の旅立ちの儀だ! わはは俺らしい! 実に俺らしい! 小さく古びた礼拝堂で、一般の人々に見送られて……わはは、面白っ! ああ唯一俺の本心が分かる団長が、ニヤニヤしてる! どうみても極悪人だけど!

 くく、ありがとうございます!

「武勇を……」

 ジョヴァンニさんは一つ一つ祝福の祈りを込めながら俺に鎧を装着してくれる。

 胴体、肩、腕……鎧という防具に包まれるたびに、無事を願う心に守られるような感覚に包まれる。そして全ての鎧が俺に装着されると、ジョヴァンニさんは俺にひざまづくように言い、俺の後ろに回った。

 そして俺の首に一つの首飾りをかけてくれた。

「これは魔法の首飾りです。この首飾りは鎧を着脱収納するもので、『 解装 』の呪文で鎧が装備解除され、『 纏装てんそう 』で鎧が出現します」

 おお、なるほど! 一人で旅する神殿騎士だし、常日頃から鎧を身にまとっていたら大変だしな! 魔法の合言葉で装備が着脱されるらしい。胴体だけ鎧を纏ったり、足だけ纏ったりもできるそうだ、スゲエ!

 俺は立ち上がると早速呪文を唱えてみる。

「『 解装 』」

 次の瞬間、俺の背丈以上ある聖霊の魔法陣が眼前に出現し、俺の後ろに抜ける! 抜けた瞬間、装備していた鎧が消え、重さが消えた!

 うおお、スゲエ!

「「おおっ!! 鎧が!!」」

「「何と! 消えた!」」

 皆がどよめく。

 こりゃあ便利だ! イイね! じゃあもう一回鎧を身に纏うか! でも折角だからカッコいいポーズでやろう!

 俺は右手を天に突き出すと、ポーズをとって次の呪文を唱える。

「『 纏装! 』」

 首飾りが輝くと、再び聖霊の魔法陣が目の前に出現し、俺を通過するとズシリと重みを感じた時には俺の全身は鎧に包まれていた!

 うわああっカッコいい!! 決まったっ!

「「おお、凛々しい!!」」

「「うおお、何と! 何と!!」」

 皆が拍手する! うわあ、ありがとう! ありがとう!!

「ああ何て凛々しいっ!!」

「孫娘の婿に……っ!!」

「うちの孫娘じゃっ!」

 わははっ、また言ってるよ。でも嬉しいなあ!

 他の誰でもない、俺を助けてくれてきた皆さんに祝福され旅立たせて貰えるんだから。

 神殿騎士の叙勲を受けて半年。

 この日をどれだけ待ちわびたことか……

 最後にジョヴァンニ司教が祭壇に祀られていた一振りの長剣を手に取った。鞘に精緻な紋様が施された両手持ちの剣だ。司教は重そうに鞘から剣を抜くと、切っ先から三十センチほどが諸刃になった剣がステンドグラスの光に輝いて。

 司教は刀身をうやうやしく持つと祭壇に頭を垂れ祈りを捧げる。

「聖霊の理を以て邪なる魔を断つ聖なる戦士に祝福を……」

 司教は剣に祈りを込めると、俺に向き直った。

 俺は片膝をつきながら司教から剣を受け取る。ズシリと重く、ステンドグラスの光に輝く美しい法剣だ。

 おお、これが俺の剣!

「この剣で邪悪な存在を倒してくださいね!」

「はっ」

 俺は両手で剣を持つと祭壇を背に正眼に構えた。

「「ああ、凛々しい!」」

「「何と格好いい!」」

「「神殿騎士コークリット! 万歳!!」」

「「バンザーイッ!! わああああっ!!」」

 皆が一斉に立ち上がり、割れんばかりの拍手と! 歓声を! もう皆大喜びで! うわあっ、嬉しい! うわあっ、ありがたい!

「おお! コックリ君!」

「「おおおっ!?」」

「「コックリ!?」」

「「な、何と……何と神々しい!」」

 そう! キラキラと!

 目映いほどの光が!

 天から光が落ちてきて!

 聖剣がキラキラ瞬いてるよ!

 と思ったら! 俺の全身の鎧も瞬いて……おおっ! おおおっ!!

「ほおうっ! これは凄い!」

 団長が驚く。何ですかこれ!?

 柔らかい、細かな光が俺を包み込んで!

 いや、俺だけを包み込むのではなく! もう礼拝堂内を余すところなく! 何これ、スゲエ!

「おおっ! 聖霊ですっ! 聖霊が祝福してくれています!」

 ジョヴァンニさんが興奮ぎみに!

 うわあ、そうなんだ! やった! 嬉しいっ!

 ジョヴァンニさんいわく、これほどの聖霊の祝福は経験がないって……! うわあ、ありがたい! けれど聖霊は俺なんかにそれほど祝福をしてくれて良かったんですか!?

「当たり前だ! アホか!」 団長が呆れている!「そらっ! 祝福を受け取れ!」

「はっ!」

 俺は光に包まれたまま!

 そして正眼の構えのまま、つかを胸元に引き寄せ刀身が正中線にくるよう体勢をとる。すると暖かい光りは、俺の元へと一気に集まり、体の中へと入り込んで来て!

 うおおおおっ! 暖かっ! 暖かい! 暖かいっ!

「「おおっ!」」

「「凛々しい!」」

「「神殿騎士コークリット! バンザーイッ!!」」

 地鳴りのような歓声!

 ドオオッと空間が揺れる!

 皆が喜んで拍手してくれる!

 皆が自分のことのように喜んでくれて!

 とその時! 誰かが叫んだ!

「「わあっ、何だ!? 足元!」」

「「ビックリした!」」

 うわあっ! ビックリ!

 祝福の光で気づかなかったけど! いつの間にか礼拝堂内に動物が! リスとか、ネズミとか、タヌキとか、ウサギとか、イタチとか! 扉が開いていて、数百匹の小動物が至るところに! うわあ!

「ああっ窓の外も!」

「おお、鳥が!」

「動物もいる!」

 何だ!? 窓の外に鳥たちが集まっていて! 枝に行儀よく列なってる!

 あれ!? 見えない範囲からも鳥の声と気配が凄い!

 あれ!? もしかしてあのブナの樹が集めてくれたのか!?

 うわああっ、なんてこった!

 なんてこった!

 嬉しいっ! 何て嬉しいっ! 皆が祝福してくれているっ!

 皆が祝福してくれているっ!

 胸が熱くて! 胸がいっぱいで! 張り裂けてしまいそうだ!

 叫びたい!

 叫びたいくらい嬉しい!

 うおあああああああ~~っっ!!

 こんなに嬉しい思いをするなんて! いつぶりだ!?

 うわああ~~っ、笑顔で応えたいけれど!

「っ!」 くっ!

 刀身に映る顔はピクリとも動かず……くああ!

 出てくれよ! 笑顔!

 こんな時くらい!

 出てくれよ!

「……っ!」

 出ない! 出ない!

 出ないなんて!

 こんなに嬉しいのに! こんなに胸が熱いのに!

「っっ!!」

 くおおっ! 何でだ……!

 何でなんだ……っ!

 こんなに! こんなに! 胸がいっぱいなのに! こんなに嬉しくてたまらないのに! 何で!?

「……っっ!!」

 と思っていたら。目の前の風景がグニャリとして……!

 あれ!?

 なんだ!?

 なんだっ!?

「「おお!」」

「「コックリ!」」

 皆が驚いてる。え!? 何だ!?

 と、手甲にポタポタと水滴が……!

 あれ!? 雨漏り!? 古い礼拝堂だから!? あれ!?

 天井を見上げたけれど濡れてない!

 団長が苦笑しながら。

「雨漏りではないぞ」

「あっ!」

 そうっ雨漏りじゃない!

 水滴じゃない!

 涙だっ!

 涙がっ! 俺の目から涙が……! あれっ!?

 鏡のような刀身を見る。

 と、刀身に映った無表情な顔に、涙が! あれっ!?

 怖っ! 無表情から涙が! 何だこりゃっ!?

 次の瞬間、目が熱くて熱くて……

 ああ熱いモノが後から後から溢れ出て……ボロボロ、ボロボロッ溢れ出て。

 止まらない。

 止まらないんだっ!

 混乱する俺に団長が言う。

「ふふ、混乱することはない。表情は変えられんでも、嬉しい時の涙は流せるさ」

 嬉しい時!

 嬉し涙!? 嬉し涙だって!? これが!? 俺が!?

 そうか! そうか──!

 そういうことか!

 悲しさや辛さは我慢して、だから泣いたことはないけれど!

 嬉しさは我慢しなくていいから! 嬉しさで涙がっ!!

 泣くことさえも忘れていたから……!

 そうか……!

「良かったな……」

「くう。良かったですねえコックリ君……」

「「ああコックリ……良かった……」」

 ああ、俺の涙が伝播してしまったのか……

 あの歓声が……どこへ行ったんだ……?

 皆が、涙ぐんで……

 皆、グシャグシャになって……!

「「ぐすっ、うう! コックリ!」」

 申し訳ありません!

 俺は顔を隠したくて、刀身に額をつけてうつむく。と、涙がより一層込み上げて来て。

 何てことだ。

 晴れの舞台が……

 ああでもボロボロこぼれ落ちる涙が。

 心の中の溜まった嫌なモノを洗い流してくれるような気がする……

 気づけば皆、俺と同じように、嬉しそうに涙を流してくれている……

 ありがとうございます。

「コックリ君! これも持っていきなさい」

 ジョヴァンニさんがハンカチを渡してくれて。俺はそれで涙を押さえる。ありがとうございます!

「「コックリ! 頑張れよ!」」

「「体に気をつけて!」」

「「負けるなよ!」」

 ああ、暖かい!

 皆の祝福が、寂しかった心を暖めてくれる!

 頑張れ、俺! 最後の最後まで、こんなによくして貰ったんだ……頑張れ、俺! と、イタチが俺の体をよじ登って顔をヒクヒクさせて!

 くくく、ありがとう!

 よし! 涙はない!

 俺は剣を鞘に納めると胸に手を当てて大きな声で礼を言う。

「ありがとうございます!」

 嬉し涙はここまで!

 いつか笑顔を取り戻して!

 皆の前に戻ってきたい!

 と団長が俺の背中をバシッと叩く。

「さあ! 皆に何か宣言して行け!」

 宣言! 突然の無茶振りだったが、俺は心の奥底から溢れてくる想いに突き動かされ、その想いをそのまま口に出していた。

「皆さんから頂いた優しさ! 温かさ! どれほど助けられたことか、分かりません!」

 そう、俺は助けられて来た! 皆に! 助けられて来たんだ! だから!

「だから! 今度は自分が!」

「「おおっ!」」

 そうだ! 俺が! 俺がっ!!

「怪異にもがき苦しむ人々を!!」

「「おおっ!」」

 俺は再び剣を抜き、天にかざし宣言したっ!

「全員っ! 助けてきますっ!!」

 皆の歓喜の声が礼拝堂を揺らす!

「「うおおおお! 神殿騎士コークリット!」」

「「うおおおお! 頑張って!」」

 旅立ちの準備ができた!

 団長が再び俺の背中をバシッと叩く!

「よしっ! では行ってこい!」

「気をつけて!」

「達者でのう!」

「「頑張って!!」」

 皆が立ち上がり、俺のために花道を作ってくれる。ああリスやネズミ、タヌキたちまで!

 俺は皆に祝福を受け!

 見送られながら!

 この小さな礼拝堂から神殿騎士としての旅に出る!

 よしっ! 行くぞ!

 いやっ!!


「行ってきますっ!!」


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