第32話:ヴァルパンサードの洞穴②


 緑色の蔦が垂れ下がる断崖

 断崖には大きな口が開く

 裂け目のような巨大な洞穴

 洞穴の前には美しい一角馬や大鹿

 そしてエルフにケンタウロス

 洞穴の内部に神殿騎士とエルフ



 ■コークリットの視点



 俺の前でうずくまる巨大な黒豹。

 ああ、顔面の皮膚が広範囲に抉れて骨が露出した上に、左目も潰れてしまって。酷いケガだ。付近一帯には腐臭も漂い、傷口には蛆虫が発生している。

 一体何が起こった? 何が原因でこんな大ケガを? 戦いで負った傷か? あるいは……

 力なく横たわる様は、魂の火が消えるのをただただ待っているかのようだ。

 治るケガだ! 今、治すからな!

 さあ、その治し方はというと、かなりの段階を経るな。

 キモはシスさんだ。

 彼女の精霊魔法と秘薬次第だ。

 とそのシスさんは、仲間のエルフに今からやりたいこと、皆にやってもらいたいことを説明している。

「ええ!? 何その処置!? 聞いたことない!」

「それで眠りの魔法を!?」

「光の精霊と闇の精霊で目眩まし?」

「うん、スランは眠りの魔法をかけて。アルとローレンは光の魔法をお願い。私は闇の精霊でカーテンを作りつつ秘薬と血を使うから。なるべく私の分だけで賄うつもりだけれど、アルもイザというとき、血を分けて欲しいの」

「もう、私に気を遣う必要はないの! 私が先に血を使うわ」

 血を使う? 俺は彼女らの話しを聞いて分かった。

 それは『 エルフ女性の血液が肉体の再生に寄与する 』ということを。

 もしや秘薬は、彼女らの血液でできているのかもしれない。さっき、「性別や年齢で治り方が違う」と言っていたが、男女で血液の質が異なるのかも。

 そうだな、女性は新たな生命を宿し、生み出せる唯一の存在だから……

「コークリットさん、準備が整いました!」

 シスさんの声で俺の意識は戻る。

 他のエルフの皆さんが緊張の眼差しで俺を見ている。本当にできるのだろうか、と。

「ありがとうございます。まずは子供の黒豹を安心させようと思います」

「「え?」」

 俺は出入り口付近でうずくまる三匹の黒豹の元に歩む。うち一匹は案内してきた黒豹で残りの二匹はケガをした黒豹だ。

 とケガをした黒豹たちが威嚇の表情になった。鼻に恐ろしいシワができる。ううーん、俺は嫌われるなあ、悲しい。すると案内してきた黒豹が威嚇する黒豹たちを落ち着かせるように体をなめる。

 俺は魔法が届くギリギリの距離で立ち止まると、威圧感を与えないようにしゃがみこんだ。

「コークリットさん、何を?」 とスランさん。

「親の黒豹の治療をする旨を伝えます」

「「え?」」

 シスさんだけうなずく。彼女とは事前検討で話してるからね。

 俺は両手を差し出して「『 回復球 』」と唱える。左右の手のひらの前にそれぞれ魔方陣が出現した次の瞬間、威嚇している黒豹たちを黄金色の球体が包む。

「「クオッ」」

 驚きの悲鳴。緊張に体が強張る。

 しかし、回復球内は癒しの力の極致。

 癒しに満ちた球体内の心地よさと顔や足のケガや痛みがなくなっていくことに気がついたのか、すぐに大人しくなる。

 そして黄金色の光が黒豹たちの体に染み込んでいくと、顔や足のケガが治っていた。

「クルルル」

「コオオ」

 ケガが治り、驚く黒豹たち。よし、これからこうやって親豹を治すからな。大人しくしていてな。

「なるほどな」 腕組みをしたローレンさんが「これから我々が怪しげなことをするが『 治療のため 』と思わせようとしてか」

「そうです」

 ローレンさんの後ろで顔をしかめたシスさんがブツブツ「何が怪しげよ」と文句を言っている。

 くく、いいコンビだな。気兼ねなしに言い合えるのは、それだけ仲間として繋がりが強い証拠だろうな。

 だから羨ましくなる。俺には……いないな。はあー、一人か……

「コークリットさん?」

 とシスさんが不安がる。

 おっと、マズイな! この女性は俺に気を配ってくれているからか、色々鋭い。羨ましがって、淋しく思ってるのが分かるかも!

 切り替えろ! 今は治療だ! 切り替えろ!

「何でもありません。では治療を始めたいと思います」

「「はい」」

「では初めに眠りの魔法をお願いします」

「はい」 とスランさんが手を前に「『 眠精霊ザンドマンよ、眠りの砂を黒豹にかけよ 』」

 スランさんの手のひらの前に、何かの紋章が現れる。精霊の紋かな? すると紋章から小人が数体飛び出したぞ!?

「ぉぉ」

 俺が小さく驚くと、俺を見ていたらしいシスさんが「うふふ」と笑う。もう、いいじゃないか、ビックリしたって! そんなに俺を見てないでくれよ!

 と気を取り直して小人たちを見ると、彼ら? は肩に大きな袋を担いでいて、重さを感じさせないようにピョンピョン跳びはねている。おおー、メルヘンチックだなあ。と思っていたらシスさんがまた「うふふふふ」と俺を見て笑う。まったくもう。

 でも何て嬉しそうな笑みだろうか。心の奥底から喜んでいるのが分かる。凄く可愛いから調子が狂うなあ、もう、いちいち俺の反応を楽しまないでくれよ。

 黒豹は気だるそうにしながらも、何事かと残った方の目を開けた。がその目に小人たちは、袋から光る砂を撒き、鼻に砂を撒いた。

「あれが眠りの砂です」 シスさんが俺に耳打ちする。

「眠りの」

 さっき目が開いたと思った黒豹は、トロンとした目になりそのまままぶたを閉ざした。

「寝ました。スランが魔法を維持している間ずっと寝っぱなしになります」

「なるほど」

 よし、じゃあ俺の出番だ。

 俺は寝入った親豹の前に立つと、右手を腹側に、左手を顔側に向けた。

 シスさんがゴクリと息を飲み込む。ふふ、大丈夫。

 まずは右手で「『 病原菌浄化 』」と唱えると魔方陣が出現し、黄金色の巨大な球体が黒豹を包み込む。

「「おお」」

「「クオンッ」」

 あまりの巨大さに皆が驚く。黒豹を包むためだからデカいな!

 続いて左手で「『 壊死浄化 』」と唱える。と黒豹の頭に別の黄金色の球体が輝く。

「シューーッ」

「「おお」」

 たちまち壊死した顔の肉が煙を上げはじめた。よしよし熟睡してるな。本来なら焼ける痛みで無茶苦茶痛いから、のたうち回るんだけれど。おお蛆虫もボロボロ落ちて。おお気持ち悪い。

「ローレンさん、アルさん。光の精霊を。システィーナさんはカーテンをお願いできますか?」

「「はい!」」

「うむ」

 まずは光の精霊が出現し、広い洞穴内を明るく輝かせる。おお、黒豹の子供たちは出現した光の精霊に気を取られてこちらを見ていない。俺はこそこそと親豹の後ろ足へ。気づくなよ。

 その時、闇の幕がじわじわと地面から現れて。おお、黒豹の子供たちが見えなくなった。おおビックリ。これが闇の精霊か。また驚く俺を見てシスさんが嬉しそうに相好を崩す。キメ細やかで透明感のある頬がピンクに染まって、本当に可愛いなあ。

 と気を抜いたらいけない。これから例の処置なんだから。

「では『 皮膚を切開 』します」

「はい!」

 そう、皮膚の切開。それが処置だ。

 お尻や背中の皮膚を切開し、顔の皮膚に代用してみようと思ったんだ。

 手筈はこう。

 頭蓋骨に秘薬を塗り、それに被せるよう切開した皮膚を貼る。秘薬は頭蓋骨側から腱を作り筋肉を作る一方で、被せた皮膚側からも筋肉ができて行くという。

 すなわち。

 頭蓋骨と皮膚の両側から挟むように筋肉を作っていくという。

 ごく狭い範囲のつなぎに特化するエルフの秘薬は、頭蓋骨に塗れば腱と筋肉ができるハズだが、皮膚側からも筋肉へと変化していくハズだ。

 俺は黒豹の後ろ足の太ももに触れた。よし、皮膚を取れる範囲が広い。いいね。

 ああでも、弱った体ゆえの張りのなくなった皮膚だ。可哀想に毛並みも荒れているな。だが、健康に戻れば艶やかな毛並みに戻るだろう。すぐに治してやるからな。

 俺はナイフを抜くと、「『 波斬の太刀 』」と聖剣技の力を刀身に纏わせた。切れ味をよくすることで早く処理できることと痛みが少ないだろうというシミュレーションからだ。

 切っ先から二センチほどを刺す。

「刺しても起きないな」

「大丈夫ですね」

 俺は黒豹の傷の形を見ながらスーッと刃を走らせる。

 おおー、熱したナイフでバターを切るがごとし! 何の抵抗もなく、二十センチほど切り込みを入れる。

「はわわ」

「切れ味が良すぎて、起きていても気づかないかもしれませんね」

 縦横斜めに刃を走らせ形を作る。

「あ、あれ? 小さくないですか?」

「一度に顔全部は難しそうなので、全部で四~五枚を貼り合わせようと考えています」

「なるほど!」

 そう、顔は立体的で難しいし、所々無事な皮が残っているのでとりあえず少しずつ貼っていこうとね。さあ、まずは一枚目の切れ込みができたぞ。

 俺はナイフを切れ込みに入れて端をめくると、ゆっくりと皮と身を分けながら剥いで行く。皮を剥ぐのもナイフを使うとスーッと抵抗なく剥げる。これは気持ちいいな。

 ベロリと皮がめくれた。

「よし、では急いで顔に貼りましょう。秘薬をお願いします」

「はい!」

 黒豹の顔を見ると、壊死浄化の魔法によって、腐ったり傷んだ肉がなくなり、蛆虫も全部排除できた。よしよし! するとシスさんが秘薬の瓶を用意した。

「一枚目の皮膚はどこら辺の皮膚ですか?」

「ではここにお願いします」

「塗る厚みはどれくらいでしょう?」

「では三センチほどで」

 手で塗るのかなと思ったら、彼女は風の精霊を使って秘薬を宙に浮かせた。おお、凄い。秘薬は少し赤みを帯びた半透明の緩めの軟膏だ。血液を原料にしているからだろうか。所々に金色の粉が入っているのが高級感を感じさせるな。

 などと考えていると、彼女は宙に浮く秘薬に触れた。あれ? せっかく触れずにやっているのにと思ったら、彼女の手のひらには傷口があって血が流れている。

 ああ、やはり血が。おそらく秘薬よりも血の方が再生能力が高いんだろう。秘薬の効果を上げようとしているのか?

 血液だけをそのまま使わないのは血液量が影響しているかな? 彼女の体の大きさからすると、血液は四リットルはあるまい。秘薬として血液を加工する理由は、限られた血液量から増やすとともに長期間保存させるためかもな。

 俺がそう考えているとは知るよしもない彼女は、綺麗に頭蓋骨に塗り広げて行く。おお白い頭蓋骨に赤めの軟膏がフルフルと揺れている。

「できました!」

「ありがとう、では」

 俺は剥いだ皮膚を秘薬に重ねる。もともと無事だった顔の皮膚と今貼り付けた皮膚の接合部分がぴったりに合うように、切り取った皮膚を少しずつ微修正でさらに切り取る。

「よし。『 回復球 』小範囲」

 俺は、もともと無事だった顔の皮膚と今貼り付けた皮膚の接合部分に回復の魔法を使うと、みるみるうちに接合部分が繋がっていく。

「わっ、凄い」

「ふふ。では続きの皮膚を」

「はい!」

 俺とシスさんは同じ作業を繰り返す。

 切って塗って貼って皮膚を繋げ、切って塗って貼って皮膚を繋げる。子供の黒豹たちに気づかれないように。

 切って塗って貼って皮膚を繋げ。

「ふうー」

 意外に神経を使うなあ。皮膚を深く切りすぎないようにしたり皮膚の形を整えたりで、ふうー。何度も繰り返すとなあ。

「コークリットさん」

「はい」

 振り向いた俺の額や頬を肌触りのいい布が。

「!?」

 俺は硬直したっ! 何と、シスさんが俺の汗を拭き始めたんだ!

「えっ! あ、あのっ!」

「あっ、動いちゃだめ!」

「う……」

 うわああ、何で!? 何で拭いて!?

 ああそうか、彼女は俺をよく見ているから、疲れていたり不快感を覚えていたりというのが分かったのか。でも、俺の汗なんて汚ないのに!

「凄い汗。神経を使いますよね」

 一緒に大変さを共感してくれているのか、哀憐あいれんの表情で。か、可愛い。

「う……はい」

 俺は無表情だけれど、ドギマギしてしまって。頬が熱くなるのが分かる。うわあ~、こんなに美しい妖精に、俺の汚ない汗がついてしまうなんて……

 うう~、申し訳ない。

 申し訳ないのに……

 気持ちいいいぃっ!

 女性に! しかも可愛いすぎる妖精のお嬢さんに!

 汗を拭いてもらうなんて初めてだし、申し訳ない気持ちになるけれど! それを消し去るほど凄い気持ちいい! うおおおお。

「うふふ」

 俺はもう欲が勝って、彼女が拭きやすいように身を屈めて目を閉じる。うはあー、本当に気持ちいい。

「うふふ。うふふ」

 彼女は首の後ろまで拭いてくれて。き、気持ちいい!

 ああ、本当に心のうちを見透かされている気がして恥ずかしい。

「うふ、終わりました」

 幸せそうな、柔らかで穏やかな笑み。切れ長の目が細まって……何て可愛いんだろう。睫毛が長くて、艶やかな桜色の唇がフルフルと柔らかそうで。可愛い!

 ううーん、もっと拭いてもらいたいけどなあ。

「さっぱりしました。ありがとう」

「うふふ。良かった、うふふ」

 シスさんは本当に嬉しそうだ。俺の汗なんて……汚ないよな。どうしてそんなに嬉しそうなんだろう? でも。

 俺は何とも言えない多幸感に包まれた。ああ胸がドキドキして騒がしい。うおお! 俺はごまかすように作業を開始した。

「さあ、ラストスパートです」

「はい!」

 再び皮膚を切って塗って貼って皮膚を繋げて、さあ最後の仕上げは目だ。

 潰れた目玉が浄化されなくなっているところに秘薬を流し込み、まぶたが形成されるまで秘薬が流れ出ないようにシスさんが水の精霊で保護膜を作ってくれた。まぶたくらいなら数日で再生できるようで、水の精霊の保護膜がそれまで維持できるように霊玉をつけた蔓草を眼帯代わりにして。

「治療、完了!」

「はい!」

 おお! 見た目にはもう皮膚が完全に元通りになった黒豹が眠っている状態だ。

「「おおおっ!」」

「「クルルル!」」

 眼帯があるのと、角と耳がないのがなんだが、角ならまた生えてくるだろうし、耳は秘薬を塗り続けさせてくれれば再生されるだろう。

 子供の黒豹たちが親豹に近づいてスリスリ。

 嬉しそうに、愛おしそうに。

「よし! やりましたね!」

「はい!」

 シスさんの嬉しそうな笑顔。輝くような笑顔。

 ああ、俺は変だな。

 喜ぶ黒豹を見るよりも、喜ぶシスさんを見る方が嬉しい俺がいる。

 なんだこりゃ。



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