第38話:青砂調査5(マヌーの川)

 


 ささやかに明るくなり始める東の空

 東の空だけに訪れ始める色のグラデーション

 夜が明ける前の、希望に満ちた幸せな空気

 朝の幕開け



 ■システィーナの視点



 朝──

 太陽が昇る半刻前の、明星の時間に私は目を覚ました。

 見慣れぬ天井が……壁も土壁で、室内もかなり狭い。三畳くらい?

 あれ、ここはどこだっけ……?

 ああ、外。外だっけ。そうだそうだ。コークリットさんの調査に協力するためにエルフの里の外に来たんだった。

 隣には美しい銀髪の美しいアルが寝息を立てている。うふふ、可愛い。私より少し年上だけど、いつか妹になるのよね。うふふ。

 何となく微睡んでいると、外から風を切る音が聞こえてくる。


 スヒュヒュヒュヒュヒュッ!


 この音……! 私の意識は完全に覚醒して、跳ね起きる。

 この音を知っている。風切り音に胸が高鳴る。身なりを軽く整えると簡易寝所から外へと出た。

 はあ、まだ薄暗い。森のわずかに開けた空間には朝の空気をはらんだモヤが漂っている。薄ボンヤリと木立を包む白いヴェールが。

 私が出た寝所の横には、大きな寝所が並び、中からは男性陣の盛大ないびきが聞こえてくる。ぷぷ、この中でよく眠れるわよねえ。たぶん嫌味男のことだから、自分が寝入るまでは風精霊で音を消してたんじゃないかしら? 嫌味よね。

 と、薄いモヤの中に複数の影が揺らめいている。私よりも一回り小さな影だ。

「見張りありがとう。ご苦労様」

 そこには土で、土で作られたぬいぐるみのような体の人形がいて、私はその頭を優しくなでる。一体、二体、三体……

 これは土精霊で作った従者たちで、魔物が近いて来ないか一晩中見張らせていたの。うふふ、彼らはガッツポーズをとった。

 モヤの薄幕を分けながら、風切音を頼りに岸辺の方へと進む。ああ、幹の先には海の底にいるような、静かな湖沼の世界が広がっていて……


 スヒュヒュヒュヒュッ!


 うふふ、いるいる。

 岸辺の開けた草地のところ、ほのかに明るくなりつつある湖沼をバックに、立派な体躯のコークリットさんが、重そうな剣を操っている。

 はあ、絵になる光景。神秘的な湖沼を背に、まるで舞っているような、踊っているような……

 はわぁ……相変わらず、凄い体だなぁ。ゴツゴツして引き締まって……どんな鍛練でああなるのかしら。

 私は樹木の陰から、時間も忘れて見入ってしまって……


 スヒュヒュンッ!


 剣舞が終わった時、私は拍手していた。

「凄い……凄いです!」

「ふふ、おはようございます」

「おはようございます、うふふ」

「早いですね」

「そっちですよ」

「ふふ、そうですね」

 といって彼は目を細める。それは笑んだような優しい表情で……もう笑えばいいのに。

 ああ彼から湯気が出てる。朝モヤのひんやりとした時間だからより一層なのかも。彼は汗ばむ体を湖の水で洗おうとして岸辺にしゃがむ。

「あ、オールクリンしますよ?」

「オール、クリン?」

 彼は手を止める。

「ああ~。言うならば妖精のお風呂と洗濯なんですけど」

「え!? 妖精の!?」

「はい。毒沼に行った時、ケンタウロスの浴びた毒を綺麗にしたアレみたいなもので」

「なんと!」

 彼はこの魔法の有用性を理解したみたいで。

「いいんですか!?」

「もちろん!」

「嬉しいです、お願いします!」

「うふふ」

 相変わらず表情がないのは変わらないけれど、嬉しい心が伝わってきて、照れ隠しで無表情? もう、そんな彼にホッコリする。

「うふふ」

 私が魔法をかけようとして近づくと、彼はビクッと少し身を引いたので、私は思わず「!?」と固まってしまった。

「あ、いや!」 彼は頭をかく「汗臭いと思われると……」

「(なんだぁ~、そうか~)臭くないですよ」

 私はホッとした。拒絶されたのかと……もうっ! 紛らわしい! もうっ! 一瞬、胸がズキッとしたじゃないか! もうっ! 彼はやっぱり表情は変わらないけれど、本当に羞恥の心が伝わって来たので嘘じゃないみたい。

「じゃあ、かけますね。『水精霊、彼の体と服の汚れをとって綺麗にして』」

 私の呼び掛けに、湖の水が盛り上がると水の大蛇のような姿となる。まずは心臓に遠い右手から行くのが私流で。水の蛇は彼の右手を飲み込む。

「おおっ!!」

「うふふ」

 水の蛇はそのまま肘を飲み込み、腕、肩、胴体と薄い膜を張るように全身に広がって行く。水の膜は目鼻口以外、頭も髪の毛も包んでいる。水の衣服を全身に着込んだ状態ね。

「おおおっ!! 気持ちいい!」

「ぷ~! うふふふ」

 良い反応~!

 その状態で汚れを分解して。今度は頭からだんだんと水が引いていく。頭、首、肩、胴体……引いていくけれど。

「あれ!? 濡れていない!」

「うふふ、もちろん!」

 彼は服や体を触って驚く。うふふ水精霊に命じれば、水分を残さず取り除けるという優れもので。と彼は自分の服を見て「おお! 俺の服ってこんなに綺麗だったのか」と驚く。そして水精霊を見て……

「うわ、真っ黒! 汚いっ!」

「うふふ、行ったり来たりだったもの」

 そう、彼の服や体から出た汚れが水精霊の中に溜まっていて、どす黒く。わあ~凄い。うふふ。黒い黒い!

「は、恥ずかしいです、捨ててください」

 彼は相変わらず表情は変わらないものの、珍しく焦っていて、見ていて可愛い。私はついムラムラとイジワル心が出て来てしまって……

「うふふ、どう~、しようかな~?」

「ちょ……イジワルしないで下さい」

「うふふ。うふふ」

 彼の困っている姿を見て、私は楽しさが半分、あと半分は疑問が沸いてきたの。あれ? もしかして……

 水精霊を湖に戻しながら私は問う。

「コークリットさん?」

「はい?」

「もしかして……」

「はい」

「ずっと我慢してきましたか?」

「はい?」

「感情を圧し殺して、我慢してきましたか?」

「っっ!!」

 彼はビクッとした。

 それで分かったの。やっぱりそうだって。

「な、何でそう思ったんですか?」

「はい。ちょっとしゃがんで下さい」

「はい」

 彼は素直に片膝をつくと、腰を降ろした。おお~、素直で可愛い~! 私の方が背が高~い! うふふ。

 私は確認のため彼の顔にそっと触れる。ああ、端整な顔立ちが近くにあって、ちょっとドキドキする。落ち着いて、私。

「やっぱり。感情を司る精霊と肉体の連携がおかしくなってます」

「か、感情の精霊と肉体!?」

 彼の表情は大きく変わらないものの、内心の動揺が私には伝わってきた。

「はい。喜怒哀楽を司る精霊がいるんですが、精神の不安定な時期にバランスを崩すと様々な弊害が現れるんです」

「精神の不安定な時期?」

「幼年期や少年期は特に」

「よ、幼……少期か……」

 彼は心当たりがあるみたい。

「植物と同じです。傷ついて、圧し殺していても、まともに成長はしません。精神も一緒。哀しいこと、苦しいこと、辛いこと……ずっと受け続けて、耐え続けることで、精神だけではなく体調にも影響が出てきます。つまり肉体にも」

 精神と肉体は密接に繋がっているのだから……

「せ、精神だけじゃなく肉体も」彼は茫然として「それでなのか……」

 それでなのか、ということは……

 もしかして悩んでいたのかしら? 今まで彼を見てきて、彼の心の内は楽しかったり嬉しかったりしているのに、無表情だったのは、神殿騎士という任務柄、あえてやっていたと思ったけれど。

 違ったのね……

「圧し殺し過ぎです」

「……」

 苦しかったり、悲しかったり、辛かったり、それらの感情を圧し殺して表情に出して来なかったことで精霊が麻痺してしまったのね。そのせいで他の感情さえも出てこなくなってしまったの。

 ちょっとやそっとでは表情には出てこないわ……

 でもオカシイ。

 普通、感情を圧し殺して、自分に嘘をつき続けてきたら、「表情が出ない」どころじゃない、脱け殻のような虚無になるか、あるいは冷酷で他者に危害を加えることも厭わない無情な人物になるというのに……

 どういうことかしら? 表情だけで済んでいるなんて……

 私は非常に興味が沸いてきた。不謹慎だけれども、興味が。

 ううん、そうじゃない……そうじゃない

 知りたい。知りたいの

 彼のことが知りたくなってしまったの……

「な、治りませんか?」

 彼の切実な悩みが伝わってくる。ああ……安心させたい。ちょっとタイミングとか運とかあって何とも言えないけれど……安心させたい!

 私は安心させたかったのでニッコリ笑ってみせた。

「治りますよ!」

「!! 本当ですか!?」

「はい! ちょっと複雑そうなので時間はかかるかもしれませんが」

「どうすればいいでしょうか!?」

「そうですね。感情が大きく動いたとき、つまり喜怒哀楽が大きくなったとき、私に言って下さい。精神の精霊を表層に引き出してみます」

「喜怒哀楽……わ、分かりました!」

「あ、あと!」

「はい!」

「こうなってしまった原因も教えてください」

「原因」

 ほ、本当は聞かなくてもいいことだけど……彼のことが知りたくて……!

 お、おかしくないよね? おかくないよね?

「こ、子供の頃からでしたら、そこから聞かせて下さい」

「分かりました。でも長くなりますが」

「(やった!) 構いませんっ!」

「あっ、喜怒哀楽なら今!」

「え!?」

「とっても恥ずかしいです!」

「えっ!?」

「顔をずっと触れられているので」

「あっ!」

「ダメですか!?」

 私はまだ彼の顔を手で持っていて……! ち、近っ! 端整な顔が! 彼の瞳に私が映っているのさえ見える~~っ!!

「〇※☆~~~~~っっ!?」

 喜怒哀楽じゃないからダメ! 私は耳の先まで顔が赤くなるのを感じた。



 ◇◇◇◇◇



 日が昇り、皆が起き出してくるのでとりあえず、原因については夜に話すってことになったの。

 はあ~~、夜かぁ~~

 待ち遠しいなぁ~~

 待ち遠しいなぁ~~

「何ソワソワしてるのよ」

 一緒に拠点作りをしているアルが苦笑している。

「し、してないよ」

「してるよ、ほら釜戸が変な形になってる」

「あっ!」

 本当だ。釜戸がグチャッとなっている。うわあ~~、作り直しだ~~

 今、新しい拠点場所までやってきてね。二人で居住区を作っていたんだけれど。ああ~、考えごとしながらはダメだ~~!

 私はふと視線をそこに送る。

 そこには今日男性陣が泊まる円柱形の居住スペースがあって、大柄な騎士三人が貝類を解剖している。一人はコークリットさんで残り二人は目をマスクで隠している。


 はぁ、端整な顔立ちだなあ。

 格好いいなあ。

 真剣な表情で……


 夜か~~

 待ち遠しいなぁ~~


 彼は「大した内容ではないんですが」と話していたけれど、とっても気になる。

 知りたいの、彼のことが……

 はぁ……

 早く夜にならないかなぁ~~

 彼を知れるんだもの


 そう、このときは思わなかった……

 彼を知ることで、私の人生を変えるようなことになるなんて……



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