その参
ああ、
伏せた目の裏で落胆の色を感じながら、漏れそうになる溜め息を飲み込んだ。
私だって、与えられた知識から現状を把握するくらい、頑張れば出来るのだ。自分のことなら尚更。
だからあの羊羹を口にした時点で黄泉竈食ひが成立したことも、その後も食事をし続けたせいで隠り世との繋がりがより強固になったことも、全て分かっていた。分かった上で、それでも私は現し世に帰る気でいる。
何も考えなしって訳じゃない。黄泉竈食ひを打ち消す術を、私は知っているのだ。
自分が現し世に帰れないと気づいたその日、私は絶望するより先に情報を求めた。隠り世に関する知識を意欲的に蓄え、境内の書物を片っ端から読み込んでいった。黄泉竈食ひを如何にかする方法を見つける為だ。けれど見つけた蔵書の大半は、今よりずっと崩れた文字の形をしていて殆ど読めず、辛うじて読める中にもめぼしい情報は見つけられなかった。
そこで私は、大胆にもある神様に文を飛ばした。日本国民で知らない人は居ないくらい有名な
彼女なら、この世の全てを知っていても可笑しくない。無礼を承知で黄泉竈食ひについて尋ねた結果、伝書鳩は素晴らしい返事を運んできた。こんな何処の誰とも知れない私の文に、
彼女曰く、神が差し出した物を食べたのなら、別の神の差し出す飲食物で相殺すると良いのだとか。特に効果的なのは澄んだ清酒だが、それ以外でも構わない。この方法は、位の高い神ならば大抵知っているとも書いてあった。
手紙の最後は「何か事情がおありなのでしょう。私で良ければ何時でも手助け致します」という言葉で締め括られており、思わず泣きそうになった。しかし、流石に会ったこともない彼女に助けを求める程不用心にはなれないので、事情は伝えずお礼だけを飛ばしておいた。
それ以降
そんな彼女、実は
位の高い神であり、尚且つ情報源とも浅くない関係にある
「な、何か……黄泉竈食ひを、無かった事にしたりとか、出来ないんですか?」
「残念ながら、難しい」
「そう、ですか……」
これは拙い。
沈んだ表情の裏で、必死に頭を回転させる。
何故
この時点で考えられるのは二つ。
一つは、
もう一つは、今度は
困った。もう信じられる神がいない。いっそ伊勢神宮に乗り込んで、
「そーいう訳だ、気ぃ済んだか? さっさと帰るぞ」
「へっ?」
慌てて声のした方を振り返ってみると、ユウさんが憮然とした表情で腕を組んでいた。何時の間に居たのだろう。余りに早い登場に喫驚する。
少なくともあと
「……如何やって此処に侵入したのかな? 進行阻害の結界を張り巡らせた筈なのだけれど」
硬い表情をした
進行阻害は字の通り、先に進めないようにするものである。前に向かって歩いている筈なのに、気づけば同じ場所をずっと
そんな術を掛けていたならより一層、こんなに早く追いつかれてしまったことへの困惑が強まる。
「如何やって、なぁ……俺は此奴の縁を辿っただけだぜ?」
「それを出来ないようにしたから疑問に思——」
如何したのかと問い掛ける。しかし、それに応えることはなかった。私に構っている余裕はないらしい。
彼の中途半端に開いた口が、わなわなと震え出した。段々と顔色が悪くなっていく。心なしか足元も覚束ない様子だ。
「ま、さか……きみ……」
ショックを受けるような何かに気づいたらしい。血の気の引いた唇から、か細い声が漏れる。視線が忙しなく私とユウさんの間を往復し、結局
「何ということだ……そんな、そんなこと」
「一体如何したんです? そんなに取り乱して」
再度問い掛けた私の方を見て、
「この
質問に答えてもらえない上、何やら不穏な発言をしてくる。一体何の話をしているのか分からないが、良い事でないのは確かだろう。聞きたくないけど、気になる。
「何の話ですか?」
「この反応見りゃ分かるだろ、非合意だ」
「なんて非道なっ……!」
「いや、あの、だから何?」
一向に教えてくれない。何故だ。私にも関係のあることだろうに、二柱だけで会話を成立させているのが気に食わない。
モヤモヤとしつつ眺めていると、気づいた
「ああ、済まない、私には君を救えない……君に協力すると言ったこと、撤回させてもらう」
「え……?」
しかし会話内容は最悪である。確かに
「こればかりは、私の力を持ってしても、如何しようも出来ないんだ……本当に申し訳ない」
「そんじゃ帰るか。またな、
「待て待て待て、ちょいとお待ちくださいませ?」
勝手にお開きの流れにされては困る。
確かにユウさんが来てしまった以上、計画の続行は不可能。私が今現し世に帰ることは難しいだろう。けれどそのことはそこ迄気にしていない。悔しいけれど、私の情報不足も敗因の一端を担った訳だし。
そうではなくて、
ユウさんは「何だよ」とでも言いたげに眉根を寄せ、
「ちゃんと教えてくれません? 何故急に心変わりするんですか。ユウさんは私の同意なしに、何をしたんですか」
「それは……」
言い淀む
そんな剣呑な心情に感づいたらしいユウさんは、私の肩に手を乗せながら
「まぁじっくり考えてみろよ。お前にも気付けることだ」
「はぁ……?」
そう言われたって、心当たりが無いから気になっているのだ。釈然としないが、自力で了知出来ると言うのなら、一度思考を巡らせても良いかもしれない。二柱に言う気が無いなら尚更。
「あれ?」
一瞬のうちに、
「ったく、もう逃げるなよ」
逃げ出そうとする度に言われる、
「あー、
作りかけの依り代を睨め付けて舌打ちする。無駄骨を折って不機嫌な彼の横を通り、私は厨へ足を進めた。先程、
「遅くなりましたが、
「は? お前記憶力皆無かよ」
「え」
唐突な罵倒に思わず固まる。
何故私は今貶されたのだろう。記憶力は寧ろ良い方だと思うのだが。
「黄泉竈食ひのこと、聞いたろ」
「あっ……あー、ええ、はい、そうですね」
そうだ、すっかり忘れていた。今の私は、先程初めて黄泉竈食ひが成立されていたことを知った、哀れな少女なのだ。二重の意味で、食べ物は喉を通らないだろう。
「その、今更断食しても意味はないでしょう?」
「まぁな」
咄嗟に口を衝いて出た言い訳だが、ユウさんは納得してくれたようでそれ以上追求されることはなかった。
この機を逃さず足早にその場を去り、厨に立つ。
……それにしても、
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