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止め処なく過ぎる時間は水の流れのようだ。逆らうことなどできない。それが時の流れに乗って現れるのをただひたすら待つ。人生では往々にしてそういうことがある。今回のような場合、気を紛らす為にどこかへ出かけたり、酒を飲んだりすることもできない。待つのは楽じゃない。
紅茶を飲み過ぎたせいで舌がいがらっぽい。
「チィ、何か食べてるのかしら」
彼女が漏らしたつぶやきがそのまま胸に残り、鈍い痛みとなる。
虫や小動物を捕食すれば、それはそのまま寄生虫や感染症のリスクとなる。行方不明になって今日で四日目。そろそろ色んな意味で限界に来ていると言える。
水たまりの泥水をぴちゃぴちゃ舐めているチィちゃんの姿が不意に脳裏に浮かび、居たたまれなくなった。
「なんで逃げ出したのかな。わたし、何か嫌われるようなことしたのかしら……」
「猫の衝動性に飼い主が完全に対処することは困難だと思います。チィちゃん、今頃すごく後悔していると思いますよ。許してあげてくださいね」
「もちろんです。それはもちろんですけど……あのコがいなくなってから、もっとああしていれば、こうしてあげていればって、後悔ばかりで……」
「これからしてあげてください」
心をこめないよう注意した。にもかかわらず彼女は、龍也の言葉に喉を詰まらせた。
「チィちゃん、今頃は戻りたくてうずうずしていると思いますよ。チィゃんの頭の中にはきっとあなたの顔が浮かんでいるはずです。信じましょう」
ドアは開いている。開いている限り、信じ続けることができる。
「猫を信じることって、ある意味できないのかもしれませんね。そもそも猫は裏切りなどという概念を持っていないでしょうから。人間にしたって、詐欺でもなければ裏切りたくて相手を裏切ったりはしないでしょう。必要以上に相手に期待をかけたり、信じたりすることで裏切られたと感じてしまう。相手のありのままを受け入れることができれば、悲しんだり怒ったりする必要もなくなる。……あっ、すみません、なんか偉そうなこと言ってしまって。まるで自分がそういうふうにできているような口ぶりでした」
彼女が笑いをかみ殺すのがわかった。
あなたは今日、こうやって僕を信用し、受け入れてくれた。そのことで今までとはまた違った人生を歩むことになるかもしれない。いやそうなって欲しい。
龍也は、心の中で彼女にエールを送った。
人付き合いの為のいろんなマニュアルが昨今もてはやされている。龍也もそうしたものを読み漁った時期があったが、そうした書物に書かれていることを鵜呑みにしたくはない。人間関係は公式では解けない。経験によってひとつひとつ解を得ていくしかない。わかったつもりになっても、人の数だけ解は存在し、なめてかかれは必ずしっぺ返しを食う。
偽りのない心をぶつけ、それで反応を得て、それからまたぶつかっていく。その繰り返しなのだと思っている。
人と関わっていく以外に人間嫌いを克服する手立てはないのではないか。
心の中の声が、不思議と彼女に伝わっている気がする。
「あなたはチィちゃんの飼い主です。命を預かっているという自覚とともに自信も持ってください」
人間不信の根っこには、自分という人間に対する不信感もあるのではないか。
「ありがとうどざいます」
彼女のその言葉を機に会話は途絶えた。沈黙が心地よかった。お互い視線が交わらないよう、妙に意識している感じこそありはするものの、心の一端が粒子となって空気中に漂い、触れ合っているかのようなそわそわしさがあった。
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