第12話:霧の森


 大河を包み込む霧

 霧に浮かぶ小舟

 小舟に乗る人影

 静寂な世界



 ■コークリットの視点



 俺は今、大河の上にいて森へ向かっている。

 ラーディン領で最も奥深くのイーガン村から舟に乗ってね。ううーむ、森の方は相変わらず霧が凄い。対岸の森の緑がうっすらとしか見えない。こりゃあ内部はどれだけ霧まみれなんだろうか……

 舟がゆっくりと進むにつれ、対岸の森がハッキリとしてくる。

 おおー、凄い樹冠だなあ。枝葉の部分だけで二~三十メートルはあるか。見渡す限りにモリモリと広がっている、森だけに。岸辺の樹木は、枝葉を最大限に広げようとするあまりに、大河に身を乗り出している……倒れてドボンと行かないかな? 枝葉はもう大河の水面に浸ってるものもあるくらい、盛大に垂れている。どこかに入れそうなところはあるかな?

「神殿騎士様、あそこが入れそうですね」

 アルバート少年が枝葉が薄い所を見つけてくれた。舟ごと入ると、何てこった。岸壁が高いな。二~三メートルあるか? 岸辺に沿って枝のトンネルが延々と続いている。

「神殿騎士様、どういたしましょう?」

「一度、魔法で広範囲を観察してみます。『 千里眼 』」

 俺は左手を突き出して魔法を唱える。手の先に魔法陣が出現すると、次の瞬間には目玉くらいの大きさの、五つのシャボン玉に変わった。同時に、俺の脳裏に五つの映像が映し出される。

「おお! これは!」

 アルバート少年が驚く。

 この魔法は霊従者の簡易版で、俺の目となり遠くの情報を送ってくれる千里眼の魔法だ。霊従者は策霊域の範囲内でしか活動できないが、千里眼はこのシャボンが壊れるまでは範囲に関係なくどこまでも情報を送ってくれる。ただ、視覚情報だけで音や匂いなどは分からないし人に話しかけられないので、聞き込み捜査等には使えない。完全に偵察だけだ。シャボンだから壊れやすいというのも残念ではある。

「まずは二つ一組で上がりやすい場所を」

 俺の意思に応じて、小さなシャボンは岸壁を左右に飛んでいく。ちょうど二つの目玉がそれぞれ別れて飛んでいくような感じだ。程なく何ヵ所か森に入りやすい場所が見つかったがどれがいいかな? 森に入りやすくても歩けないような場所だと意味ないしな。千里眼を森の中にいれると……

「おお……?」

 俺は驚いた。

 その俺にアルバート少年が動揺する。

「ど、どうされたのですか!?」

 いや……いや大丈夫。森に入った千里眼が捉えたのは「霧がまったくない」普通の森で。いや「朝もや」程度の僅かな霧はあるのだが、森の上の霧の量から考えると明らかに少ないのでちょっと意外で驚いたんだ。そう説明するとアルバート少年は落ち着いたようだ。

 さて、危険な生物はどうかな?

 薄暗くて分からないので、俺は霊力を視る方の『 霊視 』で観察することにした。暗い森や夜ではその方がいい。霊力はその大小、多寡の差はあれど全ての生命に宿っているので、物言わぬ植物にも必ず宿っている。霊視にすると植物たちの霊力が光って見えるので、森の全体像が把握できるだろう。

「おお……!」

 俺は再び驚いた。

 アルバート少年が再び。

「ど、どうされたのですか!?」

 すまんスマン。あまりにも美しい光景だったから……。俺の脳裏には色鮮やかな森が広がっているんだ。

 そう樹木たちはその姿形を、薄い暗闇に浮かび上がらせている。綺麗だなあ。そう幹は薄く茶色に光り、葉は薄く緑色に光っていて……実に綺麗だ。ああ、樹は高くて枝葉のある樹冠までは五メートルくらいあるか……空間が広いなあ。ああ、暗闇の森にはどこまでも光る樹木が続いている。

 ああ。樹木の幹が緑色に光っているのは、苔や蔓草の霊力か。根の近くも多く光っているのはシダ植物だ。そして大地も起伏しながら薄い緑色に光っている。牧草のような下草が一面に生えているからだ。

 その森の空間には、薄く儚げな小さな光が飛び回っている。これは昆虫の霊力だろう。昆虫たちが森のそこかしこで動いているし、じっと身を隠しているものもいる。その昆虫を狙って、小さな動物もそこかしこに溢れている。幹にへばりついているのはトカゲか……凄い生命の光りだ。

 俺は千里眼を少しずつ動かして進んでいく。

 と、起伏に富んだ大地の中に、ポッカリと黒い穴が空いている。おや? 何だろう? 穴には小さな生き物の光が何匹もスーッと動く。ああ、この動きは水性昆虫だな。とするとこの穴は泉か何かか。

 俺は二つで一組の千里眼のうち一つを霊視で、一つを通常の千里眼の目に戻す。いや暗視だな。暗視で視るとやはり泉だ。それほど深くはない。

 ふと周囲を見るとそこかしこに泉があり、小川で繋がっていて……なるほど、水が多い森だ。

 そうか、もしかしたら樹木たちは大地に満ちて広がる水分を吸い上げ、枝葉から空中に発散させて大地の水分状態を一定に保っているのかもしれない。それで樹冠より上が霧にまみれて、下の空間は霧がない……というメカニズムなのかもしれない。

「面白い」

 アルバート少年に聞こえないくらいの小声で呟く。俺は霊視と暗視の状態を維持したまま、二つの映像を脳裏に決像して両方の視点で森を進む。うん、うまく補完しあって実に良い。

 と、ここで一つ残した千里眼を上空へ飛ばす。最後の一つは上から全体像を把握だ。

 ううーむ、森の上は霧だらけで。さらに上へ向かうと霧を抜けた。おおー、霧の上はずいぶん晴れてるなあ。青い空が広がってる。所々にある雲が何とも長閑な印象を与えてくれる。ぐんぐん上ってから下を向くと、おわー怖い。無茶苦茶高い。いつの間にかもう一キロくらい上空か? ぐるりと見渡してみると、霧が薄い場所もある。霧の森とはいえ、常に霧まみれではないようだ。

 薄い霧から透けて見える大河がどこまでも蛇行している。意外に支流があるな、細い細い川が分岐したり合流したり……何だか胸が躍りだす。空から俯瞰すると、なぜか気が大きくなるんだよなあ、ふふ。

 空から地上を見下ろすと、所々森に穴が空いている部分がある。どうやら湖や池があるようだな。そこには霧が発生していない感じだ。

「ふむ。開けた池のほとりに集落があるな……」

「そこがファーヴルの集落でしょう」

 うん、他にも上空からポツリポツリと集落が見える。大体、一つの集落は十世帯くらいだろうか……池や小さな湖には大方集落がある。意外に多いな。開けているところにあるから見えるが、森の中だったら分からないな。まあ、とりあえず北西へ向かって行くか。

「では、森を進むコースも大体分かりましたので、そろそろ行ってきます」

「はい、お気をつけて!」

「とその前にもう一つ。『 秘匿圏 』」

 俺は左手を突き出し魔法を唱える。と左手の前に魔法陣が出現。すぐさまそれが消え、俺を中心に薄い膜ができる。

 これは虫よけのようなものだ。森や山など、ダニや毒虫、寄生虫や魔獣など、主に体温や二酸化炭素、匂いや超音波といった「視力以外」で獲物の存在を認知する生物向けに、自分の存在を隠す魔法だ。さっきは虫やら何やらの霊力の光が結構あったからね。まあ姿が消えるわけではないし枝を踏めば音が鳴るしで、視力や聴力で認知する生物には無意味だが。

「では今度こそ」

 俺は低くなった岸壁から森へと入り込んだ。



 ◇◇◇◇◇



 俺は左目を霊視で右目を暗視で進む。

 森の大地は起伏に富んでいて、倒木を乗り越えたり、岩を迂回したり、小さな谷を飛び越えたり、小川を渡ったり……意外に楽しくって。不謹慎か? 大体十キロほど進んだと思う。

 結構な頻度で鹿の親子や猪の親子が去って行く姿を目撃したり。可愛いなあ。ホッコリした。

 そして今、俺の数百メートル先のところには、樹の上に作られた集落がある。一つの樹に一つの家が建てられていて、家と家とが吊り橋で結ばれている。秘密基地って感じ。家は大小二十世帯か。樹冠に隠れて空からも見えにくいようだ。

 千里眼で視ると集落はグルッと二重の柵で囲まれていて、そこでは数匹の大型犬が放し飼いになっている。ライオンのようなたてがみだ。あれはライネルという幻獣で、たてがみをハリネズミのように尖らせ、発射させることのできる危険な魔犬だ。うまく飼い慣らしてるな。凄い番犬だ。

 集落の脇には小川が流れていて、子供たちが遊んでいる。沢蟹を集めているな。その先には小川を塞き止めた貯水池がある。魚を養殖もしているようだ。いいね、飲み水の確保と養殖の一石二鳥だ。

 集落の下の大地には共用の畑があるようで、今まさの複数名の男女が耕している。身なりはラーディン領の領民とは違う。麻で作った素朴な服を着て、畑を耕している。耕している農機具は鉄製だし、斧や鍋など鉄製だから恐らくラーディン領の村と交易で手に入れたものだろう。外界との関係を完全に絶っているわけではないようだ。

 恐らく聖霊よりも自然(精霊)とともに生きるとしても、完全に文明を捨てるのは人間として不自然、と考えているのかもしれない。

 これなら話しをしてくれるかもしれない。

 行くか。

 俺は意を決して歩き始める。しばらく歩くと魔犬が気づいたようでうなり始めると、子供たちも気づいて小川から畑へと走って逃げていく。畑にいる人々も気づいたようで、女性は子供を連れて縄ばしごで上へ逃げる。

 むう、少しショックだ。柵の近くまで行くとライネル犬が吠えまくって。うおお、けたたましい。

「どちら様ですか!?」

 三十代と思しき男性が大きな声で話しかけてくる。畑にはまだ五名の男性がいて、樹に立てかけている弓の近くまで移動する。俺の身なりが悪かったり、あるいは何人もいたらもっとやばい扱いだったかな? 俺は両手を上げる。

法王庁ヴァチカニアの神殿騎士コークリットと申します。危害を加えるつもりはございません」

「ヴァチ……? 神殿?」

 あれ? ヴァチカニアも神殿騎士もご存知ない? ここで生まれ育って外界にはほぼ出ていないような感じか。千里眼で視ると、上の住宅では残っている男性たちが窓の向こうで弓を構えている。うーむ。住人の抱く不信感が伝播したのか、ライネル犬たちがより一層吠えたてたてがみがビヤーッと広がる。やばいな、犬は心を感じやすいからな……

「「ガウガウッ!! グルルアアアッ!!」」

「大丈夫。怖くない」

 俺は住人たちからヒントを得たので、手から霊力を放ち、荒ぶって吠えたてる魔犬たちの上に漂わせる。そう霊力は心を司る。犬のような感受性の高い動物はその霊力を感じ取りやすい。魔犬とはいえ人と暮らしているからできるハズ。

 と思惑通り俺に害意がないことが分かったようだ。

「「……クウーン、クウーン。ハッハッ」」

「「ええっ!?」」

 若者たちが驚いていると、ご老人がやって来た。

「ほっほっほ、さすがは神殿騎士殿ですな」

「長老。ご存知で?」

「うむ。まだワシが若い頃、町で暮らしていた時、色々な戯曲を聞いたものじゃ」

 おお、良かった。話しができそうだな。

「して神殿騎士殿、何用でしょうか?」

「はい。ラーディン領にて不可解な怪異が発生しています。私は解決のため捜査に当たっているのですが、こちらでも何か異変は起こっておりませんか?」

 皆、ハッとしたように顔を見合わせる。心当たりがあるような感じだから、ここでも起こっているのかも。俺は続ける。

「この怪異がどこまで広がっているか調査と解決で回っています。住民の方に異変が起きているようでしたら私が治せます。しかし何も起きていないようでしたら、この場所は怪異の範囲外だと考え、別の集落へ回ってみる予定なのです」

「むう、怪異とはどのようなものでしょうか?」

「主に、子供の意識がなくなったり、体調不良になったりして、霧の日に人知れずいなくなるという怪異です」

「むう……では子供たちの状態はそれなのか?」

 長老が呟く。やはりここでも起こっているようだ。長老が頭を下げる。

「神殿騎士殿。実は幼い子供たちが何人かボーッとしているのです。診ていただけませぬか?」

「はい、もちろんです」

 と若者たちが。

「大人でもなることはありますか?」

 え? 大人? 意外な言葉に俺は驚きの表情を出そうとしたが全く顔面は動かなかった。

「今のところラーディン領では子供だけでしたが、大人がならないという保証はありません。心あたりが?」

「はい。実は俺の弟が、数日間ボンヤリしていたと思ったら、いつの間にかいなくなっていて……」

「いつ頃の話しですか?」

「三週間程前でしたが……」

 狩りに出掛けたのかと思ったそうだが、いつまでも帰って来ず、探しに行ったが結局見つからなかったという。

 やはり、ラーディン領の一歩先、二歩先を進んでいる可能性が出てきたか? むう、それっぽいことを言ったら現実になったとすると、俺のせいか?

 俺は集落へと入っていった。


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