第4話:ラーディン領の執務室


 怪異の始まり。

 それはラーディン領で最も森の奥深くに位置するイーガン村からだった。


 早朝、メアリーは肌寒さで目を覚ました。

 まどろみながら虚空を見るとはなしに見ると、室内はまだ暗く「まだ夜なのか」と錯覚してしまう。いつもなら鎧戸の隙間から陽の光が射し込んでくるのだが。

(そうだわ……昨晩から大霧だったわ)

 月数回ある大霧の日。

 霧の森から深く濃い霧が流れ込み、すべてを白く飲み込む日だった。大霧は丸一日続くことが多い。今回の大霧は昨夕から始まったから、まだ霧が続いているのだろう。

 メアリーは上着を羽織ると、隣で眠る夫の寝息を聞きながら窓ガラスを開け、鎧戸を開ける。

(ああ、やっぱり凄い霧だこと)

 窓の外は見事な霧だ。

 ただただ白い、真っ白いだけの世界。

 細い路地を挟んで向かいの家が白くぼやけている。この村にきて数年経つけれど、やはり中々慣れない。吸い込むとせき込みそうになるし、じっとり濡れて寒くもなるから、鎧戸だけ開けてガラス戸は閉める。さあ食事の準備をしなくては。

 ダイニングへ向かい、その鎧戸も開けると僅かに明るくなる。メアリーはこのダイニングが好きだった。薄いレンガを何層にも積み重ねた壁にはタペストリー代わりの飾り布をかけて。作り付けの棚には保存食の瓶、さらには生活雑貨を並べて。見せる収納が調度品のようで独特の雰囲気を生み出す。夫がこの領での仕事に就くまでは納屋のような家に住んでいたから、本当にうれしい。

(さあ、子供部屋も鎧戸を開けなくちゃ)

 メアリーは夫婦の寝室横の扉を開けた。と、その瞬間。

 モワアア……

「え!?」

 霧が! 子供部屋を霧が覆っている!

「え!? 何で!?」

 慌てふためくメアリー。子供部屋はベッドの位置もうっすらとしか分からないほど、白い霧に覆われている。メアリーは娘の名を叫ぶ。

「ケイティー!? 窓を開けたの!?」

 しかし返事はない。「ケイティー!?」 名前を呼びながら、手探りで窓に行くと、ガラス戸も鎧戸も開け放たれている。ガラス戸を閉めると今度はベッドへと向かう。

「ケイティー!?」

 ベッドに着けば、誰もいない。

 布団はぐっしょりと濡れ、重く染み込んでいる。

「ケイティー!?」

 叫びながらベッドの下を見たり、収納庫を見たり、トイレにいないか見たり。

 慌てふためくメアリー。何が起こっているの!? 慌てて夫を叩き起こして事情を説明する。

「ええ!? トイレじゃないのか!?」

「トイレにもいないのよ!」

 真白い霧の中、探しに行く夫婦。早朝の迷惑など考えていられない。大声でケイティーの名を呼ぶ。

「ケイティー!」「ケイティー!」

 すると、別のところからも、別の子供の名を呼ぶ大人の声が響く。

「リエラー!?」「リエラー!?」

 そう、村の入り口付近に住んでいるマルガの娘リエラーもまた、いなくなっていたのだ!

 だが、それだけではなかった。陽が出てから分かった。

 もう一人、十二歳の少年ロッドがいなくなっていたのだった。


 それが、始まりだった……



 ■コークリットの視点



「大霧という霧の濃く深い日に、子供たちが行方不明になる」

 俺は確認のため口に出した。

 霧の日に子供たちがいなくなる……俺は過去、歴代の神殿騎士たちが遭遇し、解決に導いた怪異の記憶を探る。

「……」

 ない。

 同様の事例や類似の事例はない。

 完全に初めての怪異事例だ。

 通常、人が行方不明になる、あるいは消息を絶つ・姿を消す、となると考えられる構造は二つ。①自らの意志で姿を消す、②他者に拐われる、の二つだろう。

 そこに対象となる者が「子供のみ」という事実が加われば、②しかあるまい。

 俺は相手が話しやすくなるように反芻しながら続きを促す。

「幼い子供たちが次々と……いったい何名が」

「すでに十二名です」

 十二名か。

 これは「少ない」とは言えない。もしかしたら「これから」もっと大きな被害になるかもしれないのだから。

「十二名。全員が大霧の日の夜から朝にかけていなくなったのですか?」

「いえ、むしろ大霧の日の日中が多かったと」

「え?」

 日中だって? どんな状況だ? 目撃者が沢山いそうで謎なんてないんじゃないか?

「日中が多い。どのような状況でしょうか?」

「そうですな。例えば子供同士で遊んでいたらいつのまにかいなくなっていたとか、学びの家 (学習所)にいたのにいつのまにかいなくなっていたとか……」

 なるほど「いつのまにか」か。すなわちはっきりとした状況を見ていないという。それならば分かる。そして時間帯も場所もマチマチか。気になるのは、子供同士で遊んでいたり学習所にいたり、複数でいた場合か。

「子供が複数いても、いずれも『 子供一人だけ 』いなくなるということですか?」

「そうです。その他にも兄弟姉妹で仲良く寝ていたら一人だけいなくなっていたという事例もあったようで……」

 複数の子供がいて一人だけいなくなる。

 なんだそれは? 「他者に拐われる」とするなら何かの条件があるのか?

「子供たちに共通点はありませんでしたか?」

「共通点」 領主は腕を組んだ「むう」

「年齢、性別、身長、体重、名前、髪の色……」

「いや、下は六歳から上は十二歳くらいまでで、男女も半々か……むう」

「『 霊力 』の大きさや質はいかがでしょう?」

 霊力とは、魔法の根源となる力であり、全ての生命に宿る霊妙な力だ。

 聖職者は霊力を魔法に変換し、数々の聖霊の奇跡を起こす。霊力は大きければそれだけ多くの魔法を生み出すことができ、質が高い霊力は同じ魔法でも強さが変わってくる。霊力の多寡、質の高低は重要な要素となる。

 もし仮にこれが魔物の仕業なら。

 魔物によっては、霊力を食う物もいることからの質問だったが領主は申し訳なさそうに顔を歪めた。

「むう、調査はしておりません」

「なるほど」

 まあ仕方ない。法王庁や王都、巨大都市などの財力がある地ならば、一定の年齢になった際、霊力の調査をする。将来有望な霊力の持ち主を聖職者なり、魔術具の作り手にするためだ。

 俺自身、法王庁の孤児院でその才能を認められ、今に至るからラッキーだったなあ。法王庁の孤児院でなかったら霊力を調べられることもなく、最底辺の暮らしどころかこの歳まで生きてなかったかもしれない。

 と、話を戻そう。

 子供が行方不明になるということを考えると、例えば「奴隷商人による人身売買目当ての誘拐」という線も考えられなくもないが。先ほど町を観察した時、物々しい雰囲気ではあったが大都市や別の土地からの行商人もゼロではなかったので、大都市の奴隷商人が……と。しかし、ううーむ。ここまでの話を聞く限りでは「人間による誘拐事件」とするには何か釈然としない。

 何かの魔物か?

「霧の中に何かの影を見たとか、音を聞いたとか、何かの臭いを嗅いだとか、熱を感じたとかはないでしょうか?」

「ええ、特には聞いておりません」

 ないか。もし魔物だったとしたら、何かしらの痕跡はありそうなんだが。

「平時に魔物を目撃したりはどうでしょうか?」

「そうですな。まれに森の奥でオークの群れやゴブリンの群れを見ることはあるようですが」

「ええ。オークやゴブリンの行動とは、かなり違いますね」

「はい」

 例えば『 霧の魔物 』か? 聞いたことはないが、ここは樹海の外縁部。数千万種の生命が存在すると言われる。霧の魔物がいたとしたら?

 目的は何だ?

 そしてなぜ今頃出てきたのか?

「霧に包まれる頻度は多いのですか?」

「大霧は月数回あります。今のところ、領民皆で注意しているので、ここ二週間で行方不明者はいません」

 ふむ。人であれ魔物であれ、子供たちは拐われていることは間違いない。とりあえず犯人を『 霧の魔物 』としておこう。霧の魔物の糸を辿るには、現場だ。後ほど村へと案内してもらおう。拐った際の痕跡、たとえそれが魔法で連れ去ったのだとしても、その魔法の痕跡を、俺は辿ってみせる。

 待ってろよ、霧の魔物め。とその前に。

「子供たちの捜索はどのように?」

「村人総出で村や大河、そして兵士たちは森を捜索しましたが……」

 見つからなかったと。

「ラーディン領の地図はありますか?」

「ええ。しばしお待ちを」

 領主は自分の執務机から筒状の紙を持ってくると俺の前で広げた。

 それはこの城を中心に描かれたもので、断崖と森、大河が書き込まれ、大河沿いに村が書き込まれている。大河は森の内部まで、入り組み蛇行しながら続くが、あまり奥までは描かれていない。そこから先は人跡未踏の森なのだろう。

「村は大河沿いに五つですね」

「そうです」

 俺は地図を見てふと思った。

「わざわざ危険を冒してまで森の奥へ村を作ったのはなぜでしょうか?」

 そう、樹海の辺縁だったとしても、そこは魔獣や魔物の領域だ。だからこそ、このような怪異が起こっているのだろう。

「ここは『 霊石 』の産地でして。採掘のためです」

「なるほど」

 なるほど、霊石か。

 霊力は生命に宿っているものだが、モノにも極々微妙に含まれている。

 多くが岩石だ。

 その霊力を宿した岩石を霊石と呼んでいる。

 霊石はダロス島の中心へ向かえば向かうほど、質の高い霊石が手に入るという。霊峰とうたわれるリートシュタイン山系は相当な霊石を秘めているらしいが……

 霊石は人間の領域である平野地帯にはあまり取れる場所はなく、幻獣や魔獣の領域たる樹海の奥深くなりに行かなくてはならない。

 でもこの地では、そこまで行かなくても霊石が採れるようだ。

 俺は地図を指しながら質問する。

「この城下町が森と平原の境界にあり、五つの村がだんだん森の内部に入っています。どの村で何人いなくなったか、分かりますか?」

「はい、まずはこの村」

 領主は指差しながら説明する。

 ・エイデン村……一名 (城下町から二キロ先の村)

 ・ビーデン村……一名 (エイデン村から五キロ)

 ・シーラン村……二名 (前の村から五キロ)

 ・ディーガ村……三名 (前の村から五キロ)

 ・イーガン村……五名 (前の村から五キロ)

 上流へ向かうほど、森の中へと入るほど、すなわち魔獣や幻獣の領域に行けば行くほど、行方不明の子供が多くなるようだ。やはり霧の魔物は、何らかの魔獣の可能性が高いといえるだろうが。まあまだ可能性の段階だな。

「ふむ」

 俺は顎に手を当てた。

 さて、何から調べるべきかな……なんて迷う必要などなく、子供たちの安否が最優先だ。

 両親や祖父母、兄弟の心境を思うと。

 胸が痛い。

 自分には親兄弟はいないが、親代わりのシスターがいて、血の繋がりはないものの心が繋がった兄弟姉妹たちがいる。

 もし家族がいなくなったら。

 表情は変わらず凍ったままだが、胸はズキンとひび割れる。魔物が原因ならば、子供たちはもう。

 いいやっ!

 俺がそんな考えでどうするっ!

 生きてる! 子供たちは!

 考えるなら、怪異解決のことだ。

 霧の魔物によって子供たちが消えてしまったとすると。やはり狙われた共通点のようなものがあるのかどうか……共通点があるならばこれからの被害者を減らすことができる。

「神殿騎士殿。して我等は何をいたしましょう」

「はい。ではまず一つ、『 神殿騎士による捜査が入る 』という御布令を出して皆の協力を得たく」

「なるほど」

「また、もし人拐いが原因の場合、それらの御布令で人拐いの動きが止まったり、あるいは領から逃げ出すかもしれません。そういった人の動きを兵士たちに見張らせていただきたいのですが……」

「おお、なるほど!」

「私はこのまま各村を回り、捜査を進めたいと思います。できましたら案内役の兵士をお借りしたいのですが」

「承知した。兵士より適任の者がいますぞ」

 領主はそういうと、手を叩いた。

 すると隣につながる部屋から身なりのいい若者が入ってきた。年のころは十五~六歳というところか? おお、領主に顔が似ているということは……

「父上、お呼びでしょうか」

「うむ。アルバートよ、こちらは神殿騎士殿だ」

「えっ!? 神殿騎士様!?」 アルバート少年は目を輝かせて俺を見た。

「神殿騎士殿、これは私の息子のアルバートです。この者が案内しましょう。現場の判断などで兵士では権限がないことも、息子が許可をできるでしょう」

 なるほど、確かに。それはありがたい。

 アルバート少年は目を輝かせたまま、俺に握手を求めてきた。むう、凄い羨望の眼差し。

 俺は快く握手をしたものの。

 むう、なぜか焦る! なぜか重圧感も。何だ!?

 もしかして、俺は怖じ気づいているのか!?

 落ち着け! 焦るな! 怖がるな!

 できる! 俺にならできる! 皆の笑顔を取り戻すんだ! 俺にならできる!

 そう、助けるんだ! 皆を助けるんだ!

 神殿騎士として! 俺が助けてやるんだ!

 胸に決意の炎を宿す。

「ではエイデン村へ向かいましょう」

「はい!」


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