記憶と思い出


「すごく申し上げにくいのですが……」

 先生は私の方を見て病気について話した。私には先生が最初に口にした期間の言葉で、頭の思考は埋め尽くされていた。ドラマや映画では聞いたことのあるセリフだけど、いざ自分の目の前に差し出されるとどう扱えばいいのかわからなくなる。“余命1年”という医者からのセリフ。

 夢がないわけでもない。だけど自分自身がこんなことになるとは今ですら思っていない。空虚感のまま気が付くと家にたどり着いていた。人間は何も考えなくても動けるんだと、その時あれこれ考えていたものを一気に手放した。


 そこからは川の流れのように物事が動いていった。会社には詳しく話して退職届を出した。私は母方の祖父の所に連絡を出した。祖父は大きな古民家に住んでいて、一部屋を貸してくれると言っていたので、事情を話して了承をもらった。


 住んでいた家とさよならをして電車に乗る。車窓から見えるビルの街並みはいつもと何の変わりはない姿だった。そこから乗り継ぎを幾度か繰り返して少しずつ街並みが落ち着いたところで電車を降りた。降りたホームには寂しさの中に温かさがあって、私は小さい頃に降りた時の記憶が蘇ってきた。荷物を背負いなおして改札に向かった。

 祖父の家は最寄りの電車からバスで三十分程乗ったところだった。古民家が並ぶ景色が目に入って来て、足元に置いていた荷物を持ち上げようと手さげに力を込めた時だった。バスが大きく急ブレーキをかけたので頭が前の椅子に直撃した。

「すみません」と言って顔を上げると、私より少し年上ぐらいの男性がこちらを見ていた。

「大丈夫ですか」

「あ、はい。石頭なので……」

「いし……あたま……」と言うとフフッと笑ってみせた。

 私は気まずくなったので軽く会釈をして出口扉に向かい料金を払ってバスを降りた。バスから少し離れたところで荷物を一旦降ろして一息つく。そこに男性が慌てて降りてきて私の方に向かってきた。私は思わず目を逸らした。だけど何のためらいもなく男性は私の目の前で立ち止まった。

「荷物半分持ちますよ。見るからに重たそうだし」

「あ大丈夫で」

「お礼という事で」と言うとその男性はクシャッと笑って見せた。

「どっちかというと謝罪しかしてないと思うんですけど……」

「こっちの話です。どこまでです?」

「あ、えっと萬智まんち町です」

 男性はじゃあと言うと、半ば強引に荷物を持ち上げて歩き出してしまったので私もその後を追って歩き出した。

「どちらから来られたんです? ……ってそういえば、お名前聞いても?」

瀬川梨花せかわりかです。春日はるひ市から」

夕凪颯ゆうなぎそうです。……なんだか自己紹介と言うより面接みたいですね」

「確かに……」

 それからありきたりな会話を幾度かしているうちに目的地に着いた。すると丁度中から人が出てきた。六十代ぐらいの男性が私たちの顔を見て慌てて玄関の方に向かって

「おいとし! わけぇのが来てるぞ」そう言うと私の方を見てにやりと笑って去っていった。

「なんだ早かったな」聞き馴染みのある声に声のする方を見る。

「なんだゆう坊と一緒だったんか」

「バスで一緒だったんで」

「え?」思わず隣を見るとさっき見せた笑顔を祖父に向けて二人で話している。

「今日からうちで暮らすんだ紹介しとくに越したことはないか。隣に住んでるゆう坊だ。時々ここの手伝いをしてくれとる」

「隣!? 嘘でしょ」再び彼の方を見るといたずらっぽく笑っている。

「よろしく。やっぱり梨花さんだったんだね」

「……っておじいちゃんここの手伝いって何?」

「ありゃ、言ってなかったか? 老後にここの一階を改装してカフェにしたのを時々手伝ってくれとるんよ」

「カフェ?」

 予想外すぎる展開に頭が回らなくなった私はとりあえず部屋に荷物を置くことにし、その後祖父に詳しい事情を聞いた。基本平日の昼のみのカフェという名の集会みたいなものでランチの料理を夕凪さんに作ってもらっているらしい。そして私がここでデザートを作る代わりに家賃をタダでいいという条件だったらしい。そんなことを聞いてなかった私は反論したがその噂は今日来ていたお友達によって瞬く間に広がっているらしい。特に何をするかも決めていなかった私は条件をのむことにした。

 部屋に戻って持ってきた荷物を片付け始める。空気の換気をするために開けた窓からの景色に思わず目を奪われた。景色は広がる緑と澄んでいるのが一目でわかる空と空気、川の水の音が聞こえる中で歌う蛙の声が未知の世界のように見えた。

 今日の夕飯はおじいちゃん特製のハンバーグらしいので、私は少しの間仮眠をとることにした。

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