第18話:迷いの森2
大老樹の大きな根
根は鮮やかな緑の苔や蔓草で覆われる
蔓草に咲く可愛らしい花々
花々の香りを嗅ぐ
その美しい獣たちの中にいる娘
頭にシロツメ草の冠を乗せた美しい妖精の娘
■森妖精システィーナの視点
シャッ、シャッ、シャッ
ブラシの軽快な音が響く。
私は黙々と、愛馬のユニコーンをブラッシングしている。はあ、美しい純白の毛並み。
「ブルル……」
うふふ、気持ちいい?
私も気持ちいいな。
空間を満たす
シャッ、シャッ、シャッ
他のユニコーンも集まって来て、「次は自分も」と訴えてくる。うふふ分かってるわ、任せて。こうしていると、考えがまとまる気がするから……
そうなの、私は今考え事をしていて。それはあのヴァルパンサードの件なの。
結局、ヴァルパンサードは毎日やって来て。もう五日間になる。パンサーはあるモノを咥えてやってきて……五日間、必ずソレを咥えてやってきて。
「絶対……何か……メッセージが……」
何かのメッセージだと思う。
私は二頭目のユニコーンにブラシをかけながらついさっきのことを思い出していた。
◇◇◇◇◇
大老樹の太い幹を取り巻く螺旋回廊。
その最下層にある集会所に、里の主だった面々が集まっている。柔らかい下草の絨毯に胡座をかきながら、ヴァルパンサードのことを考え込んでいる。
なぜ、あんなモノを咥えてやってくるのか。
と父さんが切り出した。
「さあ、皆の者。押し黙っていないで、ざっくばらんな意見を言い合おうではないか」
それを受け、
「はい。なぜあんなモノを咥えて毎日くるのか、ですよね」
「うむ。何が目的で毎日『 花 』を咥えてやってくるのか……」
そうなの。
ヴァルパンサードは、毎日花を咥えてやってくるの。何の変哲もない花を。それは白い百合の花で、茎を甘く噛みながらやってくる。
そして迷いの森の、別の森へ飛ぶ境界の一メートル手前で止まって、花を置いていくの。パンサーはすぐには戻らず、そこで下草に体を預けるように横になって。一時間くらいしたら去っていくの。もう五日間も……
「やっぱり、私たちエルフに『 敵意はない 』って知らせるためじゃないかしら?」
私が言うと嫌味男が。
「まあ敵意はないというのはそうだろうがな。しかしこの迷いの森の内部に
ああそうか……そういえばそうだ。と女性最年長の六百二十歳マリアルイーゼが続ける。
「内部に何らかの存在がいると感じて、敵意はないと語りかけているのかしら」
「確かに。知能や魔法的感覚は相当に高いと思う。迷いの森の境界手前で、ピタリと止まるあの感覚は相当なものだと……」
と
「この魔法の森の内部に存在する何者かに語りかけている……何をだろうか?」
皆が考え込む。私は、こんな考え込んでいるのはまだるっこしいので、一番確実な方法を言ってみた。
「直接聞きに行ったらダメかな? 会うの」
皆が目を丸くして私を見た。と嫌味男が。
「何を言ってる? 相手は魔獣! ヴァルパンサードだぞ!? いや、そもそも言葉が通じるかさえ分からんのに! 聞く? 何をだ!?」
「分かってるわよ! でも知能が高いというのは皆同意見だし! 意思の疎通はできるでしょ! 妖精は心の色が分かるんだから!」
そう、妖精は心、霊の色で善悪や場合によっては喜怒哀楽といった感情が分かる。魔獣の心の色は悪ではなかった!
「野生動物の捕食に善悪などない! 悪意なく襲い掛かってくる! 姿を見せた瞬間、襲われるだけだ!」
「そんなことないと思う! だって花を咥えて五日間も辛抱強く私たちにメッセージを送ろうとしてるじゃない!」
「お前はなぜそう考えが甘いんだ! ヴァルパンサードが求めていた存在がエルフでなかったらどうなる!? 襲われるだろう!?」
「あっ、甘くなんてないわよ! 花を咥えてやってくるような者が、求めていた存在じゃないからって、すぐに襲いかかると!?」
「罠かもしれん! 相手は魔獣だろう! 魔獣の良心を信頼してどうする!? 大丈夫かお前は?」
「な、なんですって!?」
私と嫌味男の言い争いに割って入ったのは父さんだった。
「シス。確かにこちらの存在を知らせて、ヴァルパンサードが何を求めているか聞くのは最も確実な方法だが、それは最終手段としよう」
うう~。
まだそれ以外の方法で探ろうというのが父さんの考えだった。今はこの場で魔獣の目的を推察することが先決なんだって……
それを受けて、「風の峡谷を追われた魔獣が他の安住の地を求めてやって来たので様子見ではないか」とか「氷河の原因を調べるための仲間を求めているのではないか」とか考えが出て……
やっぱりもうしばらく様子を見ようと言うことになったの。
結局何も変わらなくって……
◇◇◇◇◇
シャッ、シャッ、シャッ……
うう~。嫌だ……嫌だ。
嫌なんだ。
そういうの……
ヴァルパンサードは突然の『 風の峡谷の氷河化 』によって縄張りを追われて。
余裕のない状態のハズなのに、存在するかも分からない私たちに警戒されないようにゆっくりとメッセージを投げかけて来てるのに……
うう~。
あんまりじゃないか、そんな不誠実な態度は。
「もうっ……もうっ……!」
私は決心がついた。
会いに行こう! 話をしてみよう! あの理知的な瞳は意思疎通ができる! ありえないけれど、もし万が一襲われても即死レベルの攻撃じゃなきゃ、何とかなる! その際、嫌味男に「それみたことか!」と罵られるかもしれないから、そのことの方が腹立つけれど!
協力者がいるな。
私が迷いの森に行っているとき、誰かが木の実を通して見ているから……というか候補は弟しかいない! 有無を言わせず、絶対協力させる!
四頭目のユニコーンのブラッシングが終わったその時だった。
ドダダダダダッッ!!
「えっ!? えっ!?」
突然上からの足音! 幹を取り巻く螺旋回廊を複数の者が走り下りる足音が! うわあっ、板から小さな破片がパラパラと。壊れないかな!? ああっ、あそこの回廊の板、下から見ると分かるけれどちょっと傷んでるよ!
じゃなくて!
回廊を駆け下りてくるのは男性エルフたちだ!
「シス! ウォーエルクはそこか! ちょうどいい!」
「う、うん!」
大きな根を利用して作られた、踊り場のたくさんある大階段を父さんや弟、嫌味男たちが駆け足で飛び降りてくる! 私の周囲に集まるユニコーンやウォーエルクも不穏な空気に怯える。
「ど、どうしたの!?」
「姉さん! 南西の迷いの森にサテュロスの少女が!」
「ええっ!?」
サテュロスの少女!? あの小さな女の子かな!? でもサテュロスの少女が来た程度では、こんなに慌てることはないハズ! 何かあるのかも!?
「どど、どうして慌てているのっ!?」
私の質問に、弟は蔓草の精霊魔法でウォーエルクに鞍と手綱を装着させながら。
「その少女は背中に矢が刺さっていた! もしかしたらサテュロスの集落が何者かに襲われて逃げてきたのかもしれない!」
「ええっ!?」
背中に矢!? ひどい! 私も行こう! と思ったけれど足首まで隠れる細身のワンピースだから、ユニコーンにまたがれない!
「スラン! 私も乗せて行って!」
「分かった!」
ウォーエルクにまたがったスランが私を引き上げてくれた! 私は横座りで弟の腰にしがみつく!
「行くぞ!」
父さんの声で複数のエルフ男性たちが組になって四方の森へと入っていく。そう、サテュロスの少女が西南の森から別の森へ飛ぶかもしれないから! 私とスラン、父さんの組は西南の森へと向かう!
トトッ! トトッ! トトッ! トトッ!
軽い乾いた音が森に響く。
ウォーエルクは軽快に跳ねながら走る。倒木を跳び越え、小川を跳び越え、崖を跳び越え、斜面を跳び下りる。怖い! しがみつくと弟の背中しか見えないから怖い! でも弟の腕を信じているから激突とかの不安は全くない!
しばらくすると、精霊魔法の強い力を感じる森に来た!
迷いの森だ!
「よし、どうだろうか。まだ別の森へ飛んでいないだろうか!?」
「はい! まだです!」 弟が答える! 「あの先! 倒れています!」
外部から迷いの森に差し掛かる手前。
苔むした大樹の根に、だらりと突っ伏してくず折れる小さな人影が! ひどい! 背中に矢が二本も!
「周囲には何もいません!」
「よし!」
父さんと弟と私はウォーエルクから飛び降りるとサテュロスの少女の容態を診る。ああっ、あの時の女の子じゃない! 歳の頃はたぶん十二~三歳くらい! クリクリした髪の毛がかわいらしいサテュロスの女の子だ!
「息は!?」
「かすかに!」
少女は気を失っていて顔が青白い。ああ早く助けなくちゃ! と父さんは私に短剣を渡す。分かりました!
「シスッ、準備はいいか!?」
私は受け取った短剣で自らの手のひらを切ると、血を溜める。
「いつでも!」
「三、二、一!」
背に刺さった弓矢を引き抜く!
と少女が「うっ!」とうめき、背中から鮮血が飛び散る。次の瞬間、私は自分の手のひらに溜まった血を少女の矢傷に刷り込む。
八百年生きるエルフの体は再生能力が高くて、特に女性エルフの血は他者の傷も治癒させることができる薬になるの。ライオロスに売った霊薬「樹脂糊」の原料の一部は、実は血液を使っている。
「もう一本行くぞ!」
「はい!」
もう一本の矢を抜くとすぐさま私は血液を傷に刷り込む。最初の方の矢傷は早くもふさがりつつあるようだ。
「よし、ほかに傷はないな」
と、ここで弟が緊迫した声で叫ぶ。
「族長! 血の跡を追って、複数の影がやってきます!」
「それはマズイな! エルフの里に連れ帰ろう。他の者たちにも知らせるんだ」
「はい!」
◇◇◇◇◇
早速、大老樹に戻ってきた私たち。
大老樹の中層階に誰も使っていない部屋があったので、そこに連れてきて。ベッドの上で寝息を立てるサテュロスの女の子。かっ、可愛い! 薄い栗毛が羊みたいにクリクリして。
寝顔を見ていたら、アルが入ってきた。
「アル。追ってきた影は何だったの?」
「オークだったみたい」
オーク! やはりそうか!
矢を射るからには人型の生物で、もしかしたら……と思っていたけれど。
「父さんやスランたちが目撃したオークの群れの可能性が高いよね」
「……そうね」
「やっぱり……迷いの森で助かるのは私たちだけじゃないか……」
私は呟く。
父さんは、迷いの森を発動すればエルフの里から南側は守られるかも、と言った。
でも実際には。
エルフの里を迂回して、南側にオークの群れが行ったのではないか……?
「……」
と、アルは私の呟きに応えず、アゴに指をかけて何かを考え込んでいる。
「アル……?」
彼女は少し青ざめているようで……え?
どうして? どうしたの?
私は彼女の心を探ろうと、霊力の色を見ようとしたけれど……
彼女は心を隠している。
そう、妖精は心の色が分かる反面、心の色も隠すことが可能なの。なので妖精はいつも心を隠すことが多い。私のように、不快感の色を敢えて見せつけるようなこともやるにはやるけれど。
大抵の場合は隠しているの。
「アル……? どうしたの……?」
「……ううん。ううん……ちょっと考え事していて……ゴメンね」
「う、うん……」
彼女は不安を覚えていると思う。
それが何なのか分からなくて……
私も不安に襲われ始めた。
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