第30話:ヴァルパンサードの森
青緑色に輝く森の内部
緑の輝きを飲み込む漆黒の影
影のような毛並みを持つ黒豹
黒豹の後に続く大鹿と一角馬や人馬
そして少し離れた場所を進む神殿騎士
■コークリットの視点
綺麗だ。
青緑色に光る森を進む。
エメラルドグリーンよりも、ターコイズブルーといった方が的確かな? 青みがかった緑。鬱蒼とした、起伏に富む森をウォーエルクに跨がり進む。
俺の十メートルほど先。ウォーエルクやユニコーンに乗ったエルフとケンタウロスの姿が見え隠れする。
さらにその十メートルほど前方には、角を持つ黒い魔豹がゆっくりと歩いている姿を千里眼を通して見ている。
ううーむ、俺が少しでも近づくと魔豹は威嚇するか飛び退くかで距離を保とうとする。
俺が『 飛翔脚 』で一足跳びに飛び込める数歩手前で魔豹が反応するので、本能的な凄まじい感覚を持っているようだ。
「どこに連れて行こうとしてるのかな?」 俺の横を歩むテルメルクが腕を組む。「何だかクネクネ行き先を変えてるよね?」
「ああ、確かに」
風の渓谷という場所がある真北に向かうと思いきや、北西に進んだり、西に進んだり、南に向かったり。迷ってる? 迷わせている? 千里眼で先を見に行こうとしたら途端に方向を変える。千里眼に気づいているのか?
「詳しい場所を覚えさせたくないような感じだな」
「うん、そうだよね」
黒豹はなおも進む。
苔むした岩が転がる斜面を登って、谷にかかる巨大な倒木の橋を渡り、涼やかな滝の音を遠くで聞きながら、萌えるようなターコイズブルーの光に包まれた樹木の屋根の下を進む。
と、青緑色の光の先に黒い壁がそびえる。
「断層だね」 とテルメルク。
黒い魔豹が歩を止めると、大樹の根の上に飛び乗る。何事かと先頭集団が魔豹を見上げると、魔豹は顔をクイックイッと先へと促す。
「ここから先へ行けばいいのね?」
とシスさんが見上げて問うと、咥えていた花をシスさんに落とす。シスさんが受けとると、早く行けというかのように、クイックイッと顔を先へと向ける。
シスさんたちが前へ進んだので、じゃあ俺たちも、とウォーエルクを進めた時、黒い魔豹は根から飛び降りて俺の行く手に立ち塞がる。
「むう、分断する気か」
「ゴルルルル」
喉を鳴らして威嚇する黒い魔豹。うお、鼻から眉間にかけての凄い怒り皺だ! 何でそんなに俺を嫌うんだよ、聖戦士たちもだったが!
「ど、どうする? 神殿騎士様?」 焦るテルメルク。
「コークリットさん! たぶん大丈夫です! 待っていてください!」
シスさんが前方で叫ぶ。
むう、大丈夫か? だが!
「分かりました! 待っています!」
俺は千里眼を彼女たちの前に飛ばす。先に行って何があるか見ておこう。
彼女らの先には崖があって僅かな出っ張りから木が生えていたり、大きなシダ状の植物がカーテンのように垂れていたり。緑色の壁にも見える。
と、その崖には左右に間口が広い洞穴があった。ここか? ここに案内したかったのか? 俺は千里眼を洞穴の中へと進める。
「っ!」
千里眼がそれを見つけたとき、真空波のようなものが! 千里眼を切り裂いて、俺の遠距離視覚が途絶えた。
そうか! ヴァルパンサードの目的が分かったぞ! そういうことか!
俺じゃないと駄目だ! シスさんたちでは!
「テルメルク、俺が行かないと駄目だ」
「え!? どうしたの!?」 テルメルクはハッとして「何か見えたんだね!?」
「ああ」
さあどうする?
黒い魔豹は俺から距離を取って戦闘態勢を見せている。その距離二十メートル。近づいたら攻撃してくるぞ!?
「そうか、その手があるか」
「え!?」
俺は左手を顔の前に持ってくると「『 解装 』」と呪文を唱えた。すると小さな魔方陣が出現し、左手だけ魔法の籠手と手袋が装備解除される。
「え、どうして!?」
「考えがある」
俺は腕まくりする。そして生身の腕を前に出すと、一歩前に出た。
「ゴルアアアアッ!!」 怒気が!
「あわわっ!」 のまれるテルメルク!
黒い魔豹の角と角の間! 何もない空間が歪む! 次の瞬間、危険を察知した俺の時間感覚はスローモーションになる!
歪んだ空間は球体になり、そこから透明な何かが飛び出す!
シュバババッッ!!
何だ!?
透明だが光が屈折して、飛び出した何かが見えた!
それは、恐らく真空刃!
三日月状の真空刃!
それが三つ!
真空刃はそれぞれ回転しながら三方向へ!
あらぬ方向へ!
と思ったら、弧を描きながら、回転しながら!
俺の方に向かって来る!
うおおおおおっ!!
普段なら簡単に避けて、一足飛びで首と胴を切り離すところだが! 今回は!
敢えて攻撃を受ける!
真空刃の軌跡は、俺の腕を上、下、横から狙うものだ!
むっ、軌道が異なるから、腕に当たるタイミングと場所がズレる!
最も早い到達は横からの一撃だ。次は下方(正確には斜め下)から来る真空刃で、最後は上方(斜め上)から来る真空刃だ。
どれも素手でまともに受け止めたら、腕がズタズタになる!
俺は右手で左の腕を押さえると小声で呪文を唱えた。
「『 波動の衣 』、その変形」
右手の中に小さな魔方陣が出現した、ハズだ。隠しているから見えなかったが、魔法は発動した。証拠に、俺の左腕に薄い波動の膜ができる。これは波動を防護衣にして身を守る聖魔法で、今回は腕だけにした変形だ。
さあ来い!
俺は衝撃に備える!
と真横からの一撃が!
ザクッ!
熱っ! 痛い、というよりも熱いっ!
回転する真空刃が俺の腕に突き刺さる! あれ?
俺の予想はかまいたちのように長い裂傷を与えると思ったから、刺さるとは意外! ブーメラン!?
ああ、角か!?
湾曲した形は角に似ている!
と第二波! 斜め下から! 俺は腱や血管に当たらないよう僅かに腕をひねり筋肉で受ける!
ドスッ!
ぐあっ! 刺さり方がさっきより深いか!?
波動衣の守りだけでは弱い! 鎧と併用が効果的だからだ!
第三波が斜め上から!
ザクッ!
ぐあっ! 今度は刺さらず腕表面を薙ぎ払うように通過した! 俺が予想したかまいたち状態だ。その真空刃は大地に突き刺さった!
時が通常に戻る。
俺に突き刺さった透明な刃は、スウーッと消えた。
ブシュシュッ!
「うわあっ、神殿騎士様!?」
俺の腕から鮮血がほとばしる。うおお、太い血管は避けたけど、派手に出たな!
ちょうどいい!
俺は腕を心臓より高い位置にして、怒りに顔を歪める黒豹に傷を見せた。どうだ、凄い傷を負ったぞ?
それを見せてから、俺は右手を左手の近くに持っていくと魔法を使う。
「『 回復球 』」
右手から魔方陣が現れ、すぐに暖かな黄金色の光の球体となって俺の傷ついた腕を包む。ああ、暖かい力だ。慈愛に満ちた癒しの空間。何と心地いいことか。
黄金色の光は俺の腕に吸収されて消えていく。
「わあっ! スゲエ!」
テルメルクがキラキラした顔で俺を見る。くく。よし傷も跡形なく完治だ。
と俺は完治した腕を黒豹に見せた。どうだ?
「……」
黒豹は目を見開いて俺の腕を見る。さあどうだ、俺のメッセージは伝わっているだろう?
お前が求めているものはこれのハズだ。俺は腕捲りした袖を戻しながら、黒豹を見る。
すると黒豹はフイッと後ろを向いて、片目だけで「ついてこい」と言わんばかりに俺を見る。
「ど、どういうこと!?」
「俺が必要と分かったのさ」
「え!?」
「まあ、行けば分かる」
俺たちは黒豹の後を追った。
◇◇◇◇◇
ついて行くと、さっき見た巨大な洞穴が口を開けて待っている。
と洞穴を避けるように一角馬やエルクが随分離れた場所で眺めていて、洞穴の入り口付近にエルフとケンタウロスの姿がある。
と黒豹に気づいた一角馬たちは、避けるように左右に分かれていく。そんな馬たちを一瞥すらせず黒豹は洞穴へ向かっていく。
「わあ、洞穴がある。広いね」
「ああ」
洞穴は高さ十メートル、幅二十メートルくらいで奥行きは十メートルないだろう。岩肌は滑らかで縞模様ができている。
「あれ? 皆、何をしてるんだろう。シス姉ちゃんだけ洞穴に入ってる?」
そう、シスさんが洞穴内に入り、他の皆は洞穴の前で中を覗いている。おっとテルメルクはそれに気づいてないな。まあ黒くて大きすぎて、洞穴の闇としか見えないからな。
と、ローレンさんたちが黒豹と俺たちに気がついた。
「コークリットさん」 スランさんが青ざめた表情で「目的が分かりました」
「はい。目的は『 治療 』ですね?」
「え!?」 テルメルクが首をかしげ「何の?」
「よく見てごらん」
洞穴前にたどり着いた俺は、洞穴内に視線を向けた。テルメルクは俺の視線の先を追う。そこには闇があり、シスさんが闇の前に立っている。
「ん?」 テルメルクは目を凝らす「あれ?」
と闇の中で大きな目が一つだけ開かれた。
青い、美しい瞳だ。
「あっ!? うわああっ!?」
テルメルクは気づいてのけ反ると後ろ足で立った。おお、馬と同じだな。
そう、闇に見えたものは黒い毛並み。美しい黒の毛並み。巨大過ぎて、洞穴の影に見えていたんだ。
「ヴァルパンサードの親だな」
そう、体高にして五メートルはあるだろう巨大な黒豹が洞穴内で丸まってうずくまっていた。
「あわわ」
テルメルクは俺の後ろに隠れた。無理もない、巨大な魔獣が目の前にいたら怖いよな。正直、俺も迫力が凄くて怖い。圧倒的な存在感だ。顔だけで俺の上半身くらいの大きさだ。
しかしその顔は。
甚大な怪我の痕が残っている。
まず左顔面の肉が抉れて、骨が露出している箇所が広範囲にある。顔の肉がずるりと剥けたようで、骨が露出している。
何があったんだ? こうも肉が剥がれるなんて。
まずいな。傷口の一部が壊死し始めていて不快な臭いを発し始めている。
俺も洞穴内に入ると「グルルル」とうなり声が横から聞こえてきた。そう、もう二匹ほど二メートル級の黒豹が横たわっていて、うなり声を上げている。ああ、その二匹も足や顔を怪我している。
と、案内してきた黒豹が二匹の前に立つと、喉を鳴らして何かを伝えている。すると怪我をしていた二匹が大人しくなった。どうやら怪我を治せる者だと言ったようだ。
俺は親黒豹の容態を診ていたシスさんの隣に立った。
「システィーナさん、どうですか?」
「コークリットさん! ああ良かった、通してくれたんですね」
シスさんは俺を見るとホッとした笑顔になった。でも親黒豹に再び顔を向けると、悲しそうに顔を曇らせる。
「痛そう」
ああ、本当に。彼女はおっかなびっくり手を出すも、触ることはない。親黒豹も、諦観したように身じろぎせず、静かにその時を待っているようだ。
「酷い傷だ」
間近で見るとかなり酷い。
左目は眼球が破裂してグジュグジュとした液が出て乾いているような状態だ。頭蓋骨も大きく剥き出しているところがあり、顔の筋肉や皮下脂肪がごっそりなくなっている。その頭蓋骨には血糊や肉片、あるいはごみや汚れがへばりついている。
何があった? どうすればこうなる?
これは細菌や病原菌などにも感染しているだろう。弱って力なく横たわっているのは、病原菌が身体を蝕んでいるからだ。
よく生きている、凄い生命力だ。だが生命力の高さが仇になって苦しむことになるのかもしれない。なかなか死ねないというのも考え物かもしれない。
どうするか。治療方法は。
聖魔法で傷口を塞ぐことはできる。
が、ケガをする前の完全な肉体に元通り、ということはできない。
回復の聖魔法はあくまでも傷を塞ぐものであって、失った肉体の『 再生 』ではないんだ。
さっきは「俺じゃないと駄目だ!」とか偉そうに言ったが、これほど酷いとはあの一瞬では見えなかった。
実例を挙げると腕をドラゴンに食い千切られ失った者に、聖魔法の回復魔法を使っても腕が再生されることはない。『 魔法だから何でもありだろう 』と思って、失った腕が生えてくることを期待しても、切断面の傷口が塞がれる程度だ。
つまり回復魔法は傷を治すだけで、失った肉体を再生するようなものではない、ということだ。
無から有は作り出せない。
失われたものは失われたものとして治癒される。
ただもし腕を切断されても、切断面が綺麗で切れた腕そのものも壊死せず細胞が生きている状態なら、回復の魔法をかければくっつくことが多い。でもこの黒豹は。
この親黒豹の場合はダメだ。
目も顔もこのままで、肉がないままふさがるだろう。あるいは薄皮くらいはできるかもしれない。生命力の高い魔獣だからある程度肉体が再生するかもしれないが、それを期待して魔法をかけるか? でも後遺症が残る可能性がある。
治してやりたい。
そう、治してやりたい。
たぶんローレンさんもここに至ってはそう思っているはずだ。魔獣が何度も何度も、エルフの元へ足を運んだ理由が分かったから。言葉は通じないけれど、黒豹たちの心は伝わる。
勝手に魔獣と分類して危険視していたが、実際は仲間を思いやり、悲しみ、誰かに助けを求める心を持った、感情を持った生命だと分かった。
だから治してやりたい。
しかしどうやって治す?
難しい、悩む。
回復はするが中途半端。俺の考えでは、それは回復ではない。「以前の暮らしができる」とまでは行かなくても、「単独で問題なく生きられる」水準で初めて回復と言える。
どうする?
人間社会なら、国や修道会(ヴァチカニアの運営する療病施設)などが弱者を救済するが、黒豹たちは違う。仲間や親を想う心と知性があるが、野生で生きる彼らに後遺症を持つ者を背負わせるのは。
「駄目だ」 俺は小さくつぶやく。
何とか助けてやりたい。案内してきた黒豹は、助けを求めているんだから。
そうだ、精霊魔法で『 再生 』するような魔法がないかな? 妖精との交流がないからよく分からないが、凄い魔法があるんじゃないか? 俺がそう思ってシスさんを見ると眉間にシワを寄せて「どうしよう」と呟いている。
あれ? 「どうしよう」だって?
問題なく治せるなら「どうしよう」などと悩むことはないよな。これは期待薄か? ううーむ。
でもとりあえず相談するか。
「システィーナさん。治療にあたって相談があります」
難しい顔で悩んでいたシスさんは、ハッとすると期待を込めた目で俺を見た。
「はい! 何でしょうか!」
いや、そんな期待を込めた目で見られると困る。
俺にはあまり手立てがないから……
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