怪異の地ラーディン領
第3話:樹海とラーディン領
広がるのは無機質な岩場
転がるのは乾いた岩々
岩場を包み込む薄い空気
空気は乾燥しひんやりと冷たい
冷たい空気を吸い込む若者と軍馬
高山を登る若者と軍馬
■コークリットの視点
法王庁から逃げ出すように北東へ。
馬で早くも五日目! 遠くまで来たなあ。高いところまで来たなあ。
今俺は、灰色の岩々が転がる高山を上っている。
ちょっとだけ、空気が薄くなったかな? そこには低木さえなく、苔や短い下草だけが絨毯のように広がっている。
ふふ。
緑色の絨毯には、小さな黄色い花が咲いて可愛らしい。おおー、湯気のような霞雲が風に運ばれる。
「大自然だなあ……」
耳を澄ますと、岩間から湧き出る岩清水の音がして。ふふふ、何だか癒される。そして高山特有の心地好い肌寒さ。でも太陽に近いからこその眩い陽射しが肌を熱して……
「肌寒いのに熱い。何とも不思議な感覚だな」
高山はなだらかな勾配だけど、ダラダラと長い。うーむ、もう二日くらい上ったり下りたり。俺は馬に乗っているから楽チンだが馬には悪いことしてるなあ。鎧は足に纏っているだけなんだが、生活用品を鞄に積んでるからなあ。
「ゴメンな」
馬の首を撫でると、馬は疲れていないようでブルルと鼻を鳴らす。ふふ、大丈夫だってか。ありがとうな。また今日も沢山ブラッシングするからな。
ああしかし、ついに旅に出たんだなあ。嬉しいなあ。途中で何度かゴブリンやオークといった魔物に遭遇して、撃退した。そのことさえも「旅をしてる」って実感になるな!
法王庁から北東へ山越えで進むとランス王国に入る。
ランス王国へは魔物がいる危険な山道ではなく、比較的安全な沿岸の平野部を通っても行けるんだが、山を迂回するため何せ時間がかかる。怪異発生の親書が書かれた日から今日までで二週間は経ってしまったから、敢えて近道の山越えをしてるんだ。
俺を待ってる人がいるんだから。
早く助けたい。助けたいんだ。
と突然、冷たい強い風が俺の体を駆け抜ける。あれ? 風の質が変わった?
「ブルルッ!」
馬が片目だけ俺に向けて訴える。おお! 頂上か! 何も遮蔽物がなくなって! それで風が! おっ!?
「うおおおおおおっ!?」
俺は腹の底から感嘆の声を上げた。まるで撃退したオークの断末魔みたいだ!
「何と!」
これは凄いっ! 凄いっ! 何と壮大な景色なんだっ! これはっ! これは感動で! 胸がいっぱいになる!
「空が! 何て大空がっ!」
そう大空! 雄大な大空! こんなに大空は迫力があったのか!? 視界の半分以上が大空で! 不揃いな大きさのひつじ雲が、見上げる空から地平の彼方へと流れて行く。
「絵画か!?」
そうなんだよ、何て芸術的なんだ! 抜けるような真っ青な空に、白い綿のようなひつじ雲。でもひつじ雲の上部は真っ白で、雲の底はグレー! 太陽の光で複雑な陰影を見せていて! 青空とひつじ雲の織り成す様は、複雑な色彩と陰影を持つ絵画のようだ!
おお、遥か彼方の雲の切れ目で巨大な何かが飛んでいる! 飛竜か!?
そして眼下には!
流れる雲の影が落ちる大地には!
「樹木の大海原か!?」
そう! 眼下には大海原と見まごう緑の大展望が!
東にも西にも! 北にも! 見渡す限り!
霞ながら、遥かな地平の彼方までどこまでも続く大樹海が! 空の青さに染められた森林の大海原がある! そう大海原! 本物の波のような、長く大きい起伏。大地の起伏なのか!? 樹海の大波がグラデーションとなって次々に続く。
うおお、流れる雲の影が、樹木の樹冠の形によって輪郭を変える! 何て広大で、遠大な樹木の海原だろうか。
この大樹海地帯には数百万~数千万種とも言われる動物や昆虫、妖精や獣人や妖魔、幻獣や魔獣が生息しているという。法王庁の研究機関でさえ、その全貌の数パーセントしかつかめていないらしい。
多くの冒険商人が商売のネタを探しに、傭兵団と探検に行くも、ほぼ全ての場合魔獣に襲われ、あるいは病にかかり、遭難し、運の良いものだけが樹海から戻ってこられる。
ゆえに人が踏み込んでは行けない領域と言われているんだが、聞くのと見るのでは違うということがよく分かる。
「おお、あれは……」
霞み行く樹木の海の遥か彼方。空との境界線。
もはやうっすらとしか見えないものの、確かに存在する白い白い、巨大な壁。
「あれがリートシュタイン山系か」
世界の屋根と謳われるリートシュタイン山系だ。
ダロス島を南北に分断する人跡未踏の神の山には、標高二万メートルとも言われる頂きが十座、存在するらしい。あの頂きの一つ一つに魔獣や幻獣の王がいて、獣たちを支配していると神話が伝えられている。
いつか行くことがあるかな?
遠慮したいところだが。
「はああああ」
胸いっぱいに空気を吸う。ああー、法王庁ではもう息苦しさでいっぱいだったからなあ。凄い解放感だ! 心機一転できたぞ!
と、目的に戻ろう!
「目的の領はどこだ?」
ランス王国はダロス島の東に位置する、大小三十を越える領からなる大国だ。遥か東の彼方には平野が広がる。人の領域たる平原が。平原の霞む彼方には、巨大な街の片鱗がいくつか見える。ランス王国の王都はあのどこかか。
だが今回、親書を寄越した領は違う。
親書に書かれたサリマーノ地方のラーディン領は、ランス王国の外れ。沿岸部の王都から、もっとも遠い平野部と山海樹林地帯の境界にある『 霧の森 』の外縁部だというが……つまり。霧が沢山発生している森を探そう。
と考える前にはもう目がそこを捉えていた。
「見つけた。アレが霧の森だな」
樹海の外縁部に、霧に包まれた場所がある。凄いガスだ。その一帯だけ空白地帯があって。
親書では、断崖の町だと書いてある。霧に包まれて見えないけれどあそこらへんにあるのだろう。ざっくりだが、まあ俺は大体いつもこんな感じだ。
「とりあえず行こう! もう一走り、頼むな」
「ヒヒーンッ!」
俺の声に、馬は力強く
◇◇◇◇◇
高山を駆け下りる途中でまた魔物に襲われて。
まあでも瞬殺。
そこから平野部と樹海地帯の境界を野宿しながら進むこと一日。結局一日! 森がガスで煙る地帯まで到着した。
「よしよし、霧の森の外縁部だ」
馬の首をなでる。
平野部からだとよく分からないから、魔法で上空から景色を見るか。
「『 千里眼 』」
左手を前に突き出すと、手のひらの前に光る魔方陣が出現した。次の瞬間、魔方陣は手のひらくらいの大きさのシャボン玉に変わる。同時に俺の脳裏に「俺自身」の映像が映し出される。
この魔法は千里眼と言い、シャボンが見ている映像を俺に届けてくれる便利な魔法だ。まあシャボンだから壊れやすいのが難点だが。おおむね五~十キロくらい飛ばせるかな。
怪異捜査を行う神殿騎士には必須の魔法の一つで、このような魔法は他にいくつもある。それらの魔法が使いこなせるかどうかが神殿騎士の条件になるわけだが、これらがなかなか使うことができず神殿騎士になれない聖戦士が多い。
さて、俺は早速千里眼を上空へ飛ばす。
おお~、中心にいる俺がどんどん小さくなって、代わりに景色がどんどん広がっていく! 気持ちいい! 真下に広がる映像を楽しむ。
「ううむ、広範囲に凄い霧だ」
そう、真下に広がるのは霧の海。うっすらと樹木の陰が見える程度か。雲海にいるみたい。
さて断崖はどこかな? 視線を横方向に向ける。
と、十数キロ先。霧の中から断崖絶壁が飛び出ている。おお、そこで霧が塞き止められている。切り立つ断崖だ。
まるで大地がズレ、隆起したかのよう。いや実際そうなんだろう。
その断崖は森の奥まで続いて、やがて森の木々と霧で見えなくなるが、相当奥まで続いているのではないか。
千里眼を断崖の方へと飛ばす。
と、その断崖の手前には大河が。
断崖をなぞるような大河は幅が五十メートルはあるか? 遠くリートシュタイン山系から流れてきたのだろうなあ、納得の川幅だ。
その大河を超えた断崖の中腹。
どうやら平坦な土地があるようで、三階建て四階建ての集合住宅が崖に沿ってへばりついている。よく建てたもんだなあ。パッと見、城壁だね崖の城壁。ああ蔓草に覆われて彩りがある。あの町の規模感からすると、千世帯くらいかな? 五~六千人いるだろうか。
と一番高いところに砦のような城が鎮座している。その城の尖塔の壁を見ると紋章が掲げられていて、その紋章は親書に描かれていたモノと同じだ!
ヨーシヨシ! 見つけたぞ!
サリマーノ地方のラーディン領!
「もう少しだぞ。ここまでありがとう」
馬の首をなでると、馬が喜ぶ。
ふふ、ありがとな。俺は千里眼を解除した。
「もうひとっ走り、頼むぞ」
「ヒヒーンッ!」
愛馬を走らせること数十分。平野部の草原にチラホラと家が増えてきて。
そして先の方に断崖が見えてきた!
「おおっ!」
見上げる断崖絶壁が予想以上に高くて、大河も大きくて、凄い水量だな。これは大河と断崖に守られた堅牢な町だと分かる。
断崖をトンビが飛び回っているな。たぶん人の売っている食材を狙ってるのかな? ふふ、頑張れよ。助けてやれないけどな。
「ふーむ。ここから観察した感じでは魔獣が暴れまわる怪異ではないようだな」
そう、親書に書かれている怪異の内容から少しだけ懸念していたのだが、魔獣による襲撃などはなさそうだ。
大河には橋がかかり、中央には立派な楼門と跳ね橋が水の中から聳え立っている。堅牢だな。楼門前には物々しい様子の警備兵たちがいて、怪しい旅人の俺を警戒の目で見ている。ああ楼門の奥にも殺気立った兵士が。親書を見せ、身分と来訪の経緯を伝えると「神殿騎士様!?」と、警戒していた兵士たちが一転、我も我もと大挙して押し寄せる。ううむ、自分が伝説的逸話を残す神殿騎士たちの一員だという重圧を感じる。その名を汚さぬよう頑張るぞ!
橋の上にある詰所の待合室に通されたものの「お待たせ致しました。すぐに城内へご案内致します!」と上級兵士が来て、俺をキラキラ輝く目で見る。
伝説の神殿騎士を見る目で。
そう俺も! 人々を救うんだ!
歴代の神殿騎士たちのように!
多くの人が俺を助けてくれたように!
そう心に誓うことで、俺のスイッチが入る。
町に異変はないか? 案内される道中、崖の町と人々の様子を観察する。
崖の中腹ゆえに道幅の狭い、こじんまりとした町は少し不穏な空気が漂っている。城壁に似た集合住宅の一階部分が軒並み食堂や雑貨店、食料品店だが、見知らぬ訪問者の俺に不審な目が向けられる。普段ならばきっと、町の人々や旅の商人、近隣の領民で活気のある目抜き通りだろうが、領内で怪異が起きているという噂が皆の警戒心や恐怖心を高めているのだろう。早く解決してやりたい。
そう考えていると町の奥に築かれた城が見えてくる。
断崖に埋まるような、断崖を城の形に掘りぬいたような岩壁の城だ。
楼門を抜けると僅かな庭があって、すぐに本丸になる。おお、旅に出てから初めての城だ。孤児のままだったら、一生涯入ることはなかったろう。
城はこぢんまりとした感じだ。狭い崖に建っているからかごちゃごちゃと階層が分かれている。石造りだからこその足音の反響。崖に埋まっている部分もあるので、壁が岩肌の部分があって水が沁み出してるな。
と、俺の前を行く上級兵士が扉の前で止まった。
「ラーディン卿。神殿騎士コークリット様が到着なさいました」
上級兵士が扉を開けて、俺を中へと導く。
部屋は明るい。石壁の質素な造りながらも、暖炉があって、調度品も部屋に似合ってセンスがいい。部屋に入ると正面の重厚なテーブルに向かって執務をする中年男性がいて、俺を見ると「おお!」と唸った。
たぶん『 伝説の神殿騎士 』を間近で見られた喜びだろうか。
期待を裏切らないよう、俺は胸に手を当て
「
「おお、よくぞ御出いただいた神殿騎士殿。私がこの領を統治しているラーディンです」
ラーディン卿は俺に握手を求める。
いやあ申し訳ないなあ。
ラーディン卿は『 伝説の神殿騎士 』との握手ということで嬉しいんだろうが、俺は神殿騎士に成り立ての、実績のない若造なんですよ。歴代神殿騎士の威と名声で俺を勘違いしているだけだから、罪悪感が……
しかし当のラーディン卿はそれでも嬉しそうだ。まあ俺の事情など知らないからな。ラーディン卿は四十代前半といったところだろうか、口髭が似合う細身の
男爵は小領主といったところで、孤児の俺が本来握手できるような身分じゃない。
ラーディン卿はまだ俺の手を握りながら、俺の頭の先から爪先までをしげしげと見る。
「うーむ、凛々しいですな。想像通りの騎士殿だ」
「ありがとうございます」
良かったな、顔面が動かない無表情で。本当に端整に見えるからな、自分で言うのもなんだが。
身なりに関しては全身鎧じゃなく
「さあどうぞ、そちらへ」
ラーディン卿は会議用のテーブルを俺に勧めると、向かい合って座った。
さあ、ついに初の怪異捜査の始まりだ!
「遠路遥々お疲れのこととは思うのですが、この地で起こっている怪異について、話させていただいても?」
「もちろん構いません。一刻も早く解決すべきですので」
そう、怪異は一刻も早い解決がいい。
俺も早く助けてやりたい!
そう、助けてやりたいんだ!
頑張れよっ、俺っ!
助けてやるんだぞ!
俺はいただいた親書を広げ、卿に話を促した。
「親書だけでは伝えられなかったことがあったと思います。詳しくお聞かせ願えますか?」
「ええ。事は二ヶ月前に遡ります」
卿は一呼吸置くと目を閉じた。
当時のことを思い出しているのだろう。そしてゆっくりと話し始めた。
「霧に包まれるこの地には、特に霧の深い『 大霧 』という日があるのですが」
卿は一呼吸おく。
「その大霧の日。幼い子供たちが。次々、次々と。姿を消すのです」
卿は目を瞑った。
「そう、まるで霧のように……」
深い霧に包まれる大霧の日に、子供たちが次々と姿を消す……
それがこの地で起こっている怪異だった!
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