その貳
小銭の入った巾着を持って、下駄を鳴らす。ユウさんはもう商店街に道を繋げ終えたようで、鳥居の柱に背を預けて「いってらっしゃい」などと言ってくる。暗に私の帰る場所は此処だと告げられ苛立ちが募るものの、口を結ぶことでそれを漏らさないよう堪える。ユウさんに逃走意思を悟られてはいけないので、極めて普通の、何でもない風を装って会釈し、鳥居を潜った。
本来ならば階段が続く筈の先は、賑やかな商店街に変化していた。店を構えるのは、どれも人ならざるもの。此処は隠り世なので当然なのだが、前回初めて来た時は心底驚いた。目の前を通り過ぎていく大量の目玉と五本の角を持つ怪物——後ほど
早速指定された和菓子屋を探し始める。小豆洗いが営むその店は、特に塩大福が絶品だったと記憶している。実際に行ったことはないけれど、ユウさんがよく買ってきてくれるのだ。
浮き足立つのをそのままに、香ばしい肉の香りや、客を呼ぶ狐の甲高い声が飛び交う中を進んでいく。
そして目的地の看板を見つけた時。
トン、と。
擦れ違う際に、人型の何かと軽くぶつかってしまった。
「御免なさい」
「いや、此方こそ……おや」
相手の様子を疑問に思い、下げていた顔を戻す。そしてその姿を捉えた瞬間、私は目を丸くして声を上げた。
「
何とこの買い出しの原因が、神無月の定例会議で何時も目する有名神が、軽装姿で立っていたのだ。軽装とはいえ貫禄を纏った雰囲気は殺し切れておらず、この商店街にはどうにも似合わない。
いや、そんなことを気にしている場合ではない。何か言わねばと、慌てて言葉を探しながら口を開く。
「えっと、今朝の文は——」
しかしそれは直ぐ止められてしまった。
「それよりもお嬢さん、お手をどうぞ」
「え? あ……は、はい?」
流れるような手つきで差し出されたそれに、戸惑った様に彷徨わせながらも、結局手を乗せる。札のような物を取り出した
「離してはいけないよ」
何がしたいんだ。意図が読めないと言いたげに眉根を寄せる。けれど高貴な神の機嫌を損ねたくない立ち場にある私は、おずおずと頷くことしか出来ない。その様子を確認してから、彼は札を咥えて破り捨てた。
景色が一転する。ジェットコースターの様な浮遊感に身が竦んで、思わず握る手に力を込めてしまった。しかしそれも直ぐに治る。一つ瞬きをすればもう、見覚えのある定例会議の会場、出雲大社に着いていた。転移系の神術を使われたらしい。
何故出雲大社? というか、誘拐先でまた誘拐されるとはこれ
私は詰めていた息を吐き出して、
「有難うございます、
「無事に連れて来られて何よりだよ」
そんな遣り取りをして、お互い笑顔を見合わせる。そう、今までの出来事は全て、
前回の失敗から学んだ私は、協力者を得ることにした。私が現し世に帰る為の協力者を。だって、神術なんて絶対的な力の前じゃ、私は何も出来ないから。そこで目を付けたのが、神無月の定例会議だった。
ユウさんは、私を一人で社に残すのは不安だと言って、毎年の定例会議に連れていく。始めは其処で大声を上げて、神々に事の次第を訴えようと思ったのだが、一つ心配事があった。それは私の立場である。隠り世での人間の立場が分からない以上、下手な神に伝えて粛清対象にでもなってはいけない。前回の買い出しでは軽率な行動をしてしまった。
そこで周りの様子を窺って、信頼出来そうな神を少しずつ候補に挙げていった。その内、最も頼れそうな相手だと最終的に結論づけたのが、
計画は今朝の文から始まった。といっても、その計画は私にも知らされていなかったが。会議終わりは時間がなくて「私が好機を作るから、それ迄耐えてほしい」という言葉を貰っただけだったのだ。境内は神域と呼ばれる特別な空間になっている為、逃げるには外へ出る必要があるらしい。しかしユウさんの同伴がないと、私は鳥居の外から一歩も出られない。機会を作るのに準備時間が必要だったのだろう。
文が届いた時点で、今日動くことは察していた。そしてその中身を聞いて、計画の全容も予想がついた。
ユウさんが依り代を作っている間に、買い出しに行った私が出雲へ移動。その際私に付いた監視を、
商店街で出会った際、それを確かめようとして止められてしまったのは、まだ監視の術を払えていなかったから。ユウさんが、私と
「それでは
嬉しさに緩む頬をそのままに、鳥居を指して促す。
漸く帰れる。出雲大社は島根県にある為、家に帰る迄時間が掛かるだろう。警察の手を借りるかもしれない。
それでも、帰れる。やっと帰れる。これで私は、元の普通の女の子に——
「済まないね、それは出来ない」
——あれ?
予想と違う返しに、呆然と
嫌な事を察してしまうのを防ぐ為か、頭の機能が急激に低下する。
聞き間違えだろうか。それとも、私の知らない国の言葉だろうか。若しくは、知らない間に日本語は意味合いが変化したのだろうか。
今、否定の言葉が、聞こえた気がする。
「君には今後、この社で過ごしてもらう。珍しく
理解を拒む心と反対に、再起動した脳はその意味を咀嚼し、飲み込んでいく。
「何故、ですか」
明るかった目の前が陰り、寒気が襲ってくる。鳥肌の立つ腕を押さえる気力もなく、その場に立ち尽くした。
協力すると言ったのに、如何して。私を帰してくれるんじゃなかったの。
「君は、もう現し世に戻ることは出来ない」
「なん……ど、如何いうことですか」
聞き捨てならない言葉に、少しでも情報を得ようと噛みつく。そうでもしなきゃ泣き喚いて、思い付く限りの罵詈雑言を吐いてしまいそうだった。だって、あと少しで帰ることが出来るのに。
「隠り世に来てから、君はどれだけの食物を口にした? 一口や二口ならまだ救えたかもしれないが、それ以上だと難しい」
その説明で、あることに思い至って息を飲む。
「まさか……
静かに頷いた
黄泉竈食ひ。
「でもあれは、黄泉の国の話ですよね? 此処は隠り世で……」
「現し世を
「……」
「私に言われずとも、知っていたのではないかな。隠り世が、
ショックで唇が震える。
「辛いけど、君はもう現し世には戻れない」
「でも、だって、そんな、そんなの……」
そんなの——ずっと前から知っている。
私はそっと目を伏せた。
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