妖精の世界で起こる事件

第17話:迷いの森


 小山のような樹冠が風に揺れる

 大老樹の樹冠

 樹冠の中には大きなキノコ

 キノコのような建物

 エルフの瞑想と集中の間



 ■システィーナの視点



 気持ちのいい風が抜ける。

 瞑想と集中の間の窓が全部開いているから。窓の外は葉が太陽の光でエメラルド色にキラキラ輝いている。綺麗だなぁ……

 室内に目を戻すと、鮮やかな緑色の草の絨毯が敷かれていて。猫の毛くらい細く柔らかい草だから気持ちいい。

 私はふさふさの絨毯に座りながら、天井から垂れ下がる大きな木の実に霊力を注ぎ込む。木の実はガラスで作ったスイカのような実で、蔦が天井から垂れ下がっているの。

「大丈夫か? シス?」

「はい、大丈夫ですリューさん」

 声をかけてくれたのは六百二十歳のエルフでリュートシュタインだ。リューさんは少し老いが始まったかなという感じで。でもエルフ特有の線の細さがシュッと良い感じの「格好いい中年紳士」かしら、うふふ。

「よもや私が生きている時に『 迷いの森 』を発動させることがあろうとは……」

 リューさんは胡座をかいたまま。

 天井から吊り下がる大きな木の実を持ったまま。

 感慨深げに話す。

 今、この部屋には私を含めて四人のエルフがいて、部屋の中央で向かい合いながら、皆天井から垂れ下がる木の実を持って霊力を注ぎ込んでいる。

 そうこの木の実はそれぞれ迷いの森を発動した時の起点となった樹、東西南北にあったあの樹に繋がっていて。迷いの森を維持するために、ここから霊力を送り込んでいるの。

「私、迷いの森を維持するのって初めてなのですが、これ、できてますよね? 何だか不安で」

「ん? ああ、できてるよ」

 ああ良かった。

 迷いの森、といっても東西南北に囲われたこの森全体が魔法にかかるのではなく、起点同士を繋ぐ直線上の森が魔法にかかっているの。

 つまり北から東の直線上の森、東から南の直線上の森、南から西、西から北……直線の距離はだいたい七~八キロで幅二百メートルくらいに渡り、魔法にかかるという感じで。私が受け持つ森は北から東なんだ。

 私だけ魔法が維持できてなかったら大変!

「大丈夫だ。森の様子が映っていれば繋がっているさ」

「はい! 映ってます!」

 そう、ガラスのような木の実の中には映像が映し出されていて。小さな動植物が見られて可愛いなあ。エルフ以外の動物は皆、迷ってしまうから、もしこの迷いの森の内側で巣を作っている動物がいたとして、気づかず外に出てしまったら内部には戻って来られなくなってしまうの。

 と私の正面で木の実を持つ三百四十歳のサラティーナが。

「シスはあと一時間くらいよね?」

「うん」

 そうなの、霊力を込め続けるのは大変なので、だいたい三時間交代でやっていて。でもこうやって話しながらできるから、辛くはないんだ。

 私は時間潰しがてら、不可解な謎を質問してみた。

「でも『 風の峡谷 』が『 氷河の峡谷 』になるなんて、何が起きたのかしら?」

 誰も分からないと分かっているけれど、質問せずにはいられない。

 何が起きたのかしら?

「「分からないな、全く」」

 そうだよね。

 ああ、一言で終わってしまった!

 もっとこう、悩もうよ! 考えようよ! エルフは長生きの反面、問題が常態化するとあまり気にしなくなる傾向があって。全員がじゃないけれど。

 まあだから長生きでいられるというか。

 何でも受け入れるというか。

 まさに、自然の脅威をそのまま受け止めて生きる樹木のよう。良いんだか悪いんだか。

 と二百八十歳のバランシュタインがガラスのような木の実を覗き込んで叫んだ。

「むっ! 何か来る!」

「「え!!」」

 バランが持っている木の実は東の起点から南の起点へ行く森! スランたちが見たオークの群れは東側にいるハズだから! オークがやって来た!? この大老樹の元まで来られやしないと分かっていてもやっぱり妖魔にはこのあたりの森には近づいて欲しくないから……

「おお、良かった。レイル鳥だ。レイル鳥の親子だ」

「「おお~」」

 もう! 驚かせて! 皆、ホッとした。

 レイル鳥は二足歩行の飛べない鳥で体長三メートルにもなる大型の鳥なんだ。魚をよく食べる鳥でここら辺に来るのは珍しいな。

「うむ、レイル鳥の親子は今、東南の森に差し掛かった。迷いの森に入った」

「どこに出るかしら」

「ああ、こっちに来た」

 とリューさん。リューさんは西から北の森を担当している。

 そう、迷いの森に入った者は別の迷いの森へ飛ぶ。迷いの森同士、空間が重なりあって存在しているから、突然風景がガラッと変わるようなおかしさはないのだけれど、向かっていた方角が変わってしまう。

 そうレイル鳥の親子も東からやや南西へ向かって歩いていたのに、北の方を向いている。体内で磁場を感じて歩く生物が多い中、突然向かっている方向が狂うので、戸惑ってしまう。

 レイル鳥の親子も周囲をキョロキョロしてそそくさと走っていく。そう、こうやって「この近辺に近づくとおかしくなる」と思わせることで、二度と近づけさせなくするの。

 エルフの里に物理的に来させない上に、今後近づきたいと思わせないようにするのがこの迷いの森の真髄なの。

「……他の妖精族や獣人は大丈夫かしら?」

 私はこの前会って話をした可愛らしいサテュロスや湖妖精ニンフたちを思い出していた。

 見るからに華奢だったり弱そうだったりだからオークやオーガーに襲われていなければいいのだけれど……

「そうだな……」リューさんが考える。「ニンフは湖の中に潜れば大丈夫だろう。ケンタウロスは元々強いから戦って倒せるか」

「妖精の中で戦闘向きな種族は地妖精ドワーフくらいだろう。それ以外は隠れる方が向いている」 バランが続ける。「我々エルフは非力なうえ、妖精族の中で人数が最も少ないからな」

 そうなの。

 エルフは妖精族の中では最も人数的に少ない。この集落でも百三名だし、ダロス島の他のエルフの三部族もだいたい百名前後だから。

 個としての寿命が八百歳と妖精族で最も長いことと引き換えに、子孫が出来にくい……種族としての繁栄がしにくいの。

 とサラも話しに加わる。

「まあ戦闘向きではないけれど、生命力は妖精族で最も強いから、生きてさえいれば何とかなると思うわ」

「そうなの?」

「細胞一つ一つのエネルギーが強いから怪我してもすぐに回復するでしょ?」

 確かにエルフは生命力が強い。

 ちょっとした傷は数十秒で回復するから。

 ほぼ若いまま八百年生きられる細胞の力なんだとか。実はこの前物々交換した樹脂糊は、エルフの血液を利用して作っていたりする。

「でも非力だから戦闘向きじゃないか……何か残念よねえ」

「ああ完璧な生命などいないからな。族長も昔、残念がっていた」 とリューさん。

「昔?」

「ああ、あいつは二百歳くらいの時、数十年ほど人間の世界へ行ってたからな。その時、思ったんだろう」

「へええっ父さんが人間の世界へ!? 知らなかった!」

 実の娘なのに、父さんが人間の世界へ行ってたなんて知らなかった! だから色々なことに詳しいのか。

 今度、聞いてみようかな?

 人間の世界がどうだったか。

「どうだろうな。帰って来た当時から、あまり話したくない様子だったからな……何かあったんじゃないか?」

「へえ~……やっぱり人間は最悪だったのかなあ……ん!?」

「どうした?」

 私は木の実に映し出された映像に目がいった。森の奥、土手の斜面から斜めに生える大樹の向こう。遠くの方から何かが近づいて来ている……黒い影が近づいて来ている。私は北東の迷いの森を担当しているからドキリとした。その影は真北から来ているから……

 まさかね。まさかヴァルパンサードじゃあ……ないよね。

「北の方から。黒い影が……」

「北……」

「黒い影……」

「まさか……ね」 私はちょっと楽観的に「この里は風の峡谷から南といっても、真南じゃないし。間には谷もあるし、山もあるし」

「うん。そうそう。ここにエルフの里があると分かっていないと、ドンピシャでこの範囲に来られないわよ。風の峡谷から七十キロくらいあるし」

 私は木の実に集中した。

 だんだん近くなってくる。黒い影は、いつまでたっても黒いままで……ということは黒い生物なのかも。

 ええと、ヴァルパンサードも黒い。

 けどねえ。

「どうだ?」

「うん……黒い生物っぽい」

「黒い……」

 皆の心に不安がよぎったようだ。しばしの沈黙が流れる。

「あ、でもそんなに大きくないと思う。二メートルくらいじゃないかな」

「ああ、それなら違うな。ヴァルパンサードは五メートルくらいだって言ってたし」

 皆がため息をついた。ほお~、良かったあ~。

 もう! まったく! どんな生物かしら? だいぶ近くになってきたわ。その近づいて来る黒い生物は馬や狼同様、四足歩行の獣ね。ノソリ、ノソリと近づいて来る。あら、頭に角がついてるみたい。耳の後ろから、太い山羊みたいな角が後ろに向かってのびていて……

 あれ?

「あれ?」

「「あれ?」」

 あれ?

 ネコ科の猛獣っぽい。

 凄く、太くて逞しい四肢のネコ科の猛獣。

 というか……ヒョウだ。

 トラよりも大きいヒョウ。

 黒いヒョウ。

 耳の後ろから角が生えてる大きなヒョウ……

「ヒョッ、ヒョウ! ヒョウ!」

「「ヒョウ!?」」

「黒いヒョウ! 耳の後ろに角!! 角!!」

「「耳の後ろに!?」」

 サササッ! ヴァルパンサードだ!

 ヴァルパンサードだっ!!

「うわああっ!! ヴァルパンサードだっ!」

「「ええええ!?」」

 ヴァルパンサードは! ゆっくりと私の方に進んでくる! いや、私じゃなくて! 迷いの森!

「あわわわ! ななな!」

「おっ、落ち着けっ! 木の実から手を離すな!?」

 はっ、はいい! どんどん近づいて来て! うわわわ! 艶やかな黒い毛並み! きき、綺麗だなあっ! じゃなくて!

「い、今! 迷いの森に! 入った!」

 あと百メートルも進めばどこかに飛ぶ! と思ったら、迷いの森に入った瞬間、ヴァルパンサードが止まった! え!? 何で!?

「立ち止まった!」

「立ち止まった?」

「離すなよ! 木の実!」

「れ、霊力! 霊力の色は!?」

「はっ、はい! えっと! 善意も悪意もなく普通!」

 ヴァルパンサードは頭をゆっくり左右に振る。上を眺めたりもして……迷いの森の、魔法的な何かを察知した!?

 と再びノソリ、ノソリと歩き始める。でも数歩で足を止める!

「察知してるっぽい! この迷いの森の魔法的な力を!」

「何だって!?」

「そんなことが!?」

 迷いの森に入って別の場所に飛ばされた時、違和感に気づく動物はいる。先ほどのレイル鳥のような。けれど迷いの森に一歩入っただけで気づくなんて……!

「でも、突破はできないハズ!」

 そう、突破はできない! ハズ! またノソリ、ノソリ、一歩ずつ一歩ずつ、ゆっくりゆっくり、何かを確かめるように歩いて……!

 私が木の実から見守る中、別の森へ飛ぶ!

「こっちよ!」 サラが言う。「立ち止まったわ。方向感覚が狂ったのね。北から南へ向かって歩いていたのに、今は西を向いているから……」

「そのままどこかへ行きそうか?」

「そうね……歩き出したわ。南に向かって」

 南に向かって……やはり風の峡谷で争いに敗れて良い土地を求めて南へと向かっているということかしら。

「もう来ないといいんだけれど……」

 その言葉に皆が頷いた。

 でも、それからもヴァルパンサードはやってきたの。

 不思議なものを持って……

 どういうこと何だろう……

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