story.1 始まりの中で
いつもの私ならまだ寝ているであろう時間に目が覚めた。窓の外は朝日が一日の晴々とした空気を運んでいた。夕凪さんが来る10時までの間に身支度を済ませる為少し長めの伸びをして部屋を出る。階段を降りて顔を洗い、朝食を食べいつものように着替えて軽くメイクをして、財布や携帯などを鞄に入れる。この前買い物で買ったコロンを数回かけて連絡が来ていないか携帯を取り出す。
『おはようございます。 僕の方は支度が済んだので梨花さんが大丈夫でしたら連絡ください』
夕凪さんの連絡に『支度終わりました』と返事をして家を出る。
隣の家から夕凪さんが出てきて「おはようございます」と会釈をしながら声をかけてくれた。
私も「おはようございます」と返して、夕凪さんのもとに歩き出した。
前回の買い物とは反対側のバス停に立ちバスが来るのを待った。
「そういえば、買い物に行った日綺麗な猫を見かけたんです」
「そうなんですか? 見てみたかったです」夕凪さんは少し残念そうな顔をして小さく呟いた。
その姿に私は猫の容姿やその時の状況を覚えているだけ伝えた。夕凪さんは笑顔でどこかで会えるといいなと向かいのバス停を眺めながら言った。
時間より5分遅れてバスがバス停に到着して私たちはバスに乗り込み水族館へと向かった。
バスから駅まで行き電車で水族館の最寄りの駅までの道中、話題はカフェでのデザートとご飯のメニューについての意見交換会が開かれていた。夕凪さんは大の甘い物好きで、作るよりも食べたいの方が勝ってしまうそうでデザートのリクエストも受けた。自分の作るデザートで誰かに喜んでもらえるのは、仕事をしていた時と環境は違えど嬉しいものだと改めて実感した。
仕事をしていた時は忙しさでふとその事を忘れてしまい、疲労が自分の体を蝕んでいっていた気がした。だけど辛さの中で小さな幸せが自分を救うこともあるという事もまた同様にある。
最寄りの駅に到着し、水族館の案内看板が目に入ってきた。水族館に行くのは久しぶりで少しだけワクワクしていた。小学生の頃家族で来た水族館で自由に泳ぐ生き物たちを見て憧れた。大きな水槽の中で様々な生き物が優雅に泳ぐ姿は大人になった今でもやっぱり憧れる。
「綺麗ですね」と夕凪さんが大きな水槽を見て一言言った。
「憧れますよね」と返すと夕凪さんは「梨花さんはもし生まれ変わったら何になりたいですか?」と聞いてきた。
「そうですね……」そう言われるとすぐには思い浮かばなくて同じ質問を夕凪さんに返すと
「僕はイルカですかね」
「なんかわかる気がします」
「そうですか?」
「はい。なんだか私のイメージのイルカと夕凪さんがすごく似ている気がして」
「本当ですか? 初めて言われました」
「なんとなくですけど」
「優雅に泳ぐ姿が凄く羨ましくて憧れるんですよね」そう言って大きな水槽を眺める夕凪さんの姿を見て
「私……生まれ変わっても人間がいいです」とさっき聞かれた質問に答えた。
「人間なんですか」
「はい。まあ小さい頃は違う生き物になってみたいって思いましたけど、こういう風に何かを見て憧れたり、羨ましくなれるのって多分ですけど人間だけなんじゃないかって思って」
「確かにそうかもしれないですけど」と少し不思議そうに言った夕凪さんはあまりその答えに納得していなさそうだった。
それからさまざまな魚たちのコーナを見て周り、最後にお土産ショップで両親に贈るお菓子と、祖父に買って帰るお土産を二人で選んで久しぶりの水族館は終わり、家に帰って祖父にお土産を渡すとあまり顔には出なかったが嬉しそうに受け取ってくれた。
その夜私は夕凪さんに今日のことのお礼を連絡した。その日に返信は返ってこなかったが、私は今日水族館で撮った写真を見返していた。綺麗な水族館の景色と夕凪さんが大きな水槽前でスタッフさんに頼んで撮ってもらった写真があった。誰かと出かけて写真を撮るなんて普段の私だったら、恥ずかしいとかなんとか理由をつけて撮っていなかっただろう。
自分の荷物の中に入れていた好きな作家さんの詩本を開く。その本は一ページ毎に作家さんが撮った写真があってどれも幻想的で、私がカメラを買うきっかけになった本でもある。もともと本を読むのは好きではあったけれど、一人暮らしをするようになってから暇になると本を読む習慣がついた。いつものように本を読み始め数時間が経った頃、祖父が私を呼びに来て晩御飯の時間になった。
祖父に今日のことを聞かれ細かくは話さなかったものの、今度祖父とも出かけたいと言うと「そうだな」と少し笑って頷いてくれた。
晩御飯を済ました私はさっきまで読んで開いた本ではなく、ショッピングモールに買い物に行った時に買った文庫本サイズのノートを取り出し、今日のことをこと細かく日記のように綴った。
【6月17日】
今日は夕凪さんに誘われ久しぶりに水族館に行った。正直緊張していたけれどそれ以上に水族館の凄さにいつの間にか思いき入り楽しんでいた。夕凪さんが言った質問に対しての答えが私自身の今の本音なのかはわからないけれど、それでもあの時はただ純粋にそう思ってしまった。
まだやっぱり私は受け入れられていないのかもしれない。
ノートに書き込んでまたカバンの中にノートをしまい込んだ。
次の日からしばらくは祖父の手伝いと周辺の散策の日々が続いた。その間も何かあるたびに小さなことでもノートに記録として書き込んだ。何かのための保険のように。
いつものように祖父の手伝いをしていたその日、夕凪さんがしばらくお休みを貰いたいと祖父に相談しているのが偶然聞こえてしまった。リビングに飲み物を撮りに行こうとしていたのだが、そんな会話が聞こえてきて入れずに廊下で立ち止まってしまった。聞くべきではないと思い部屋に方向転換し戻った。
しばらくして階段の下から祖父が私を呼ぶ声が聞こえてきて、リビングに向かうとさっきまで話していた夕凪さんの姿はなく、祖父が「明日からしばらくは店を閉めるからすまんがよろしく」と言って自分の部屋に戻っていった。
何があったのか聞けず私はわかったと答えてまた部屋へと戻った。
この場所に来てからあった習慣の一つがなくなり明日から何をしようか悩んでいた私は最初の頃に行ったお寺に明日行ってみようと考えその日を終えた。
【6月30日】
今日からしばらくお店はお休みらしい。何があったかなんてとても聞ける空気ではなかった。明日から何をしようか考えるところから始まるのは少し不安でもあるけれど、それもまた楽しんでいこうと思う。いつかまた再開するお店に向けて新作を考えるのもいいけれど、全く関係のないことでもしてみようかな。
その日の記録を書き終えた私は、ノートをしまい眠りについた。
猫と私の365日 @aqua_m_
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