第39話:青砂調査6(マヌーの川)
夜──
世界を包み込む美しい
紫光の空に瞬く満天の星
星の海
星の海は、大地にも広がる
鏡面の大地に
■コークリットの視点
「ふう」
今日も結構、進んだな。
二十五本もの川を調査できた。何てありがたいことだろう、俺一人だったら五~六日分の調査量だ。
樹の根に腰を降ろして、密やかに沈む湖沼を眺める。
ああ、濃紺色に落ちる水面には満天の星が煌めいている。綺麗だ。今日も天は赤や青の光を持つ
複雑な色彩だ。あれは宇宙に広がる霞みなんだろうか? でも霞みというには正しく美しさを表せていない。あれは……花びらだな。赤紫に透ける淡い花びら。美しく花開き、夜空を彩っている。
そして星々は花粉。多くの光輝く花粉が花びらから旅立ち、空を覆って、遠くの空へ広がって行くんだ。
宝石だ。花粉の宝石……
空を埋め尽くす宝石は、大地に広がる闇の鏡面を煌めかせる。ああ、本当に大地にも星空が広がっていて、綺麗だ。胸を打つような美しさが迫る。
「ふぅ」
夜は心地良い湿気が湖沼の世界を包み込んで、心まで安らぐ。
虫の音を聴きながら夜空を眺めていると、誰かが近づいて来る気配が。
小柄で線の細いシルエット。でも出るとこは出て美しい、シスさんだ。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
「いや、構いませんよ」
「アルを寝かしつけるの遅くなって」
「子供っ?」
思わずツッコミを入れてしまった。
彼女は「うふふ」と両の手で口許を隠す。可愛いな。何だか嬉しくて仕方ない感じ……気のせいだよな。
そして俺に相対するように行儀良くチョコンと樹の根に腰かける。ううむ、二人きりか……緊張する。俺は心を落ち着かせるため「星が綺麗ですね」と言って夜空を見上げる。
彼女は……俺の前に座ってモジモジしている。俺を意識しすぎて、チラチラ見ては汗をいっぱい飛ばす感じで焦っている。彼女は目が大きいから、チラチラ見られるとよくわかるんだよ。見られすぎてこそばゆいので、彼女の関心を他に向けようと視線を促して話しかける。
「今日も星が凄いですね。宝石をちりばめたようで」
「はい。本当、凄い星空。綺麗……」
「夜空は青空より色が多いですね。紺色があったり、紫があったり、赤紫もある」
「うふふ、本当」
しばらく星空を見上げていると落ち着いたのか、彼女は本当に感動している。そんな彼女はたまらなく可愛くて仕方がない。
以前、汗を拭いて貰ってからというもの、おかしい。
そんな気持ちをごまかすように俺も夜空を眺めるなかで、虫の仲間を呼ぶ声だけが響き渡る。
「わぁ~、流れ星。幾つも!」
「星が降っていますね。音が聞こえそうです」
「鈴の
「ふふ、そうですね」
そう、星が軌跡を描きながら幾つも流れては消え、流れては消える。
儚い、一瞬の出来事だ。こんな雄大な景色の元では、雄弁になってしまう。
「寒くないですか?」
「大丈夫です、うふふ」
彼女は嬉しそうに笑う。
彼女は肩が見える服に短パンという姿で、白く艶やかな太ももや細く締まった腕が闇の中で光って見えて正直、目のやり場に困る。小柄で細身だから幼児体系かと思いきや、胸が豊かで凄くスタイルがいい。というか、男と二人きりになるのに不用心過ぎはしないだろうか。
「優しいですよね、コークリットさん」
「そうですか?」
「はい。コークリットさんの状態は不思議なんです。精神の精霊が未成熟な時期に、感情を傷つけられ、圧し殺されていたら、感情がなくなってしまうか、何らかの弊害でおかしくなるんですが、なくなったのは表情だけって」
「そう……なんですか」
「何があったのか、聞かせて下さいますか?」
彼女は俺を見る。ああ、穢れのない翡翠色の瞳だ。切れ長の少し垂れた目が愛らしさを増す。そんな目で見つめないでくれ。
「そうですね……心を圧し殺してきたというのは、以前話した『仲間に殺されかけた』ということに尽きると思います」
「仲間に殺されかけ……」 彼女は言葉を選んでいる「その、訓練が厳しくてたまたまケガを負わされたりということで、殺意を持っていたとかは、その」
うん、確かに。訓練が厳しいことはある。殺意があったかは正直証明はできないが、全身の致命傷を与えられた場所がうずく。魔法で治したんだけどな。
「三度、四度ならまだ何ですが、三桁に迫りますから」
重傷を負わされるたびに魔法で治したので、体に傷はあまりない。でもその一つ一つが俺の心を削ったということなんだろう。
「何で、他の戦士たちはそんなことを? 同じ聖なる戦士なんですよね?」
「そう、ですね」 俺は緊張から腕組みをした「聖戦士だから、でしょうね」
「聖戦士だから?」
緊張する。俺のことを話してどんな反応を示されるか……少し怖い。
でも表情を取り戻すためなら、仕方ない。俺は指を二本立てた。
「二つの理由があります」
「二つ……」
「一つは、聖戦士の戦闘能力にあります」
「戦闘能力……」
「聖戦士一人で、騎士千人分の戦闘力を持つといわれています」
「確かに、そうですよね」
シスさんは深く納得している。移動中なり解剖中なりに、何度も魔獣に襲われているんだけれど、その都度俺が一撃で屠ってきている場面を見ているので、彼女は深く納得している。
特に大型昆虫獣ヘラクレスドラゴン(ヘラクレスオオカブトとドラゴンが合体したような姿でとにかく堅い)を聖剣技でなで斬りにしたら目が点になっていた。どうやらこのヘラクレスドラゴンを倒すには、罠をしかけ妖精や獣人百名体制で倒すレベルらしかったが、まあ堅い甲羅に慢心して気が緩んでいたから楽勝だった。
「ゆえに聖戦士は素性の確かな者だけが選ばれます。悪の道に染まり、法王庁に弓引く者にならないよう、主に王侯貴族の出の者がなります」
「王侯貴族の……」
「裏切れば一族皆が被害を被る。一族こそが人質という人物たちです」
「い、一族が人質……」
そう、聖戦士とは魔法の才能を持つ上に剣技も強く、さらに血筋さえも備わっている者がなる。狭き門だ。
「俺は孤児なので」
「コジ?」
彼女はキョトンとした。ああ、孤児を知らないようだ。そうか、エルフは皆、親がいて閉ざされたエルフの里という場所で暮らしているから、そういう概念がないか。
「親兄弟がいない者です。自分は赤子のころに、修道院に……預けられ、誰が親かもよく分からない状態でして」
「そ、そんな、人が、いるんですか」
「一定数います。生きている人なら全人口の一割くらいでしょう。死者数を入れれば、もっと増えるでしょうが」
「そ、そうなん、ですか……」
彼女は茫然としている。ショックを受けているようだ。まあ、人口百名くらいのエルフの里では起こらないことだろうな。
「身元が怪しいからこそ聖戦士の資格は有していないのに、聖戦士になった存在。それが一つ目の理由です。いつ裏切られ、牙をむかれるか分からない。ならば訓練中に……ということです」
本来、王侯貴族は自ら戦うようなことはしない。配下に戦わせるだけだ。それゆえ聖戦士という、自ら魔物と戦う任務を帯びることは、王侯貴族としての格をさらに上げる名誉ある職務だ。そんな名誉ある職務を、どこの生まれか分からない俺がするというのは、裏切りも怖ければ名誉を汚されることでもあるのだろう。
平民でも司祭にならなれる。司祭は戦うことはしないからだ。俺も最初は司祭止まりだろうとあきらめていたが、多くの人々によって聖戦士にさせてもらった。
「そ……で、でも」 彼女は言葉を選んでいる「聖霊に選ばれたコークリットさんが裏切って悪に染まるなんて、思うことはおかしいです」
「そうですね。二つ目がそれです」
「え?」
「聖霊に選ばれた俺ですが……その聖霊に皆が恐れている」
「コークリットさんを選んだ聖霊?」
そう、俺を選んだ聖霊。守護してくれた聖霊が。
聖戦士、あるいは司祭のような聖職者は聖霊に加護を受けている。
守護聖霊とでもいうか。
守護聖霊に選ばれることで、初めて魔法を使うことができる。ゆえに霊力が高くても守護聖霊に選ばれなければ、魔法を使うことはできない。
「俺を守護している聖霊。俺を選んでくれた聖霊を皆が恐れている」
「ゴクリ」 シスさんは空気を飲み込んだ「どのような聖霊なんですか?」
「聖霊ミネルヴァーラ……『 死と崩壊 』を司る聖霊です」
「!?」
彼女は「え?」という顔をした。聞き間違えた? という表情。
まあ、そうだよな。死と崩壊なんて……
「死と崩壊……とても聖霊には思えない、どちらかというと悪い……魔霊という感じですよね」
「う……う~ん?」
「しかし生きとし生ける者は皆、死にます。死は免れない。ですが死は……悪でしょうか?」
「いえ」 彼女は頭を振る「違います」
そう、死は悪ではない。忌み嫌われるものだが、悪ではない。
「もし、死が悪ならば必ず死ぬ運命にある生命は、悪に負けたのか……」
聖人さえも死ぬ。死んだ聖人は悪に敗れ、悪に染まったということだろうか?
違う。
「そう。死は……生命に訪れる平等な現象」
悪意・害意を持って死を与えるような行為こそが、悪だ。
悪とは、心の在り方であり、行為を指すことであって、死は別の問題だ。
「死は尊い」
でも死ぬのは嫌だ、死ぬのは怖い。
ゆえに忌み嫌われるものだ。
でもだからといって悪ではない。
死とは、誰でもが平等に与えられた、一つの極致なんだ。
その極致を司る聖霊がミネルヴァーラだ。
「崩壊も同様です。生命活動を終わらせた肉体は、崩壊します。そう、樹が朽ちるように」
「樹が朽ちる……崩壊」
俺はちょうど朽ちた樹を見た。根元から折れ大地に横たわり、ボロボロに崩れはじめている。
「すべてのものはいずれ朽ち、崩壊する。崩壊して大地に還り、そして次の生命の礎となります」
「次の生命の礎……」
それが、死と崩壊を司る聖霊ミネルヴァーラだ。
全ての生命が必ず迎える終焉を見守る、終焉の聖霊。
「ですが、全ての生命に
「数百年に一度……」
俺の前にミネルヴァーラの加護を受けた者は、二百年以上前だったという。
「ミネルヴァーラの加護を受けた司祭は歴史上でも少なく、特に聖戦士に至っては皆無。聖戦士千数百年の歴史の中でも一人もいない。死と崩壊の加護を受けた不吉な聖戦士。ゆえに皆恐れているということもありますし、さらに」 俺は目を閉じて「どこの誰とも分からぬ孤児……私がもし別の人間で、このような条件の人物がいたら、確かに同じ行動を起こす可能性はあります」
できるだけ、平常心を心がけて、普通に話す。
つらそうにしたら、きっと彼女は哀しくなると思う。平常に、平常に……
まあ元々表情には出ないからな。
あれ? それでも朝、彼女は俺が感情を圧し殺しているということを突き止めたんだよな。
もしかして……
感情を司る精霊を見て、相手の今の心境を図れるのか?
そういえば、黒豹の心が善か悪かなど判断していたし。
とすると、今後気を付けないといけないな……
「そんな……」 シスさんは俯いた「そんな、風に、自分を……蔑まないで」
彼女は俯いたまま手をギュッと握りしめる。
ああ、哀しませてしまっただろうか?
それとも俺のことを知り、幻滅したかだろうか?
あるいは不吉な俺と関わりたくないだろうか?
「これが、聖戦士たちが俺を葬ろうとした理由です」
「なぜ」
「はい」
「なぜ、逃げなかったんですか?」
彼女は顔を上げて俺を見る。
美しい瞳だ。濡れた翡翠色の輝きを持つ、美しい瞳。ああ、「哀しませた」だったか、申し訳ない。
「そんなに苦しい思いをして、耐えて、感情を圧し殺して……なんで逃げなかったんですか!?」
「そうですね……」
それは一つしかない。
俺を俺とする、形作ってくれたもの。それを思い出すことで、胸が熱くなる。
「多くの人々が、俺を助けてくれたからです」
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