人外の世界へ

第21話:大河の滝


 薄い霧に包まれた大河

 緩やかな大河に浮かぶ小舟

 小舟を漕ぐ大柄な人影

 そして小舟に座る大柄な人影



 ■コークリットの視点



 ああ眠いな……

 この揺れ。

 適度な湿度。

 気持ちの良い気温。

 ちょうど良い感じで。

 俺は今、緩やかな流れの大河を舟で遡っている。俺を中心に索霊域を広げ、霊従者を三体出して一体は舟を漕ぎ、もう二体は魔物襲撃に備えて俺の前後に配置して。

 周囲は朝靄あさもやのような薄く微妙な霧。視界は五十メートルくらいかな。右へ左へと緩やかに蛇行する大河。その大河を縁取るようにつながる森の樹冠が霧の先で消えていく様はまるで絵画のようで胸がときめく。

 右手側には相変わらずの断崖がそびえて、世界を隔てる壁のようだ。

 霧の先のどこかで、バサバサと翼をはためかせる音がするのは水鳥が飛び立つ音か……

 心細い。

 動くものは俺だけだ。

 大自然の中に、俺だけが存在する世界。法王庁にいた時もまた一人だったけれど。どっちの一人がいいかな。

 断然、こっちか。

「いいな……実に」

 少しウトウトし始めてきた。マズイな。昨日はほぼ寝てないからなあ。

 索霊域を広げたままで、頭の一部を起こしたままちょっと眠ろう。魔物が襲って来たら索霊域で分かるし霊従者にまずは対応させてと。

 俺の後ろの霊従者には、地図を描かせる。どこに何があるのか、どこまで進めたかを記録するんだ。もし俺に何かあったら、次の神殿騎士がこの地図を見られるように。

 週一回はラーディン領に戻って複写を残し、同時に食糧や生活雑貨なども用意して再トライ。仮説の『 土砂崩れ場所 』あるいは『 鉱脈 』が早めに見つかればいいが、仮説そのものが違えば数ヶ月かかるかもしれないな。

 こんな時、法王庁の支援があれば、と思う。

 護衛であったり、食料や衣類といった生活物資の補給など人間世界との行き来、各種の怪異捜査以外の部分までやってもらえるし、捜査を行った場所の保全だったり簡易宿舎設置だったりを依頼できるんだが。

 俺は一人でやらないと……

 仕方ない。

 地道に。

 焦らず地道に調査。それが近道だ。

 と半覚醒状態の俺は、霧の森から大河に流れ込む大きめな川に気付き、意識が覚醒した。

「実験が必要だよな」

 探索圏の最大感度の実験が。よし、念のため青砂が流れて来ていないかこの川で調べよう。俺は舟を川の方へと近づかせる。

「よし、ストップ」

 大河と川の合流地点に舟を停める。

 流れ込む川は幅が十五メートルほどで、深さは一メートルくらいだろうか。緩やかな水面だ。川岸を彩る樹木の樹冠が大きくて、川を半ば覆い隠すように繁っている。まるでトンネルの中に流れる川といった感じだ。

 隠れ場所が多いためかな、通常規模の索霊域には凄まじい数の魚や甲殻類、貝類や昆虫、藻類が反応している。大河よりもはるかに多い、豊かな生命だ。

 この川で実験だ。青い砂が流れてきていないか調査しよう。流れていたら、この川の先に問題の何かがあるハズ。

 半径三十メートル以内に魔物の存在はない。襲われる心配はない。今だ。

「『 探索圏 』最大感度!」

 パキンッ!

 俺は大量の霊力を消費し、一気に探索圏の感度を高める!

「ぬうっ!」

 感度を高めるため一気に負荷がかかる! くおおっ、頑張れ、俺!

 あの微細な青い砂粒の霊力を捜せ! ぐおおおっ!

 あれ、感じない!? 感度が悪いか!? ぬおおおおおっ!

「っっ!!」

 あ、ある! 青い砂粒があるぞ!

 だが!

 か、解除だ!

「ぶはあっ! ぜえっ、ぜえっ!」

 うおおおおおっ! 俺は舟に倒れこんだ! 舟が揺れまくる。

 つ、疲れた! 爆発的に霊力が消費された!

 ドッと汗が! すげえな!

 こりゃあ予想以上に霊力を食うぞ!?

「ふうー、ふうー、はあー、はあー」

 呼吸を整え、霊力の回復を図る。

 霊力は消費しても回復はする。多くは寝たり、食べたり、休んだり、心が満たされ癒されれば回復する。

「ふうー」

 ああ気持ちがいい。寝そべることで感じる、ゆらゆらと揺れ動く揺らぎ。

 俺は優しい水面の揺れを楽しみ、下から見上げる美しい景色を眺め、爽やかな森林の香りをかぎ、心落ち着く水のせせらぎを聞き、心地よい湿気を全身に浴びて、回復に努める。

「はあー、いいな大自然は。回復しやすい」

 俺は落ち着いたところで探索結果を思い返した。

「僅かだけれど、あった。ほんの僅か」

 そう青い砂粒は川底の砂や藻の中に見えた。ほんの二~三粒。

 二~三粒程度では関係あるまい。あまりにも反応がないので、無理して範囲を広げた上、微粒子レベルの霊力反応まで見るくらい感度を上げてしまった。これは反省だな。いきなり深追いしすぎたようだ。まだまだ先は長いんだから。

 俺は大河の方でもう一度探索圏の最大感度を実施してみた。今度は出力を落として。通常の探索圏に使用する霊力よりは多く消費するが、さっき程じゃない霊力で。

「むっ、大河の方がやはり反応が多いか?」

 そう、大河の砂床には点々と反応が見られるしたまたま流れてくるものも感じた。つまりは大河の上流の方から流れてくるということだ。

「このまま大河を遡ろう」

 俺は寝そべったままで霊従者に舟を漕がせた。



 ◇◇◇◇◇



「霧が晴れたな」

 どうやら霧の森を抜けたようだ。

 大河に合流する川を調べながら遡ることもう半日! 結構遡ったな! 支流とも呼べる川からは微妙な青砂が検出されたが、やはり大河の方が多い。よって、まだまだ遡る方向だ。

 所々でウォーターリーパー(蛙とエイが合体したような魔物)やら、河岸からケルピー(水の魔法を操る馬の魔物)やらが襲ってきた。そのたびに霊従者が追い払って。

 と。

 ザアアア……

 ザザアアアア……

 大きく蛇行した大河の先から音が聞こえてくる。

「滝か……? それにしては音が静かだな」

 霊従者がなおも漕いで行くと、大河を曲がった先で全貌が見えてきた。

「おおおっ!」

 おおおっ、凄いっ!

 おおおっ、思わず興奮してしまった!

 やはり滝だ! 滝がある! しかも棚田のように階段状の滝が!

「スゲエ!」

 一段一段は数メートルしかないようだけれど、とにかく複雑な段を見せる滝が、横幅四~五十メートル、高さも三十メートルはあるか!? おお! 雄大だなあ!

 これは自然が作り出す絶景だろうな! おお、棚田状の滝のそこかしこに巨大な岩が飛び出していて、その上には大樹が生えて! おおっ、ど根性大樹だな! いい! こりゃあいいよ!

 おっと結構大きな魚が段を飛び越えながら遡っているぞ。凄いな、逞しいな、遡上しているのか。この先は魔物も多いから生き延びて卵を産んで、生態系の礎となってくれな。

 と、感心している場合じゃないな。俺はどうするかだ。この舟は、あの魚のようには段を飛び越えられないし……かといって、舟を降りてここから徒歩というのもな。

 俺は周囲を見渡して、舟を引き上げられそうな場所がないか探した。

 崖の上からロープで舟を引っ張り上げるか……

 何気なく滝だけではなく周囲を見渡したその時。

「っっ!!?」

 あっ!? ああっ!?

「マジかっ!?」

 俺は一瞬呼吸が止まるほどビックリした!

「舟がある!?」

 そう、舟がある! 五艘も!

 滝の脇! 浜辺状になった森側の岸辺に!

 舟がある! それはつまり!

「誰かがここまで来た! でも帰っていない!」

 俺はその意味を瞬間的に察して、今度は心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた!

「子供たちが! ここで降りたんだ!」

 そう、この舟は行方不明になった子供たちがそこに乗り捨てて行ったものだ!

 体内の青石に操られた子供たちは舟で遡ってここまでやってきたんだ!

 しかし滝があるので!

 あそこで乗り捨てたんだ!

「俺はバカだ!」

 なぜ! 大河の上流から青い砂が流れてくると考えたとき、操られた子供たちが大河を遡ったと考えなかった!

 バカ野郎が!

 浮かれていた! 青い砂を見つけられて!

 計画変更だ!

 子供たちを探す!

 俺はすぐさま千里眼を数個呼び出し、舟の元へと送る。残念ながら舟には子供たちはいない。

「舟が五艘。いなくなった子供たちは十二名……誰か辿り着けなかったか、あるいは一緒に乗ったのか……だとするとイーガン村のロット君とケイティーちゃん、リエラーちゃんが同時にいなくなったな」

 俺はハッとして逆方向の岸辺も見た。すると二艘の舟があるではないか!

「向こう側にもか!」

 俺は急いで千里眼を一つ対岸の方へと飛ばす。やはり子供たちは乗ってはいない。

 俺は森側を見ると大河を縁取るように大きく張り出した樹木のトンネルの下に千里眼を一つ送り、大河を下る。と一キロほど下流の枝のトンネル内に、舟が一艘引っかかっていた。たぶん流されたのだろう。もしかすると、そのような舟がまだあったのかもしれない。

「子供たちは舟で大河を遡った」

 最初に行方不明になった子供は約二ヶ月前。

 普通に考えれば絶望的だが、もしかしたら何かの食糧で生きている可能性もある! 俺は千里眼をすべて五艘分の舟の上に集めてその周囲から徐々に捜索を開始する。

 階段状の滝の横も階段状の断層が延々と続いている。リートシュタイン山系のあるダロス島の中心に向かうごとに、テーブル上の台地になっているのかもしれない。子供たちは舟を諦め、徒歩でこの断層の登れそうなところから登ったハズだ。俺は呼び出した六個の千里眼のうち二つを断崖沿いに、四つを断崖の上に展開し、周囲を探る。

「痕跡を見逃すなよ、俺!」

 集中しろ!

 森はうっそうとしているが、上空に霧がないから明るい。樹木は日光を求めて樹幹が高いから枝葉の天井が高く見晴らしがいい。さらに森の大地はゴロゴロとした石が多く、落ちた葉が敷き詰められて長い下草は少ない。

 つまり、視界が上下左右に広い!

 あっ何か動いた! と思ったらディア(鹿)の群れか! 紛らわしい! むっ、別の千里眼が動く物を見つけた! と思ったらグラボアー(背中から多数の角が生えた巨大猪)か! 雑食で体高一メートル半はある危険な四足獣だ!

 落ち葉に混ざって、木の実や果実が落ちていて、木の根付近には木苺も多く生っている。キノコもそこかしこから生えている。食べ物の心配はそこまでしなくても大丈夫のハズ。

 倒木が木管のようになって雨風をしのげそうだし、大木には洞が空いているからそこでも雨風がしのげる。

 生きている! 生きているハズ!

 痕跡を見逃すなよ! 俺!

「何か痕跡は……何か」

 と、断崖沿いに一キロほど進んだそこに、落ち葉が線状に削られて。たぶん、滑った跡!幅は子供の靴幅くらい! 削られてから数週間は経つか、新しさはなくてなじんでいる! その進行方法は崖。崖を登るために踏み出して滑ったときについた跡! 崖を登る! と……

「ああっ!」

 俺は、目を見張った。



 ◇◇◇◇◇



 森の中は仄かに明るい。

 優しい緑色の光に満たされていて、心が和む。

 ホタルだろうか。たくさんの光る小虫が緩やかに宙を舞っていて、とても幻想的だ……

 踏みしめる落ち葉も緑色。柔らかい音がする。

 転がる石や倒木、背の高い樹木の根には厚い深緑の苔が化粧を施して、所々に咲く小さな花が儚げで可憐だ……

 緑色に包まれた世界で、俺が目的の場所に近づくと、微かに、微かに声がする。

『くすん、くすん……』

 女の子の、すすり泣く声だ。

『くすん、くすん……』

 泣き声は、大きな樹木の、根と根の谷間の部分から聞こえてくる……

『くすん、くすん……』

 俺は女の子を驚かせないよう、遠くから姿を見せる。

「そこに、誰かいるの?」

『!』

 女の子が顔を上げた。可愛い。八歳くらいだろうか……

「ああ、やっぱりいた。探したよ」

『おにいさん、だあれ?』

「お兄さんは、君のお父さんとお母さんに頼まれて、君を探していた旅人だよ」

『お父さんとお母さん!?』

 泣いていた女の子の顔が、嬉しさで輝く。

「そう。探したよ」

『うん、うん! さびしかった、さびしかったよぅ!』

「ゴメンね? 遅くなっちゃって」

『ううん。うれしい、うれしい』

「帰ろう」

『うん、うん!』

 俺は持ってきた布を広げると、少女を少しずつその布に置いていく。

 森は優しい緑色の光に包まれて、明るいから。少女を見つけやすかった。

「お名前は分かるかな?」

『うん、エマ』

「エ、」 俺は指が止まった。手が、体が震える「マちゃんか」

 エマ。俺は若い夫婦の姿を思い出した。

 ただひたすらエマちゃんのことを心配し、涙していた若い夫婦を

 ああ

 そうなのか

 そうなのか

 何ということだ……胸が、締め付けられる

「そう」 胸に沸き上がる熱い塊「今まで、一人で、淋しかったね」

『うん。きがついたら、森のなかにいたの』

「うん」

『こわくなって、でも、うごけなかったの』

「うん」

『ずっと、まってたの。お父さんとお母さんが、むかえに来てくれるって』

「うん」 俺は震える手を握りしめる「ゴメンね、お兄さんで」

『ううん。うれしいの』

「うん。良かった」

 俺はビリビリに破けた少女の服も拾い集める。これは寝間着だ。

『お気に入りのねまき。やぶけちゃった』

「可愛い、寝間着だね」

『お母さんがぬってくれたの』

「うん」 俺の脳裏にその光景が過る「うん」

『だいすきな、ねまきなの』

「うん。うん」 寝巻きを縫う母と嬉しそうな娘の光景「また、縫って、もらおう、ね」

『うん』

「頑張った、ご褒美。お兄さん、頼んで上げるよ」

『うん、やったあ』

「お兄さんも、見て、みたい、な」

 俺は少女の欠片を拾い集める。

『うん、うん……おにいさん』

「うん。なあに?」

『どうして……」

「うん」

『どうして、ないているの?』

 無垢な質問に胸が張り裂けそうになる。

「ぐす」 俺は袖で目を拭う「な、泣いて、いるかな?」

『ないているよ。かなしいことがあったの?』

 彼女は心配してくれて。優しい子だ。

 彼女はその透き通る手を俺の頬に添える。ひんやりとした手が俺の心に触れる。

 俺の表情は……相変わらず変わらない。でも、涙は無表情の頬を流れ落ちていた。

「うん。そう、だな」

『うん』

「お兄さんも、実は、迷子に、なっちゃって」

『おにいさんも?』

「うん」

『おとななのに?』

「うん」

『うふふ、そうなんだ』

「格好、悪いね」 俺はこぼれる涙を天を見上げて止める「はぁ。格好、悪いね」

『ううん、そんなことない』

「ぐす。エマちゃんが、一緒に、帰ってくれたら、心強いよ」

『うん!』

「ああ。心、強い」 俺は唇を噛んだ。「心強いなぁ」

 俺は少女の欠片を拾い集める。

 と、他の千里眼が。ああ。

「ほかにも、迷子の、子供たちが、見つかった、みたい」

『クスクス。そうなんだあ』

「皆で、一緒に、帰ろう?」

『うん。うん。おにいさん」

「うん、なあに?」

『ふぁ。あんしん、したら、ねむくなっちゃった』

 彼女は今にも消え入りそうに

 彼女の姿はどんどん薄く、小さくなっていく

「うん、いいよ。眠って、いいよ」

『うん』

「眠くなる前に、見つけられて、良かった。良かった」

『うん……うん……』

 俺は少女の入った布を優しく包む。

 もう、破片だけになってしまった少女の小さな、小さな体の全てを。

「おいで」

 そして小さくて、小さくて、今にも消えて入りそうな彼女を、優しく手で持つと袋の上に置く。

「ぐすっ。お父さん、と、お母さんに、伝えること……ある?」

『うん……うん……』

 彼女は小さく、小さく。ホタルの小さな淡い光のように変わっていく

「うん」

『……お父、さん』

「うん……」

『お、母さん……』

「うん……うん」

『……大……好き……』

「ぐすっ」

 その言葉を最期に

 少女は


 森に残され

 地に縛られた少女のこころ

 儚く

 儚く

 俺の腕の中で

 静かに


 消えていった


「うぅ……っ、ぐうっ」

 ゴメンね

 間に合わなくって


 俺は、生命を、救えなかった

 彼女の命を、救えなかった


 でも最期に

 最期のときに


 こころ

 エマという、心を

 何も知らない、心を


 孤独なままではなく

 一人ぼっちのままではなく

 誰かの温もりを感じながら


 父母との想い出に触れ

 父母への想いを胸に

 心残りをさせずに


 逝かせられたと

 そうであったと


 願わずにはいられなかった





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