第29話:迷いの森〈北〉
広がる分厚い樹木の屋根
屋根から射すエメラルド色の無数の光
光は下草を照らし、岩々を照らす
照らされた光の中の美しい少女
森の妖精
■システィーナの視点
「ふぅ……」
緊張するなあ。
怖いというわけではないけれども。
これから迷いの森の外でヴァルパンサードと接触するから、ちょっと緊張する。
私の足元には一輪ずつ刈られた花が七本ある。ヴァルパンサードが毎日毎日咥えて持ってきた一輪の花だ。古いものから順々にしおれて枯れ始めているものもある。
きっと、何か理由がある。
そして、絶対に知性がある。
知性があって、何かを訴えかけているからこそ、私を見てすぐに攻撃するような真似はしないハズだ。
けれども。
「ふぅ……」 ああ~、緊張する!
「大丈夫ですよ」
少し離れた巨石の陰に、鎧姿のコークリットさんが。ああ大きくて強そうで。ああ安心する、はあ~。
彼は無表情だけれど、霊力はとても優しさを表す色で。はわあ~、包み込まれるなあ。
彼の優しさがにじみ出ていて、いいなあ。
離れていても、そこはかとなく伝わってくる。はわあ~。
何で無表情を装おうのかしら。
昨日、「うわあ、可愛いなあ」と何気なく言ったあれが、彼の素なんだろう。うふふ、可愛い。彼をかいまみえたようで嬉しい。
「皆、そばについてますからね」
「うん、ありがとう」
私は意識して笑顔を作った。心配をかけたらマズイしね。小さくガッツポーズを作って「大丈夫!」と言う。と
「何を強がっている」
と私のやる気を氷水で押し流す
嫌味男は私のすぐ隣にいてレイピアを装備している。そして数メートル後ろの、迷いの森の結界内には弟やアルもいて、ハルデルクさんを含めケンタウロスも二人いる。
「シス! 大丈夫だからね!」 アルも弓を持つ手を振る。うん!
さあ、何でヴァルパンサードと接触することになったか。
私は昨晩のことを思い出した。
◇◇◇◇◇
集会所に主だった面々が集まった。
エルフ側は今回帰ってきたソール他四名、さらにエリ。そしてコークリットさんとハルデルクさんだ。緑の芝生に似た絨毯の上で、皆が車座に座る。ああハルデルクさんだけ座高が高いなあ。
そのハルデルクさんの方を先に、今後の方向性を話し合ってね。明日からケンタウロスの戦士数名とエルフの戦士共同でルサテュロスの生き残りを探しに行くことになって。
でコークリットさんとの話しになったの。
「コークリットさんにはヴァルパンサードが出没する件をお願いしています」 弟が言う。
「ああ何と」 エリが申し訳なさそうな顔をして「危険なことをお願いして申し訳ありません」
「もうデルモスのように駆除してもらうのがいいだろう」と嫌味男。
「ちょ、ちょっと! 何が駆除よ! 話し会いが先でしょ!?」
「フン、やれやれ」 嫌味男は肩をすくめて「まだバカなことを言っているのか?」
「バッ!?」 私は絶句してしまった「な、何ですってええっ!?」
くわあああ、こんにゃろおおお~~っ! 何がバカだああ! 私は心底、嫌味男を殴りたかった! でもそんなところをコークリットさんには見られたくない! くわあああっ、エルフだけだったら! ぶん殴ってるのにっ! もう~~っ!!
「話し会い?」 とコークリットさん。「会話ができるのですか?」
「いや、できないだろう」
「意志疎通はできるかもしれない! やってみなくちゃ分からないでしょ!?」
「?」 コークリットさんは首をかしげて「風の峡谷にいたヴァルパンサードが出没し、徘徊しているのが困るということでは?」
「そう、そういうことなんですが」 弟が私と嫌味男を見て「ヴァルパンサードのある行為に意見が割れていて」
「行為?」
「そうか、詳しく話してなかったですね」
実は……と弟が説明する。
「花を咥えて毎朝やってくる」 コークリットさんは考え込むと「てっきり徘徊して困っていると思っていたのですがそういうことですか。その行為に対してどうすればいいか分からなくて困っていると」
「そうです。説明不足で申し訳ありません」
弟が頭を下げる。
「コークリットさん」 私の呼び掛けで彼が顔を上げた「向こうは何か理由があって私達に接触しようとしているんだと思うんです! 意志疎通できるハズです!」
と嫌味男が。
「向こうは結界の中にエルフがいるか分かっていないだろう」 腕を組んで「接触した結果、期待はずれだった場合、襲いかかって来るかもしれん」
「ヴァルパンサードの霊力の色は邪悪じゃなかった!」
「豹変するかもしれんぞ。豹だけにな!」
くわあああ! 上手いこと言うな!
「まあまあ」 と弟「こんな調子で意見が割れて」
「なるほど」 コークリットさんは考え込むと「ヴァルパンサードに知性があるとしたら、何を望んでいるのでしょう。心当たりはありますか?」
「それは」 弟も考え込むと「風の峡谷の氷河化に関してかもしれませんね」
「分からんぞ」 と嫌味男が割り込む「もしシスの言う通り結界の中にエルフがいると分かっていたなら、そのエルフを捕まえて結界を突破しようとしているのかもしれん」
「け、結界の構造まで知ってるわけないでしょ!?」
「ふん、どうだかな。あるいは一連のオークやオーガーと繋がっているかもしれん」
「な、何でよ!?」
「こんなに事件が重なるのはおかしかろう。オークが花を持って来ても『 怪しい 』と思うだけだが、ヴァルパンサードが持ってきたら『 会ってみよう 』となる。ヴァルパンサードの霊力が穏やかなのだとしたら、オークに利用されているだけかもしれん。繋がっている可能性もある」
「そ、そんなことっっ!!」
あるわけないっ、と……言い切れない!
嫌味男の考えすぎだと!
そんなことないと!
思うけれども!
それを否定できる根拠が!
でも! だからと言って!
「……ローレンの言うことは分かる。理解はできる。けれど」 私は胸を押さえた「何か違う」
「何がだ?」
違う。私は胸にあるモヤモヤを何とか口に出したくて。うう、何だろうかこのモヤモヤは!?
コークリットさんを見た。なぜかこのモヤモヤはコークリットさんと重なる! 怪異を追ってやってきた神殿騎士に。
「っ!!」
と私はモヤモヤが分かった!
「何が違う?」
イラッとした嫌味男に向き直る。
「ローレンの言う通り、悪い可能性を考えておくのは良いと思う」
「ふむ?」
「でも」 私は奥歯をグッと噛んで言った「自分たちだけで考えた悪い可能性にとらわれて、相手のことを何も調べず、退治するのは違うと思う!」
「「──!」」
そう、コークリットさんに重なったのはそれかもしれない。
彼は自分で対象を調査して、考えて、動いている。何とかしようと。
数十年しか生きられない人間が。
私たちは八百年も生きられるのに。いや長生きだからこそ嵐が通り過ぎるのを待っているのかもしれない。時にはいいかもしれない。でも常にその考えではダメだと思う。
「ふむ」 嫌味男は腕を組んだ「確かにな」
おお! 納得させられた!? おお!
「システィーナさん」
はわわっ、コークリットさんが私の方を向いて。うう彼は反対するのだろうか、表情がないから分からない。こわごわと彼を見ていたら、次に出てきた言葉にびっくりしてしまった。
「ローレンさんは、システィーナさんのことが心配なんですよ。ですからここまで過敏になるんです。そこは理解してあげてくださいね」
「「なっ!」」
私と嫌味男が同時に叫んだ。
なんだそりゃ!? 嫌味男が私を心配して!? はい!? ないないっ!
嫌味男は不愉快そうに眉間にシワを寄せて。眉間にシワは、こっちだい!
「さてローレンさんのおっしゃる通り、最悪を考えるとそのような可能性もあります。退治すること自体は恐らく難しい問題ではないのですが、通常の魔獣の行動ではないヴァルパンサードの行動の『 真意 』を把握せず退治することで、新たな問題につながる可能性があることも否定できませんね」
「「なるほど」」
そうだよ! 通常じゃない行動! 魔獣が花を咥えてやってくるなんて!
ただただ獲物を探すために徘徊している魔獣なら、いつも退治しているから問題ないとは思うけれども!
「退治するにせよ、剣の届く距離までヴァルパンサードに近づかないといけない。ですので私が接触してみようと思います」
「よろしいですか?」 とエリ。
いや!? 協力関係を結ぶとは言ったけれど、これではエルフの問題をコークリットさんに丸投げするだけじゃないか!
「待ってください!」
手を挙げた私を皆が見た。特に嫌味男がしかめっ面で。フンだ!
「ヴァルパンサードは不思議な森の存在を確認した次の日、花を咥えてやって来たんです。きっとこの森の中にエルフが、あるいは何らかの妖精がいると分かってやってきたと思うんです」
「はい」 とコークリットさん。
「ですからエルフ以外が出迎えたら、ヴァルパンサードは予期せぬ行動をとるかもしれません!」
「なるほど」 コークリットさんは考え込むと「その可能性は否定できませんね」
「でしょう!? ですから、私が接触します!」
「「何も理解してないじゃないか!」」
皆ハモッた。
◇◇◇◇◇
そうこうして、私は嫌味男とともにここにいるんだ。
揉めに揉めたけれども、条件付きでOKとなって。一つは迷いの森の境界から一メートルの距離にいることで、ローレンが危険だと判断したら迷いの森に飛び込むこと。
もう一つはコークリットさんが一足飛びでやって来られる距離に待機しておくということ。
さあ、こちらの準備は整ってるよ!
おいで、ヴァルパンサード!
「姉さん、ローレン。五百メートル先くらいに来てるよ」
えええ、本当!?
というか私には大樹の幹やら岩やら、低木の枝葉やらで五十メートル先も見えないよ!? どこどこ!?
キョロキョロしていると。
「斜めに倒れている木の方向」
そ、そうか。ありがとう!
倒木は盛り上がった台地から倒れながら生えて、他の樹木に寄りかかっている。苔むしたところからシダ植物がカーテンのように垂れ下がって先が見えづらい。私と嫌味男は身を屈めて倒木の下から先を見た。
しばらくすると。
「姉さん、ローレン、見える?」
「見える!」
「ああ!」
黒い影がノソリノソリとやって来てる!
よし、私はヴァルパンサードが持ってきた花を手に大樹の根に寄りかかってポーズを取った。
「普通にしてろ、何だその不自然な格好は」
くわあああっ! 私は自然体で立った。嫌味男が私の前に出たけれど、私は横に出た。
ああ、倒木の向こうで黒い足が近づいてくるのが見える。ヴァルパンサードはシダ植物のカーテンが邪魔で私に気づいていないよう。
ああ、足が太い。私の胴体くらいあるかも。
毛並みも綺麗。光沢があるよ。夜の闇に完全に紛れるわ、これ。
ドキドキしながら見ていると、ついに倒木の手前まで来て。
ドキドキ。
ユルリと頭を屈めてシダ植物をくぐろうとしたヴァルパンサード。その口には可愛いらしい花が一輪咥えられて。
琥珀色の美しい瞳が私と嫌味男をとらえる。
「──」
ヴァルパンサードが頭を屈めた格好で、動きを止めた。私は霊力を視る。とその色は邪悪でも攻撃的でもなく、穏やかさで落ち着いた状態の色で。
三十メートルくらいの距離で私たちは見つめ合う。私から接触しよう。
「こんにちは」 私は花を手に目を細めた「毎朝花をありがとう」
するとヴァルパンサードがシダのカーテンをくぐってゆっくりと近づいてくる。はわわ、ドキドキする。大丈夫とは思ってるけれど、やっぱり大きいから。嫌味男がまた前に出て私を隠そうとするけれど、私はまた横にズレた。
ノソリ、ノソリ。
霊力は変わらない。襲い掛かるような猛獣のそれじゃない。というかこの距離ならもうヴァルパンサードの攻撃範囲内だろう。
と、黒い豹は十メートルの距離で立ち止まると、猫が行儀よく待つようにお尻を地面につけて立ち止まった。わあ~、可愛い。二メートルくらいあるけれど、可愛い。花を咥えたまま頭をちょこんと下げて。
しばらく見つめ合っていると、黒い豹はゆっくりと体を倒して寝そべった。大きな動物の、ゆったりとした動き。前足は立てているけれど胴体は横倒しで後ろ足を投げ出している。
「私たちを怖がらせないようにしてくれているの?」
黒い豹はどうすれば警戒されないか考えて行動しているように見える。自分を恐れさせないため必死に知恵を絞って。
確かな知性が見受けられる。
私は、手を広げてゆっくりと前に出る。
「お、おい!」 嫌味男が私の肩をつかむ。
「大丈夫」
霊力は凪いだように穏やかだもの。
嫌味男は私の横でレイピアの柄に手を添えながら歩く。少しずつ、少しずつ。五メートルくらいの距離まで近づく。霊力の変化はない。
「何か、してほしいことがあるの?」
黒い豹は前足の上に頭を乗せた。ああ、もう私の腰よりも低い。
「何かしてほしいんでしょう?」
私はゆっくり近づきながら話しかける。もう三メートルない。
「シスッ!」 嫌味男が再び肩をつかむ。「危険だ!」
私はふとコークリットさんの言葉を思い出した。嫌味男は『 私を心配して過敏になっている 』か。ありがとう。
「霊力を視てローレン。穏やかなそれを」
「……むう」
こんなに近くにいるのに、危害を加えようとする霊力ではない。やはり本能で動く獣ではなく、知性を持って動く獣なんだ。
嫌味男の手が緩んだので、私はゆっくり、ゆっくり近づく。
ああ凄い存在感。
体温だったり、息遣いだったり、獣臭だったり。黒い豹は花を咥えたまま、優しい目で私を見ている。
私はゆっくりと黒い豹の横に膝をつく。私の頭ほどある手は黒いふさふさの毛で覆われていて、おそるおそる手を伸ばすと、毛の流れにそって撫でる。
「はわあ~、気持ちいい」
もうふわふわで、手触りが良くて。指の肉がぷにぷにして。嫌味男がまばたきもせず目を見開いている中、私は豹の前足を撫で、二の腕を撫で、肩を撫でる。ああ、柔らかい毛の下にある筋肉がまた弾力があって。
黒い豹は気持ち良さそうに目を閉じている。
うふふ。
「ローレン。気持ちいいよ。触りなよ」
嫌味男は信じられないようなものを見る目で「私はいい」と答えた。
「仲間がいるの。呼んでいい?」
黒い豹は目を開けた。霊力は変わらず穏やかで落ち着いている。私は皆が隠れている場所を指し示すと、皆に合図した。
するとアルや弟、ハルデルクさんたちが出てくる。そしてコークリットさんも。
と落ち着いていたヴァルパンサードが!
「ガルルルルッ!!」
花を咥えたまま、牙を剥き出しに! 穏やかだった顔には威嚇のシワが! ええっ!?
「シスッ! 下がれ!」 嫌味男が! 「やはりか!」
皆が身構える!
「ち、違う!」
黒い豹はコークリットさんを見た瞬間、威嚇し始めた! 霊力を視ると『 怯え! 』。
怯えてる!
「コークリットさん! 貴方に怯えてます! 下がってください!」
コークリットさんは一瞬躊躇したものの、「信じます!」と言って後ろに下がった。ありがとう!
「大丈夫よ、あの人はとても優しい人なの」
私は牙を剥く黒豹の首に腕を巻き付ける。たぶん黒豹はこの中で自分よりも強い存在を嗅ぎ取ったんだと思う! 凄い嗅覚! あ、そうだ!
「『 花の精。気持ちが落ち着く香りを届けて 』」
その訴えに呼応して、黒い豹が咥える花から、小さくて可愛らしい花の精が現れて、優しい香りを周囲に振りまく。
「クルル……」
「「おお」」
ふうぅ……どうやら落ち着いたみたい。私は猫の要領で喉をゴロゴロ撫でる。わあ~、大きい喉仏!
皆がおそるおそる、疑り深い眼差しで近づいてくる。コークリットさんは遠巻きに見ていて。
「大丈夫。大丈夫よ」
ふう。何とかなったみたい。
さあ、あなたの望みを教えて。
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